第15話 川の日
汗水垂らしつつ、先日の御者のように熱中症は事実起こりやすいものだからとこまめな水分補給や休息、そして必ず食事を採ることを意識した日々を送っていると、少しずつ夏の盛りを超えてきた。感覚で言えば、お盆を過ぎた後という感じだろうか。だが、まだまだ暑い日は続いている。『私』の感覚からすれば、残暑そのものだった。
「レノ。今日は川の日よ。一度帰って、着替えを持ってくるといいわ」
「川の日?」
なんか聞き覚えがある。なんだっけ、それ。私がこてんと首を傾げると、ヒューゴが私の頭を支えて、傾げられた首を元に戻してきた。
「お前、相変わらず変な奴だな。川の日は川の日だろ。魚を捕るんだよ」
「魚?」
「ああ……ヒューゴ。レノは知らないのよ、魚。川は分かるでしょう?」
サロメによって、魚そのものを知らないとされてしまった。しかし、まあそれはある。だってここで生まれてから、一度も魚料理なんて食べたことが無いのだ。行商人の日で見かけることがあっても、全部干物になっていて、川で生きている様子なんて見たことがない。
干物を見るに、『私』が知っている魚と大して変わりがないように見えたが、安心はできない。今でもメドルの存在にビビりながら下処理をしているのだ。へんてこな魚がいても、おかしくはないだろう。
サロメに言われた通り一度帰宅して、着替えの支度をした。母はもちろん仕事中なために家の中には誰もいなかったが、どこに自分の着替えがあるかくらいは理解しているので問題ない。引き出しを開けて、きちんと畳まれているボロ服を取り出す。持っている服なんて、数える程度。そのどれもが継ぎ接ぎだらけだし、唯一継ぎ接ぎのない服はサロメから貰ったお高めそうな服なので、こんなのを川遊びに着て行ったらサロメに殺されてしまう。仕方なく、わたしはいつもの服をカゴに入れて家から出た。
……川遊びって、全然安全じゃないんだよね。ライフジャケットもないし、継ぎ接ぎのない服だったら、万が一の時を想定すると、まだ浮くこともできたかもだけど……。海と比べて川は水だから浮きにくいと聞いたことがある。流れが早くなってるところもあるだろうし、……考えてたら不安でたまらない! 私はブンブンと頭を振って、最悪のイメージを打ち消した。水着なんてないんだから、朝の収穫で泥まみれになったこの服を、ついでに川の水で洗い流せると思おう! 魚も獲れて一石二鳥、ってね! もう、そう思うしかないよ!
魚を捕る川は森にあるらしい。ついでに収穫をするかもしれないし、と、荷物が増えることを考えて、わたしはいつものカゴを背負ったまま向かったのだが、みんなの様子は少し違っていた。みんなは蓋つきのカゴのような、桶のようなものを背負っていた。今は空っぽだが、帰りにはあの中に最低限の水と魚を入れて持ち帰るとのこと。そんなの聞いてないよ!
一人だけいつもの籠を背負っている姿を見て、ヒューゴはニヤニヤと笑った。
「おいおい、レノムシ。魚採りが下手くそだからって、そんな籠でどうするってんだ? その隙間から水を零しながら帰るってのか?」
「……いいもん。別に、その場で魚を締めちゃえばいいでしょ」
「ダメよ、レノ。魚はすぐに生臭くなっちゃうの。嫌な臭いが籠に移ると、あとが大変よ?」
「う………」
ぐうの音も出ずに唇を噛んでいると、ヒューゴが一層ニヤニヤして私をからかうように見てきた。サロメが牽制するようにジロリとそれを睨む。
「どうせ鈍臭いレノムシのことだから、魚だって1匹も取れないに決まってるぜ。そんな小さい手じゃ捕まえたって食えるような大きさの魚じゃねーだろうし。だからレノムシ、その籠で正解かもな」
ヒューゴの嫌味にムッとして、私もヒューゴを睨んだ。分かんないよ、そんなのやってみなきゃ! そもそもこの体で泳いだこともないから、泳げるかどうかも分かんないし……て、待って? え? 捕る? 勝手に籠で魚をすくうとか、釣りとか、網かなんかで捕るイメージ持ってたけど、もしかして手掴み? 手掴みなの?
「こうやって俺の荷物を入れられる。じゃ、よろしくな、レノムシ!」
「うん、……うん!?」
背中に軽い振動があって、少しだけ籠が重くなった。どうやらヒューゴが自分の着替えを私の籠の中に入れたらしい。
「自分のものくらい、自分で持ちなさいよ、ヒューゴ!」
「サロメはいちいちうるせえぞ! レノムシもいいよな?」
「え、ええ……?」
完全にガキ大将じゃないか、と困惑してヒューゴとレノを見ていると、ヒューゴは呆れたように演技がかった様子でため息をついて、肩を組んできた。
「レノが獲った魚は俺のに入れて持って帰ってやるからさ。ま、どうせ1匹も取れねーだろうけどな?」
だから代わりにお前は俺の荷物持ちな! とヒューゴがカラカラと笑って、さっさと歩くペースを早めてジョルジュの隣へと行ってしまった。……まあ、着替え、結構軽いし。なんだろ、分かりにくいけどヒューゴなりの優しさだったのかな? そう考えつつ歩いていると、サロメが心配そうに重くない? と聞いてくれたので、全然平気だよと笑って返した。
森へ入って、いつもと違う道を進んでいくと、やがて水の音が聞こえてきた。緑も生い茂り、小さな動物やムシたちがちらほら姿を見せ始める。水場が近いのだ。
地面が少しぬかるみ始めた頃、パッと視界が開けた。
「すごい……!」
木々の間に、小川が流れていた。サラサラという川の流れる音に混じって、どこからか小鳥が鳴く声が聞こえてくる。太陽の日差しが川面に反射して、キラキラと光っていて。風が吹くたび、心地よいすがすがしさを全身に感じて、私は感動のあまりその場で立ち尽くした。
一度、森で作業をしている時に間違って毒草を摘んでしまい、ヒューゴに小川に連れて行ってもらったことがある。ただそれは本当に浅く、小さなもので、人が入って泳ぐような規模のものではなかったのだ。だから、ちゃんとした川を見るのは、本当にこれが初めてだった。
「おいレノムシ、何ぼーっと突っ立ってんだ。さっさと川に入らねえと、この辺りの魚はぜーんぶ俺たちが獲っちまうぞ」
ヒューゴがそう言って私の背中を小突き、そのままざぶざぶと川の中へと入って行った。我に返った私は周囲を見渡して、みんなの様子を伺った。川岸に荷物を置いたみんなは、何のためらいもなく川の中に入っていく。あのリアムでさえ、当然のような顔で水の中へと進んでいったのだ。
どうやら、そんなに深さはないらしい。水深がリアムの腰くらいまでしかないのだと気付いた私は、心配と不安で渦巻いていた気持ちが少し楽になった。さっさと籠をみんなと同じようなところにポイッと置いて、ざぶざぶと川の中に入る。てっきり靴くらい脱ぐのかと思ったのだが、みんな履きっぱなしだったので、私もそれに倣うことにした。
「レノ、リアム。この辺りにいるよ」
ジョルジュが声をかけてくれた。リアムはすたすたとジョルジュの方へ向かったが、そんな簡単に移動できるものでもなかった。当然、水の流れがあるので動きにくいし、思ったよりも川底がぬるぬるしていて、滑りそうになる。私とリアムにとっては腰くらいまでだが、年相応に身体が育っているジョルジュにとっては、ほとんど膝程度の浅さだ。
「僕とヒューゴはもう少し深いところへ行くから、二人はサロメの言うことをちゃんと聞くんだよ」
浅いところは私たちの担当で、深いところはジョルジュとヒューゴの担当らしい。ジョルジュはそう言うと、ヒューゴと二人でもう少し奥へと進んだ。すぐに水深は変わるらしく、ジョルジュがどんどん水の中に浸かっていき、やがては立ち泳ぎになっているのが見えた。やはり浅瀬なのはこの辺りだけらしい。
私は絶対にこれ以上奥へは進まないでおこうと心に誓い、視線を水の中へと落とした。
「すごい、本当に魚がいる!」
「ぼく、魚獲り、あんまりじょうずじゃないんだ」
川魚を見つけて興奮していると、リアムが肩を落として言った。どうやらいつも一匹も採れないせいで、ヒューゴにからかわれているらしい。
「大丈夫よ、リアム。レノと一緒に頑張ろうね」
ジョルジュとバトンタッチするようにこちらにやってきたサロメが、励ますようにリアムに声をかけた。うん……とあまり覇気のない返事をリアムがしているのが聞こえる。
「これ、本当に手でとるの? 本当にとれるの?」
案ずるより産むが易し。とりあえずやってみようと私は中腰になって、手を水の中へと浸からせた。そして魚めがけて俊敏に手を伸ばすのだが、向こうの方が百倍速く移動してしまう。魚の身体にすら触れられない自分の下手さに呆れて、私は疑わし気な視線をサロメに向けた。
サロメは私のへっぴり腰を見て少し笑いながら、練習すれば出来るようになるわよ、と言いながら私の川上に移動した。
「レノ、その魚を捕まえてみて」
よくわからないが、サロメの指示通りに動く。当然魚は私が捕まえようとするよりも早く逃げてしまう。川の流れに逆らうように魚が一生懸命泳いでるのを見て、私はアッと声を上げそうになった。魚が向かうのは、サロメのいる方だったのだ。
「はい、獲れたわよ」
まるで川の流れのように。水の抵抗を感じさせない素早い動きでサロメがするりと魚を捉えた。ビチビチと跳ねるそれをしっかりとつかんで、サロメはにこりと笑った。
「獲れたらあの入れ物に入れるのよ。今から入れてくるけど、魚がいっぱいいるからといって、ジョルジュたちが行った方向に進んじゃダメだからね?」
「はぁい」
二人一組になってやった方が確実かもしれない。私はサロメを真似て、リアムの川上に立った。そしてリアムが追い込んでくれた魚を捕るべく、魚へと手を伸ばす。
「あぁっ!」
だが、そんな簡単な話ではなかった。一応こっちにくるのだが、魚は面白いほど器用に私の手をすり抜けて、違う方へと泳いでいってしまう。どうやってこれを捕まえたんだ、サロメ。訳が分からない。そのあとも何度もチャレンジしたが、一度だけ魚に触れることもあったのだが、そのぬるりとした感触のせいで掴み損ね、やっぱり逃げられてしまった。
「もーっ! 全然とれないよーっ!」
「しかたないよ、レノ。ぼくたちには、ちょっとむずかしいんだよ」
集中が切れてきた私が苛立った声をあげると、リアムは少しだけほっとしたような顔で微笑んできた。どうやら、魚獲り下手組として仲間が増えたことに喜んでいるらしい。ヒューゴがからかってくる矛先が増えて、自分への嫌味が減ることがうれしいのだろう。
私はむすっとして、サロメを見た。サロメは私とリアムが仲良く協力プレイしているのを見て気を遣ってくれたのか、少し離れたところで魚を捕まえていた。一人でも難なく魚を捕まえては容器に移している姿を見て、私はがっくりと肩を落とした。
「もう少し大きくなったら、サロメみたいにいっぱい獲れるようになるかな」
「うん、レノならきっとできるよ」
リアムは私を励ますように言ってくれた。それに少しだけ機嫌が直った私は、ふと自分の足元を魚が泳いでいることに気付いた。そっと身体を屈めて、一気に手を水の中へと突っ込む。手に触れたその感触を離すまいと、両手でがっちりと掴み、持ち上げた。
「と、と、とれたーっ!」
バチバチと手の中で魚が跳ねる。私は絶対に離さないぞ、と両手に力を込めて、しっかりと握りこんだ。すると、手の中の魚が大人しくなった。
「えっ」
そんなに簡単に魚って死ぬのだろうか。それとも、致死状態になったのか。何にせよ、殺すのは捌く直前だよね? せっかく新鮮な魚が取れたっていうのに。私が魚の様子を確認しようと、持ち上げたそれを胸元まで降ろしてみようとしていると、後ろからヒューゴの声がした。
「レノムシが大きな声出すから、てっきり大物でも捕まえたのかと思ったけど……ぷっ。いや、十分大物だな、そりゃ」
ヒューゴがこらえきれなくなったように吹き出した。意味が分からなくて、私はヒューゴの方を振り返ってそのにやけ面を見ながらも、手の中の魚を見た。
「えっ!?」
「おい、レノムシ! あんまり大きな声出すなよ、魚が逃げちまうだろ!」
「あ、ご、ごめん」
その割にはヒューゴもうるさいぞ、とも思ったが、それどころじゃなかった。私の手の中にある魚は、骨だけの姿になっていたのだ。いや意味が分からなさ過ぎて、ぞわりと腕に鳥肌が立った。骨と内臓だけの姿で、なぜかこの魚は形を保っている。見た目は完全に深海魚のようにグロテスクになってしまっていた。
「な、な、なんで、」
さっきまでは、少なくとも私の足元に泳いでいる時は普通の魚だった。それは間違いない、あんなにも凝視して捕まえたのだ。こんなにショッキングな姿をしていたら、さすがの私だって捕まえる前になんじゃこれ、ってなる。
「ほんとへったくそだな。そんなの、獲ろうと思っても獲れるもんじゃねえぞ?」
ヒューゴが人を小馬鹿にしたように笑って言った。私は訳がわからなくて困惑したまま首を振った。
「違うよ、さっきまでは普通の魚だったもん。どうしてこんなことになっちゃったの? この子はどうしちゃったの?」
「たまにあるんだよ、そういうやつ。その姿で泳いでるのを見たこともあるし、俺も良く知らねえけど、なんかするとそうなっちまうときもある。最初は普通の魚だと思って獲ってきたのに、家の中に入れて、料理してると骨になっちまう時もあるんだ。そんなによくあることじゃねえけど……だからレノムシ。お前は逆に、すげえやつだな!」
そう言って、ヒューゴは再び小さく噴き出して、こらえきれないように笑いながら、再びジョルジュのいる深そうなところへと泳いで移動していった。
「……じゃあ、逆にレアなんじゃないの」
私は手の中の魚に視線を落とした。レアリティが高いのなら、価値があるのでは。そう思ったが、身も皮もない魚に、何の価値があるのだろう。食べれないのだ。食料を取りに来たのに、食べれない魚を見つけたところで、何の意味もない。
私はため息をついて、水の中に魚を戻してやった。すると死んだようにおとなしかった魚は生き返ったように川の中を泳ぎだす。残念ながら、見た目はグロテスクのままだったが。
「……つぎは、がんばろうね」
しょんぼりと肩を落とすと、リアムは慌てたように私のそばに駆け寄ってくれた。そうだね、と私は力なく言葉を返して、ひとつため息をついた。やっと自力で獲れたと思ったのにな、魚。
その後もリアムと二人組で一生懸命魚を獲ろうと頑張ったが、結局魚に逃げられるだけだった。しかも逃げた魚は不思議とサロメのところやジョルジュのところへと向かうらしく、やがて私たちの周りに魚はいなくなってしまった。
サロメの邪魔をするわけにもいかないし、かといってほかの場所は流れが急だったり、深くなっていたりするのでここから動くわけにもいかないが、ここには魚もいない。ということで、私とリアムはなんとなく大人しく水に浸かって暑さをしのいでいた。水遊びでもしたいところだが、あまり騒ぐと魚が逃げるとまた叱られてしまうだろう。
暇だし服の汚れでも落とすか、と私は水の中で汚れが染みついている部分をこすった。水が綺麗だからか、水の底まで見えてしまうほど透き通っていて、気分が良かった。風流だなぁ、なんて思っていると、ふとリアムがパシャパシャと何かやっているのが視界の端に映った。そちらを見ると、リアムは水の中に顔を突っ込んでは息が続かなくなって顔を出して、と繰り返している。
新たな遊びかと思って眺めていたが、どうやら違うらしい。地面にある何かを拾おうとしていることに気付いた私は、リアムに近寄った。
「どうしたの?」
「レノ……あのね、ここに、綺麗な石があって……」
リアムが指さす方を見ると、確かに水底に綺麗な石がひとつあるのが見えた。灰色だったり黒かったり白かったりする砂や石に紛れて、黄色に光る石があったのだ。どうやらこれを採ろうとしているらしいが、ここは先ほどの浅瀬より少しだけ深くなっていて、私やリアムではなかなか手が届かない。拾うためには一度しっかりと潜らなければいけなさそうだった。
「私が拾うから、リアムはこっち側にいて。あっちに行くと、どんどん深くなってそうだから危ないよ」
私とリアムは場所を交代した。たった一歩や二歩しか移動していないというのに、その数歩で水の高さが顔に迫ってきた。浅瀬では腰のあたりだった水が、ここではもう胸の高さを超えてきている。これ以上向こうに行くとさすがに危険だな、と私は片手をリアムに差し出した。
「流れで向こうに行っちゃわないように、手をつないでてくれる?」
「うん……あの、気を付けてね」
「へーき、へーき!」
心配そうなリアムと手をつなぎ、私は勢いをつけて身体を水の中に沈ませた。水が透き通っているおかげで、対象物を見失うこともなく、私はすんなりと黄色い石を手に握った。水底につけた足を踏ん張って、身体をバネのようにして勢いよく水面へ顔を上げる。
「ぷはっ!」
止めていた呼吸を再開させ、手に持った黄色い石を空へ掲げた。三センチ程度のサイズのそれは、太陽の光を浴びて、キラキラと輝いていた。
「本当にきれいだね。こんなのよく見つけたね、リアム」
「た、たまたまだよ。靴に何かが当たったから、なんだろうって思って。でも、ここ、ちょっと深くて、怖くて、なかなか拾えなかったんだ」
少しだけ弾んだリアムの声を初めて聞いた。いつもおどおどして困っているイメージだったので、なんだかちょっぴりうれしくなる。太陽の光を反射して、石は奥深い色を見せた。私は少し角度を変えたりして、その色味を観察してみた。こんなに綺麗な石が転がっているのなら、石探しもいいかもしれない。どうせ、魚なんて私とレノじゃ獲れっこないんだし。
「うん、満足した! すごい綺麗だったよー。リアムも太陽にかざしてみるといいよ!」
満足いくまで石を眺めた後は、にっこり笑って、私は掲げていた手を降ろした。そう言いながらリアムに石を返そうと手を伸ばす。
その瞬間。何かが、ずおっと手のひらから吸い込まれるような感覚があった。掃除機の吸い込み口を手に当てた時のような、何かが手に吸い付くような感覚に驚いて、私は思わず手を振り払ってしまった。
「あ」
ひゅんっと石が飛んで、ぽちゃんと音がした。少し離れたところに石を投げてしまった形になり、私は焦った。目の前のリアムが泣きそうな顔でそれを見ていたからだ。そんなつもりはなかったのだが、リアムにとっては、拾って手渡される直前で投げ飛ばされるという特大の意地悪をされたように感じるのだろう。
石が飛んでいった先が比較的浅瀬だったのは、不幸中の幸いだった。リアムは泣きそうなまま黙って石を拾いに行ってしまった。私は慌ててその背中を追う。
「ご、ごめん、リアム! そんなつもりはなかったの、手が変な感じになっちゃって、」
「うん……」
今度はリアムが躊躇なく水に顔を突っ込んで、石を拾っていた。私のやり方を見て学んだのだろう。無事に石を拾う姿を見て、私は安堵の息を漏らした。リアムが拾えるかどうか心配だったが、それよりもその石に触って大丈夫かどうかも心配だったのだ。
「ごめんね、リアム。でも大丈夫? 変な感じ、しない?」
なんともないよ、ときょとんとしているリアムを見るに、本当に何も起こらないらしい。まあ、何もないならそれでいいだろう。私の勘違いだったのかもしれない。腑に落ちない気持ちでいると、リアムが眉根を下げた。
「レノ、ごめん。レノは僕に意地悪なんてしないよね。僕、レノがヒューゴみたいなことしたんだって、咄嗟に思っちゃって……」
「あ、ううん。タイミングが悪かったよね。全然大丈夫だよ。むしろ、これから先、ヒューゴが面白がってリアムから取り上げないかが私としては心配かな」
「あ……」
私が言ったことは、どうやら起こり得る可能性が高いらしい。リアムはまた泣きそうな顔をした。私は慌ててリアムの背中をさすった。
「大丈夫、大丈夫。サロメに言って、リアムだけの宝物の箱を作ってもらうか、それとも首から下げる袋でも作ってもらったら?そこに入れてれば安全だろうし、」
そう言いながら、そろそろ岸に上がろうかな、と私は考えた。川に入ってから、結構時間が経っているはずだ。そろそろみんなも疲れてきているだろうし、お昼ご飯がてら一度休憩した方が良い。体温も下がっているだろう。私はリアムの背中を押して、岸へと向かわせようとした。その時。
「あっ」
リアムが姿勢を崩した。何かに躓いたらしい。リアムの身体が水の中に沈むと同時に、石が宙を浮く。私は反射的に石をキャッチして、そのまま慌ててリアムの身体を抱き上げようとした。
「リアム、大丈夫だよ! 足がつくところだから、落ち着いて!」
だが、リアムは落ち着けられなかった。むしろ、パニックになっていた。胴体だけが水の中で浮いてしまっているらしく、足が水底に着かないせいで、頭が水面に上がってこないのだ。私は慌ててリアムの身体に抱き着いて、足を水底につけるために、身体を縦にしようともがいた。だがリアムも必死にもがくせいで、なかなかうまくいかない。時折リアムが水上に顔を出すが、そのたびに必死に息を吸っているのがわかる。
「リアム! 落ち着いて、リアム!」
声をかけても、リアムには聞こえていないのか、力いっぱいもがくのをやめてくれなかった。同じくらいの体格の人間を助けるのは思ったより骨が折れる。
そうやってもたついているうちに、ふと気付く。少しずつ、私の足が、水底につかなくなってきているのだ。水面が上がってきて、胸あたりだった水は、すでに首までつかってきている。ハッとして周囲を見て、漸く理解した。私とリアムがもたもたしているうちに、どうやらゆっくりと流され始めているということに。まずい、これはめちゃくちゃにまずい。
「レノ! リアム! 何してるんだ!」
顔を青ざめさせていると、割と近くで声がした。そちらを見ると、ジョルジュが血相を変えてこちらに泳いでやってきているのが見えた。私たちが二人で溺れているのに気付いたらしい。それに少しだけホッとして、少しだけ体の力を抜いた時だった。ものすごい勢いで背中を押されるようにして、川に流されてしまった。
「わ、!?」
川には、流れが急になっているところがある。知識としては知っていた。だが、こんなにも強い力で押し流されるというのは知らなかった。為す術もなく、私とリアムは流された。必死につま先を水底に立ててブレーキをかけようとしても、何の意味もなかった。
「レノ! リアム!!」
ジョルジュがすぐそこにいる。だが、そこから川の流れが急になっていることに、ジョルジュも気付いている。このままジョルジュがこちらに来ても、一緒に流されてしまうだけだ。
かといって、じゃーどうしようかなー、なんて悠長に考えている暇はない。私は精一杯の力を込めて、手を伸ばすジョルジュに向かって、リアムを突き飛ばした。
「レノ!?」
突き飛ばされたリアムは水の流れに逆らうように一瞬だけ動いた。その一瞬のおかげで、伸ばしたジョルジュの手と、伸ばしたリアムの手が繋がり、力強く助け出された。
だが私はそれを見る暇もなく、リアムを突き飛ばした反動で、川の流れに沿って勢いよく流されていった。
すでに水底には足がついていない。服が重みとなって、どんどん私を水の中へと連れて行こうとしているようだった。私は必死に顔を水面にあげて、酸素を吸う。どうすれば助かるだろうか。どう考えても、ここまで流されてしまえば私のような子供の力でどうにかなるような話ではない。かといって、ジョルジュたちがどうにかできるわけでもないだろう。私を助けに誰かが追ってきても、二人して水死するのが目に見えている。だからジョルジュはあそこで追ってこなかったのだ。
せめて、空のペットボトルでも捨てられていれば。せめてライフジャケットをつけていれば。とにかく浮く姿勢になって、助けを待てばなんとかなるかもしれない。川には流れがあるせいで、そう簡単に浮いて助けを待つ、なんてことが出来るとも思えないが、このままだと沈んで死んでしまう。せめて、生き残る可能性が高くなることはしておきたい。私は小学校のプールの時間に習った浮く姿勢のことを必死に思い出しながら姿勢を整えようとした。
だが、その時、思いもよらないことが起こった。
足に、何かが絡まってきたのだ。ぬるぬるしているようで、海藻のように平たいような、何かが。気持ち悪くて、私は反射的にそれを蹴飛ばした。そのぬるぬるのせいでなかなか姿勢を作れないうちに、また川の流れが急になってきて、どんどん流されていってしまっているのが分かった。この辺りは水温も低いのか、身体が凍えるように寒い。
心臓がバクバクと音を立てて、私の呼吸が荒くなってきているのがわかった。死を身近に感じ始めて、パニックになってきているのだ。
……し、死ぬのかな、わたし、死ぬのかな。頭の中に、『私』が交通事故に遭った時のことが蘇ってきた。『私』が死んで、今、私はまた死にそうになっている。………死にたくない。私、まだ死にたくないよ!
足にまた何かが絡まった。蹴飛ばそうとしたが、体力が減っているからか、うまく蹴り飛ばせない。振りほどけない。すると、ぐいっと足が引っ張られた。当然、私の身体は水の中に沈んでしまう。ごぽり、と音が聞こえた。透き通った水が視界いっぱいに広がって、水面から差し込む光は水中に反射してキラキラと光っていた。ぷくぷくと酸素の泡が上へ上へと昇っていく。それと反比例するように、私の身体は下へ下へと沈んでいく。
突如、ゴツン! という衝撃が頭に起きた。されるがままになっていたせいで、そばにあった岩に気付かなかったのだ。鈍い痛みとともに、その衝撃で力が抜けて、口から酸素が大量に吐き出されてしまった。
苦しい、苦しい。
反射的にもがいたが、足に絡まってる何かがなくならない限り、私の身体は沈んでいく一方だ。でも、足に何が巻きついているかなんて、確認している余裕もない。とにかく、苦しい。
もがくように両腕をばたつかせた時、ふと気付いた。そういえば、リアムが拾った綺麗な石、私が持ったままだったんだったっけ。ごめんね、リアム。これ、返せそうにないよ。せめてこの石だけでも、リアムのところに戻ってあげてほしい。ごめん、ごめんね。手の中にある黄色い石を見てそう思った。肺の中の酸素が、もう無い。私は最後の力を振り絞って、石を握った。
「っ!?」
その途端、また手のひらに石が吸い付いてきた。いや、違う。手のひらから、石に何かが流れ込んでいるのだ。石が吸っているのか、私が流しているのか。
身体の中にある小さな小さな熱が膨れ上がり、複雑に絡まり合っていた何かが一直線に伸びて、石と繋がっているような感覚があった。そして。
「っぷ、……っはッ!!!」
身体が驚くほどに軽くなったと思った瞬間、足に絡まる何かを引きちぎる勢いで身体が上昇した。気付いた時には、視界に広がっているのは水中の光景ではなく、森だった。川が流れていて、周囲が木に囲まれていて。それが足元に見えて。
そう、今、どうやら私は川から二メートルほどの高さにいる。新鮮な空気が肺に流れ込んできて、私は何かを考える前に、とにかく息をした。肺に入り込んだ水を吐き出し、息を吸う。途端、身体の中にある、なにか、熱のような、力のようなものが、いつもは固まって動かなかったそれが、それこそ川のように体の中を駆け巡り、満たしていく。その一部が石に流れ込んでいくのも感覚で分かった。
「……あ?」
やっと現状を把握するような脳のスペースが出来た。いや、なんだこれ。なんで私、空に浮いてるんだ。そう思った途端、世界が重力を思い出したように、私の身体は落ちていった。いやいやいやいや、こんな高さから落ちたら……!
ざぶん! と水しぶきをあげて、身体は再び水中へと戻されてしまった。なぜか着水のダメージはほとんどなかったのだが、鼻の中に水が入ってきて、痛い。私はありったけの力を石に注ぎ込んで、暴れるようにその場でもがいた。
「…………えっと、」
右手で水中を斬るように、下から上へと振り払った瞬間。本当に水が斬れてしまった。まるでモーゼのように、川が割れたのだ。私は水底になっていた砂利の部分に座り込んでいて、そこから岸部までの道が一直線に割れている。あまりに非日常的な光景にぽかんとしていたのだが、少しずつ水が戻ってきているのに気付き、慌てて岸へと走った。
転ぶようにして岸へ上がった途端、ざぶんと音を立て、私の背後で川が元通りになっていた。元通りになっていた。
長くなってしまいました、すみません。
やっと魔法(?)が出てきましたね!




