第14話 手作り経口補水液
食事を終えて、お腹がいっぱいになって、果実を思い思いのタイミングでつまみつつ家族団らんの時間。といっても、母が父に最近の生活について話して聞かせるのが基本的な時間の過ごし方になるのだが。
のんびりとそんな時間を過ごしていると、唐突に扉がノックされた。母が立ち上がるが、それを制して父が声をあげた。
「入りなさい」
「も、申し訳ありません!」
扉が空いたと同時に慌てた様子で入ってきたのは、クロードだった。無表情で冷静そうなクロードが焦燥感を滲ませながら入ってくるのを見て、私と母は緊張に身体を強張らせた。父だけはゆったりとした動作で視線をクロードに向け、微かに首を傾げた。
「ご報告致します」
クロードは、馬を引いている御者が倒れたと言った。当然、御者が倒れてしまえば、帰るアシがなくなってしまう。クロードは馬を引けないわけではないが、そうすると父の護衛任務が疎かになってしまううえ、この村に御者を置いていくわけにもいかないし、父と同じ馬車の客室部分にそんな男を乗せるわけにもいかないとのこと。明らかに高い身分にある父が、御者と執事と三人という少数精鋭で来ているあたり、ここにはお忍びで来ているのだろう。だというのに、予定通りの日程で帰らなければ、一体何がどうなることやら。クロードの表情は完全に青ざめていた。
「どんな様子なんですか?」
母が恐る恐るといった様子で言った。この村には医者と呼ばれる人はいないと思う。少なくとも、私は聞いたことがない。大抵はあの元気が爆発するあの赤い実を食べれば回復するので、そもそも医者が必要ないのだろう。
「母さん、あの実を食べさせたら?」
元気爆発実のことを暗に示したが、クロードは首を横に振った。意識が朦朧としているらしく、飲み物ならまだしも、咀嚼して飲み込むことが出来るかどうか微妙らしい。
とりあえず状態を見なければ分からない。私はひょいと椅子から降りて、クロードの脇を潜り抜けて外へ出た。すっかり夜になってしまったらしく、真っ暗な中、父の馬車だけがランタンに照らされていた。馬を引くために御者が座っていたスペースに、今はその御者が横になっている。日焼け防止なのだろうか、そこそこ暑いというのに、真っ黒な服で長袖長ズボンを着ている。本人は暑くないのだろうか?
「大丈夫ですかー? 意識ありますかー? おじさーん?」
私はそう声をかけながら、仰向けになっている男の顔を覗き込んだ。中年くらいのひょろっとした男だった。ゼエゼエと息を弾ませ、顔びっしょりに汗をかいている。
「どこか痛いんですか? お腹ですか?」
「……あつ……い……、のどが、かわい……た………」
男は途切れ途切れに、喉の渇きと暑さを訴えた。てっきり痛みによる脂汗かと思っていたのだが、そういうわけではないらしい。
「お嬢様! 勝手に一人で近付いてはなりません!」
ひょいと身体が浮き上がった。クロードが後ろから私を抱き上げていた。おじさんはこんなにも弱ってるんだから別に危険なんてないと思うんだけど、とクロードの剣幕に対してそう思いつつも、私は首だけ振り返った。
「クロードさん。父さんの家からここに来るまでって、どれくらいかかるの?」
「それは………」
「あー、言えないならいいや。とにかく結構かかるよね? その間、この人はずっとこの服装でいたの? 今日、一日中ずっと晴れてたよね? 屋根のないここに座ったまま、ずーっと馬を引いてたの?」
「それがこの者の仕事です」
「こまめな休憩や水分補給はした? 何度か木陰に入って涼んだ?」
「そのような予定はありませんし、そもそも必要もありません。御者は馬を引く。これがこの男の仕事です」
なんだそりゃ。私は思わずため息をついてしまった。
「……馬鹿じゃないですか。脱水症状を起こしてます。もしかすると熱中症ですよ、この人」
『私』のいた世界のような熱帯夜ではなく、ここでの夏は、夜になれば少しばかり温度は下がっていた。そのため、熱中症なのかどうかは分かりにくい。だが喉の渇きを訴えているところや、今日一日の動きを聞くと、脱水症状には違いないのではないかと私は考えた。
「だっすい……ねっちゅう、……なんですか?」
「クロードさん、下ろしてください」
地面に下ろしてもらっていると、父と母も私を心配して家から出てきた。それを見て、私は頭の中の知識をひっくり返す。脱水症状の人には、何をしたらいいんだっけ? 毎年夏になると、ニュースでいつもやっていたじゃないか。思い出すんだ、私!
「父さん、クロードさん。この人を家の中に運んでください。ここは暗すぎます」
「お嬢様、さすがにそれは……」
「母さん、今すぐサロメのところへ行って、シュクールをあるだけわけてもらってきてくれる? お金は後で工面するって言っておいて。父さんはこの人を運んだあと、お湯を沸かしてね。クロードさんは裏の井戸から水を汲んできてください」
全員にさっと指示を出して、私は全員の顔を見渡した。三人とも、きょとんとした顔で私を見ている。
「聞こえた? 聞こえたなら早く! 時間が経てば経つほどこの人の症状は悪くなっていくよ!」
声を張り上げると、ハッとしたような様子で母が最初に我に戻り、急いでサロメの家の方へと走っていった。私は父の横をすり抜け、男が運ばれても大丈夫なように一枚大きめな布を床に敷いた。
「父さん、クロードさん! まだ!?」
戸口から声をあげると、父は仕方なさそうに動き始めた。クロードは恐縮しすぎて死んでしまうのではないかという様子で、可哀想なくらいカチコチになっていた。しかしそんなことを気にしていられない。命がかかっているのだ。
父にもクロードにも指示通り動いてもらっている間、私は布を何枚か準備した。クロードに汲んできてもらった水を鍋に入れ、父が起こしてくれた火にかける。もう一度クロードに水を汲んできてもらい、今度はその桶に布を突っ込んで、きちんと絞ったそれで男の汗を拭いた。
「お嬢様! おやめください!」
男の服を脱がそうとすると、ぎょっとした様子でクロードが私の手を取った。女の子にそんなことをさせたくはないのは分かる、だが今は人命がかかっているのだ。私は首を横に振った。
「体温を下げる必要があるの!」
「では私がやります」
クロードは私から布をもぎ取り、男の汗をぬぐい、衣服を緩めた。さすがに全裸にするわけにもいかないので、服の風通りを良くするために、手足の布をまくっていた。手首にきらりと光る銀色の腕輪が見える。
「クロードさん。なるべく太い血管が通っているところ……首の後ろとか、腕や足の付け根、太ももなんかを冷やしてあげてください」
そうこうしているうちに母が戻ってきた。シュクールを三粒わけてもらってきたらしい。私はそれを迷わずお湯の中に入れて溶かす。そこに塩を適当に入れて、溶けたところでスープ用のお椀に注いだ。本当なら正確に量って作るべきなのだが、ここには秤もなければ、大さじ小さじを示してくれる計量スプーンもないので、目分量になるのは仕方ないだろう。
最後に酸っぱい果実を母に絞ってもらって、それをお椀の中に入れてかき混ぜた。私はそれを片手に男のところへ向かう。クロードに男の頭を支えてもらいつつ、男の口にスプーンの中身を注いでいく。喉がゆっくりと動くのを確認して、もう一度同じことを繰り返した。
酷い熱中症ではなかったらしい。なんちゃって経口補水液兼スポドリをある程度摂取して、少しすると、男の顔色が戻ってきたのが分かった。
「……あ………」
男の目の焦点が合ってくる。男から小さく安堵の声が漏れだしたと同時に、瞬時に顔を青ざめさせた。自身の失態に気付いたのだろう。すぐさまクロードから離れ、しかしまだ地面に膝をついたまま、きょろきょろと周囲を見渡した。
「も、も、申し訳、ございません……!」
男の弱々しい声が家に響いた。私は慌てて男に近寄ろうとして、クロードに抱き上げられて阻止された。
「あの、大丈夫ですか? すぐに動くのはよくありません。多分、脱水症状を引き起こしていたんだと思います。なるべくそこの手作り経口補水液を飲んでもらって、休息を取ってください」
経口補水液や手作りスポドリの作り方は、テレビで見てなんとなく知識としては頭にあった。だが、本当に作ったのは初めてだ。本当に効果があるように作れているかは分からないが、水分を飲ませているのでまあ良しとしよう。
……それにしても、どうしてこのおじさんだけが脱水症状を引き起こしたのだろう? 原因が熱中症にあったと仮定するならば、確かに日向にいたのは御者であるおじさんだけかとは思うが、馬車に乗っていた父さんたちも相当蒸されていたはずだ。三人とも黒い服をしっかりと着こんでいるので、暑さとしては同じではないだろうか。室内にいた父とクロードだけはこまめに水分補給してたから大丈夫だったとか?
そんな風に考えていると、父の手が伸びてきた。クロードはおとなしく私を父の腕の中へと譲る。クロードよりも細身に見えるのに、意外と逞しい父の腕に抱きかかえられたと思えば、父が私の顔を覗き込んできた。
「あれは何ですか? 彼に、何を飲ませたのでしょう」
「経口補水液……スポドリみたいなものだよ。熱中症なのかは微妙なところだけど、脱水になってたみたいだから」
ここでやっと父どころか、ここにいる全員が私の言葉を理解していないことに気づき、咳ばらいをしてから言い直した。
「あの人は、一日中お日様の下に、あの真っ黒な服を着て働いてたでしょ? 今の季節はただでさえ暑いのに、黒色は日光を吸収しちゃうよ。風通しの悪そうなあの服じゃ、今日一日ずっと暑かったと思うよ。日差しを直接ずーっと受けて、あんな暑い服を着て、しかも休憩もなく、適切な食事も水分もとらないままで働いたのがダメだったんだよ」
通気性のある服で、なるべく屋根を作ってあげて、きちんと一日に何度か休憩を取り、水分補給と食事は適切に行うことが大事! と父に説明すると、父はなるほど、なるほど、と頷いた。
「一応、父さんたちが帰る時用に飲み水も準備したから、こまめに飲んでね。でもほんとにこれで回復したのかどうかはわかんないから、ちゃんと様子は見てあげてね。広々とした平野でこの人がまた倒れちゃったら、どうしようもないわけだしね……」
素人目で判断したのが脱水・熱中症の疑いなだけで、本当はもっと恐ろしい病気は別に潜んでいた! とかだともう私には分からない。これからもまだ夜通し馬車を運転しなきゃいけないのだから、心配な気持ちは残る。
とはいえ、医者のいないこの村で出来ることは、これ以上何もない。せめて出来ることといえば、大きめの桶に煮沸消毒した水を入れて、スプーンと一緒に手渡すことくらいだ。
いつもの自分の視界よりも随分と高い位置から、改めて男の様子をもう一度見た。体調は回復に向かっていそうな感じだったが、顔色は優れない。どうしたんだろうと考えていると、ふと彼の顔色が悪い理由に思い当たった。私はすぐそばにある父の顔を覗き込む。
「父さん。この男の人、どうなるの?」
「…………」
父はいつもの優しそうな笑みを浮かべ、しかし答えなかった。
ああ、やっぱりそういうことか。身分社会なのだ。上の者の手を煩わせた時点で、彼の命運は決まっていたのかもしれない。どんな罰が下るのか、それを思って彼は今も気が気ではないのだろう。私はため息をついて、父の頬をぐにっと両側に引っ張った。
「お嬢様!?」
クロードの悲鳴のような声が聞こえたが、私は構わず父を睨んだ。
「……父さんがうちに来たから誰かが倒れたとか、処分されたとか、そういうのは私、嫌だからね。父さんにはまた来てもらいたいし、それは何かを犠牲にした強行突破ではなくて、ちゃんと私と母さんに会いに来るために、みんなが笑顔になれるために来てほしいの。そのあたりを汲んでもらえると嬉しいかな」
「ほへは、へほほほほひ?」
「何?」
「それが、レノの望みですか?」
言ってる言葉の意味が分からなかったので頬を離してあげる。私の手を掴んでやめさせることも出来たはずなのに、不思議と父は娘にされるがままだった。そのせいで、ほっぺたが少し赤い。私はいたわるようにそれを撫でながら、頷いた。
「体調が悪い時には休むこと。上の人はそれを認めて、休ませること。無理しても良いことなんてひとつもないよ。もし父さんが予定から大幅に遅れて家に帰ったら、きっと大騒ぎになるよ。私、そんなこと望んでないもん。父さんにはまた来てもらいたいよ。だからそのためにも、ね?」
三歳児が父に対して、子供に言い聞かせるように言葉をかけている様子を見るのは、何とも落ち着かない気持ちになるのだろう。床に座ったままの男も、クロードも、母でさえも、おろおろと心配そうに私を見ていた。だが父だけは、娘が愛しくてたまらないといった様子で、うっとりとした顔で私を見つめた。
「言う通りにしましょう、レノ。全て君の言う通りです。私もそう思いますよ」
宝石を触るかのように、父は私の頬をやさしく撫でた。そのまま父の整った顔が近づいてきたと思えば、おでこに柔らかい感触。それで父は満足したらしく、私を下に降ろした。
そろそろここを出ないと、予定の時間に戻れなくなってしまうらしい。暫くの間は御者を客室に入れ、クロードが馬を引くことになった。やがて男の体力が戻ってきたら、クロードとバトンタッチするらしい。
馬車に乗り込む直前の父と御者、そしてクロードの三人に、口を酸っぱくして、家に戻るまでは御者の様子をちゃんと見ること、こまめに水分補給すること、体調が急変するようであれば休ませること、ということをお願いした。それと、御者の男には、帰ったらちゃんと医者に診てもらうこと、ときっちり言い聞かせた。
「すごいわ、レノ! あなたがあの人の命を救ったのよ。まさかあんなことをチャーリーに言うなんて……。でも、レノがいなかったら、本当にあの人は危なかったわ。レノはあの人の命の恩人ね」
父の馬車を見送って家の中に戻ってくるなり、母は大喜びで私を抱き上げた。今日はなんだか、珍しく誰かに抱き上げられてばかりだ。三歳児なのでそんなに軽いものでもないだろう。私は母の細い腕を心配して椅子に降ろしてもらいながら、えっへんと胸を張った。
「どうなるかと思ったけど、助けられてよかったよ!」
「本当にレノはすごいわね……でも、あんな知識、どこで手に入れたの?」
母の疑問に、私はぎくりと身体を強張らせた。視線を彷徨わせつつも、なんとか言い訳を頭の中から捻じりだす。
「えーと。この間、行商人が来てたでしょ? 行商人と話したこととか、村の子に教えてもらった知識を合体したの。正直、うまくいくかは不安だったんだけど、なんとかなって本当に良かったよ! あのまま父さんたちが帰れなかったら、とんでもない騒ぎになってたでしょ?」
私、父さんの役に立てたよね? と無邪気な笑みで尋ねれば、もちろんよと母はにっこりと笑って私の頭をやさしく撫でてくれた。
「きっとチャーリーが帰れなかったら、本当に大ごとになっていたわ……レノ、あなたには分からないでしょうけど、それでもあなたは沢山の人のことを救ったのよ。この村を守ったと言っても過言じゃないわ。よくやったわね、レノ」
よしよし、と母が頭を撫で続けてくれるので、私は心地よさに目を閉じた。
……そういえば、父さん。母さんには一緒に住まない? って聞かなかったなぁ。最後の方、ばたばたしていたから機を逃したのかな? それとも、そんなに真剣には考えてなかったとか?
そんなことを考えつつも、私は心の奥に少しだけ残った疑念を解消できずにいた。……あの男が手首につけていた銀色の腕輪。母さんの足環と、すごく似てた。……あれ、一体何なんだろう?




