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第12話 父、来訪

 今日は父が来る日。特別な一日。

 きっと、小さなお祭りみたいな一日になるだろう。



 どうやら、今が夏の盛りらしい。

 この世界にはエアコンがないので、だから余計に暑く感じてしまうのかもしれない。湿度が高くないらしく、カラッとした空気なのは有難かったが、それでもジリジリと刺すような日差しがあるのは変わらなかった。とにかく暑い。


 事前に今日の仕事に関しては、私も母も午前までの勤務をお願いしていた。午後からは身支度や料理をし始めるためだ。

 いつもの感じでいくと、父は夕方になるより少し前にはやってくる。それまでに支度を終えなければならない。本当ならば朝からせっせと色々なことをしたいところだが、さすがにみんなが毎日お休みなんてほとんどとらない中で、我々新入りが一日お休みをくださいなんて言いづらい。折衷案として、午後休にしてもらったのだ。


「今日、レノは森行かねーのか?」


 野菜を収穫し終えた頃、ヒューゴが近寄ってきた。背中の籠をいっぱいにしたジョルジュもこちらにやってくる。


「今日はレノの身支度を手伝うように言われてるわ。収穫で泥まみれになったでしょう? うちで着替えていくといいわ。わたしが着れなくなったお下がりもレノに渡すように言われてるの」


 私のところに二人が集まってるのを見て、サロメとリアムも泥を落としながらやってきた。お下がり、という言葉に私は顔をしかめる。


「ダメだよ。わたし、服を下取りするお金なんて、持ってないよ」


「下取り?」


「えーと。サロメの持ってる服と、わたしの持ってる何かを交換しないと、だめだよね?」


 言葉が少し難しかったのか、サロメが不思議そうに首を傾げたので、私は慌てて簡単な言葉に言い換えた。私が行商人との物々交換の話をしているのだと理解したサロメは、困った子を見るような顔で小さく笑った。


「私が欲しいものをレノが持ってるとは思えないわ。レノの家にあるものって、わたしの家にもほとんどあるじゃない」


「そうだよ、だってサロメたちと一緒に色んなことして、配分で貰ってるものしかうちにはないから……だから、サロメの服なんて……」


「そうじゃないわ、レノ」


 サロメは私の手を取って歩き始めた。確かにここで立ち話を続けていると、今日のスケジュールが崩れてしまう。私たちは家へと向かって歩きながら話した。


「お下がりっていうのは、もうわたしの家では必要ないものを、レノにあげるっていうことよ。うちの家にあっても、もう誰も着れないんだから」


「でも服って、別に雑巾とか、そういうのにもできるし、綺麗な状態ならそれこそ行商人と交換できるよね?」


 綺麗な服って、一体どれくらいの金額で交換になるのだろう。シュクール何個分かな、そう呟けば、サロメは微妙な顔をした。


「それはそうだけど……レノは服、いらないの?」


「え!? いるよ! ちょっとしか持ってないし、どれも綺麗じゃないもん」


「だったらいいじゃない。私があげるっていってるんだもの」


 サロメに利益がひとつもない取引だから腰が引けてるって言ってるんだよ!

 ……サロメだって、普段から毎日違う服を色々着ているわけではない。村の人たちが、服にお金をかけていられないこともわかる。それなのに、そんな貴重なものを頂いてしまって良いものなのだろうか。


「なんだ、レノムシのやつ。サロメがやるって言ってて、レノムシも欲しいって言ってんのに、いらねえって、意味わかんねえ……。ま、そんな下らねえ話よりさ、今日はなんでレノムシは森に来ねえんだ? ずりーぞ」


「ヒューゴ。母さんの話、聞いてなかったのか? ……今日は、レノの父親が来る日だよ」


「………はっ。だからサロメの服を着せようってか? そりゃー、そんな汚えカッコであんな金持ちの前に出られるわけがねえな。レノムシを見て、きっとがっかりするだろうさ」


 ヒューゴは心底軽蔑したように言った。そんなにも父の印象は、ヒューゴの中で悪いのだろうか。思わず私は振り返って、ヒューゴを見た。私の顔を見て、ヒューゴは一瞬バツの悪そうな顔をしたが、すぐに意地悪な顔になって、ニヤッと笑った。


「なんだ、レノムシ。なんか俺に文句でもあるのか?」


「……ヒューゴは、……ううん。みんなは、私の父さんのこと知ってるの?」


 予想と違う言葉が返ってきて、ヒューゴは気をそがれたような顔をした。……そういえば、父から私たちの面倒を見るようにとお願いがあったと言っていたっけ。ということは直接会っているのだろうか?

 私は父についてをほとんど知らない。母と二人だと話題にしにくいのもあって、なかなか父について話せる相手がいなかったのだが、思わぬ情報源を見つけて私は飛びついた。だが、みんなは気まずい顔をして首を横に振った。


「僕はよく知らない……レノたちのことを任された時も、母さんが黒い服の人とやり取りしているのを見ただけで、レノの父さんは馬車の中にいたんだと思う」


「かなり位の高い人だとは思うわ。身なりや、従者の雰囲気が、街にいる金持ち連中と全然違ったもの。それこそ、お貴族様なんじゃないかって、私は思ってるわ」


「お貴族様ぁ? ンなわけねーだろ。確かに見た目はそんな感じだったけど、そんな奴らがこんなところにわざわざ来るなんて思えねーよ」


「ええ。レノの父さんが、もし本当にお貴族様なら、きっとレノたちをこんな村に置いていかないし、もし置いて行ったなら二度と会いにくることはないと思うわ。だから変なのよ。あんなにも位が高い身なりをしているのに、こんなところにまでくるなんて。……一体何者なのかしら」


 情報通であるサロメが推理できないなら、私が推理できるわけでもない。……子供という特権を使って、父に直接聞いてみようか? 父さんは貴族なんですか? って無邪気な顔をして聞けば、答えてくれるかもしれない。父に直接聞くのと母に直接聞くの、どっちが気まずくないかと天秤にかけていると、サロメが恐る恐るといった様子で声を出した。


「……あのね、レノ。あの時も言ったけど、最初はレノのことを……その、面倒を見なきゃいけないからって一緒に動いていたけど、今はもう、そういうのじゃないからね」


 繋いだ手が、ぎゅっと握られた。サロメが気遣わしげな顔で、こちらを見る。


「レノは立派に勤めを果たしてるし、大事なお友達なの」


 ……サロメは私を、友達だと思ってくれてるんだ。てっきり金銭が発生する関係の意識を引きずったままかと思っていた。羽振りの良い相手に対して、マイナスの感情なんて見せないもんじゃん? だからうまいこと良いことばかり言ってくれてると思っていたのだが、まさかそれが本音だったとは。思わず驚いて足を止めると、みんなも足を止めた。心配そうな顔で、サロメは私をじっと見つめた。


「……おともだち?」


「………嫌だった?」


「ううん、嫌じゃない。嬉しい。……サロメはお友達」


 物々交換などと言ってしまった自分が恥ずかしい。私はあまり気にしていなかったが、本当にずっと前から、サロメたちは私を、私たちを村の一員として受け入れてくれていたのだ。ヌーロの実を食べさせてくれたのは嬉しかったが、ある種、形式上の話かと思っていた。近所付き合いを円満にする必要があるから、サロメたちはある程度優しいのだと思っていた。

 でも、違った。私はあまりに大人としての尺度で物事を見過ぎていた。ここにいるのは、年端も行かぬ子供だけなのだ。子供は、損得抜きにして、友達を作れることを忘れていた。


「ジョルジュも、ヒューゴも、リアムも、みんな友達?」


 周囲を見渡すと、ジョルジュはにっこり笑って頷いて、リアムもサロメの籠を掴んでコクコクと頷いた。ヒューゴだけはそっぽを向いて、当たり前だろ、とバカバカしそうに呟いた。


「……そっか」


 友達、なのだ。私は思わず笑みを零した。ぎゅっとサロメの手を握り返して、歩き始めた。



 下処理が終わった後、私はサロメに身支度を手伝ってもらった。ボロ布を脱いで、身体を濡れた布で拭ってもらい、小綺麗な服を着せてもらう。

 清潔になってすっきりしたところで、私はサロメに台所を貸してほしいとお願いした。クッキーを父親をもてなすために作るのだと話せば、小麦粉とバターも快く分けてくれた。もちろん、たくさん作って残った分はここに置いていくつもりだ。服も何着か貰ったので、そのお礼も兼ねよう。

 持ってきた麻袋からシュクールを四個取り出す。これで手持ちのシュクールはなくなってしまうが、この間より多めに作るし、甘みも多少強い方が、舌が肥えた父には美味しく感じられるだろう。こういう時はケチケチしないが吉である。平気で大量のシュクールを使おうとしている私を見て、サロメは顔を青ざめさせていた。


「こんなに入れるの? この間は二個だったじゃない。少し多いんじゃない?」


「ううん。これだけの量を作るし、これを食べるのは父さんだからね。中途半端なものは作れないよ」


「そうかもしれないけど……この間のでも十分美味しかったわよ?」


「いいのいいの」


 クッキー作りを手伝ってくれるとサロメが言ってくれたので、私はサロメに木の実を砕いてもらうようにお願いする。シュクールは私の分から出すが、その代わりにほかの材料はすべてサロメの家のものを使わせてもらおうと交換条件を提示すると、やっとサロメは顔色を元に戻してくれた。

 前回と同じように、材料を合わせてぐるぐるとかき混ぜた後、一口サイズに薄くのばし、フライパンで焼いていく。もちろんサロメが砕いてくれた木の実バージョンもある。それと、今回はもう一種類、趣向を凝らしてみようと思う。


「レノ、それは何かしら」


「わかんない。森で食べたら美味しかったの。だからこの間森に行ったときに拾っておいて、外で乾かしておいたんだ」


 ドライフルーツと化した、ベリー系の小さな赤い実を、クッキーに乗せて焼く。サロメは感心したように乾燥させた赤い実をつまんで、まじまじと見ていた。


「これ、少し酸っぱいわよね? このお菓子と一緒にして、本当に美味しいの?」


「美味しいよ。こうやって果実を潰したのと、砂糖……シュクールを混ぜて煮詰めれば、ジャムも作れるんだよ」


「ジャム……知ってるわ、ジャムね! たまに母さんが作ってくれるの。でも、シュクールなんて入れてないわよ?」


「あーそうか。果実が熟してきちんと甘くなっていれば、シュクールがなくても問題ないかな。でも入れた方が、ずっと甘くなるよ」


「確かにそうね。この焼いてるお菓子も、シュクールを入れただけなのに、こんなにも甘くて美味しくなるんだもの……」


 サロメの目はギラギラと光っていた。次に行商人が来たときは、私もなるべく早くシュクールを仕入れないといけないかもしれない。このまま放っておけば、サロメがシュクールを買い占めてしまいそうだ。


 出来上がったクッキーを木の板に並べて冷ましていると、サロメが、まぁ! と声を出した。


「この赤い実が乗っていると、随分見栄えが美しくなるのね。まるで宝石みたい!」


「宝石?」


 そんなものをこの辺りで見たことが無かったため、思わず不思議そうに聞いてしまった。サロメは私が宝石が何か知らないのだと思い、説明してくれた。


「街で見たことがあるの。実はまだ本当に小さい頃、一度だけ母さんに連れて行ってもらったことがあって。私はたぶん、まだ歩けなかったから、母さんの背中に負ぶってもらっていたわ……きっと今のレノより幼い頃よ。そこで初めて見たの。光に当たるとキラキラと輝いて、小さくて、これくらいの大きさだったわ。真っ赤で、透き通っていて……とても綺麗だったわ」


「きっとすごく綺麗なんだね! そんなのに似てるって言ってもらえて、うれしいよ」


 宝石は食べられないけど、クッキーなら食べられるもんね。私は味見と称して、ひとつ口の中に放り込んだ。サク、とした触感。ふんわりと広がるバターの香りと、舌の上に広がる甘み。……うん、上出来! 私がニコニコしたので、サロメも我慢できずにひとつだけかじった。サロメの顔もふわりとほころんだので、気に入ってもらえたのだろう。


「前よりずっと甘くて美味しいわ!」


「やっぱりシュクールをケチらなかったのが良かったね! 四個で大正解!」


 私はニコニコしたまま、家から持ってきた清潔そうな布に冷ましたクッキーをテキパキと包んだ。残りは皿に盛り、サロメに手渡す。ヒューゴたちも随分と気に入っているらしいので、きっと今回も喜んでくれるだろう。

 手伝ってくれたサロメに感謝を告げて、私は今日の分配分の野菜と、クッキーを籠に入れてサロメの家から出た。思ったより時間を取ってしまったかもしれない。早く帰って、父を迎える準備をしている母を手伝わなければ!





 家に到着! というところで、ふと聞き慣れない音が聞こえてきた。なんだろう、と見渡せば、反対方向から何かがこちらにやってくるのが見えた。何だ? と目を凝らしつつ、私はそちらに向かって歩いてみた。

 ……馬車だ! っていうことは、あれに父さんが乗ってるってこと? だったら、急いで戻って母さんに先に知らせた方が良いか。そう思って踵を返し、速足で歩き始めたが、馬車の速度と私の足ではあっという間に馬車に追い付かれてしまった。

 私は一度足を止めて、端に退いて道を譲った。目の前を、ゴムのタイヤではなく、本当の馬車用の車輪がくるくる回りながら通っていく。私が小さいのもあるが、ほとんど目線くらいの高さまである車輪を見るのはちょっと怖い。轢かれたら私のような幼子はひとたまりもないだろう。

 さすがに馬車を追い抜こうと走るのは危険だ。母さんには悪いが、馬車の後ろをのんびりついて行こうとその後ろ姿を目で追っていると、馬車はすぐに動きを止めた。もともとのんびりとしたスピードだとは思っていたが、それは私が側にいるからスピードを落としてくれてるのかと思ったので、まさか止まるとは予想していなかった。

 しかも、家は目と鼻の先だ。どうしてこんなところで止まったのかと不思議に思いながら眺めていると、人が乗っている箱のような部分の扉が開いて、黒い服の男が姿を現した。ステップを降りているので、一体何をするのだろうとこちらも足を止めて眺めていると、その男性が迷いなくこちらを見ていることに気付き、私は困惑した。


「……お嬢様。旦那様がお呼びです」


 いやお嬢様て。貧民ですが。人違いなのでは。

 そんな私の困惑をよそに、こちらへ、と執事っぽい男が案内してきた。中にいるのは父だとは思うが、それを装った誘拐とかだったら困る。私は警戒しながら扉に近付き、入る前に中の様子を伺った。


「おいで、レノ」


 優しい声が聞こえた。父だ。私は警戒を解いて、馬車に乗り込もうとして、動きを止めた。馬車の足場が高すぎるのだ。私の腰の位置あたりにある。台が無い状態では、よいしょとよじ登る以外、方法が無い。かといって、身分の高そうな二人の前で、猿のように馬車によじ登るのはマズいだろう。

 さて、どうしたものか。パパー! と両手を広げて抱き上げて~とニコニコするのもアリだが、久々の父との面会一発目にそれをやるのはなかなかハードルが高い。本当の無邪気な子供ならできたかもしれないが、なんとも私には気まずくて、うまくできる自信がない。

 となれば。私は困った顔をしてちらりと後ろの執事のような男を見た。気付け! 執事! お前ならできる! お前なら気付ける! そういう意図をもって視線を送れば、数秒時が止まったような沈黙があった後、執事のような男はハッとしたように私を抱き上げて客室へと乗せてくれた。


「ありがとうございます」


 お礼を言って、椅子に座る。ベンチのように硬い椅子だった。一応椅子自体には布がかけられていて、うちの家にある木の椅子ほど硬いわけではなかったが、これに長時間乗って移動するのもしんどいだろう。痔なら拷問みたいなもんだ。


「お元気でしたか?」


 父の向かいに座った私の隣に、扉を閉めながら執事のような男が乗り込んだ。 私は父の言葉ににこりと頷いた。


「うん。父さんも元気そうで、良かった。あ、母さんも元気だよ。すごく今日のこと楽しみにしてたみたいで、家でせっせといろんな支度をしてるの」


「そうですか」


 ……今のはちょっと嫌味っぽかったかな? しかし父は気にした様子もなく、記憶にあるままの穏やかな笑みを浮かべていた。久々に会ったにもかかわらず、父の美貌には何の衰えもなかった。私にとってはかなり久々だったのだが、父にとってはあっという間だったのかもしれない。半年といえば、私も『私』だった頃、仕事に忙しくしてればすぐに過ぎ去ってしまう期間なような気もする。 さらさらとした青い髪、深い緑の瞳。母といい、父といい。美男美女とはこのことだよ、と私は内心遠い目をした。

 ふと、父が私ではなく、隣の執事を見た。


「すみません。どこかで落とし物をしてしまったようです……一度引き返して頂けますか?」


「承知しました」


 父の言葉に、執事がさっと動く。御者台との連絡用らしい木窓を開き、そこにいる馬を引いている男に指示を出していた。すぐに馬車はゆっくりと動き出し、今来た道を引き返す。進行方向と逆向きの席に座らされたと気付き、車酔いならぬ馬車酔いしないといいなと頭の隅で思った。


「ええと、父さん。この人は?」


 執事にしか見えないが、一応、と私が尋ねると、父は私の想定通りの答えを返してくれた。


「私の世話をしてくれている、クロードです。レノも何かあれば彼に申し付けると良いですよ」


「何なりとお申し付けくださいませ」


 クロードに胸に手を当てて軽く会釈をされて、私も思わず軽く会釈を返した。二人の身なりの良さに、私は少しだけ自分が恥ずかしくなる。というのも、一応サロメの家で清めてもらって、お下がりももらったけど、それでも農民丸出しの恰好なのだ。二人のように、ふんだんに布をあつらえた、お貴族様です! というような服に囲まれて、しかも馬車にまで乗せられると、さすがに恐縮してしまう。


「……何でしょう、香ばしい匂いがしますね」


 不思議そうに父が言った。あ、と思わず声を漏らすと、父の視線が私に落とされた。クロードは背筋を伸ばしたまま、開いている小窓から周囲を見ていて、こちらを見ようとはしなかった。


「……あのね。実は、父さんが来るってことだったから……ちょっと、その。料理をしたの」


「料理? 私のために、ですか?」


 本当は父をもてなしたいという母のためにやったことなのだが、父が驚いたように私を見て、なんとも嬉しそうに頬を緩ませてくれたので、父のために作ったということにしておこうと私は心に決めた。私は膝に置いていた籠の中から、くるまった布を取り出した。籠が邪魔だな、と思っていると、父がひょいと取り上げて、父の隣の開いているスペースに置いてくれた。


「クッキーっていうんだけど、その……父さんの口に合うか………」


 布を開きながら、もごもごと予防線を張る。いろいろなものを食べて、普段私たちより格段に良い生活を送っている父からみて、こんな素朴なクッキーが口に合うのだろうか? 兵糧じゃないか馬鹿にしおって! と怒鳴られないだろうか? 本人を目の前にするとちょっぴり緊張に手が震えてきてしまったが、私はそれを隠すように急いで布を開いて、中身を父に見せた。


「これは……本当にレノが作ったんですか?」


 緑の瞳を丸くして、父が驚いた。子供の成長を見る親のような気持ちなのだろう。見るなり曖昧な笑みを浮かべたりはしなかった父の様子に私は自信を取り戻し、胸を張った。


「うん! まだ母さんにも見せてなくて、本当は父さんが来たときに、二人に食べてもらおうと思ってたんだ。まだ二回しか作ったことがなくて、でも私にとっては美味しかったよ!」


 微妙だねみたいな顔をされたら私が全部食べればいい。私の干し肉を売り払って手に入れたシュクールと、サロメの家から拝借した材料で作ったのだ。私が食べきってしまうことに何ら問題はない。にこにこと父に差し出すように布を開いたままにしたが、父はまじまじとクッキーを眺めるばかりだった。

 あれ? なんで食べないんだろう。ふと、隣のクロードが、外の光景ではなく、父と私に視線を移していることに気付いた。何か迷っているような様子に、ピンときた。毒見をしようか迷ってるんだね!? 実の娘から送られるものであれば、毒見をするのは失礼になる。ただ、私が作ったと私が言ったとはいえ、本当に作ったのかも怪しい。私が誰かに騙されていて、父を毒殺してしまうかもしれない。だからこんな微妙な空気が流れてるんだ。

 納得がいったので、さっさとそのうちのひとつをつまんでぱくりと食べた。


「レノ」


 父が瞬きをして、クッキーから私へ視線を移した。味見の時には赤い実が乗ったバージョンを食べてなかったので丁度良い。……うん! 美味しい! 甘いクッキーと、少し酸味のある赤い実が程よく調和されていて、後味もさっぱりだ。女の子にはこういうものの方が好まれるかもしれない。


「父さん、甘いものは好き?」


「……そうですね。嫌いではありませんよ」


「だったら甘さが控えめの方がいいかなぁ。この木の実が乗ったのを食べてみて! クロードさんはこっちのプレーン……普通のを食べてみて。あ、父さんと一緒の方が良ければそれでもいいよ」


 私は父に差し出す前に、クロードに差し出した。地位の高い者から食べるべきなのか、側使えとしての者から食べるべきなのか悩んだが、安心して父に口にしてもらった方が良いだろう。


「いっぱいあるから、遠慮せずにどうぞ」


 さあ、と半ば強引に手に取らせる。クロードは無表情のまま木の実のクッキーをひとつ受け取り、形を確認し、匂いを確かめ、少しだけかじった。完全に毒見のソレに少しだけ笑ってしまったが、クロードの表情がぴくりと動いた。


「とても美味しいです。ありがとうございます」


 そう言って、残りは一口で食べてしまった。完全に飲み込んだ後、コクリと父に頷いてみせる。それを見てから、私はクッキーを父に差し出した。


「どうぞ、父さんも」


「……ありがとうございます、レノ」


 木の実クッキーを手に取り、父は一口で食べた。私でさえ一口でいけるサイズなので、成人した男性にはどちらかというと小ぶりになるだろう。クロードや父がクッキーを手に持った時の小ぢんまり感は面白かった。私はひとつで口いっぱいになるんだけどな。


「……美味しいです」


 父は困惑したように言った。言葉は褒めてくれてるのに、顔が褒めてくれてない。どういうことだろうと私が首を傾げると、父は美味しいよ、ともう一度言った。


「これは砂糖の甘みですね? 一体、どこで?」


「シュクールだよ」


 私は父に、劣化版シュクールが今この村で流行しているということ、行商人との物々交換で手に入れたこと、お菓子としてそのまま食べるのではなく溶かして使えばほとんど水に溶いた砂糖と同じ状態だということを話した。


「砂糖の量を増やしたり、砂糖以外の甘味を使ったり、上に乗せるものを変えてみたり、いろいろすればもっと風味は変わると思うよ。……でも、父さんはこういうもの、よく食べてるよね? わたし、父さんに食べてもらうにはちょっと素朴すぎたかなって心配だったんだけど……」


 一番心配していたのはそこなのだ。眉根を下げてそう言えば、父は困ったように微笑んだ。


「これはレノが自分で考えて作ったのですか?」


「うーん、考えたわけじゃないけど……サロメにも手伝ってもらったんだよ。あー、えっと、サロメっていうのは近所の子なんだけど」


 そういえば、父に言いたいことがあったんだった、と私は思い出した。


「あの、父さん」


 居ずまいを正して、私は父さんを見た。私の様子に合わせて、父もまた、背筋を伸ばす。


「なんでしょう、レノ」


「お礼が言いたかったの。サロメの家に……サーラおばさんの家に、私たちの面倒を見るよう、根回ししてくれたんだよね? それのおかげで、今わたしと母さんは、ちゃんと働いて、ちゃんと毎日ご飯を食べていられるから。自立した生活が送れるのは、父さんの根回しがなければ成立しなかったと思う」


「レノ……」


「きっかけをありがとう、父さん」


 父は複雑そうな顔で私をじっと見た。そして大きな手を広げて、私を抱き上げた。こんな狭い空間で何を、と目を白黒させていると、そのまま膝の上に乗せられ、ぎゅっと抱き締められる。服の上からでは分からなかった、鍛え上げあげられた胸板に顔をうずめると、品の良い香りがふわりと香った。


「……生活はどうですか? さぞかし大変でしょう」


 子供を甘えさせるように、優しく穏やかな声で、父が言った。頭には大きな手が置かれていて、優しく髪を指で梳かれている感触があった。その心地よさに身をゆだねて、私は身体から力を抜く。父の膝に座っているおかげで、馬車の揺れも幾分か軽減されているのが助かる。


「楽なわけじゃないけど、嫌じゃないよ。今の生活」


「なかなか会いに来れないことは、私も悪いと思っています。……お金も一度に多く渡すと、それはそれで君たちに危険をもたらすことになるかもしれません。それに、これ以上は君たちのためにもならないと思ったんです」


 最後の方は、まるで懺悔のように、小さな声で呟いていた。相手が子供だから、何を言っているか分からないだろうと思って、心の声を吐露しているのだろう。私たちのためにならないとはどういう意味なのか気になったが、私はあえて聞こえなかったフリをした。


「レノに、ひとつ聞きたいことがあるのですが」


 なんだろう? 私は首を傾げて、視線を上げた。父は私の肩に手を置いて、深い緑の瞳で私の瞳を覗き込んだ。


「なあに?」


「……私と一緒に、来ませんか?」


「…………え?」


 父の慈愛に満ちた穏やかな笑みを見つめながら、私は頭が真っ白になった。

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