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第11.2話【幕間】 ジョルジュ視点

 ジョルジュがマリアンヌを見たのは、行商人の日が初めてだった。


 普通、行商人の日には、子供がお使いにくる。大人には仕事があるし、将来街へ出かけた時に困らないよう、今のうちから練習させるためだ。だが、子供がいない家庭や、色々な理由で独り身になっている人等、大人がいないわけでもない。だから、マリアンヌが行商人の日に現れても、基本的にはそうそうおかしなことでもなかった。


 だが、広場に行けば、マリアンヌは一際目立っていた。なぜならば、マリアンヌがとっても美人だったからだ。村人だけでなく、行商人までもがマリアンヌを眺めていた。顔やスタイルが良いだけではなく、マリアンヌは仕草や言葉遣いが上品で、まるでお貴族様そのものだった。何か理由があってこの村にいるんだろう、全員がそう思っていた。

 だから、直接マリアンヌに話しかける人間はいない。厄介ごとには誰しも巻き込まれたくないから。でも、興味はある。だからこそ、みんなは遠巻きにマリアンヌの様子を伺っているのだった。



 ジョルジュもその一人だった。村にいるどの女性とも違うマリアンヌの雰囲気に、圧倒されていたのだ。こんなにきれいな人がどうしてこの村にいるんだろう。どうして、自分たちの家の近くのボロ家に住んでるんだろう。何より、どうして村人の輪の中に入ろうとしないんだろう。マリアンヌには小さな子供がいるという話を、ジョルジュは母から聞いていた。もしマリアンヌがもっと村人たちと打ち解けようとしてくれれば、自分も子供たちの中での年長者として、その子の面倒を見てあげなければという使命感を感じていた。

 だが、いつまで経ってもマリアンヌは輪の中に入ってこようとしない。それどころか、この行商人の日に、硬貨を使って買い物をしているのだ! 基本的に、行商人とは物々交換を行っている。もちろん、たまには硬貨のやり取りだって起きる時もあるし、次の街行きのために硬貨を貯めようと色々売っぱらう人だっている。でも、そんなのは知れた額だ。こんな貧しい農村では、そもそも硬貨を手に出来る機会の方が少ない。

 だというのに。マリアンヌは一人、袋いっぱいに詰まった硬貨を使って、優雅に買い物をしていた。それはハッキリ言って、悪い意味で目立っていた。


「……ほら、見てご覧なさい。あの袋。一体何をしたらあんなに硬貨が貰えるんだろうねぇ」

「……働きもしていないのにあんなに贅沢をして。見て、あんなに塩を買ってるよ」

「……違う『働き』はしてるんじゃない? 昨日見たって人がいたじゃない、例の馬車」

「……あーあ。私のところにも風変わりなお貴族様が来ないかねぇ」

「……あんたじゃ無理よ。顔は良いからねぇ、あの女。ほら、あの行商人のたるんだ顔ったらないよ」


 持ってきた野菜や干し肉と研ぎ石をジョルジュが交換していると、近くから村の女性のひそひそ声が聞こえてきた。ジョルジュには言っている意味があまり分からなかったが、その声音から、悪口を言っていることくらいは分かる。村の人が誰かの悪口を言っているのを聞くのは、ジョルジュはあまり好きではなかった。だから言う人も嫌いだし、言われる側の人も嫌いだった。言われるだけの理由を作る方も悪いのだと、ジョルジュは思っていた。

 こういうのは、聞こえてないふりをするのが一番だ。ジョルジュはそう思って、さっさとお使いを済ませることにした。サロメもヒューゴも一人でお使いをこなしているし、さて、今日は駄賃で何を買おうかな。そんな風に考えながらパスタを求めて次の売り場へ移動すると、そこにはマリアンヌが先に行商人とやり取りしていることに気付いた。


「こちら、ひとつ下さるかしら」


「ええ、ええ! もちろんですよ!」


 マリアンヌのほっそりとした綺麗な指が、乾燥されてぶつ切りになっているパスタに伸ばされる。行商人の男はニヤニヤとマリアンヌを上から下まで見ていて、ジョルジュはなんだかそれが嫌だった。


「お幾らですか?」


「そうですねぇ……こいつぁ残りも少なくてね、今日はとびきり人気の目玉商品なんだ……」


 行商人の男は勿体ぶるように言った。


「大銅貨一枚だね! これ以上はまけらんないよ!」


「分かりました、お支払いしますね」


 男の言葉に、マリアンヌは頷いて袋の口を開いた。ジョルジュは目が点になって、その様子を見ていた。

 ジョルジュでも知っている。相手は行商人だ。相手がお金を持っていると分かれば、必ず吹っかけてくる。だから値切り交渉をしなくちゃいけない。そう、母から教わっているし、サロメどころかあのヒューゴもそうやってやり取りしている。信頼関係があるとはいえ、向こうも商売だ。巻き上げられるなら巻き上げれるところから巻き上げられるだけ、という信念を持ってやっているだろう。


「あ、あの」


 マリアンヌの袋から大銅貨が本当に取り出されるのが見えたジョルジュは、思わず口を挟んだ。マリアンヌの驚いた視線と、行商人の男の剣呑な視線が刺さる。

 やっぱりなんでもないです、と言って後ろに下がりそうになったが、周りにいる人たちの視線も自分に集まっていることに気付いた。ここで逃げれば、きっと、今日の午後には村中の人から、また『サーラの家の長男は弱虫で、正義感のないやつだ』と噂されてしまう。声をかけてしまった以上、もう引き下がれなかった。


「欲しいのは、あれですよね。僕も同じものを同じ量欲しいんですが、このシューベールと交換してください」


「おい坊主。俺は今、こっちのお姉さんと取引してんだ。割り込みはいけねえって、母ちゃんから教わらなかったか?」


「僕、急いでるんです。えっと……僕が先でもいいですよね?」


 ジョルジュがマリアンヌを見上げると、マリアンヌは困惑しつつも、もちろんよ、と言って一歩下がった。正式に順番を譲ってもらったので、ジョルジュが男の前に立つと、行商人の男はフンと不機嫌そうに鼻を鳴らした。


「分かったよ。さっさと持って行きな」


「ありがとうございます」


 籠の中から大きめのシューベールを取り出して男に手渡し、店先に並んでいたパスタを手に取る。それを籠の中に仕舞っていると、行商人の男がへらへらとした笑みを浮かべて再びマリアンヌに声をかけた。


「邪魔が入っちまった、悪いねぇ! じゃあ金の方を貰おうか!」


 ジョルジュは注意を促すために、マリアンヌの手を引いた。だがその肌が思ったより柔らかくて滑らかだったので、ジョルジュは驚いて手を離した。なんだか、自分の土にまみれた汚い手で触ってはいけないような気がしたからだ。それを見て、マリアンヌは不思議そうにジョルジュを見つめた。


「どうかした?」


「その……」


 マリアンヌが少し屈んだことで、硬貨が入っている袋の中身が少しだけ見えた。中身はぎっしり詰まっていて、ジョルジュが見たこともない硬貨の量で、逆に偽物に見えるほどだった。ジョルジュは意を決し、袋に手を伸ばす。


「あっ」


 マリアンヌの驚いた声がしたが、ジョルジュは構わずに中から銅貨を二枚抜いた。そしてそれを行商人の男に突き出しながら、空いた手でパスタを取る。


「大銅貨は言い過ぎだよ、おじさん。さすがに僕も見逃せない」


「チッ……余計なことしやがって。わぁったよ、さっさと失せろ!」


 商売の邪魔しやがって、と言わんばかりに行商人の男はジョルジュを睨みつけ、しっしっと手を払った。ジョルジュは一度自分の服で手を拭った後、マリアンヌの手を引いてその売り場から離れた。今度こそ、その柔らかな手をしっかり握って。





 広場の中心から少し離れた人気のないところまでマリアンヌを連れてきて、漸くジョルジュは手を離した。そして、先程買ったパスタをマリアンヌに差し出した。


「……勝手なことして、ごめんなさい。でも、ダメだよ。行商人の言うことを鵜呑みしてちゃ」


 人に何かを注意することに不慣れなジョルジュは、もぞもぞと身体を動かし、視線を彷徨わせながら言った。今日も空は青く広く晴れ渡っていて、鳥が広々とした様子で飛んでいた。


「それと、お金。そんなに持ち歩くのも、良くないよ。お金持ちだってわかると、向こうも銅貨一枚でも多く取ろうって、企んじゃうから」


 行商人の日に呼ぶ行商人とは、一度ジョルジュの両親や、村の他の有力者が会っている。そこで適正価格を設定したりするのだが、時折こうやって、少しでも相手から多くの利益を奪い取ろうとする下心のある人も紛れ込んでくる。だからこそ、事前に子供たちは両親から今回の適正レートを聞き、そのレート前後程度の取引で済ませてくることを心掛けている。異常な金額やレートを吹っかけてきたり、脅された場合は、すぐに村の有力者に訴えて、もう二度と取引しないようにと注意喚起をするルールもある。

 だが、そんな村の暗黙のルールさえ、恐らくマリアンヌは知らない。引っ越して来てから、村の人たちとの交流がほとんどないからだ。教えない方も教えない方だが、聞かない方も聞かない方だ。

 何度ぼったくられてきたんだろう、とジョルジュはマリアンヌのことが心配になった。大方、良いところで育ち、良い人たちに囲まれてぬくぬく育ってきたのだろう。だから、こんな簡単な嘘に引っ掛かるのだ。


「そっか……わざわざ教えてくれたのね」


 マリアンヌは眉根を下げて微笑んだ。その笑顔が優しくて、でもちょっと寂しそうで。なんだか居心地の悪い気持ちになったジョルジュはムッと眉根を寄せた。


「あのまま放っておいたら、あなただけじゃなくて、他の人にも同じことするかもしれないって思ったから」


「でも、ありがとうね……君、名前は?」


「……ジョルジュ」


「私はマリアンヌよ。あなた、もしかして、近くに住んでる子かしら」


 ジョルジュは意外な言葉に目を見開いた。ずっと引きこもっているから、自分たちの顔も覚えていないと思っていたのだ。その気持ちが表情に出ていたのだろう、マリアンヌはくすくす笑った。


「うちにも小さな娘がいるの。……もし、道で出会うことがあったら、仲良くしてくれる?」


「……当たり前だよ。僕たち、それをずっと待ってるんだから」


「待ってる?」


「だって。同じ村の子だろ? だったら村の一員として働いてほしいし、僕たちも村の一員として接したい。多分、これは僕だけじゃなくて、みんなが思ってるよ」


 率直な意見をジョルジュが言うと、マリアンヌは驚いたように目を丸くした。そして暫く言葉を失っていた。

 ジョルジュはマリアンヌの驚きように、何か変なことを言っただろうか、と心配になってきた。でも、間違ったことは言っていないはずだ。事実、ジョルジュの母親も父親も、隣のボロ家に住んでるマリアンヌとその子供のことは気にしていたし、何かあったら面倒を見てあげようねという話にもなっている。ヒューゴは嫌がっていたけど。ジョルジュは心の中で夕食の時に母が話した会話を反芻させて、なんとか自分の発言に自信を持とうとした。


「……そっか。私も、変わらないとね」


 マリアンヌはそう言って、綺麗に微笑んだ。まるで一輪の花が咲き誇るような笑みに、ジョルジュは一瞬目を奪われる。だがすぐに目を逸らして、籠を背負いなおした。


「じゃあ僕、まだお使いがあるから。次からは気を付けてね」


「ええ。ありがとうね、ジョルジュ」


「別に、大したことはしてないよ」


 ジョルジュはそう言って、さっさと広場の中心へと戻って行った。その後、マリアンヌと広場の中で会うことはなかった。


 広場でマリアンヌを助けて、傲慢な行商人を撃退した話は、あっという間に村中に広がることとなった。その日の夕食では、一番大きな干し肉がジョルジュに渡された。

 母は嬉しそうにその時の様子をジョルジュに聞きたがったし、父も言葉少なに褒めてくれた。ヒューゴはつまらなさそうだったが、リアムもサロメもニコニコしていて、ジョルジュはとても嬉しい気持ちでいっぱいになった。勇気を出して良かったと心底思った。







 季節が巡り、ジョルジュは母親からマリアンヌと、その娘のレノという少女が、これから村の仕事をするのだという話を聞かされた。そして彼女たちが本当に村の一員にふさわしいかどうかを見極めるため、レノを連れてジョルジュを始めとしたメンバーで見定めてほしいという依頼を受けた。


 レノは不思議な少女だった。あれほど警戒していたヒューゴの心の壁をあっさりと打ち破り、サロメとリアムと仲良くなった。ボーモンやロジーヌともうまく馴染んでいるようだし、何よりあの神経質で、難しいことばかり話すマルタンと打ち解けていることに驚いた。レノは、考えていた以上にすんなりと村の輪の中に入ってきた。

 まだ身体が小さいために出来る仕事は限られているが、それでもレノは何事も憶えが早かったし、動きが効率的で、無駄が少なかった。頭も良いらしく、大人っぽい発言にはいつも驚かされ、マルタンと二人で何やら小難しい話もしているようだった。

 だというのに、裁縫が苦手で、槍の稽古のために父から棒を貰っている。時間があるときに練習しているらしく、時折ヒューゴやジョルジュに足運びの仕方や、力の入れ方を聞いたりしていた。


 ジョルジュは、ずっとヒューゴがライバルだと思っていた。

 この村の次期村長として育てられてきているというのに、自分はいまいち頼りないところがあるのも知っていた。そのせいで、ヒューゴがジョルジュを嫌っているのも知っていた。でも、それはどうしようもないことだと思っていた。

 事実、自分は気が弱いし、腕っぷしもヒューゴと同じくらいで、気を抜くと年下だというのにヒューゴに追い抜かれてしまいそうで、いつも不安だった。ここに、レノという天才的な少女まで来てしまったのだ。ジョルジュはより一層、自分が次期村長で良いのだろうかという気持ちが強くなるのを感じていた。


 だが同時に、マリアンヌとレノが村の中に溶け込めば溶け込むほど、村の中に不穏な動きが見えてきていることにも気が付いていた。


 恐らく、それに気づいているのは、村全体を見渡している母親と、自分と、マリアンヌくらいだろう。ジョルジュはそう観察していた。陰口程度ならば良い。だが、もし、マリアンヌやレノに直接的な被害が出始めたら。そう思うと、ジョルジュは気が重かった。それはつまり、大切な村の仲間を裁かなくてはならないということだからだ。


 レノやマリアンヌによって、確実に村の中には変化が起き始めていた。だが、それが良い方向になのか悪い方向になのかは、まだジョルジュにもわからなかった。

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