第11.1話【幕間】 ヒューゴ視点
ヒューゴは知っていた。自分の家の近くに、新しく誰かが引っ越してきていることに。
子供であるヒューゴが知っているのだ。おそらくは、この村の大人はみんな知っているだろう。村の有力者の家に生まれたヒューゴは、他の家庭より比較的情報の入手速度は速いが、ここは田舎の農村だ。見慣れない家が建っていたり、見慣れない人が村をうろついていれば、その日中にはすべての家に情報が回る。
「それで、どーして俺たちがそのビジンのムスメの面倒を見なきゃなんねーんだよ」
ヒューゴは苛立っていた。働かざるもの食うべからず。そう教わって、ヒューゴは物覚えがつく頃にはジョルジュや村の子供たちと一緒に、大人の手伝いをして農地で働いていた。だから、それが常識だと思っている。だというのに、新しく引っ越して来た連中は、一度もヒューゴ達の仕事の手伝いをしない。どころか、何も働いていないにも関わらず、お貴族様と思われる金持ちの旦那から金を貰い、その金で食いつないでいるようだという話を聞いている。ヒューゴにとって、それはとんでもなく、ズルい行為であった。
「あんたは相変わらず細かいことにこだわるねぇ。わざわざマリアンヌの旦那がうちに挨拶に来たんだ。それに、もう金も受け取っちまった。つべこべ言わずに、言われた通りにおし!」
夕食時に、母親からマリアンヌの娘であるレノの面倒を見ろと、ジョルジュ、ヒューゴ、サロメ、リアムに指示がいった。ヒューゴ以外の三人は従順に頷いていたが、ヒューゴは納得がいかなかった。そんなズルをしているのに、どうして大人たちはそれを咎めないのか。しかも、また自分の旦那を使って、自分たちの面倒を見させるよう圧力までかけてきている。ヒューゴは不満たらたらという顔で、夕食に出たルミュールをフォークでつついた。
「金で人に言うこと聞かせようなんざ、ロクなやつじゃねーぜ」
口を尖らせてヒューゴが愚痴ると、ジョルジュが苦笑交じりに言った。
「ま、リアムがもう一人増えると思えばいいじゃないか。リアムと同い年だって母さんも言ってただろう? 一緒に遊ばせておけばいいさ」
「ちょっと待ってよ。そうなると、私の負担が増えるんだけど、それについては何も考えてないって言うこと?」
ジョルジュがヒューゴを慰めるように言った言葉には、サロメが噛み付いた。リアムは友達が増えるかもしれない、とにこにこ喜んでいる。そんな三人の呑気な様子も、ヒューゴには気に入らなかった。
「使えねーリアムシだけじゃなくて、新しい赤ん坊まで増えるってことか? サロメが面倒見っぱなしになって手が止まれば、俺たちの仕事も増えるんだぜ? 全く、いい迷惑だよな。……ああ、だから金を寄越したのか?」
呆れたようにヒューゴが馬鹿にした笑みを浮かべてそう言うと、ジョルジュは肩をすくめて野菜スープが入った器を持って、それを飲み干した。
……金持ちがわざわざ母さんに金を払って根回しまでしてきているんだ。どうせ、とんでもなく嫌なやつらで、とんでもなく我儘なやつらに決まってる。ヒューゴは明日の朝を思うと、憂鬱な気持ちになった。
だがその予想は、意外な形で裏切られた。
噂通り、確かにマリアンヌは美しい女性だった。この村には無い上品さを持つ女性で、村の男連中がメロメロになる気持ちも分かるほどだった。肌は白く、荒れていない。苦労を知らない手。ヒューゴにとってマリアンヌは、自分の母親とは全く違う生き物にしか見えなかった。
だからこそ、そんな女の娘であるレノは、とことん甘やかされて育った甘ちゃんなのだと思っていた。辛辣な言葉を浴びせ、からかってやれば、きっと今にも泣くだろう。リアムシのように。それを期待して、ヒューゴはレノをとことんからかったし、大人から聞いている噂もレノに聞かせてやった。家の中に引きこもり続けていたレノは、きっと何も知らない赤ん坊だ。だから、自分の立ち位置を知らせてやった方が、本人のためだ。
ヒューゴはサロメに注意されながらもそれらを全部無視して、レノに意地悪な言葉を浴びせ続けた。きょとんとしているレノの顔が、いつか悲しみに歪むことを期待して。
結果として、確かにレノは悲しい顔をした。だがそれは、知らなかった事実を突きつけられたショックによるものではなく、全てを知って、全てを受け止めて、それでも自分ではそれらをどうしようもないことまでも分かっている、そんな哀しみを持った顔だった。
ヒューゴは、小さなショックを受けていた。自分がとても悪いヤツで、今までの意地悪が、なんだか恥ずかしい行為のように思えたからだ。
それでも、ヒューゴはレノにくっつくのをやめなかった。こう見えて、ヒューゴは意外と面倒見が良い。リアムのことは散々虐めるが、それと同じくらい、リアムには物事を教えている。野菜の採り方はもちろん、食べられる山菜の説明や、ナイフの使い方。そして、槍の稽古に誘うこともよくあった。リアムにとってそれらはプレッシャーでしかなかったが、ヒューゴはリアムのためを思ってやっていることだった。だから、リアムがヒューゴの期待を裏切り、ことごとくどれをも身に付かなかったり、身につけるつもりがない態度を見せるたび、ヒューゴはだんだんリアムに対する風当たりを厳しくしていくのであった。
「ヒューゴ、これって食べれるの?」
レノが毒草を手に、ヒューゴに近付いた。ヒューゴは呆れたように盛大なため息をつき、レノが持っている毒草を取り上げて地面に放り投げ、わざわざ靴で何度も踏んだ。
「お前、ほんっと馬鹿だよなー。マルタンにそれ、毒があるってこの間教わってただろ」
「え? そうだっけ。わ、ほんとだ。なんか手がぴりぴりしてきた」
「バカレノ……おい、こっちに来い」
リアムに同じことをすると、怒っているのだと勘違いされて半泣きになり、いつもヒューゴがサロメに叱られていた。ヒューゴはそれも気に入らなかった。だって、毒草は触っただけでも身体に悪影響を及ぼすことがあることを、ヒューゴは知っている。だからわざわざ、もう誰も触ろうとしないように、踏みつけているのだ。それなのに、乱暴だとか、怖いだとか言って、みんながヒューゴを非難し続けた。
でも、レノは違った。そんなヒューゴの姿を見ても、むしろ教えてくれてありがとう! とにこにこヒューゴの後ろをくっついてくるのだ。ヒューゴにとって、それは初めての経験で。レノの反応に面食らうことは、何度もあった。
「ほら、ここでしっかり洗えよな」
ヒューゴはレノを小川へと連れてきていた。ここは水底まで透き通って見えるほど、水が綺麗な場所だった。喉が渇いた時、何かで怪我をしたとき。森で水が必要になった時、この地域だとこの辺りに綺麗な小川がある、という地理感覚を、ヒューゴはしっかりと身につけていた。いずれ自分が成人した時、狩りの日に絶対役に立つ情報だからだ。
幼い時から、ヒューゴにとってのヒーローは、父親だった。父親のようになりたいと思い続けたし、いつか自分は父親と同じような人間になるのだと信じていた。
だが、現実はそうではなかった。ヒューゴは次男で、家督は長男が継ぐものなのだと、ヒューゴが生まれる前から決まっていたのだ。
だからこそ、ヒューゴは何もかもが気に入らなかった。だからこそ、ヒューゴは何に対しても人一倍負けず嫌いだった。一生懸命努力して、誰よりも強くなれば、きっと両親や村の人たちも考えを変えて、優柔不断なジョルジュではなく誰よりも強いヒューゴをこの村の代表だと認めてくれると信じていた。
「ひゃー、冷たいねぇ」
小川に手を浸したレノが、のんびりとした口調で言った。ぱしゃぱしゃと音を立てて、手を洗っている。
レノは本当に不思議な子供だった。リアムと同じ三歳児には全く見えない。いや、見た目だけでいえば三歳児らしい幼さと小ささがあるが、美味しいクッキーの作り方を知っていたり、言葉遣いが大人っぽかったり。だというのに、シュクールをたくさん買ったり、食い意地が張っている子供っぽい一面もある。
「洗ったか?」
「ん、もう大丈夫! ありがとね、ヒューゴ!」
レノがにこりと笑って、手をぶんぶん振って水を撒き散らした。水が飛び散るからやめろ! とヒューゴが怒ると、レノはニヤリと笑って、ヒューゴの顔めがけて手についた水を飛ばして来た。
「うわっ! このバカレノ! いい気になるなよ!?」
ムッとしたヒューゴが両手で水をすくってレノに投げると、思った以上の量の水をかぶったレノが大慌てで小川から離れた。
「ば、ばか! ヒューゴ! 何するの!? すごい濡れちゃったじゃん!」
「先にやったのはレノムシの方だろうが!」
「それにしたって大人げないでしょ! バカヒューゴ!」
「なんだと! このバカレノ!」
お互いにバーカバーカと言い合いながらもみんなのところへ戻ると、やはりというか、びしょびしょになったレノを見て、サロメが目を吊り上げてヒューゴを叱った。レノがざまあみろ、と言わんばかりの笑みでヒューゴを見ていたので、ヒューゴはぷりぷり怒りながら木に登る。なんだか気持ちが落ち着かないのは、お腹が空いたからだろうと思ったからだ。
木に登ると、気分が良い。視界が広げて、いつもより少しだけ大人になったような気持ちになれる。そうして果物をもぎっていると、ふとマルタンとレノが、二人きりで仲良く話している姿が目に付いた。それを見るとなぜか苛々してしまうのだが、ヒューゴはそれがどうしてなのか分からず、きっと二人でサボっているように見えるからだと結論付けた。
「おい! お前ら、またサボってるじゃねーか!」
「サボってないもん!」
マルタンとレノに怒鳴ると、レノが怒鳴り返す。マルタンは冷ややかな瞳でヒューゴを見てくるので、それもまた、ヒューゴの怒りに油を注いでいた。ちらりと隣の木を見ると、サボっているマルタンとレノを見ても無視して果物を取り続けているジョルジュがいた。本来ならば、年齢的にも、自分たちのリーダーはジョルジュだ。だというのに、ジョルジュは先頭に立って歩く係をやるだけで、自分たちを先導したり、輪の中心になろうともしない。それもまた、ヒューゴの苛立ちを煽る原因だった。
「ったく、どいつもこいつも……」
木の下から、ロジーヌが何事かきゃんきゃん喚く声も聞こえてくる。ヒューゴはもう一度だけ、ちらりとレノを見た。レノはまだ楽しそうにマルタンと、何やら葉っぱを持って会話していた。
「……つまんねーの」
はあ、とため息をついて、ヒューゴは採った果物にかじりついた。だが何を採ったか確認もせずに口にしたそれはとても渋くて、驚いたヒューゴはその果実を手から離した。すると、木の下で何事か喚いていたロジーヌの方に落ちて行き、ロジーヌはあわやというところでそれを避けた。
「ヒューゴ! あんたってやつは!」
ロジーヌのボリュームが上がる。今回は全面的に悪かったと思いつつも、ヒューゴは肩をすくめて新しい果物を手に取り、今度こそとそれにかじりついた。
……『ヒューゴと同じがいい』そう言ったのは、レノだというのに。ヒューゴはフン! と鼻を鳴らした。異性に対して、同じでいたい、一緒にいたい、と、まるで将来を匂わせるようなことを言うのは、求愛・求婚の言葉になる。これは当然の常識だが、あの常識知らずなレノがそれを理解していないまま言ったのだということくらい、ヒューゴにも予想がついていた。それでも、ヒューゴはあの時に感じた胸の高鳴りを、不服ながら、今も忘れることが出来ずにいた。
常に一人称だと伝えられる情報に限界がありそうなので、ところどころ補足のためにも視点変更のお話を混ぜ込みます。
それぞれの景色が見えて、視野が広がるといいな。私の。




