【第6話】冥府の天秤
バルドが自身の無事に、安堵の声を上げたのも束の間だった。
「はい、それじゃあ休憩はおしまい!二回目いくよー!」
リナが、満面の笑みを浮かべてパンッと小さく手を叩いた。その軽やかな音が広大な因果の間に響くと同時に、因果の鎖がバルドの手足を再度拘束した。
「な、なんだと!?お、おい、待て!やめてくれ!もう終わったんだろう!」
バルドは血相を変え、床を踏みしめて必死に抵抗しようとするが、因果の間においてジンの力に抗うことは絶対に許されない。鎖はジャラジャラと重々しい音を立てながらバルドの身体を乱暴に引きずり、再び青銅の牛の像へと向かわせた。
「す、すまねぇ!謝る!心の底から……クソが!こんな目に遭わせやがって!いつかお前ら、全員殺してやるからな!」
「アハハッ!本音が漏れてるよ、ゴミ屑さん!さあ、牛さんがお腹を空かせて待ってるよ!」
「ランッララン♪」とリナは鼻歌を歌いながら、ファラリスの雄牛の側面にある扉を再び大きく開けた。鎖に引きずられたバルドは、扉の縁に必死にしがみつき、涙と鼻水を流しながら絶叫する。
「嫌だ!お願いだ、もう許してくれ!金も土地も、俺の持っているものはぜんぶやる!だからもう……!」
「もうっ、そんなのいらないって言ってるでしょ?それでは、いってらっしゃーい!」
因果の鎖が容赦なく、再度バルドの身体を牛の腹の中へと引き込むと、ガチャンという重い金属音が響き、再び頑丈な鍵がかけられた。
「それじゃあ、ファイヤーっ!」
リナが指を鳴らすと、青銅の牛の腹の下で、先ほどよりもさらに激しく、轟音を伴って魔法の業火が燃え上がった。
分厚い青銅の像が瞬く間に灼熱の赤色へと染まっていく。直後、神殿の内部に、またしても野獣が絶叫するような凄まじい咆哮が轟いた。牛の口に仕込まれた管を通し、バルドの無限の苦痛が、まるで本物の牛の鳴き声のように響き、空間を震わせる。
「ひどい……なんて、凄惨な……」
エレーナはその様子を目の当たりにし、顔を蒼白にして震えていた。妹を殺した憎き仇とはいえ、終わりのない拷問を目の前で見せつけられることは、彼女の心にも重くのしかかっていたのだ。
青銅の牛から響く狂気の絶叫が続く中、ジンは静かに歩みを進め、エレーナの正面に立った。その瞳は、いつものアンティークショップで見せる朗らかな店主のものではなく、冷徹で厳格な調停者のものだった。
「エレーナさん。これより、あなたに最終選択のルールを伝える」
ジンの低く落ち着いた声が、バルドの悲鳴をよそにエレーナの耳に届く。
「あなたは依頼主として、あの男に対して一つの決断を下さなければならない。この因果の間において、あなたは『二つの選択』のうち、必ずどちらかを選ばなければならない義務がある」
「二つの選択……私が、選ぶのですか?」
エレーナは震える声で問い返した。ジンは静かに頷き、冷酷な真実を口にする。
「そうです。あくまでオレは調停者だ。あなたの選択肢は、相手を『許す』か、『許さない』かだ」
ジンは一度言葉を切り、青銅の牛の中で焼かれているバルドへ視線を向けた後、再びエレーナを見つめた。
「もし、あなたが『許さない』を選択した場合、あの男の精神はこの因果の間に囚われ、永遠に拷問を受け続けることになる。現実世界の肉体は意識を失い、二度と目覚めることのない昏睡状態となるだろう。たとえ現世で肉体が死を迎えたとしてもその精神、つまり魂がこの地獄から逃れることは絶対にない」
永遠の苦痛。それは、妹を理不尽に殺し、さらにその罪を隠蔽してあざ笑った男にとって、最も相応しい報いに思えた。だが、ジンの説明には続きがあった。
「ただし、人を呪わば穴二つだ。『許さない』を選択して相手を永遠の地獄へと落とす場合、その対価として依頼主であるあなた自身の『寿命の半分』をいただく」
「私の、寿命の半分……!」
エレーナは息を呑んだ。仇を永遠の苦痛に沈める代償として、自分自身の命の残り時間を半分支払わなければならないのだ。
「そして、もう一つの選択だ。もし、あなたが『許す』を選択した場合だ」
ジンの目が、試すようにエレーナの瞳を射抜く。
「あの男は、ここでの記憶と寿命を半分奪われた状態で、現実世界へと元通りに解放される。さらに双方から『因果の記憶』、つまりあなたの妹さんに関するすべての記憶と、オレたちに関する記憶を全ていただく」
「つまり……私は妹のことを忘れてしまうということですか……?」
「そうだ。双方から因果にまつわる記憶がすべて消える。あなたは他の誰かに、妹がいたと写真を見せられても、思い出すことはできなくなる。つまり悲しみも恨みも消えた状態で、残りの人生を歩むことができる」
あいつを許せば、自分の寿命は減らない。しかし妹の死を悲しみ、あいつを恨んでいた記憶そのものを失う。一方あいつは寿命が減るだけで、引き続き現実世界をのうのうと生き続けることになる。
「どうする、エレーナさん。あなたの大切な妹の命を奪い、ゴミ屑と呼んだあの男を、許すことができるか?それとも、自身の寿命の半分を捧げてでも、あいつに永遠の苦痛を刻み込むか?」
ジンの言葉には、微かな誘導が含まれていた。同じく理不尽に家族を奪われた被害者として、絶対に相手を許さないというジンの裏の顔が、エレーナの憎悪を呼び起こそうとしていたのだ。
エレーナの瞳から涙がこぼれ落ちる。牛の像からは、いまだにバルドの断末魔のような叫び声が絶え間なく聞こえていた。
「妹は……あの男のせいで、未来のすべてを奪われました。何の罪もない妹が冷たい道端で死にそうになっている時、あの男は笑っていたのです」
エレーナは強く両拳を握り締め、顔を上げた。その目からは迷いが消え、深い覚悟の光が宿っていた。
その瞳を見たジンは、すべてを察したように静かに頷いた。
ジンは左手に携えた魔導書を開くと、右手を大きく広げ、正面のエレーナへとまっすぐに突き出した。神殿の空気が激しく震え、目まぐるしい魔力の嵐が吹き荒れる。
「さぁ、魂の決断を!」
ジンの厳かな詠唱が響き渡った瞬間、彼の背後の空間が眩い光と共に大きく割れた。現れたのは、天を衝くほどに巨大な、黄金に輝く天秤だった。
天秤の左右の皿が、厳かに揺れ動いている。
ジンの第三スキル『冥府の天秤』が、今ここに発動したのだ。




