【第2話】血塗られた申請と因果の証明
ある日の夕暮れ。窓から差し込む光がオレンジ色に染まる頃、アンティークショップ『ミクラ』の扉がゆっくりと開いた。
入ってきたのは、全身を黒い喪服で包んだ若い女性だった。年齢はジンよりも少し上だろうか。頬はコケ落ち、目の下には濃いクマが刻まれ、その瞳は深い絶望と悲痛な色に沈んでいる。彼女は、まるでこの店だけが最後の希望であるかのように、すがるような視線をジンへと向けた。
「あの……『噂』を聞いて、やってきたのですが……」
女の声は、今にも途切れそうなほどに震えていた。彼女が震える両手でカウンターに差し出したのは、表紙の傷んだ、『円環の残火』だった。
「お預かりいたします」
ジンは朗らかな店主の顔のまま本を受け取ると、静かにページを開きメモに目を通した。そこに記述されていたのは、文字というよりも、悲痛な叫びそのものだった。
依頼人の名前は、エレーナ。街の裏通りで質素ながらも幸せに暮らしていた彼女と妹だったが、数ヶ月前、ある貴族の息子の馬車に妹が理不尽に轢き殺されたという。その男は酔った状態で「俺にやらせろ」と御者と無理やり交代していたという目撃証言があった。さらに馬車から降りて死に体の妹をあざ笑い、助けすら呼ばずに走り去ったのだと記されていた。
しかし、裁判では貴族の権力と豊富な資金によって証拠が隠滅され、あろうことか「妹の方が馬車に飛び込んだ」という虚偽の証言が採用された。犯人である男は完全に無罪となり、今も街で夜な夜な豪遊を続けているという。
『法も神も、私たちを救ってはくれません。どうか、あいつに裁きを』
その文字の筆跡から、エレーナの計り知れない執念と覚悟が伝わってくる。単なる勘違いや逆恨みではない。これは、話を聞くに値する重い依頼だった。
「こちらは貴重なお品かもしれません。詳しい査定をいたしますので、奥へどうぞ」
ジンはエレーナをカウンターの奥にある査定室へと案内した。重厚なテーブルを挟んで彼女の正面に座ると、ジンは真剣な口調で告げる。
「これより査定を開始します。ただし、もしこの内容があなたの勘違いや、あなたと相手との因果関係が認められなかった場合は、あなたの恨みと私に関する記憶をいただきます。承諾いただいた場合は、『天秤の皿の上』とお答えください」
エレーナは迷うことなく、強い覚悟を宿した瞳でジンを見つめ返した。
「すべてを捧げる覚悟はできています。……天秤の皿の上」
ジャラン……。
エレーナの頭の中に、鎖がからまる重々しい音が響く。
「これにて、あなたの魂は『因果の鎖』によって拘束されました」
魂の契約が結ばれた瞬間だった。
「査定を承りました。ターゲットは、貴族オルコット家の三男、バルド・オルコットですね。詳しい査定の裏付けが取れるまで、数日ほどお時間をいただきます」
エレーナを静かに見送り、ジンはテーブルの上で両手を組み、冷徹な思考を巡らせ始める。相手は権力者であり、警察や裁判所すらも抱き込んでいる男だ。
そこへ、店の片付けを終えたリナがトコトコとやってきた。
「お兄ちゃん、今度の依頼人はどう?」
「間違いなく本物の『復讐者』だ、リナ。だがスキルを解錠するには、オレたちの手でバルドと事件の決定的な因果関係を証明しなければならない」
ジンは立ち上がりコートを羽織った。あいつを探すため、そして理不尽な悪を裁くため、ジンの復讐屋としての裏の調査が今、静かに幕を開けた。
――
翌日、ジンとリナはアンティークショップ『ミクラ』に「本日臨時休業」の看板を掲げ、裏の情報網を辿って調査を開始していた。
ジンのスキル発動の絶対要件である「因果関係の確定」。もしここを少しでも見誤れば魔法は起動せず、それどころか依頼主のエレーナから不当に記憶を奪うことになる。裏付けを取ることは、復讐屋にとって絶対に必須のプロセスだった。
ジンたちが向かったのは、事件のあった裏通りから少し離れた酒場だった。そこは、オルコット家の三男バルドの従者たちが、夜な夜な主人の威を借るように酒を飲みに来る場所として知られていた。
カウンター席の端に腰掛けたジンは、酒場の雑踏の中で、目当ての従者を見つけた。身分は低いが、バルドの身の回りの世話をしている男だ。男は酒に酔い、仲間たちと下品な笑い声を上げていた。
ジンは愛想の良い古物商の顔を作り、男の隣の席へとさりげなく移動する。そして懐から、あらかじめ入手していた小さな懐中時計を取り出した。
「おや?そこの旦那は確か、バルド様のお付きの方ではないですか?実は先日、裏の市場でオルコット家の家紋が入った時計が流れてきましてね。もしよろしければ買い取っていただけないかと……」
従者の男が怪訝な顔で時計を見つめる。
「なんだお前は。……確かにうちの屋敷の物だが、これがどうしたと言うんだ?」
「いえ、少し気になりましてね。数ヶ月前、貴族の馬車が裏通りで人身事故を起こしたと耳にしました。この時計はその時、現場に落ちていたと言われておりまして……。市場に流通させておくのは、あまり良くないのではないでしょうか?」
事故という言葉を出した瞬間、従者の男の目が一瞬だけ泳いだ。男は「チッ」と舌打ちをし、グラスを雑にテーブルに叩きつける。
ガンッ!
「くだらねえ!あの件は裁判で終わったんだよ!あの貧民の女が勝手に馬車に飛び込んできたのを、俺達は確かにこの目で見た。バルド様は何も悪くねえ。そんな時計なんて知るか、失せろ!」
男は声高に叫び、周囲を威嚇するように睨みつけた。その言葉だけを聞けば、完全に事故は解決済みであり、男に後ろめたさはないように見える。
だが、ジンの隣に座っていた少女リナが、楽しそうに瞳を細めた。リナの目には、不可視の魔法文字が淡く浮かんでいる。
先日の依頼で魔導書が習得した調査スキル、『水鏡の波紋』。相手の嘘や感情の揺れを感じとることができるその力が、静かに発動していた。
「お兄ちゃん、もう行こうよ。わたし甘いものがたべたいな」
リナが無邪気な声で呟く。
「そうだな、行こうかリナ。お楽しみのところすみませんでした。それではよい夜を……」
立ち去るジンとリナの背中を、従者の男は怪訝そうに一瞥したが、すぐに仲間たちと酒を飲み騒ぎ始めた。
「で、どうだったリナ?あいつは真実を述べていたか?」
「ぜーんぜん。話すたびにあいつの感情は、波紋で揺らめいていたよ。バルドが殺したのを隠すため、あの人は嘘の証言をしたんだね」
彼女の視界の中では、従者の男の言葉から発せられる感情が、まるで静かな水面に石を投げ込んだかのように、激しく乱れて見えていたのだ。
リナの確信に満ちた言葉に、ジンは静かに頷いた。
「そうか。水鏡は揺れたんだな……」
スキルの識別結果により、裁判の証言が虚偽であることが裏付けられた。
さらにジンは、古物商としての独自のルートを使い、事故当日に破損した馬車の修理依頼が、誰の名前で、どの工房に出されたのかの帳簿記録まで完全に押さえた。
その修理工は、オルコット家から多額の口止め料を受け取り、指紋の付いた手綱を秘密裏に処分していたことも『水鏡の波紋』で明らかとなった。
嘘の証言、隠滅された証拠、そして遺族であるエレーナの証言との完全な一致。
貴族の三男バルド・オルコットが、エレーナの妹を馬車で轢き殺し、さらにそれを隠蔽した真犯人であるという『因果』が、ここに証明されたのだ。
――
その夜、閉店後のアンティークショップ『ミクラ』の査定室の椅子に座り、ジンは暗闇の中で静かに目を閉じた。
再び開いたジンの目からは優しさが消え、裏の顔である冷徹な復讐屋の瞳が浮かび上がる。傍らでは、リナが楽しそうに両手を握り合わせ、今か今かと待ち構えていた。
「準備はいいか、リナ」
「うんっ!いつでもいけるよ、お兄ちゃん!」
スキル発動の絶対要件はクリアされた。もう、この世の法律や権力が奴を守ることはできない。
「この世の悪を裁くのは、法でも神でもない、復讐者だ!」
ジンは静かに息を吸い込み両手を広げ、魔力を解放した。
「因果確定、解錠!」




