【第1話】復讐代行者とグリモワール
「因果確定、解錠!」
ジンの冷徹な声が虚空に響いた瞬間、彼の周囲の空間がガラスのように砕け散った。そして重々しい地響きと共に、目の前に鎖が何重にも巻き付いた巨大な門が現れた。鎖がほどけその門がゆっくりと左右に開くと、そこは現実とはかけ離れた異空間が広がっていた。
ステンドグラスを通過する、色とりどりの光。まるで巨大な神殿の内部のようなその空間で、絶望に顔を歪めて苦悶する男がいた。
男は自身の罪の重さと、これからも続く無限の苦痛を直感し、全身を激しく震わせていた。そんな男を見下ろしながら、ジンは感情の読み取れない静かな瞳で問いかける。
「お前は犠牲者に笑顔を刻む、殺人鬼を知っているか?」
男は恐怖のあまり目を剥き、言葉にならない声を漏らす。男の悲鳴は地獄のような異空間で、絶え間なくこだました。
――
裏通りの一角にひっそりと佇むアンティークショップ『ミクラ』では、穏やかな日常の時間が流れていた。店内に並ぶ古い時計や調度品が、窓から差し込む午後の光を受けて静かに輝いている。
愛想の良い店主とその手伝い。十八歳の青年ジンと十歳の妹リナは、今日も変わらず二人で店を切り盛りしていた。転生前のジンの妹にそっくりな少女リナは、お兄ちゃんが大好きで、今日も甲斐甲斐しく店のお手伝いをしている。彼女は小さな手で柔らかい布を握り、カウンターの端で熱心に作業をしていた。
「お兄ちゃん、この時計も磨いておいたよ」
「ありがとうリナ、すごく助かるよ。リナのおかげでお店はいつもピカピカだよ」
ジンが優しく微笑みかけると、リナは満足そうにえへへと笑った。朗らかな空気が流れる店内。そんな平和な時間を破るように、入り口の扉がゆっくりと開いた。
入ってきたのは、一人の男だった。男は重い足取りで、まるで誰かにつけられているのではないかと怯えるように、周囲を気にしながらカウンターへと近づいてくる。その額には脂汗がにじみ、目つきは酷く焦燥していた。
男は震える手で懐から一冊の本を取り出し、カウンターの上にそっと差し出す。
『円環の残火』
その本の内容は、息子を殺された父親が、法で裁かれなかった犯人を自分の手で殺し、最終的には犯人の娘に殺されるという悲劇である。ベストセラー作家「エリアス・ノルド」が無名の頃の自費出版の作品で、現在はタイトルが変わって出版されているため、かなり貴重な品だ。
しかしこれは、裏の業界の一部にのみ噂として知られる、復讐代行の依頼の合図。男が買取依頼という形で持ち込んだその本の中には、自身の身の上と状況、そして恨みを抱く相手について詳細に記述されたメモが挟まれていた。
「拝見いたします」
ジンは愛想の良い店主の顔を崩さぬまま本を受け取り、静かに表紙をめくってメモに目を通す。そこに綴られた文字から、男の抱える執念が滲み出ていた。話を聞くに値すると判断したジンは、本を片手に男を見上げた。
「こちらは貴重なお品かもしれません。詳しい査定をいたしますので、奥へどうぞ」
ジンは男を店のカウンターの奥にある、分厚い扉に閉ざされた『査定室』へと案内した。外界の音が遮断された静かな部屋で、男は革張りの椅子に腰を下ろす。ジンは重厚なテーブルを挟んだ正面に座り、今までの人当たりの良い声色から、少し低い真剣な口調で告げた。
「これより査定を開始します。ただし、もしこの内容があなたの勘違いや、あなたと相手との因果関係が認められなかった場合は、あなたの恨みと私に関する記憶をいただきます。承諾いただいた場合は、『天秤の皿の上』とお答えください」
事前のルールとしてのペナルティ宣告。
男はごくりと唾を飲み込みながらも、自分の正当性を信じて疑わない様子で大きく頷きながら答えた。
「あ、ああ、わかった。……天秤の……皿の上」
ジャラン……。
どこからか、重い鎖が巻き付いたかのような音が、男の頭の中に響いた。
「これにて、あなたの魂は『因果の鎖』によって拘束されました」
ジンは男から詳しい話をヒアリングし、裏付けのための査定を開始する。しかし、男から語られる証言や事件の時系列を一つひとつ照らし合わせるうちに、ジンの目から徐々に熱が消えていった。
査定が進むにつれ、男が主張する話に様々な矛盾が生じてきたのだ。ジンからの指摘も途中で遮って、ひたすら妄想めいた話を続ける。男の主張する被害は完全な勘違いであり、自身の不遇を他人のせいにした、単なる一方的な逆恨みに過ぎなかったとジンは結論付けた。
査定を終えたジンの瞳は、冷徹なものへと変わっていた。男が期待に満ちた目でジンを見つめる中、ジンはテーブルの上に本を静かに置いた。
「残念ですが、こちらは贋作のようです。申し訳ありませんが、当店では買取できません」
ジンがそう告げて本を突き返すと、男の顔色が変わり、みるみるうちに赤く染まっていった。
「なんだと!俺はあいつのせいでこんなに苦しんでいるんだぞ!ふざけるな!」
男は激怒し、立ち上がってジンに掴みかかろうと手を伸ばした。だが、その指先がジンの襟元に触れることはなかった。
事前の宣告通りに、男に対しスキルシステムの厳格なペナルティが執行されたからだ。
男の動きがピタリと止まる。虚空を見つめる男の瞳から光が失われ、その脳内から相手への一方的な逆恨みの記憶と、ジンやリナ、そしてこのアンティークショップ『ミクラ』に対するすべての記憶が物理的に抜き取られていく。
男の頭から淡く光る小さな球が、音もたてずにスルリと抜け出していった。
熱病に浮かされていたかのような男の怒りは消え失せ、あとに残ったのは呆然とした表情だけだった。
「ここは……俺は、なんでここに……?」
自分がなぜここにいるのかも分からないまま、男は首を傾げる。
「店の前で貧血を起こして倒れていらしたんですが、もう大丈夫そうですね」
ジンは本に挟まれたメモを抜き取り「こちらをどうぞ」と男に手渡した。
朗らかな笑顔でそう話すジンに少し戸惑いながらも、男は本を片手に、ふらふらとそのまま店を去っていった。
男の姿が見えなくなると、入れ替わるように査定室にやってきたリナが、パッと表情を明るくしてうれしそうに笑った。
「もう食べてもいいんだよね?それじゃあ、いただきまーす!」
先ほどの可愛らしい妹の顔から一転、リナは無邪気な笑顔のまま目を光らせ、男の頭から奪い取られた『恨みと記憶』を、エサとして美味しそうに喰らった。
リナがその『恨みと記憶』の光の球を飲み込むと、彼女の小さな身体がまばゆい光に包まれ、その姿は豪奢な装丁の分厚い一冊の魔導書へと変化した。
ジンが表紙を開くと、パラパラパラ……とページが見えざる手により、自動的にめくられていく。
開かれた白紙のページに、魔法文字が輝きながら浮かび上がり、新たなスキルが記述されていく。
『水鏡の波紋:相手の嘘や感情の揺れを感じとることができる』
ジンの第一のスキル『魔導書』がエサを得たことで、調査に役立つ小さなスキルを習得したのだ。
スキルの厳格なルールと、対価による力の成長。魔導書の光が収まり、再び静寂が戻った査定室でジンは静かに本を閉じ、決意を秘めた瞳で虚空を見つめた。
あいつにたどり着くその日まで、この稼業を止めるわけにはいかない。
今日もアンティークショップ『ミクラ』を営みながら、ジンとリナは次の来店者を待ち続けている。




