第01話 エピローグ
第一支部・支部長室。
――ドンッ!!
机が大きく震えた。
書類が跳ね、マグカップが僅かに浮き上がる。
「結局!!」
グリーンイグアナが机へ身を乗り出した。
「一か月近く拘束されて、報酬はゼロォッ!!?」
悲鳴にも似た叫びが部屋いっぱいに響く。
その光景を見ながら、支部長秘書シエナは静かに瞬きをした。
(……また始まったわ)
頭痛はしない。
慣れというものは恐ろしいものである。
ヤマナシは後ろ手を組んだまま、淡々と訂正した。
「正確には二十六日です。二十五日深夜から拘束されていますので」
「シャラーップ!!」
イグアナが勢いよく立ち上がる。
「ヤマナシ氏が現場監督として付いていたのだ! 何か責任を取ってもらうぞ! 罰ゲーム的なやつでいいから!」
「駄目です」
即答だった。
眼鏡がきらりと光る。
「駄目!? 嫌とかじゃなくて!? 吾輩、支部長なんですけども!!」
「まあ、少し冷静に考えてください」
ヤマナシは少しも表情を変えない。
「元々ファスクスの計画通り事が進めば、我々は最低でも七億リラ以上の補償金を支払う予定でした」
「それが未然に防がれた上、《《護衛任務は》》失敗しましたが、事件として考えれば解決しています。」
「ファスクスは死亡という結末でしたが、治安維持への貢献という意味では、本部査定はむしろ加点でしょう」
イグアナの目が少し輝く。
「……え、そうかな?」
「さらに今回、最大の収穫があります」
ヤマナシは横へ一歩ずれた。
壁際に立つクロスへ視線を向ける。
「異世界から来た救世主――クロスさんを第一支部へ迎え入れられました。」
「この万年人手不足の支部にとっては、数百万リラ程度の損失など比較にならない価値があります」
「彼が活躍すれば、支部の評判も良くなり、依頼も急増……支部長の株もうなぎ上り」
イグアナの目がさらに輝く。
「そうかな!!?」
ヤマナシは深く頷いた。
「つまり、今回の件は現場監督だった私の功績と言って差し支えありません。ボーナス下さい」
「そうだね!!」
即答だった。
シエナは無表情のまま二人を眺める。
(……凄い)
(いろんな意味で、この人たち凄いわ)
ヤマナシは何事もなかったように眼鏡を押し上げた。
「ま……冗談はさておき」
「クロスさんを迎えられたこと自体は幸運でした」
「問題は、ノーマさんです」
イグアナも今度は真面目な顔へ戻る。
「ファスクスの狙いは、ノーマのコントロール不全だった」
「ええ」
ヤマナシは頷く。
「そして現在、本部から正式にライセンスを受けた第一支部所属ヒーローは支部長、貴方だけです」
「ライセンス保有者には《正義執行者特例条項》が適用されます」
「民間被害についても一定の免責が認められるため、今回のような詐欺の標的にはなることは基本的に考えられない」
ヤマナシは小さく息を吐く。
「ノーマさんやクロスさんが、このまま無免許で戦えば、戦闘による被害は全て第一支部負担になります」
イグアナは頭を抱えた。
「せめて、あの狂犬がもう少し大人しくしてくれればなぁ……」
静寂。
その時だった。
『きーこーえーたーぞぉぉぉ!!!』
壁の向こうから、くぐもった声が聞こえた。
イグアナは反射的に右を見る。
停止。
壁。
イグアナは気のせいかとヤマナシに向き戻って、何かを喋ろうと人差し指を立てて止まる。
もう一度右を見る。
……壁?
嫌な予感が背筋を走る。
「……いや、待っ――」
言い終わるより早く。
ドゴォォォォンッ!!
轟音とともに壁が内側へ爆ぜた。
モルタルと装飾用の木材が部屋中へ飛び散り、白い粉塵が煙のように舞い上がる。
その向こうから、一人の男が飛び込んできた。
金色の長髪。
黒いレザージャケット。
第一支部の金の狂犬である。
「馬鹿ァァァァァッ!!!」
イグアナの悲鳴のような絶叫が、第一支部にこだまする。
改めて言おう。第一支部は慢性的な資金不足である。
「また壁ぇぇぇぇ!!」
ノーマは床を蹴る。一瞬でイグアナの背後を取った。
「正義を否定したな!!」
そのまま首へ腕を回し、犬のようにガジガジと噛み付く。
「お前は悪かァァァ!!」
「痛い痛い痛いッ!!」
イグアナは涙目で暴れる。
「お前のこととはハッキリ言ってないでしょ!!」
「バカって言っただろ!!」
イグアナが叫ぶ。
「見返せ!ルビだったろうが!?本文はお前に見えてないだろうが!!!」
イグアナの命乞いに近いツッコミなど知らぬというように、金の狂犬は流れるように腕を絡め取る。
脚で固定。
身体を反転。
そのまま腕ひしぎ十字固めへ。
「ぎゃああああああああ!!!」
絶叫である。
息も絶え絶えになりながら、それでも必死で抗議するイグアナ。
「だ……大体!!扉あるんだから来るならそっちを開けて来い!!!何度も言ってるでしょうが!!!!」
「正義は失敗しない!!故に反省も無い!!!」
「ほんとに馬鹿ぁぁぁ!!!!!!!!!」
イグアナの悲鳴が支部中へ響き渡る。
シエナは視線を窓の外に移す。
(今日の晩御飯何にしようかなー)
クロスは、小さくため息をつく。
ヤマナシは足元で、腕ひしぎから三角締めに移行するノーマと、命の危機を迎えているイグアナを眺めながら眼鏡を押し上げた。
「支部長、進言します。ノーマさんとクロスさんには、将来的にライセンスを取得していただくことは必須でしょう」
「だが、それだけでは足りない。最低でもあと二名。できれば四名以上の主力ヒーローが必要です」
ヤマナシは手帳を開く。
「至急、ヒーロー候補の募集と選定を行いましょう」
「いやいやいやいや!!ヤマナシ氏ィィィ!!状況分かってる!!?」
「まずは、こいつを落ち着けて、マジで!!殺されるから!!!」
第一支部に、支部長の悲鳴が響き渡った。
――――
こうして、移動美術館メモリーズアークが運んできた、虚飾と―、欲望と―、狂騒に塗れた一ヶ月が終わった。
そしてそれは、第一支部の物語の。
正義を叫ぶ狂犬の。
異世界から漂流した救世主の。
いや、壊れてしまった世界の、“正義” の話の始まりでもあった。
――第01話『狂犬の狂騒曲』(完)――




