表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
8/9

第01話 狂犬の狂騒曲 Ep8



 深い夜の漆黒が、まだらに世界を塗りたくる。


 このディスクラッド市がいかに眠らない街だとて、夜は自然と息を潜めるものだ。


 夜の商業区画を吹き抜ける風は昼間の喧騒を夢のように攫い、人気のない歩道には、酔客が時折ふらつきながら歩くだけ。


 まして――


 その商業ビルは、今日を最後に役目を終えようとしていた。


 メモリーズアーク。


 各地を巡回する移動式美術館。


 本体である大型トラックは既に積み込みを終え、明日の昼には次の街へ向けて出発できる状態になっている。


 形だけの緩衝材を詰め込み、速度だけを優先した乱雑な積載。


 昼間の騒動から僅か数時間。


 夜の帳が完全に下りる前には、全ての展示品はコンテナへ押し込まれていた。



――



 昼間まで事務室だった部屋だけに、まだ灯りが残っている。


 事務室には既に何もない。

だだっ広い室内の中央に豪奢な丸机と、肘置き付きの立派な椅子。

 丸机を挟んで向かい合うように座る二人の男が、手にしたワイングラスを合わせると、薄手のガラス特有の透き通った音が鳴った。



「――契約は完全に履行された。」


 歪に捻れたそのワイングラスは、ランプの薄明かりを受けて時折濁った七色の光を放っている。透明なはずの硝子の内側には、大小様々にそれぞれが光を放つ粒子が閉じ込められ、歪み、削れたその表面は、星屑を閉じ込めたようにも、歪んでしまった時空間を表したようにも見える複雑な陰影を作り出していた。


 ファスクスは満足そうに笑うと手にしたワイングラスに口をつけると、赤いワインが歪んだ紋様に沿って不規則に揺れる。


「ふふ……不味いな。やはり、こんなグラスでワインを愉しむものじゃありませんな。せっかく、そこそこに高いワインを開けたのですが……台無しですな!」


 向かいの男――グラザスも同じ形のグラスを口に運ぶ。


「そうかな。私の口にはこのくらいの“歪み”がちょうど良い。価値を愛するのではなく、私は歪んだこの什器を愛そう。価値の無いものに価値を与えるのは人の心なのだから」


 ワイングラスを少しだけ上げ、指で遊ばせながら中の液体を満足そうに眺めるグラザス。


 ファスクスはグラザスの言葉に身を乗り出して愉快そうに笑う。

「アッアッアッ!それ!私が言いましたな!!!笑える話です!」


 ひとしきり笑うとファスクスは机に手をつき、下から首を傾げながら、グラザスを見上げてニヤリと笑う。

「報酬は約束の口座へ振り込みました。今までのコンサル料も含めて……ね」



 笑みを讃えながら、グラザスは手元に持ったカード型の電子端末を指で操作する。

「確認した。結構――」


 ファスクスはワイングラスに口をつけず、中の液体を口に落とすように流し込むと、乱雑にそれを机に置いた。

「しかし……。こんな代物が十億リラとは、実に笑える!!いや、それもこれも、クライシスゲートの。いや、貴方の力があってこそだ!!」

 両手を開いて快笑するファスクスに、昼の館長としての面影は無い。

 グラザスは笑いながら片目だけ開けて、コトリとグラスを置く。


「“価値”ほど不定形で、推し量り難いものはあるまい。朝、大事だった物が、夕にはゴミに変わる。夕暮れに捨てるところだった物が、『曰く』が付くだけで夜更けに宝物に変わる。そして――」


 おもむろに親指と人差指を開くと、グラザスの手からワイングラスが滑り落ち、石タイルに当たって粉々に砕ける。


「明け方には壊れてまた、ゴミになる。無常もまた真理だが。そも、流転せずとも“価値” は変わる」


「ならば、ソレを規定するのは何だ?」


「無論、人間だよ。だが、その人間の判断とは、揺れる理性と 偏愛の、天秤にぶら下がるふたつ皿。そっと偏愛の皿におもりを置いてやれば、価値無きものも……宝に変わる」


 ファスクスはその様を見て腹を抱えるように笑った。


「愚か!滑稽!!この美術館に展示していたものなど、全て『がらくたの街』から拾ってきたゴミばっかりなのに」


 ファスクスは声色を変えて手を合わせる。

「きれーい!!」


 また、声色を変える。

「これは凄まじいな……」


 机を叩いて笑う。

「ゴミに!アッアッアッ!!」


 身を乗り出してグラザスを指差す。

「あなたは最高だ。言ってることはとんと理解できないが、良いんだ。私にとって使えるか使えないかが価値の全て!あなたの……それ!」


「英雄因子?本当は英雄機関のヒーローしか使えない能力なんですよねぇ!」


 大手を上げる。

「それのおかげでラ・グラシアでも、ネフログラードでも大儲け!」


「価値のないガラクタを展示して。『狙われるほど価値がある美術品』だと思い込ませる」


「護衛を雇って、予定通り壊す。それだけで、自警団も、マフィアも――」


 笑いは次第に下品さを増していく。


「ヒーローまで補償金を払う!」


「アッアッアーッ!!本当に馬鹿な連中だ!」


 椅子にもたれながら天井を見上げる。


「あなたの言う通りだった」


「最後は英雄機関だ。アイツら、金だけは腐るほど持ってる」


「人生一回遊んで暮らせるだけの金が手に入った」


 グラザスは椅子にもたれ、背中を預けながら静かに笑う。


「ふふふ……実に見事な悪辣さだ」


「いや、褒めているのだ。君は実に面白かった」


 その言葉に、ファスクスは満足げに笑みを深くする。


――その時だった。


「聞いたぞぉ!!」


 壁の奥から突然声が響いた。


 ファスクスが勢いよく立ち上がる。


轟音。


 事務室の壁が吹き飛んで壊れ、崩れる瓦礫のその奥から。


 雷光を轟かせながら光る金の長髪。

 黒色のレザーコートの表面を、奔る電撃が足元から肩口に立ち上がる。

 口角は激しく上がり、激しい悦びに自然と笑みが漏れているのが分かる。


「悪だぁ!悪の臭いが、ビリビリくるぜぇ!!」

 金の狂犬。


「やれやれ……。私はもっと静かに、理知的に追い詰めるのが好みなんですが」

 その隣にはヤマナシ。


 さらに少し後ろ。


「同感だな」

 腕を組んだクロスの姿もある。


「え……え、英雄機関!!!」


 ファスクスの顔色が変わる。


 ヤマナシは眼鏡を指先で押し上げると、静かに息を吐いた。


「あらかた自供はいただきましたが……敢えて、確認しましょう」


 その声音は穏やかだった。


 怒りもない。


 ただ、事実だけを積み上げる裁判官のように。


「今回の依頼は、クライシスゲートと共謀した狂言」


「英雄機関から補償金を騙し取るための――補償金詐欺だった」


 ファスクスは何も答えない。


 ヤマナシは淡々と続ける。


「最初の違和感は、あなたが私へ言った言葉です」


「『噂は当てにならない』」


「『第一支部の金の狂犬は敵味方の区別もつかない、まさに狂犬だ』――そう仰いましたね」


 一歩だけ前へ出る。


「ならば、何故です?」


「そんな危険極まりない人物へ、美術品の護衛を依頼したのは」


 沈黙。


 ファスクスは口を閉ざしたままだ。


 ヤマナシは構わず言葉を重ねる。


「そして、展示品が壊れた後のあなたです」


「最初こそ取り乱していた。ですが、その後は妙に落ち着いていた」


「ノーマさんを責める私を、むしろ宥める余裕まで見せた」


 そこで一度だけ口元を緩める。


「そこで、少し調べさせていただきました」


「幸い、第六支部には多少の伝手がありましてね」


 静かな声が部屋へ落ちる。


「ネフログラード」


 一拍。


「ラ・グラシア」


 さらに一拍。


「どちらでも、全く同じ手口でした」


「価値ある美術品を宣伝し、護衛を雇う」


「そして必ず、クライシスゲートの襲撃を受ける」


「展示品は破壊され、契約通り補償金だけを受け取る」


 眼鏡の奥の視線が真っ直ぐファスクスを射抜いた。


「偶然にしては、出来過ぎています」


「――違いますか?」


 ギリギリとファスクスから歯噛みする音が聞こえる。


「あなたは、英雄機関を、いや――我々、第一支部を、少々舐め過ぎましたね」


 部屋が静まり返る部屋で、ノーマが口角を上げながらファスクス達ににじり寄る。

 まるで、獲物を前にした肉食獣だ。



 ファスクスは、冷や汗をかきながらグラザスを振り返る。


 グラザスは目を閉じたまま、愉快そうに手元に再度注いだワインを口に含んでいた。


「アンタ、何笑ってる!昼間の黒服の男を呼べ!もう一度あいつらを倒すんだ」


 グラザスは手をひらひらと振って答える。

「彼は元々、ウチの首領からの借り物でね。一足先に帰ってしまったよ」


 他人事のように笑いながら、軽く答えるグラザスに、ファスクスは叫ぶ。

「ふ!ふざけんな!!!!!じゃあ、あんたがやれよ!!課長なんだろうが!!どうにかしろ!!」


 グラザスはファスクスを見て満足そうに笑う。

 礼儀のなっていない成金の、メッキが剥がれて叫び喚くその様に。

 自身を顎で使うような取り乱しように。


 一切の暗い感情も無く、怒りも無く。

 ただ慈しむような、愛おしく思うような、そんな 悪魔の笑顔と共に。


 両手を天に掲げる。


「まだ、愉しませてくれるのかね?」

「え――?」


 グラザスの身体から青白い光が立ち上がり始める。

 朧気で、頼りない。

 

 糸のように宙空を這いながら、かき消えて夜気に溶ける――。

 儚い夢のようで。


 現実を静かに、ゆっくりと犯し、作り替えていくような不気味さで――。

 

 揺らめきながら、ほどかれる。



「価値を決めるのは人だ。ならば問おう」

 グラザスは謳うように問う。


「汝は――人間なるや……」




 ファスクスが一歩後ずさる。

「――ッ!」


 胸を押さえる。


 全身の筋肉が一斉に痙攣した。


 骨が軋む。


 内側から何かが膨れ上がるような嫌な音が響く。


「が……ぁ……」


 膝をつく。


 呼吸が乱れる。


 皮膚の下で何かが蠢いている。


 腕。


 首。


 頬。


 全身が波打つように盛り上がり始めた。


「な、なんだ……!」


「何をしたァッ!!」


 悲鳴にも似た叫び。


 グラザスは満足そうに笑う。

「恐れることはない。ソレは君が元々持っていたもの」


「――歪みだ」


 ファスクスの背中が跳ねるように大きく反る。


 骨格が音を立てて歪む。


 指先が伸びる。


 皮膚が裂ける。


 筋肉は異常な速度で肥大し、裂けた隙間から赤黒い肉が覗く。


「ぐ……ああああああッ!!」


 叫び声は次第に人のものではなくなっていく。


 ヤマナシが息を呑んだ。

「これは……英雄因子……?」


 ノーマも眉をひそめる。

「おいおい……。アイツ、自分の依頼主だろ?」


クロスは無言でギリッと歯を食いしばった。





 さらにファスクスの身体が膨れ上がる。

 肩幅は倍近く広がり、腕は床に届くほど長く伸びる。

 顔は原形を失い、口元だけが裂けるように広がっていた。



 ファスクスが床を這う。

 グラザスの足へ縋りつこうとする。


 その手は途中で止まった。

 指がさらに伸びる。


 関節が増える。

 骨が砕け、肉が増殖し、もはや人間の腕とは呼べないものへ変わっていく。

 増大する。

 拡大する。

 膨張する。

 成長する。


 何かを求めるように、無限に広がり続ける。

 求めるのは何か――。



「価値だ……」


 アッ――、アッ――、アッ――!!!

 規制を上げながら、水晶玉のように大きく膨らんだ黒い眼球のその下で、大きく爛れた口から伸びるのは小さな手。


 赤子のような手が、ぐっ、ぱー、と開いて。閉じて。

 何かを掴もうとして、くうで滑る。



 グラザスは静かに、《《ファスクスだったもの》》の顔を真正面から覗き込む。

「存分に掴みたまえ」


 グラザスが先ほど落としたグラスの欠片。

 濁ったガラスの欠片の奥に、星空を閉じ込めたような。歪んだ時空間を現したような陰影が見える。


 それを口から延びる小さな手で頼りなく掴んで。奇声を上げる。

 アー!!アー!!!!!!

 その声はまるで、喜んでいる赤子のように聞こえた――。


 グラザスは静かに笑うと、もはや肉の塊に成り果てたファスクスの前で、恭しく一礼した。

「この度は、我らクライシスゲートをご利用いただき、誠にありがとうございました。」


「我々は、アフターサポートも万全です」


「またのご利用を、お待ちしております。」




「――――ッ!!」


 ファスクスの喉から絶叫が迸る。


 それはもう、人の声ではなかった。


 獣とも。


 虫とも。


 何とも形容できない咆哮。


 変異は限界を超えた。


 四肢は肥大し。


 胴体は異常に膨れ。


 顔面は裂け。


 眼球だけが何個も不規則に浮かび上がる。


 理性を失った怪物が、ただ本能だけで眼前の人間へ飛び掛かった。


「グオオオオオオオッ!!」


「来るぞ!」


 ノーマが叫ぶ。


 クロスも剣を構える。


 だが。


 怪物は二歩目で足を止めた。


 膨れ続ける筋肉。


 耐えきれなくなった骨格。


 自らの重量を支えきれず、巨体は大きく傾く。


 ドゴォッ!!


 床を揺らしながら崩れ落ちる。


 なおも腕だけが這う。


 口だけが叫ぶ。


 しかし、それ以上動くことは出来なかった。


 肉体そのものが、己の変異に耐え切れなかったのである。


 部屋には荒い呼吸だけが残る。


 静寂。


 クロスがゆっくり視線を上げる。

「……グラザス。」


 そこにはもう誰もいなかった。

 開いた扉だけが、夜風に揺れている。


 いつの間にかグラザスも。

 まるで最初から存在しなかったかのように、その場から姿を消していた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ