第01話 狂犬の狂騒曲 Ep6
クライシスゲートの戦闘員たちは既に床へ転がっていた。
呻き声を上げる者。
完全に気絶している者。
そうした戦闘員を後目に、館長ファスクスは壊された展示品の前にしゃがみ込んでいた。
床へ散らばった石片をそっと拾い上げる。
「ファスクスさん、申し訳ありません。この展示品を守れなかった」
ヤマナシが尋ねる。
ファスクスは欠けた石片を丁寧に拾い上げながら答えた。
「これは第五支部管理区域で手に入れた石彫ですね」
静かに息を吐く。
「古代人を模ったものだったのですが……」
ため息とともに落とした目線のその先。
王冠を戴いた人物像は胸元から豪快に砕け、無残な姿を晒していた。
ヤマナシはそれを見てから振り返る。
「ノーマさん」
「おう!」
元気よく返事をする。
「致し方ない部分はあるでしょうが、今後は美術品への被害は最小に――いえ」
眼鏡を押し上げた。
「ゼロにしてください」
「何故だ!?」
即答。いや、即問である。
あまりにも迷いがない。
「それはそうだろう……」
先依頼の内容を完全には知らないクロスまでが思わず口を挟んでいた。
当然である。
そもそもノーマの仕事は美術品の護衛なのだ。
護衛対象が壊れてどうする。
「《《そうでもあり》》、そして今回は特に、です」
ヤマナシは人差し指を立てると、ノーマの顔へずいっと近付けた。
「良いですか?」
「おう!」
「護衛任務というものは、その性質上、護衛対象の安全が求められる」
「おう!」
「我々の今回の契約内容は、美術品総価値の八〇パーセント以上の保証です」
「おう!」
「例のチンピラ二人組とクライシスゲートが壊した展示品は、総価値十五億リラのうち三千万リラ程度です」
「おう!」
「ですが」
ヤマナシの目が鋭くなる。
「元々高額な美術品群です。どれが壊れたら任務失敗になるか分からない」
「良いじゃねぇか!」
ノーマは爽やかに親指を立てた。
「失敗しても!前を向いて行こうぜ!」
「駄目だろ」
クロスがあきれ顔で突っ込む。
ヤマナシは額を押さえた。
「失敗した場合、当然我々は無報酬です」
「そうか!」
「それどころか、過度の被害――概ね五〇パーセント以上の損害については、成功ラインとの差額を補償する規定になっています」
「なるほど」
クロスが頷く。
「ただ働きどころか――壊れた美術品の価値次第では我々は破滅ですよ」
「なっ……!?」
ノーマが一歩後退る。
「任務の前に何度も言ったでしょう!!」
ノーマはさわやかな笑みのまま、小首を傾げた。
クロスは腕を組みながら静かに思う。
(言ってたんだろうな……)
暖簾に腕押し、糠に釘なノーマに、あわやキャラ崩壊するほどヒートアップしかけるヤマナシを見かねたファスクスが口を挟む。
「まぁまぁ」
「壊れてしまったものは仕方がありませんから……。前を見ましょう、ヤマナシさん」
どうどうと、手でいさめるポーズをしながら、ゆっくりと立ち上がる。
「それに、八〇パーセント保証の件についても大丈夫ですよ。」
「正直、うちの美術館の価値総計 十五億リラの大半は『カルマのグラス』ですから」
「他の展示品は数こそ多いですが、価値としては今壊れた石像と大差ありません」
穏やかな説明だった。
「館長、お前、いい奴だな!!!」
満足げなノーマ。
「で、でも、ちょっとだけ気をつけて下さいね……」
トホホという声が聞こえてきそうなオクターブの下がった声で最後に付け加える館長。
「……?」
クロスの眉が僅かに動く。
「どうしました?」
ヤマナシが尋ねる。
「いや……」
クロスは少し考え込む。
「館長さん」
「はい?」
「そのカルマのグラスって美術品、見てもいいか?」
ファスクスは一瞬だけ目を丸くした。
だがすぐに柔らかく笑う。
「あぁ――、もちろんですとも」
「どうぞ」
そう言って先導するように歩き出した。
――
美術館最奥。
かつて上客専用ラウンジとして使われていたのであろう豪奢な一室。
磨き上げられた床。
重厚な照明。
静かな空気。
その中央。
強化ガラス製の展示ケースの中に、それはあった。
カルマのグラス。
大災厄によって滅んだ街。
ネフログラード・カルマ地区から発見されたワイングラス。
透明なガラスの内側には、歪んだ時空間そのものを閉じ込めたかのような複雑な紋様が幾重にも刻まれている。
光が揺れる。
紋様が揺れる。
見る角度によって形が変わる。
まるでガラスの中に別の世界が存在しているようだった。
誰も言葉を発さない。
美術品を嗜む心を持っていないであろうノーマですら黙っていた。
価値など分からない。
だが。
それでも。
理解してしまう。
――これは本物だ。
理屈ではない。
本物だけが持つ圧倒的な存在感。
その凄みを、その場にいた全員が、同時に思い知らされていた。
――――
――その時だった。
「カルマのグラス……か」
不意に声が響く。
「素晴らしい――」
冷たい賞賛が聞こえる。
まるで深い井戸の底から響いてくるような、湿り気を悪意を孕んだ声だった。
「歪み、 捩れ、 縺れ……、“業”を注いで、綾を成す――」
そしてパチ、パチ、パチという拍手。
全員が振り返る。
「滑稽で――美しい。まるで、人間のようだ」
展示室の入口。その奥――照明の届かぬ闇の中から、一つの影がゆるやかに像を結ぶ。
黒く、くすんだローブを身に纏い、輝きの無い泥のような色の宝石をあしらったターバンのようなものを巻きつけた若い男。
顔は《《寒気がするほど》》整っている。
所作は優雅で、衣装と合わせれば舞台俳優のようですらある。
だが――。
場違いな軽薄さと、あまりにも禍々しい笑み。
愛していると告げたその口で嘲笑するような――そんな泥濘の底のような不誠実さが男の身体から滲み出ていた。
ノーマも、ヤマナシも一瞬で理解する。
――これは人間ではない。
間違いなく人の形をしているソレは、《《そうでありながら、そうではない》》。
そんなものであってはならないという、防衛本能のようなもの。
その一瞬の逡巡の最中、最も早く動いたのはクロスだった。
「――ッ!!」
剣が抜かれる。
銀閃。
迷いも躊躇もない。
男の首だけを狙った必殺の斬撃。
だが。
ガギィン!!
鋼がぶつかる。
男の前へ割り込んだ黒衣の巨躯。
交差した二本のスティックが剣を受け止めていた。
鍔迫り合って火花が散る。
クロスの顔が憤怒に歪む。
「なぜ貴様がここに居る!!」
押し込む。
押し込む。
それでも届かない。
「グラザスッ!!」
「クロスさん……?」
ヤマナシが思わず声を漏らした。
今まで見せたことのない激情だった。
激高する戦士の剣を止めた黒衣の男は無言。
剣とスティックの交差箇所を、体重を載せるようにして押し込む男。
クロスの身体が後方へ弾き飛ばされた。
着地。
剣を構え直す。
黒衣の男もまた、静かに二本のスティックをXに構える。
一言も発しない。
感情もない。
まるで機械のような冷たい目で、ただクロスを見つめている。
グラザスは愉快そうに口を吊り上げた。
「ククク……」
「分かっていたはずだ」
両腕を広げる。
「どこかで、そうではないかと」
「お前がこの世界へ来たならば――私もまた、この世界に居るのではないかと」
クロスの眼光が鋭くなる。
グラザスは大きく口を開けて笑いながら、朗々と続ける。
「私は信じていたぞ……。一片の迷いなく、貴様が現れることを。なぜなら――」
右手を掲げる。
「私は“運命”を信じているのだから――」
その笑顔は気味が悪いほど嬉しそうだった。
ヤマナシが目を細める。
「あなたは……、まさか、クライシスゲート第二課を束ねる幹部の――!?」
グラザスは優雅に一礼した。
「はじめまして」
「英雄機関第一支部の諸君――」
左手を腹へ当てて恭しく頭を下げる、完璧な礼。
しかし、この男がすれば、それは敬意ではなく、笑いを堪えているように見えて仕方がなかった。
「そう。私はクライシスゲート第二課課長――グラザス」
その隣。
グラザスに侍る黒衣の男は、沈黙したまま立っている。
目にも、そして口にも、感情のような光は何一つ浮かべない。
「クロスさん、お知り合いで?」
ヤマナシが尋ねる。
クロスは吐き捨てるように答えた。
「一人は知らない。だが、奴は。グラザスは――」
「俺の世界を滅ぼそうとした邪神だ!!!」
「そうだ」
グラザスは嬉しそうに頷く。
「ご機嫌よう、クロス。あぁ、我が愛しき宿敵」
「我が世界の救世主――クロス」
ヤマナシは黙したまま混乱していた。
(邪神に救世主……ですか。いや、流石に荒唐無稽が過ぎませんか……)
いや、荒唐無稽故に『悪い冗談』『でまかせだ』と、そういってしまえば幾分か整理もつこう。
しかし、目の前で対立する二人のオーラが、そう切って捨てるにはあまりにも真に迫りすぎていた。
「クライシスゲート課長だと!?ふざけるなよ、グラザス!!!」
「俺たちに敗れて死んだはずの邪神が、商品化された暴力を扱う組織の中間管理職だと!?」
グラザスは腹を抱えるように笑った。
「フフフ……その通りだよ、私は」
「相も変わらず、下らない。取るに足らない小悪党さ」
「笑ってもいいぞ、クロス。私もまた、笑おう」
「何を」
手にした剣を強く握りしめるクロス。
「世界が変わってもまた、何かを背負い。そして誰かのために戦う。命を賭ける」
「報われぬ正義の味方なんて生き方を……ここでも繰り返す――」
「あぁ……度し難い」
言い終わりを待つ気などないというようにクロスが踏み込む。
しかし、ノーマも同時に踏み込んでいた。
狙うはグラザス。
だが。
再び、黒衣の男が立ち塞がった。
交差する二本のスティックで、二人の攻撃を捌く黒衣の男。
グラザスは満足そうに頷き、そして続ける。
「だが、それも役割だ」
「世界は舞台で、人は役者だ。どんなに愚かしくとも」
「舞台の上で、役者は踊る――」
ゆっくりと指を向ける。
ノーマへ。
クロスへ。
「君たち二人を倒す。それが依頼者の望みであり、我らクライシスゲートの仕事なれば――」
口元が裂ける。
「小悪党は小悪党なりの役割を果たそう」
パチリと手袋をしたグラザスの指が弾かれる。
それが、合図。
次の瞬間。
黒衣の男が消えた。
いや、速すぎて見えなかっただけだった。
ノーマへ迫る。
「はええじゃねえか!!!」
そう言いながらも、ノーマは反応する。動体視力、反応速度。いずれも人間どころか野生の獣すら凌駕する。
完全に黒衣の男を迎撃できる速度。そして位置に拳が繰り出される。
だが、男はスティックを手にしたまま、ノーマの拳を、前腕と上腕を滑らせるように絡め取る。
腕部の動きと関節の、全てを利用した流れるような動きで、自身への攻撃の軸をずらしつつ、そして絡みつくように滑り込む拳だけをノーマの顔面に叩きこむ。
だが、そこで終わらない。
固定し、動きを止めた相手の腕はそのままに、自由な左手のスティックでノーマの首裏に一撃。
そのまま後頭部に肘打ち。
返りに側頭部にも肘打ち。
返り切った左手は、既に固定されたノーマの左腕に絡みつき――
小手返し。
前面によろけるように体勢を崩したノーマの腹と腿に
後ろ蹴り二連。
ノーマの巨体が吹き飛び、そして倒れる。
ノーマの動きを追うでもなく、そのままクロスに向き直る黒衣の男。
激しい動きに汗一つ見せず、クロスの間合いへと飛び込む。
左右。
上下。
斜め。
回転するように次々と繰り出される、変幻自在にして嵐のような連打をクロスは逆手に持った剣で受ける。
受ける――。
受ける――――。
だが、異変に気付く。
(重い……!)
一撃ごとに。
明らかに重くなっている。
ビリビリと鋼鉄の剣が震える。
相手の武器は明らかに取り回しを重視したスティックであり、如何に腕力がある男だとしても載せられる威力には限度がある。
それなのに。
一撃ごとに倍加していくようにすら思えるその連打。
明らかな“異常”である。
(これ以上は、受けられない!!)
クロスの全力の斬り上げ。
黒衣の男の乱打を止め、身体ごとを吹き飛ばす渾身の一撃。
バキン!!!!!と、余りにも巨大な。まるで爆発音と錯覚するような轟音が響き、弾き飛ばされた黒衣の男はそのまま、部屋の本棚へ激突した。
本棚を完全に破壊して、木片と瓦礫がガラガラと落ちる。
男は無言で立ち上がった。
いや、それはいい。
だが――
クロスの背筋に冷たい汗が流れる。
(おかしい)
(確かに今のは全力だった)
(だが、魔法で強化されていない俺の全力だぞ?)
(あんな巨体の人間が吹き飛ぶほどの威力じゃないはずだ――)
(考えろ――。自分に都合の良い考えは捨てろ)
(やられたのは俺だ)
(やったのは奴だ)
(――では、奴は何をした!?)
答えの出ないまま、黒衣の男は再び無言で迫ってくる。




