第01話 狂犬の狂騒曲(ラプソディ) (04)
――開館二十五日目――
「少し、よろしいですか。ノーマさん」
館内を調子っぱずれな口笛と共に巡回していたノーマは、不意にヤマナシから声を掛けられた。
「どうした、ヤマナシ!! どこかに凶暴な奴でも居たか!!!」
目を輝かせながら振り返るノーマ。
「この館内に、あなたより凶暴な人間は居ません」
ぴしゃりと即答するヤマナシ。
さらに付け加える言葉をしゃべらせれば、「ただの事実です」と、言うだろう。
空気を読めないのでも天然なのでもなく、『問題のない範囲内では言うべきことは言っておく』と、いうのは彼の性分というか、趣味みたいなものだった。
そして。
言われた側のノーマは特に、というか全く気にしていなかった。
「そうか!!」
納得したように笑った。
彼の場合は天然なだけである。
「ともかく。申し訳ありませんが、付いて来てください」
「なんだなんだ?」
「受付に“帯剣した”少々妙な人物が来ていましてね」
ノーマの目が輝いた。
「おおっ!!」
なぜか嬉しそうだった。
ヤマナシはやれやれとため息をつきながら足早に進んだ。
――――
受付付近には、どこか妙な空気が流れていた。
利用客達が遠巻きに視線を送っている。
露骨ではないのだが誰も近寄ろうとはしない。
「ですから、困りますよぉ……」
ファスクスが困り顔で応対していた。
「話を聞きたいだけなんだが」
相手は青年だった。
淡い青色の短髪。
ブラウンのジャケット。
無駄のない引き締まった体躯。
そして何より目を引くのが 腰に佩はいた一本の剣。
使い込まれた鞘は傷だらけだったが、それが逆に飾りではないことを物語っている。
顔立ちは驚くほど整っていた。
だが、人目を引いているのは容姿以上に、その立ち姿は 静かに立っているだけなのに、まるで常に周囲へ意識を向けているかのような緊張感がある。
戦うことに慣れた人間の気配。
それが、この平和な美術館の中では異様だった。
「あれか!!」
ノーマが声を上げる。
ヤマナシは眼鏡の位置を指で直した。
「やれやれ……」
青年を見ながら呟く。
「まるでファンタジーの世界から出てきたような格好ですね」
そう言って受付へ歩み寄った。
「失礼」
ファスクスが助かったと言わんばかりの顔をする。
ヤマナシは青年へ向き直った。
「話は我々が伺いましょう」
一拍置く。
「代わりに、こちらも少々聞きたいことがあります」
青年の視線がヤマナシへ向いた。
「英雄機関……?」
その反応に、ヤマナシの眉が僅かに動く。
「まさか、ご存知ない?」
だが、すぐに首を振った。
「いえ、知らなくても我々の仕事に影響はありませんね。少しだけ、お時間をいただけますか?」
青年は黙って二人を見た。
ヤマナシ。
そしてノーマ。
値踏みするような沈黙。
数秒。
やがて青年は小さく頷いた。
「ああ」
その表情は変わらない。
「構わない」
――
受付から少し離れた館内の一角。
人の流れから外れた静かなスペースで、三人は向かい合って立っていた。
「なるほど」
青年は顎に手を当てる。
「つまり、あなた方英雄機関は警察――あるいは憲兵のような組織か」
得心したような口調だった。
「厳密には少し違いますが、そう理解して頂いて構いません」
「そうか」
青年は頷いた。
そして少しだけ困ったように笑う。
「しかし困ったな」
「困った?」
「“この世界では”帯剣は違法なのか?」
ヤマナシは思わず青年の腰を見る。
やはり気になるのはそこらしい。
目の前の帯剣した危険人物が、妙にズレた心配をするのでヤマナシは内心可笑しくなったが、仕事上顔には出さなかった。
「――まぁ、違法という訳ではありませんが」
ヤマナシは周囲を見回した。
「TPOの問題かと――。常に持ち歩くには“それ”は危険すぎる。フィクションならともかく、現実でそんなものを持ち歩く者はいませんよ」
「いずれにせよ。こういう美術館では控えるべきで――――」
そこでヤマナシは言葉を止めた。
違和感があった。
「……この世界?」
青年を見るヤマナシ。吸い込まれるようなライトブルーの瞳がじっと見つめ返す。
「あなたは――一体何者ですか?」
青年は決意したように静かに答える。
「俺の名前はクロス。――おそらく、あなた達が住むこの世界とは別の世界から来た人間だ」
ヤマナシは、その言葉の意味を消化できず、ただただその場に固まるしかなかった。
―
静寂を吹き飛ばしたのは、耳をつんざく悲鳴だった。
「きゃああああっ!!」
3人が振り向く。
展示スペースの中央。
そこでは二人組の男が展示品を蹴り倒しながら笑っていた。
「ハハハハ!!」
「高級品だろ!?これ!!」
床には砕けた展示物。
来館者達は距離を取り、怯えた様子で様子を窺っている。
片方の男が金属棒を振り上げた。
狙いは近くにあった石膏像。
躊躇は無い。
振り下ろされる――
「ふざけんな!」
ノーマが牙を剥いて走り出す。
だが。
それより早く、青い影がノーマの横をすり抜ける。
疾い――。
身体を倒し、流れるような動きででチンピラ二人の前に滑り込む。
同時に腰のホルダーを慣れた手つきで外していた。
バシィッ!!
振り下ろされた金属棒は、展示品の目の前。潜り込んだクロスの頭上10数㎝のところで止まった。
武器を受け止めたのは、鞘に収めたままの剣。
男が目を見開いた。
止められたことだけが驚きなのではない。
突然現れ、そして自分の両手全力の振り下ろしを止めたこの男は、片手で、そして涼しげに自分を止めている。
「な!なんだてめぇは!!?」
クロスは何も答えず、素早く剣と棒の接点を滑らせる。
自然にするりと。
気付けば剣と棒の接点は握り手のすぐ近くまで移動していた。
同時に剣の握り手で男の棒の握り手を掴むと、反対の手で男の肘裏を抑える。
クン――。
ほんの僅かな動き。その証拠にクロスの体勢はほとんど変わっていない。
だが。
「ぎゃああっ!?」
男の身体はまるで折りたたまれるように地べたに叩き込まれ、一瞬で動きを止められた。
周囲が静まり返る。
残る一人が我に返る。
「てめぇっ!!」
拳を振り上げて突っ込む。
だが。
その拳は途中で止まった。
いつの間にかノーマが立っていた。
片手で拳を握り潰すように掴んでいる。
男の顔が引きつった。
ノーマはゆっくりと笑う。
獣のように。
いや。
もっと質の悪い何かのように。
「いいじゃねぇか」
ノーマは拳を掴んだまま、ゆらりと笑った。
「護衛を受けたはいいが、悪がいなくて退屈してたんだ」
静かな声。
だが、その目には明確な殺意があった。
「お前らが、悪か……?」
「ひっ……!」
チンピラの顔から血の気が引く。
先ほどまでの威勢はどこにも無かった。
倒れていたもう一人も、床を這うようにして立ち上がる。
「くそが!」
「絶対に後悔させてやるぞ、クソども!!」
安い捨て台詞を吐きながら、二人は逃げるように館内から飛び出していった。
ノーマはそれを追おうとはしなかった。
代わりに、青髪の青年へ振り返る。
「お前、やるじゃねぇか!!」
楽しそうに笑う。
クロスは、鞘に収めた剣を軽く下ろした。
「お前もな」
そして、静かに続ける。
「今度は逆に、俺の方からあなた方に聞きたいことがある」
一拍置く。
「すまないが、警備のついででいい。教えてくれ」
――
――数分後。
美術館から少し離れた路地裏。
先ほど逃げ出したチンピラの片方が、荒い息をつきながら端末を握り締めていた。
「……ああ、そうだ! 美術館だよ! メモリーズアークってとこ!」
苛立ちと恐怖で声が上擦っている。
「展示品ぶっ壊してほしい。あと警護の奴らもだ! 金髪のヤバい男と、青い髪の剣持った奴!」
端末の向こう側から返ってきたのは、驚くほど丁寧な声だった。
『ご依頼ありがとうございます。内容を確認いたします』
落ち着いた、品のある女性の声。
まるで通販窓口のような事務的な調子だった。
『ご依頼内容は、施設内展示物の破壊行為、および対象警備員二名への暴力的制圧。こちらでお間違いございませんか?』
「あ、ああ! それだ!」
『承知いたしました。前金として十万リラ。成功報酬として二十万リラを頂戴いたします』
「高ぇな……!」
『なお、依頼達成の過程で英雄機関所属ヒーローとの戦闘が必要となった場合、追加で二十万リラが発生いたします』
「ヒーロー……」
チンピラは、ノーマの笑みを思い出して顔を歪めた。
「……払う。払うからやれ」
『ありがとうございます』
電話口の声は、最後まで穏やかだった。
『それでは、クライシスゲートへの正式依頼として受理いたします。前金の振り込みが確認でき次第、15分以内に当社の戦闘員が向かいます』
『以上ですが、何かご不明な点等ございますか?』
「いいよ!!今振り込んだから、とっとと来いや!!!!」
『承知いたしました。しばらくお待ちください』
通話が切れる。
チンピラは端末を握り締めたまま、引き攣った笑みを浮かべた。
「ざまぁみろ……」
――
――場面は戻り、メモリーズアーク館内。
ノーマ、ヤマナシ、クロスの三人は、人の流れから少し外れた展示室の隅に立っていた。
もちろん、警戒は解いていない。
ヤマナシは周囲に視線を配りながら、改めてクロスへ向き直る。
「トラブルはありましたが、おかげで解決しました。礼を言います、クロスさん。
そして、早速で申し訳ありませんが話を戻しましょう。異世界人――というのはどういう意味ですか?」
聞き返す声には、隠しきれない困惑が滲んでいた。
「ああ――」
クロスは静かに頷く。
「あなた方にも分かりやすく言うなら、そういう言い方になると思う」
「いや……」
ヤマナシは眼鏡の位置を直す。
「私も英雄機関の職員として、妙な話や不思議な話はそれなりに耳にしてきましたが」
そこで少し間を置く。
「異世界というのは、また随分と荒唐無稽ですね」
「――同意する。俺も、そう思う」
クロスは静かに肯定した。
「だが、異世界だと判断できる根拠はいくつかある」
彼は展示室の外を見やる。
「まず文明レベルが違う。俺のいた世界と比べて、ここは数段階は上だ」
「衣服。建物。道具。店に並ぶ品々」
「形も質も、まるで複製されたかのように揃っている」
ヤマナシは黙って聞いている。
「明らかに大量生産されている。俺のいた世界に、そこまでの技術は無い」
そして。
クロスは少しだけ視線を落とした。
「決定的なのは――」
「魔法が使えないことだな」
「魔法?」
ヤマナシが眉を上げる。
「魔法、魔術、魔石術。呼び名は様々だが」
クロスは淡々と続ける。
「マナとエーテルによって構成するその技術が、俺達の世界には当たり前にあった」
「俺たちの世界では、子どもから大人まで、当たり前に使える技術だったが。ここに来てから何度か試そうとして分かった。この世界で魔法を使うことは不可能だ」
ヤマナシは少し考え込む。
「魔法。言葉の意味は分かります」
慎重に言葉を選ぶ。
「おそらく、あなたの言う魔法を、我々は正しく想像イメージすることもできる」
「ですが、我々にとってそれはフィクションの領域です」
クロスを見る。
「しかし、それがあなたの言うように技術であるなら、この世界で使えない理由は無いのでは?」
作り話ではないか。
あるいは錯誤ではないか。
ヤマナシはそう判断しきらず、慎重に確かめようとしていた。
クロスは、その視線を正面から受け止める。
「感じるんだ」
短く言う。
「この世界には、魔法の燃料であるマナもエーテルも存在しない」
そこで、言葉を切った。
「そして何より――」
「何より?」
ヤマナシが促す。
クロスは一瞬だけ黙った。
自分の手を見る。
何かを確かめるように。
「……いや、忘れてくれ。正直俺もわからないことだらけなんだ」
それ以上は口にしなかった。
「俄かには信じがたい話ではありますが……」
ヤマナシは腕を組む。
だが、完全に否定しているわけでもなかった。
そこへ。
「いや、信じるぜ!」
ノーマがあっさりと言った。
ヤマナシが振り向く。
「聞いても詮ないことかもしれませんが、根拠は?」
「見りゃ分かる」
ノーマは即答した。
「こんな強ぇ奴がこの辺に居るなら、今まで俺が知らねぇはずがねぇだろ!!だから異世界から来たって方が、よっぽどしっくりくるぜ」
「ほぅ」
ヤマナシは意外だという顔をしたあと、上を向いて黙り込む。
「完璧な根拠だろ!!」
「穴だらけです――が」
ヤマナシは痛恨というように四本指で額抑えて黙り込む。
「予想していたより納得してしまった自分に驚いていますよ――」
(私は感覚派では無いと勝手に思い込んでいましたが――)
そして小さく息を吐く。
「では、あなたが異世界人だという話は一旦信じるとして」
眼鏡越しにクロスを見る。
「こちら側へ来た理由に心当たりはありますか?」
「無いな」
クロスは即答した。
「世界を移動したこと自体は、実のところ初めてじゃない」
淡々とした口調だった。
だが、その内容は淡々としていない。
「ただ――」
一瞬だけ言葉を選ぶ。
「魔法の無い世界に来たのも」
「明確な目的の無い受動的な移動をしたのも」
「今回が初めてだ」
少しだけ空を見上げる。
「俺の戦いは、もう終わったはずなんだがな」
少しだけ、ほんの少しだけ哀しそうな表情をしたように見えて、ノーマが腕を組みながら尋ねる。
「お前、元の世界に戻りたいのか?」
「最終目標はそれだ」
クロスは頷いた。
「では、その前にやることがあると?」
ヤマナシが問う。
「ああ」
クロスは迷わず答えた。
「まずは、“その前にやるべき何か”を見つけることだ」
ノーマは意味が分からないと言った表情でヤマナシを見るが、ヤマナシもノーマの視線を感じて首を横に振った。
「俺がここに来たことには、おそらく理由がある」
「根拠は?」
ヤマナシが尋ねる。
クロスは少しだけ笑った。
自嘲気味に。
諦めたように。
それでいて受け入れているように。
追い縋られるもの。
逃げられないもの。
足を引かれ。
背中を押され。
そして自分という人間を形作ってきたもの。
クロスは静かに言った。
「笑えるだろ」
その笑みは苦かった。
「信じてるんだ――運命ってやつを」




