第01話 狂犬の狂騒曲(ラプソディ) (03)
ディスクラッド市第五学区。
商業エリアの一角に建つ複合商業施設は、数年前に経営者が破産したことでテナントが次々と撤退し、今では半ば廃墟のような有様だった。
しかし今日だけは違う。
巨大トレーラーから、厳重に梱包された木箱が次々と運び込まれていく。
移動美術館。
その本体である輸送車両の周囲では、作業員達が忙しなく動き回っていた。
施設正面のショーウインドウには、ファスクスが各地で集めた前衛芸術めいた奇妙なオブジェが並べられていく。
何を表現しているのか分からない。
だが、不思議と目を引く。
長い間彩りを失っていたコンクリートの建物は、二階から垂れ下がる『MEMORIES ARK』の大きな垂れ幕と、展示品の写真や解説看板によって、少しずつ別の顔へと変わっていった。
道行く人々が立ち止まる。
看板を読む。
足を止める。
ただそれだけの変化だったが、この建物にとっては数年ぶりの賑わいだった。
その様子を、少し離れた場所から三人が眺めていた。
ファスクス。
ヤマナシ。
そしてノーマ。
もっとも。
三人のうち一人だけは静かではなかったが。
「すっげぇ!!」
ノーマが声を上げる。
「デカい!! それにめっちゃ多いな!!!」
あまりにも中身の無い感想だった。
ファスクスは思わず小さく吹き出した。
「ええ」
穏やかに頷く。
「私が六年かけて集めた美術品です」
施設へ運び込まれていく木箱を見つめる。
「つまりは私の人生ですよ」
その言葉にヤマナシが目を向ける。
ファスクスは少しだけ目を細めた。
「大災厄後から始まった人生の半分以上を費やして集めた宝物です」
「価値の大小は様々ですが、私にとってはどれも紛れもない宝物ですよ」
優しい笑みだった。
ヤマナシはしばらくその横顔を見てから尋ねる。
「観覧者は多いのですか?」
ファスクスは少しだけ困ったように笑った。
「残念ながら」
首を横に振る。
「そうでもありません」
「私は以前から、美術品を愛し、その美しさに心を洗われるような人は、思ったほど多くないのではないかと感じていました」
ヤマナシが言う。
「面白みの無い人間の勝手な勘違いかもしれませんが」
「いえ」
ファスクスは静かに否定した。
「きっと皆さん、生きることに必死なのですよ」
運び込まれていく展示品へ視線を向ける。
「誰かが決めた価値を追いかける」
「金を稼ぐ」
「生活を守る」
「家族を養う」
「そうしたことに精一杯だ」
そこで少し寂しそうに笑う。
「この美術館に展示されるロストメモリーの品々は、人が生きるという意味ではほとんど価値の無い物ばかりです」
ノーマが横から口を挟む。
「価値ねぇのかよ」
「ええ」
ファスクスは笑う。
「少なくとも、お腹は膨れません」
「なるほど!」
ノーマは納得した。
ヤマナシは納得するなと言いたげな顔をした。
ファスクスは続ける。
「ですが」
そこで声に少しだけ熱が宿る。
「価値の無い物に価値を与えるのは、人の心です」
「綺麗だと思う心」
「感動する心」
「残したいと思う心」
「私は、そういうものが好きなんです」
施設の入り口を見つめる。
まだ客は居ない。
だが。
いつか訪れる誰かを待つような目だった。
「だから私は、美術品を集める」
「そして、それを人に届けるのです。この、移動図書館『メモリーズアーク』でね」
「そういう心を手にする手助けができればと――心から、そう思っていますよ」
「いい感じの台詞言うじゃねぇか!!」
ノーマは豪快に笑った。
「任せな! この俺がお前の宝物に群がる悪党共を、まとめてぶっ飛ばしてやる!!」
バンバンと遠慮なく背中を叩く。
褒めているつもりなのだろう。
だが、叩かれている側からすれば普通に痛い。
「は、ははは……」
ファスクスは身体を揺らしながら苦笑する。
「期待していますよ」
それでも、その顔はどこか嬉しそうだった。
――開館三日目――
「ほえぇぇ……」
気の抜けた感嘆の声を上げている少女がいた。歳の頃は10代前半から中盤くらいだろうか。ベージュのユーティリティベストに、同系統のショートパンツ。背負ったバックパックからはガチャガチャと音が鳴っている。
彼女の目を奪っていたのは、一体のブロンズオブジェ。
少し不格好な仮面を被った人形が、頬杖をつきながら空を眺めているようにも見える作品だった。
少女は興味深そうにその周囲をぐるぐる回る。
しゃがむ。
背伸びする。
横へ移動する。
また戻る。
フワフワとした外ハネ気味のピンク色の髪が、そのたびに揺れた。
背負った小さなバックパックのショルダーベルトをぎゅっと握りながら、真剣な顔でオブジェを観察している。
「うぅー……」
唸る。
「可愛い」
さらに唸る。
「可愛すぎる……」
「宋羅っちー」
少し後ろから声が飛んだ。
「相変わらず愉快な動きしてんね」
キャップの位置を直しながら笑う少女。
宋羅は勢いよく振り返った。
「えっ!? だってコイツ可愛くね!?」
目がキラキラしている。
指まで伸びている。
「見て見てアヤっち! この手!」
ぶんぶん指差す。
「顔でかいのに手だけちっちゃい!!」
「いやー……」
キャップの少女――アヤは少し引いた。
「私は“無い”寄りかなぁ……」
「えぇぇぇぇぇっ!!?」
宋羅は全身で驚愕した。
「嘘じゃん!!絶対可愛いじゃん!!」
オーバーリアクションで身体全身を使って抗議している宋羅に溜め息をつきながら、アヤは目を流す。
「もー、そんなに欲しいなら貰えばいいじゃん」
アヤが肩を竦める。
「え?」
宋羅が振り向く。
「このショーウィンドウくらいなら、ちょっと叩けば壊れるでしょ?」
アヤは気軽に言った。
「夜に貰いに来よーよ」
「え、いいかな?」
「駄目に決まってんだろーが!!」
「わあぁっ!?」
突如、背後から飛んできた大声にアヤが飛び上がった。
振り返る。
そこに立っていたのは。
いつの間に現れたのか分からない長身の男。
金髪。
黒いライダースーツ。
そして獣みたいな目。
「聞いたぞぉ?」
ノーマがニヤリと笑う。
「この美術館の展示品は俺が守ってる」
一歩前に出る。
「だから、盗もうとする奴は――」
シャァッ、と。
獣みたいに口を開いて鋭い犬歯を覗かせる。
「な、なんだよぉ……」
アヤが後退る。
少し離れた場所では、ヤマナシが額を押さえていた。
(流石に止めに入るべきでしょうか……)
本気で怯えている。
このままではノーマが少女達を泣かせかねない。
そう判断しかけた、その時だった。
――ペチン。
「ひぎゃっ!?」
――ペチン。
「いたぁっ!?」
二人が同時に額を押さえた。
ノーマは満足そうに腕を組む。
「分かったか!!」
ビシビシと指を鳴らす。
「本当に夜来るなよ!!」
「夜の俺は今のデコピンの二倍は痛いぞぉ!!」
何一つ安心できない警告だった。
「ちぇー」
アヤが頬を膨らませる。
「ほら、怒られたじゃん宋羅っち。行くぞー」
肩を組み、強引に連れ去ろうとする。
「バーガー屋行くぞー!」
「えー……」
宋羅が渋る。
「今月ちょっと厳しいんだよねー」
「お、まだ兄貴と喧嘩してんの?」
二人はそのまま歩き出す。
――その時。
「待て!!」
ノーマが追いかけてきた。
「うわっ、まだなんかある!?」
「これをやろう!!」
差し出されたのは、小さな花だった。
道端のどこかで摘んできたのだろう。
雑草みたいな花。
「え?」
「ん?」
二人は揃って固まった。
ノーマは満面の笑みで言う。
「(この花も)可愛いぞ!!」
しばし沈黙。
時間が止まる。
「いや、マジで困るんだけど……」
アヤが小声で呟く。
「どうすればいいのよ……」
そう言いながら宋羅を振り返るが。
「知らねー……」
宋羅も小声で返す。
「私にはセージいるし!フリーな宋羅っちが2人分貰ったらいいじゃん」
突然、危機の質が変わったことに少女は、大慌て。
「うるせー、ってか。いや、きついっす」
宋羅も手をぱたぱたと横に振って拒否の構えである。
そこへ、見るに見かねたヤマナシが歩み寄る。
「すみません、お二方」
穏やかな笑み。
「彼は単純に子どもが好きなだけなのです」
「特に深い意味はありませんので、お気になさらず。どうぞ行ってください」
「うわっ」
宋羅が一歩引いた。
「えっ」
アヤも引いた。
そして。
二人は顔を見合わせる。
次の瞬間。
タタタタタッ!!
一目散に逃げ出した。
充分に距離を取ると、宋羅はおもむろに振り返って息を吸う。
「ロリコンーーー!!」
そうして悪魔のような笑みで爆弾を投げつけて走り去る。脱兎である。
結局、ヤマナシの助け舟は泥舟であり、余計に状況が悪化していたのではあるが。
だが当のノーマは、言葉の意味すら理解していない。
ただただ満足そうにサムズアップで二人を見送っていた。
――開館13日目――
館内を巡回していたノーマは、一組の客に目を留めた。
きらびやかな貴金属の装飾品を身にまとった、年配の女性。厚く塗られた化粧のラメが煌めいて、所作は上品だが少し煩く見えるのは、彼女がいわゆる“金持ち”であることを否応無く理解できてしまうからだろうか。
そして、その隣を歩く柔らかい黒髪ショートの少年。若い。10代前半くらいだろうか。小さく、整った輪郭に、澄んだ青い瞳。笑うと優しく、絶妙に《《抜けて》》見えるのが、小動物的な可愛らしさを演出ではなく、嫌味なく自然に振り撒いていた。
黒いジャケットに付けられたフードが楽しそうに歩く度に弾んで揺れる。
少年は展示品の前で立ち止まる度に目を輝かせている。
「おねえさん!コレです!コレはベルマールの深海調査団が海から引き上げたモニュメントですよ――」
小さな指で解説パネルをなぞる。
「『中心にあるのは深海の中でも、なお、輝きを失わなかった、アマダスライト!それを囲むように幾重にも配置された輪は、天体の運行を表している、いわゆるアーミラリ・スフィアのモニュメントではないかと言われている』……そうです!!」
「まぁ」
お姉さんと言うには少し年配だが、マダムは少年に応え、嬉しそうに頬へ手を当てる。
「よく知っているのねぇ」
「はい!」
少年は笑う。
「昨日も一昨日も勉強しました!」
「えらいわぁ」
「えへへ」
頭を撫でられる。
少年は少しくすぐったそうに笑いながら、目の前のオブジェを眺めていた。
⸻
雑踏。と、言うほどのこともない人の集まりの少し外れ。
同行していた婦人はトイレにでも行ったのだろう。
一人残された少年は、非常階段の踊り場付近のベンチに行儀よく腰かけていた。
そこへノーマがどかりと座る。
二人用のベンチが漫画のように軋んだ。
「わ……」
静かに驚いた声を上げて少年は、急に隣に座り込んだぶしつけな男の顔を眺める。
少し大きいが、整った目。まぶたがぱちくりと上下に動く。
ノーマは少年を見てニヤリと犬歯をのぞかせて笑う。
「よぉ」
「あ、こんにちは」
ニコッと笑いながら、ペコリと軽く頭を下げる少年。
屈託のない笑みというやつである。
少年は、そういうのが好きなご婦人方が卒倒しそうな笑顔で突然隣に座って話しかけてくる初対面の男を眺める。
普通ならばこういう場合、面倒に思うか、最悪怖いと思うものだろう。
しかし、少年はノーマをじーっと眺めている。
「すげぇな!!お前、ウチの美術品に詳しいじゃねぇか!!」
ノーマが目をつむりながら満足そうに腕を組んで言う。
「そうですか!?」
褒められたのがうれしかったのか、ぱぁーっと笑う少年。
「あれ、でも……、ウチの美術品って―-いう事は……もしかしてオーナーさんですか!?」
「違う!ノーマだ!!!」
なんだか自慢げに笑うノーマに、少年は笑うでも突っ込むでもなく、(・・_?と、小首をかしげている。
だが、一瞬の逡巡のあと、得心したように手をポンと叩く。
「お兄さんの名前?ノーマさんですか?」
「そうだ!正義の味方だ!!!」
「おー」
ぱちぱちと手を叩く少年。
「俺は、お前が気に入った!!ウチの美術品は、そのー……なんだ?価値はないが、価値があるんだ!」
また、不思議そうに小首をかしげる少年。
無理をして付き合わなくてもよいのだが、少年はただただ純粋に狂犬の話を聞いている。
「価値は人の心だそうだ!」
「腹は膨れないが、可愛かったり、きれいだったり、感動したりするぞ!!」
「へぇぇぇ……」
ノーマの説明になっていないどころか、普通の人間がそこだけ聞いたら何を言っているかもわからないことを自信満々に話しているのだが、なんだか隣に座る純朴な少年にはなにか感じ入るものがあったようである。
「俺はお前のことが気に入った!お前、なんて名前だ!!?」
「あー……。えーっとですねぇ」
少年は初めて気まずそうにノーマから目を反らすと、右頬を指で掻いた。
そのとき――
「お待たせ♡ウツロちゃん!」
少年を連れて歩いていた婦人が、ハンカチを手提げかばんに納めながら戻ってきたのを見て、少年はベンチからぴょんと飛び降りて婦人の元に駆け寄る。
「ウツロ?」
不思議そうな顔をするノーマに、苦笑いしながら少年は振り返って答える。
「僕の名前です!一応、(仮)ですけど」
たはははと頭の後ろを抑えて笑うウツロ。
「あら?ウツロちゃん、お友達?」
ウツロの手を握りながら婦人は訝しげにウツロに問うが、ウツロは「はい」と元気よく答えて夫人の手を握り返した。
「ノーマさん、僕に話しかけてくれてありがとうございました。」
婦人に連れられながら手を大きく振る。
「僕、この美術館も好きですしノーマさんも好きです!また、きっと来ますね!!」
振り返るウツロは屈託なく笑う。
ノーマという男。
その人生において向けられる感情と言えば、恐怖か、嫌悪か、せいぜい諦めくらいのものだった。
だからこそ。
こんなにも純粋な好意を向けられたのは、生まれて初めてだった。
「あら、嫉妬しちゃう。でも、私とのデート中なんだから、今はウツロちゃんは私の物よ♡」
ウツロをのぞき込んで言う婦人を見上げながらウツロも楽しそうに答える。
「はい、おねえさんの事も好きです!」
「まぁ♡」
美術館に戻っていく二人を見送りながら、ノーマは狂犬として初めて真剣に疑問を持つ。
「あいつら、どういう関係なんだ?」
それからしばらく、この狂犬の睡眠時間は幾分か削られることになった――。




