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第01話 狂犬の狂騒曲(ラプソディ) (02)

10年前――、世界は滅びた。

それは、誰もが知る事実である。


だが。具体的に何が起こったか、それを語れるものはいない。

なぜなら、この世界の人々の記憶が始まったのは、何らかのカタストロフィが終わり、世界が瓦礫の山と泥砂でいさの海に飲まれた、その後だったのだから。


理由も無く、そして過去に歩んできたはずの道も無い。

そんな空っぽの世界で、早期に失われた技術体系を復活させ、秩序を守ってきたのは『英雄機関えいゆうきかん』と、呼ばれるヒーロー達の共同組織だった。


人をまとめ、導き、そして管理する共同体が生まれるよりも早く、ヒーロー達は凄まじい速度で秩序を供給した。過去に存在した技術、叡知、記録の調査と再編纂までもを英雄機関が一手に担ったことで、10年という有り得ないスピードで、世界は復興を果たし、人類の生活域を『取り戻した』。


大災厄後の10年における人類の版図はんとの拡大は、英雄機関の勢力の拡大と同義である。

今や、世界の中心である『グラン・セントラル』を管理区域とする英雄機関本部以外に、世界に分散して設置された7つの支部は、力なき市民の生活を守り、悪を砕く “秩序の城”である。


そして、グラン・セントラルの隣に位置するディスクラッド市を管轄区域とする『英雄機関 第一支部』。

物語は、ここから始まる――。



――――



 第一支部の支部長室は、所謂クラシックな造りだ。


 木造きづくりの、シンプルながら重厚な造り。

 控えめな色彩の絨毯が床を覆い、余計な装飾は少ない。


 大きな窓にはカーテンも無く、第一支部が守るべきディスクラッド市の街並みを一望できる。


 窓際には立派な執務机。


 だが、その威厳は机の上に積み上がった書類の山によって台無しになっていた。


 大きな決裁箱から溢れ出した書類は、机の上いっぱいに広がっている。


 ダン!


 その机に、緑色の拳が叩きつけられた。


 コップが跳ねる。


 書類が揺れる。


「吾輩、言ったよねぇ!?」


 怒号。


「敵はたかだか“銃火器で武装した程度の”普通のヴィランだって!!! 英雄因子による能力強化だけで充分対応できたでしょ!!! なんで能力全開にして部屋吹き飛ばしてんの!!!!!!」


 叫んでいるのは全身緑タイツにイグアナマスクという、どう見ても変質者かヴィランにしか見えない男。


 しかし彼はれっきとしたヒーローであり、そして英雄機関第一支部長――グリーンイグアナその人であった。


 大口を開け、長い舌をウェーブさせながら抗議するイグアナ。


 対して、その目前に立つ黒いライダースーツ姿の金髪の男は、鋭い目を緩やかに閉じ、腕を組んだまま人差し指をチチチと振る。


「ライオンは兎を狩る時も全力を出すって言うじゃねぇか」


 ニヤリ。


「俺はどんな時も手を抜かず、そして油断もしねぇ男だぜ!」


 自信満々だった。


 もちろん冗談ではない。


 彼は本気でそう思っている。


 ――


 昨日さくじつの武装ヴィラン集団によるエンリコ・リッコ誘拐事件は、第一支部にとって久しぶりのまともな臨時収入が望める依頼だった。


 100万リラという依頼料は決して高額ではない。


 だが、それでも棚上げになっていた老朽設備の修繕を一つか二つは行える程度の規模ではあった。


 奪還対象の安全確保こそ前提ではあるものの、相手は20名強のヴィラン集団。


 英雄機関のヒーローにとっては、本来まったく難しくない依頼である。


 ――本来ならば。


 あの夜。


 テンションが上がりに上がったノーマは、自身の英雄因子《雷葬行路デッドエンド・ジャーニー》を全開にして戦闘を開始した。


 結果。


 身体から迸る電撃は、湿気と埃に満ちた室内で暴走。


 大規模な放電現象を引き起こした。


「そのせいでなぁ……そのせいでなぁ……」


 イグアナの肩が震える。


「護衛対象のドラ息子エンリコまで火傷しただろうが!! ねぇ!? シエナ氏!?」


 唾を飛ばしながら振り向く。


 その視線の先には、長いブラウンヘアを揺らす美女がいた。


 英雄機関第一支部主任秘書官――シエナ。


 彼女は付箋だらけのファイルをめくりながら、ため息混じりに答える。


「幸い後遺症も無い軽傷でしたが……依頼主クライアントは相当にお怒りでした」


「俺の電撃を受けてその程度で済んで良かったじゃねぇか!」


 パチパチ。


 ノーマは顔の前で可愛らしく拍手した。


 この男は取り繕わない。


 というより、取り繕うという発想そのものが無い。


 本気でそう思っている。


 イグアナは机に両手をつき、大きく身を乗り出した。


 そして肺いっぱいに空気を吸い込む。


「馬鹿ーーーー!!!!!!!!!!」


 空気が震えた。


 シエナは額を押さえる。


 ノーマはなおも拍手を続ける。


 第一支部の口座に振り込まれたのは、当初の百分の一にも満たない金額。


 もはや報酬ですらなく、必要経費に近い。


 修繕予定だった設備は、今日も修繕を棚上げされた。


 うららかな朝の陽射し。


 窓の外には平和なディスクラッド市の景色。


 ――今日も第一支部は、平常運転である。



――――



コンコン――。


 支部長室に控えめなノックが響き、全員の動きがぴたりと止まった。


 イグアナは咳払いをひとつ。


 さっきまで机を叩いていたとは思えない速度で姿勢を正し、顎の下で指を組む。


「どうぞ――」


 シエナが透き通った声で応じる。


「失礼します」


 聞き慣れた落ち着いた声。


 ガチャリ、とドアノブが回った。


 入室してきたのは、ピシリとしたスーツに身を包んだ男。


 英雄機関第一支部事務取扱主管兼支部長秘書官――ヤマナシである。


 そして、その後ろ。


 もう一人の来訪者が、おどおどとした様子で室内を見回しながら続いて入ってきた。


 イグアナは顎の下で指を絡めたまま、その男を見つめる。


 相手を値踏みするような目を装いながら、実際には自分が最も格好良く見える指の角度を微調整していた。


 対して。


 ファスクスと呼ばれる男は困惑していた。


 怒鳴り声の余韻が残る室内。


 額を押さえる美女秘書。


 拍手を続ける金髪の狂人。


 そして妙なポーズを決めている緑色の支部長。


 第一印象は最悪だった。


「ヤマナシ氏、そちらの方は?」


 イグアナが静かに尋ねる。


 ヤマナシは手のひらを上へ向け、来訪者を示した。


「支部長。この方のお名前はファスクス・アルディーニ氏」


 一拍置く。


「我々の新たなクライアントです」



――――


 「美術品の護衛任務……ですか?」


 部屋にイグアナの頓狂な声が響いた。


 カチャリ、と上品な陶器の音が鳴る。


 ファスクスは静かにコーヒーカップを応接机へ戻し、ゆっくりと頷いた。


「ええ。私、流れの美術商でしてね」


 柔らかな笑み。


「ナバリの禁踏区域調査団に同行し、大災厄以前の美術品を収集しております。もっとも、私のような人間のところへ回ってくるのは、修繕が必要なガラクタ同然の品ばかりですが」


 少し肩を竦める。


「それを修繕し、美しく磨き上げ、価値を理解してくださる方へ販売していたのです」


「していた?」


 イグアナが首を傾げる。


「今は違うと?」


「ええ」


 ファスクスは静かに答えた。


「最初は私も生活のために金持ちへ売っていました。しかし次第に思ったのです」


 窓の外へ目を向ける。


「それでは一部の権力者や、金を持っている“だけ”の人々にしか、この美しさを知っていただけないのではないか、と」


 その声には本物の熱があった。


「私が集めるのは、大災厄以前に生み出された芸術品。いわゆるロストメモリーの産物です」


「この世界の誰もが過去を失った今だからこそ、かつて人類が生み出した美しいものを、多くの人に見ていただきたい」


 そこで微笑む。


「故に私は、移動美術館『メモリーズアーク』を営んでおります」


「記憶の方舟ですか」


 ヤマナシが感心したように頷く。


「洒落た名前ですね」


 そして続ける。


「移動美術館ということは、ディスクラッド市へ来られたのも最近ですか?」


「ええ」


 ファスクスは頷いた。


「つい先日までは第六支部管轄区域ネフログラートに。その前は第二支部管轄区域ラ・グラシアにおりました」


「ラ・グラシアは比較的治安が良いと聞きますが……」


 シエナが言いかける。


「ネフログラートは、少々物騒ですね」


 ファスクスは苦笑した。


「ええ。ネフログラートではもちろんですが……実はラ・グラシアでも色々ありましてね」


「美術品窃盗。展示品の破壊。観覧者による悪ふざけ。そして強盗まがいの持ち去り」


 表情が少しだけ曇る。


「私の判断ミスでした。英雄機関ではなく、自警団や地元マフィアへ警護を依頼していたのですが……」


 首を横に振る。


「正直、彼らは何の役にも立たなかった」


「命懸けで集めた芸術品を、いくつも失いました」


「許せねぇな!!!」


 突然ノーマが叫ぶ。


「悪はぶっ潰す!!!」


 バシン、と拳を打ち鳴らした。


「ノーマ!ステイ!」


 即座にイグアナが制止する。


「それで、今回の依頼というのは?」


「はい」


 ファスクスは背筋を正した。


「これまで英雄機関へ依頼しなかった私が間違っていました」


 そして頭を下げる。


「どうか、この街での展示期間――一ヶ月半の間、メモリーズアークの警護をお願いしたいのです」


「任せろ!!」


 ノーマが身を乗り出す。


「俺が全部ぶち壊――」


「ふがっ」


 イグアナの手が口を塞いだ。


「お前は絶対ダメ!!!」


「ふがっ!?」


「美術品の護衛なんて繊細な仕事、お前だけには無理だ!!今壊すって言ったろうが!!」


「ふが!任せろ!ふが!俺に不可能は無ぇ!ふが!」


「説得力が無い!!」


 イグアナの悲鳴が響く。


 ヤマナシは何事も無かったように資料を捲った。


「しかしノーマさんを外すとなると、出動できるのは支部長だけになります」


「流石に一ヶ月半付きっきりは予定的に厳しいですね」


「何とかなりませんか?」


 ファスクスの表情が初めて真剣になる。


「今回、私は生涯最大の宝を展示する予定なのです」


 一同の視線が集まる。


「『カルマのグラス』」


 静かにその名を告げた。


「セントラルのオークションで十億リラの値が付いた一級の美術品です」


「じゅ、十億リラぁぁぁぁ!?」


 イグアナが立ち上がった。


「そんな高額な品を!?」


「ええ」


 ファスクスは頷く。


「高額すぎるが故に、今までは展示すら見送っていました」


「ですが私は、この美しさを多くの人に見ていただきたい」


 胸に手を当てる。


「例え莫大な依頼料を支払うことになったとしても」


 ヤマナシが資料を閉じた。


「ファスクス様は今回、一ヶ月半の依頼料として二百万リラをご提示くださっています」


「単純な警護依頼としては十分な額です」


「私は元商人です」


 ファスクスは静かに言った。


「プロの仕事を、不当に値切ることは致しません」


 そして立ち上がり、深々と頭を下げる。


「どうか、私の夢をこの街で叶えさせてください」


 イグアナは困ったように頭を掻いた。


「しかしなぁ……」


「今の第一支部で長期護衛に出せるのは、この乱暴者しかおらんのだが……」


「何だとォ!?」


 ノーマが即座に反応した。


「誰が乱暴者だ!!俺が悪みたいじゃねぇか!!俺は正義だァァァ!!」


 そして。


 気が付けばイグアナはアルゼンチン・バックブリーカーで担ぎ上げられていた。


「ぬぉおおおおおお!!!」


「証明完了ォォォォォ!!!」


 上下に揺さぶられる支部長。


 頭を抱えるシエナ。


 無表情のヤマナシ。


 そして。


 ヤマナシはファスクスへ視線を向けた。


「……よろしいので?」


 ファスクスは少し呆気に取られたようにその光景を眺めていた。


 だが、やがて小さく笑う。


「……はい」


 その視線は、何故かノーマへ向いていた。


「お願いします」


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