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第01話 狂犬の狂騒曲(ラプソディ) (01)



 深く暗い藍色の夜空を、無軌道に屹立する街の投光が静かに灼いている。


 ディスクラッド市。


 英雄機関第一支部の管轄区域――その一角には、完成間近で建設が放棄された無人ビルがあった。


 資材供給の停止。

 施主の夜逃げ。

 大災厄から十年しか経っていないこの世界では、そんな話は珍しくもない。


 ほんの僅かな期間で不自然なほど発展したこの街は、その新陳代謝の裏に、多くの残骸を置き去りにしたままだった。


 鉄骨剥き出しの室内。


 割れた窓から吹き込む夜風が、埃とコンクリートの臭いを薄く攫っていく。


 その部屋の中央で、若い男は後ろ手を縛られ、床へ転がされていた。


 顔は恐怖と焦りで引き攣っている。


 だが、仕立ての良いスーツ。

 指に嵌められた高価な指輪。

 腕時計。

 靴。


 どれを取っても、彼が上流階級の人間であることを隠しきれていなかった。


 エンリコ・リッコ。

 

 ディスクラッド市の有力者の一人――リッコ商会会長、ガルド・リッコの息子にして、将来の後継者。


 順風満帆な人生を歩んできた男だった。


 少なくとも、今日までは。


 今の彼は、拳銃や小銃で武装した複数のヴィラン達に囲まれ、父親から金を引き出すための“道具”にされている。


 エンリコの正面で、目付きの悪い男が深くしゃがみ込んでいた。


 手にした拳銃の頭で、コツ、コツ、と床を叩く。


 男は、ねめつけるようにエンリコを見た。


「よぉ、あんた。知ってるよなぁ?」


 擦れた声。


「この世界は、たった十年前に一回滅んじまったらしい」


 エンリコは慌てて何度も首を縦に振る。


 今は逆らわない方がいい。

 本能的にそう理解していた。


 部屋の隅で小銃を抱えた別のヴィランが、呆れたように笑う。


「また始まったか? シルバの“説教強盗”」


「うるせぇ」


 短く吐き捨てると、シルバと呼ばれた男は再びエンリコへ向き直った。


「世界中の連中がよぉ、記憶を無くして、瓦礫と廃墟だらけの街へ放り出された」


 コツ、コツ、と拳銃で床を叩く。


「一度滅んだこの世界じゃあ、すくな〜いパイを、街のみんなで喰い合って生き残らなきゃならねぇんだ」


 薄暗い部屋の中で、シルバの目だけが妙にぎらついて見えた。


「分かるか? “みんな”だ」


 エンリコはまた頷く。


「だってのに、お前とお前の親父は、そのルールからはみでちまってる」


 シルバは鼻で笑った。


「そりゃあ、いかんだろ?」


 ガチャリ――と、撃鉄が起こされる音。


 冷たい拳銃の銃口が、エンリコの額へ押し付けられた。


「や、や、やめてくれ……!」


 エンリコの声が裏返る。


「ぼ、ぼ、僕を傷つけたら、父が黙ってないぞ……!! き、きっと、父が雇ったヒーローがすぐに来る!!」


 半泣きになりながら叫ぶエンリコの頭を、シルバが拳銃を持ってない方の平手で強く叩いた。


「痛いーーー!」


 エンリコが呻く。


 シルバは湿った笑みを浮かべたまま、ぐっと顔を近づける。


「ヒーロー、ヒーロー。うるさいったらねぇなぁ」


 鼻で笑う。


「まぁ、お前さんが夢見たくなる気持ちも分かるぜ? 英雄機関と、そこのヒーロー共が取り仕切ってる“今の時代”ってやつは、俺達ヴィランにとっちゃ少々生きづれぇ時代だ」


 周囲のヴィラン達が、くつくつと笑う。


「なんせ、ヒーロー共は強ぇ上に、容赦もねぇ」


 シルバは肩を竦める。


「だがなぁ――」


 そこで声色が変わった。


「この街の犯罪率が高ぇ理由、知ってるか?」


 エンリコは震えながら首を横に振る。


 シルバはニヤリと口元を歪めた。


「このディスクラッド市を仕切ってる第一支部はなぁ、ヒーローがたった一人しかいねぇ」


 部屋の隅にいたヴィランの一人が、馬鹿にしたように吹き出す。


「しかも依頼の解決率は最低。ダメダメ支部だって噂だ」


「そういうこった」


 シルバは笑ったまま続ける。


「それに、このビルには俺の仲間が武装して各階に待ち構えてる。第二支部のヒーローが来たって敵じゃねぇ」


 その声には、安っぽい虚勢だけではない、自信が滲んでいた。


「お前さんが祈るべきなのはなぁ――」


 銃口が、エンリコの額へぐり、と押し込まれ、一層低い声になったシルバは表情を消して凄む。


「お前のケチな親父が、お前の命の値段――二千万リラを、俺達の機嫌が良いうちに持って来てくれることだけだ」


 ――ザザッ。


 突然、耳障りなノイズがインカムへ混じり始めた。


 シルバは眉を顰め、耳元の通信機を乱暴に叩く。


「なんだぁ? 故障かぁ?」


 直後、別のヴィランが顔を上げた。


「シルバ。下階から強力な電磁パルスみてぇな反応が――」


「あぁん? なんでそんなも――」


 言葉は最後まで続かなかった。


 轟音。


 背後の床が、眩い閃光と共に爆ぜた。


 モルタルとコンクリート片が吹き飛び、粉塵が室内へ一気に噴き上がる。


 舞い散る破片。


 視界を覆う灰色の煙。


 熱を孕んだ空気が渦を巻き、ヴィラン達は反射的に身を引いた。


 理解が追いつかない。


 何が起きたのか分からないまま、その場の全員が硬直する。


 その時だった。


 ――パリッ。


 粉塵の向こう側で、アーク放電の音が鳴る。


 白青色の火花が、煙の奥で断続的に瞬いた。


 次の瞬間。


 煙の中から伸びた腕が、横薙ぎに振り払われる。


 爆風。


 粉塵のカーテンが吹き飛び、その向こうに立つ男の姿が露わになった。


 黒いライダースーツ。


 肌へ張り付くインナー越しにも分かる、異様な筋肉の隆起。


 長身。


 獣じみた鋭い目。


 そして、口を開けば覗く白く尖った歯。


 長い金髪を荒々しく靡かせながら、男はこの場の空気そのものを喰い破るような声で笑った。


「正義は……正義はどこだぁ!!! ワハハハハハ!!!!」


「な、なんだ、てめェは!?」


 シルバが動揺しながら拳銃を構える。


 周囲のヴィラン達も、少し遅れて慌てて銃口を向けた。


 ガチャリ、と無数の機械音。


 だが。


 眼前の男は、一切臆した様子もなく笑っている。


 むしろ嬉しそうだった。


「聞かれたんなら、答えるしかネェなァ!!」


 男は両腕を広げる。


「俺の名はノーマ!! 英雄機関・第一支部所属ヒーロー!!」


 バチバチと電流が身体を走る。


「人呼んで――『金の強犬きょうけん』たぁ、俺のことよ!!!」


 雷光。


 狂ったような笑い声。


「ヒャハハハハハ!!!! さぁ悪党ども!! 俺の正義を数えなァ!!!」


 調子外れの高笑い。


 安っぽい見栄。


 そして、噛み付かんばかりの獣性。


 本来なら即座に引き金を引くべきだったヴィラン達ですら、その異様さに一瞬動きを止めていた。


 助けが来たと安堵するはずのエンリコでさえ、口を半開きにしたまま固まっている。


(こ、これが……)


 喉がひくつく。


(この変な男が、第一支部のヒーロー……?)


シルバは、ようやく我に返ったように拳銃を構えた。


「テ、テメェがヒーローってんなら笑える冗談だ!! 死ねや!!!」


 ――パリッ。


 金色の火花が瞬いた。


 次の瞬間には、離れていたはずのノーマが眼前へ立っていた。


「――は?」


 シルバの視界が止まる。


 ノーマの片手が、拳銃のスライド部分をがっしりと掴んでいた。


 異常な速度。


 いや、“速い”という認識すら追いつかない。


(な、速――――)


 思考が最後まで形になる前に、ノーマの拳が振り抜かれた。


 バチィッ!!!


 雷光。


 電撃を纏った拳がシルバの顔面へ叩き込まれる。


 シルバの身体は地面と平行に吹き飛び、そのまま壁へ激突した。


 コンクリートがひび割れ、鈍い衝突音が室内へ響く。


「がっ……!!」


 崩れ落ちるシルバ。


 ヴィラン達がどよめいた。


「あ、あいつの身体から出る電撃……!!」


「あの常識外の速さ……!!」


「まさか、本当にヒーローだってのか!?」


 誰かが、怯えた声で呟く。


「本当に、“アレ”を持ってやがるってのか……!?」


 ノーマは笑っていた。


 獲物を前にした猛獣のように。


 その身体から、淡い金色の光が立ち上る。


 直後。


 バリバリバリバリッ!!!


 これまでとは比較にならないほど強烈な電撃が、全身を覆うように迸った。


 空気が焦げる。


 床が焼ける。


 室内の照明が激しく明滅した。


 ノーマは、掌と拳を胸元で勢いよく打ち合わせる。


 ――バシン!!


 火花。


 そして。


 自称ヒーローは、邪悪な笑みを浮かべた。


「英雄因子――――」

……………

 ギラついた瞳がヴィラン達を舐め回す。


「《雷葬行路デッドエンド・ジャーニー》!!!」


 金色の雷光が爆発的に膨れ上がる。


「上げてくぜェ!!! テンションをよぉお!!!」


 ノーマはビシリと指を指してニヤリと笑う。


「てめぇらまとめてぇ!!! ぶっ飛ばす!!!!」


 次の瞬間。


 激しい雷光が、室内を呑み込んだ。




――――――




 土煙が、時折吹き抜ける風に巻き上げられて踊る。


 壊れかけた街路灯が、頼りなく明滅を繰り返しながら、薄暗い路地裏を照らしていた。


 ノーマがヴィラン相手に大立ち回りを演じている廃ビルの周囲には、すでにトラロープが張り巡らされている。


 唯一の出入り口付近には、僅かな人数ながらも緊張した面持ちの職員達が配置され、内部の様子を窺っていた。


 そして、そのさらに外側。


 廃ビル全体を見渡せる程度に離れた場所に、二人の男が立っている。


 一人は、丁寧に整えられた上下のスーツに、きっちり締められたネクタイ。


 ポマードで固めた清潔感のある髪型。

 細長い金属フレームの眼鏡。


 無闇に着飾ってはいない。

 だが、その姿は彼を“隙のないインテリ”だと印象付けるには十分だった。


 男――ヤマナシは、手にしたバインダーの資料を捲りながら、隣の人物へ視線を向ける。


「……支部長。グリーンイグアナ支部長。本当に大丈夫でしょうか、ノーマは」


 隣に立つ支部長と呼ばれた男は、全身ピチピチの緑色タイツ姿だった。


 尾てい骨の辺りからは、爬虫類じみた長い尾がだらりと垂れ下がっている。


 顔には、妙に半端なデフォルメが施された、不細工なイグアナのマスク。


 ギョロついた目。

 時折、口元から覗く長い舌がチロチロと空気を舐める。


 グリーンイグアナは腕を組み、難しげな顔で虚空を見つめていた。


「奴は狂犬だからな。無論、不安はある」


 重々しく頷く。


「だが、仕方あるまい。なにせ我が栄えある第一支部には、まともに戦力として数えられるヒーローが、支部長である吾輩以外におらんのだ」


 ふん、と鼻を鳴らした。


「非正規ヒーローだろうが、狂犬だろうが、上手く使う。それが有能な指揮官というものだよ、ヤマナシ氏」


 ふんぞり返るイグアナを横目に、ヤマナシは再び資料へ視線を落とした。


「しかし今回の依頼、久しぶりのまともな報酬ですね」


「まともなものか」


 イグアナは即座に吐き捨てる。


「リッコ商会会長――あのタヌキ男。たった二千万リラの身代金を出し渋った上に、我々への依頼料は値切りに値切って百万リラだぞ?」


 憤慨したように指を突き付けた。


「つまり何かね!? 我々の命懸けの仕事は、最新携帯端末三台分! あるいはコンビニのパック酒換算で千本程度の価値しかないと思われているわけだ!!」


 俗っぽすぎる例えに、ヤマナシは思わず小さく吹き出す。


「まぁ、舐められていると言えばそうかもしれません」


 資料を閉じながら、静かに続ける。


「ですが、それはそれで良きに働いたとも言えます。第二支部や第四支部の平均出動単価なら、もしかしたら“人質の救出自体を諦めていた”可能性もありますから」


 イグアナは深々と溜息を吐いた。


「子ども――しかも後継者相手でも、そこまで損得勘定するのか」


「正しい商人、正しい価値判断です」


 ヤマナシは淡々と答える。


「人質本人の人格や能力については、我々の知るところではありません。ですが、一つだけ確かなことがあります」


 壊れかけたビルを見上げた。


「ガルド・リッコという男は、そうした判断を積み重ねて、大災厄後の混乱を生き延び、財を築いたということです」


 そして。


 ヤマナシは、僅かに口元を緩めた。


「今回は、我々が“舐められていた”からこそ、我々も、そして人質の彼も助かった――そういうことですね」


「やれやれ、ふざけた奴だ……」


 イグアナは呆れたように肩を竦めた。


「とはいえ、ヤマナシ氏の言うとおり、我々にとっては旨い話にもなる。たかだか“銃で武装した程度”のヴィランが二ダース程度なら、ノーマの敵ではない」


「ええ」


 ヤマナシは資料を一枚捲る。


「本来、英雄機関のヒーローだけにインプラントを許された異能の源泉。奇跡を齎す数センチ大の半導体チップ――英雄因子」


 眼鏡のブリッジを中指で押し上げる。


「彼の身体に組み込まれたそれは、ランクにしてB+。本来なら支部長級が所有するレベルの強力な因子です」


「個の強さなら、この吾輩にも匹敵す――」


「遥かに凌駕します」


 即答だった。


 イグアナは、ノーマが暴れている廃ビル三階の窓を眺めたまま固まる。


 ヤマナシは何事もなかったように資料へ視線を落としていた。


「……泣くぞ」


「ご自由に」


 有能だが、戦力分析において嘘はつかない。


 それがヤマナシという男である。


 イグアナは苦虫を噛み潰したような顔でヤマナシを見ていたが、すぐに気を取り直したように咳払いし、再びビルの三階を見上げた。


 時折、窓ガラスが割れる。


 中に放置されていた建材や保安用品が、勢いよく外へ飛び出して落下していく。


 割れた窓からは、やかましいヴィラン達の悲鳴や怒号が響いていた。


 その様子に、イグアナは少なからず安心したように表情を緩める。


「当初は、あの狂犬に人質救出などという繊細な仕事ができるのかと心配したものだが……どうやら何とかなりそうで良かったな」


 うむ、と大きく頷く。


「この依頼が成功すれば、少なからずリッコ商会にも恩が売れる。依頼の成功率も上がり、出動単価の査定も上がる!」


 そこで、ぐっと親指を立てた。


「吾輩の評価も上がり、そして吾輩モテモテというわけだ!!」


 ハッハッハッハッ、とわざとらしく笑いながら、イグアナはヤマナシへ振り返る。


 ――刹那。


 まばゆい閃光が、イグアナの背中を白く照らした。


 直後。


 轟音。


 廃ビル三階の全窓が一斉に吹き飛び、爆風が外へ漏れ出した。


 夜の空気を震わせる衝撃。


 遅れて、大小の礫や建材がぱらぱらと降ってくる。


 イグアナはゆっくりと振り返り、爆発して煙を上げる廃ビルを見上げた。


 後ろ手を腰の位置で組み、しばし無言で眺める。


「ヤマナシ氏――」


 肩に積もった粉塵をぱんぱんと払いながら、ヤマナシが応じる。


「はい」


「ノーマが暴れていたあのビルの三階には、確か人質もいるんじゃなかったかな」


「そのように報告を受けています」


 イグアナは目を細め、地上から爆発箇所までの階数を指差しで数え始めた。


 一階。


 二階。


 三階。


 念のため、もう一度数える。


 一階。


 二階。


 三階。


「最近、吾輩、少し視力が悪くなっていてね」


「はい」


「今、爆発したのは何階だと思う?」


「三階ですね」


 沈黙。


 次の瞬間、イグアナはクラウチングスタートの体勢を取った。


 そして、脱兎の如く現場から逃げ出そうとする。


 だが。


 その首根っこを、ヤマナシが即座に掴んだ。


「支部長」


「離せヤマナシ氏!! 吾輩は今、支部長として大局的撤退判断を――!」


「現場に戻ります」


「嫌だぁぁぁぁぁぁ!!!」


 グリーンイグアナはそのまま、ずるずると現場へ引き戻された。


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