第02話 オープニング・セレモニー Ep8-1
ウツロは、両手を前へ突き出した姿勢のまま動けなかった。
宋羅もまた、息を呑みながら二人の間を見つめている。
アリスすら、あまりのことに目を見開いたまま、しばらく動かなかった。
理解できない。
この素人に。
頼りなく、弱々しい子どもに。
私が土をつけられたなどと。
静かに俯く。
一拍。
そして――
肩が震えた。
「……っ」
笑っている。
くつくつと。
喉の奥で笑う。
やがて。
「――あは」
「あはははははははははッ!!!!」
夜道へ響き渡る狂笑。
ゲラゲラと。
腹を抱えるように。
涙まで滲ませながら笑い続ける。
宋羅の背筋へ、冷たいものが走った。
(……)
何度か見たことがあるアリスのこの笑い。
これは笑っているんじゃない。
怒っている。
あまりにも不快な存在に対して。
もう殺すと決めた者へだけ向ける、狂ったような笑い。
アリスは笑いながら地面を蹴る。
軽く飛び上がり、そのまま音もなく着地した。
白い指先がポケットから小さなピルケースを取り出すと、
カプセルを一つ摘み、伸ばした舌の上へ乗せて呑み込む。
静寂。
一瞬だけ
世界から音が消えたようだった。
目を閉じるアリス。
美しいほど整った立ち姿。
その在り様とは裏腹に、身体の奥底で。
何かが確かに目を覚ます。
地の底で煮えたぎるマグマのような激情が。
青い前兆となって足元から立ち昇る。
紅蓮のポニーテールが、光の流れへ導かれるようにふわりと浮き上がった。
朗々と。
暴力的で、獣のような激情を一切隠そうとしない。
それなのに。舞台役者のように透き通った、美しい声で。
アリスは、自らの能力を高らかに歌い上げる。
「英雄因子――」
バウッ!!
爆発。
そうとしか形容できない音だった。
「『|我が心はかくの如く燃えて《クイーン・オブ・ザ・ナイト・アリア》!!!』」
アリスの身体から、爆発するかのような勢いで炎が噴き出す。
いや、正確には
極端に露出した《《肌という肌から》》紅蓮の炎が一斉に噴き出した。
熱風が黒いコートを巻き上げる。
宙へ舞い上がったコートは夜風へ一瞬だけ漂うと、下方から立ち上がったバーンラインに沿って裂けるように燃えて、即座に灰となって夜に溶ける。
「火……」
ウツロはそれだけ呟き、言葉を失う。
宋羅も同じだった。
使えたのか。
火。
人が文明を築くために手にした恩恵。
そして、制御不能の災害。
一歩間違えれば全てを灰へ変える自然の猛威そのもの。
その圧倒的な暴力の、その威力を。
二人は本能で理解してしまった。
ウツロはアリスが見せる絶望的な暴威に、泣きそうになる、その限界すらとうに越えていた。
もはや言葉も出ない。
恐怖が大きすぎて、感動に似た何かへ変わってしまっている。
ごうごうと燃え上がる世界と空気に涙まで乾いてしまったみたいだ。
すごい……。
これが、英雄因子の戦い。
見えるだけ。
聞こえるだけ。
感じられるだけ。
そんな能力では。
付け焼刃ですらない、たまたま嵌っただけの護身術以下の技術では。
何一つ届かない。
そんなウツロの心の裡を知ってか知らずか
興奮と愉悦に濡れた表情のアリスを中心に炎が螺旋を描く。
熱せられた空気がゆらゆらと景色を歪ませ。
路肩の枯葉が舞い上がる。
息を吸う。
肺が熱い。
汗が噴き出す。
暑い。いや。熱い。
圧倒的なプレッシャー。
触れれば終わる。
ただ、それだけでゲームオーバー。
ウツロへ流れ込むあらゆる情報が。
ハーモニクスセンスが。
少年へ逃げろ、逃げろ、逃げろと囁いている。
轟!
炎を引き連れ、アリスが歩く。
アリスが多用する歩法。
踏み込みへ腕の振りと上半身の捻りを連動させた走法。
――縮地。
彼我の距離が一瞬で縮まる。
「……っ」
ウツロの時間が止まった。
「はやい……」
止まった時間の中で。
アリスは犬歯をむき出しにして笑う。
「一人目、終わりぃ♪」
燃え盛る右手が。
ウツロの首へ伸びる。
その瞬間――。
バシィッ!!
遠くからしなりながら飛来した長棍が、その腕を力強く打ち払う。
「くっ!」
炎を纏った腕が逸れる。
掴み損ねた指先が空を切った。
アリスは長棍が飛んできたその方向をねめつけながら叫ぶ。
「やっぱ、てめぇから死にてぇらしいなァ!!!!」
長棍の先。
道路を叩いた反動を利用し。
しなり、跳ねる。
腰の回転と肩の回転。
全身を使った連撃が絶え間なく襲い掛かる。
その先にいたのは宋羅だった。
顔は怖がっている。
逃げ出したくて仕方ない顔だ。
それでも、棍は止めない。
(ウツロは私を守ってくれた。)
(きっと怖かった。)
(不安だった。)
(戦うなんて嫌だったはずなのに。)
(それでも。)
(私を守ってくれた。)
(充分だ。)
(覚悟を決める時間は貰った。)
(多分。)
(私の方がお姉さんだ。……知らないけど。)
炎が揺れた。
その揺らぎに合わせてアリスの姿が消える。
「っ!」
だが、即座にウツロが気付く。
右。
違う。
左でもない。
「宋羅さんッ!!」
叫びと同時。
宋羅は反射で背中を後ろに倒しながら思い切り胸を反らせる。
ゴォォッ!!
炎を纏った貫手がさきほどまで宋羅の胸があった空間を貫く。
一瞬遅れて。
その後ろ。吹き付けられたコンクリートの法面へ向かって、
アリスの貫手から炎が爆ぜた。
吹き付けコンクリートが赤熱し、弾け飛ぶ。
内部の金網と剥き出しの山肌が露出した。
受け身を取りながら、宋羅は息を呑んだ。
(今の……)
避けていなかったら……
棍で受けていたとしても。
武器ごと身体を焼き抜かれていた。
アリスは黙って次の攻撃に移る。
放った虎爪で掌が頬を掠めそうになる。
じりじりと、それだけで焼けそうなほど痛い。
「……っ!」
少しだけ焦げた髪の臭いがする。
一撃で終わる。
終わらなくても、回復のできないダメージを負う。
その緊張感。
命のやり取りをしているという、その事実が宋羅の動きと思考を少なからず縛ってしまっていた。
アリスはリップで潤んだ唇から、舌を出して笑う。
「次は当てる。」
――
違う。
宋羅は激しいプレッシャーに止まった足を。
逃げたくなる心をむりやり整えながら、アリスに向かう。
アリスがいかに炎を纏おうが、芯となるのは人間の身体。
触れれば終わり。
それが確かに真実だとしても。
触れなければいい。
それだけのことじゃないか。
リーチのある、この棍ならば――。
宋羅は踏み込んで、腰を回す。
しなる棍が空気を裂き、連続してアリスへ叩き付けられる。
「ぐっ!」
不快そうに顔を歪めるアリス。
次は
振り抜き。
続けて
返し。
そして連続の
突き。
確かに、歴戦のヴィランであるアリスに比べれば、
少女である宋羅の技術は所詮付け焼き刃でしかない。
だからこそ、こちらが届き、あちらが届かない距離を維持し続けることだけを考えながら戦っていた。
だが。
アリスは後ろ跳びで躱す。
鉤受けで逸らす。
首を僅かに、かつ連続で振るだけで突きを避ける。
その動きには一切の無駄がない。
そして、最後の突き。
アリスは素手で棍の先端を掴んだ。
次の瞬間。
ボッ――。
掴まれた箇所から炎が走る。
「!!」
炎が木製の棍を一瞬で舐め上げ、黒く炭化させ切る前に、
アリスは燃え上がる棍を、逆に振り回して、その力で宋羅を“投げる”。
小さな宋羅の身体が宙を舞って道路沿いの樹木に向かって飛んでいく。
だが、宋羅は空中で体勢を立て直すと樹木を水平に踏み込んで滞空。
そこから、上半身と下半身を捻りながら回転しながら、リュックから次の武器を取り出す。
ガチャリ。
重たい金属音。
取り出されたのは、鎖で繋がれた三本の鋼。
三節棍。
肩。
肩甲骨。
腰。
全身を連動させた遠心力が武器へ乗る。
唸って、巻き付く。
獰猛な蛇のように軌道を変えながら。
この武器の利点は、遠心力を乗せた、巻き付くような変幻自在の打撃にある。
三つの棍が連動しながら、それぞれ異なる軌道を描く武器として、縦横無尽かつ高速に回転する。
普通なら踏み込めない。
だが、遠心力を乗せた打撃によって威力を生み出すこの武器の弱点は、超接近戦。
激しく距離を詰めるアリス。
だが、宋羅もそれを分かっていた。
距離を詰めようとするアリスへ、三節棍を即座に投げつける。
後方宙返り。
さらに手を路面へ突き、もう一度身体を跳ね上げる。
そして、宋羅が背負ったリュックから高圧ガスが噴き出した。
小さな身体がふわりと。空中で止まる。
そこから。
横へ。
斜めへ。
木の幹を、鉄柵を蹴って、走って、再び跳ぶ。
宋羅の高い運動能力が成立させる、パルクールじみた軽快さ。
未熟ながら実戦で使える程度まで叩き込まれた運足。
そして断続的に噴き出す高圧ガスが、宋羅独自の立体機動を成立させていた。
高度な身体操作術を修め、数え切れない死線を潜ったアリスですら捕まえきれない。
ノーマにも、クロスにも出来ぬ、少女だけの才能。
完璧なヒット・アンド・アウェイであった。
手を道路へつき、さらに後ろへ回転しながら距離を取る。
法面を蹴る。
ガスが身体を押し上げる。
一瞬だけ宙へ留まる。
そして、機を見て――
ズボンのポケットへ手を突っ込んだ。
取り出したのは流星錘。
錘を繋ぐ紐はアラミド繊維が編まれた難燃性だ。
(これなら……)
「!!!」
アリスは言葉を失う。
明らかに質量がおかしい。
《《巨大であるということではない》》。
そんなものが、どうやってポケットに入っていた?
宋羅は取り出した錘を振り回しながら腕へ巻き付ける。
扱いの基本動作は三節棍に似る。ただし、圧倒的にリーチはこちらが長い。
身体ごと回る。
遠心力。
重量。
回転。
鋼鉄の塊が何度もアリスへ叩き付けられる。
回避。
回避。
回避。
アリスも尋常ではない。
姿勢をゆらがせ、飛んできたものを連続で避ける。
変幻自在に見えるそれも、宋羅の肩と腕、足の動きでおおよそ軌道を読む。
だが
アリスの足が止まった。
その隙を宋羅は逃さない。
高速で周囲を駆けながら。
紐をアリスに何重にも巻き付ける。
拘束。
だが。
アリスは絡み付いた紐を掴み、その場で身体を回転させた。
巻き付いた紐が遠心力だけで解ける。
まるで、逆再生のように。
そしてチェックメイトを宣告するそのときのような
歪んだ笑顔を浮かべながら、掴んだ紐を思い切り引く。
「やべっ!」
宋羅の身体が一気に引き寄せられる。
「おーしまい」
(抱き締めてやる。死ぬまで――)
だが。
引き寄せられながら、宋羅は空いた手をリュックのサイドポケットへ突っ込んだ。
ガダンッ!!
二人の間へ巨大な防護盾が突如として現れた。
何層ものアラミド繊維を積層した、重装盾。
アリスの燃える身体と宋羅の間に巨大なシールドが挟みこまれ、すんでのところで、宋羅は助かった。
「……!」
アリスの眉が今度は怒りと不快さで深く歪む。
(はぁ!?)
明らかに宋羅の背丈を超えるサイズの巨大な盾を振り払いながら思考する。
先ほどから感じた大きな違和感。
(あんな巨大なもの、どこに持っていやがった!!!?)
いや、盾だけではない。
最初の長棍。
三節棍。
流星錘。
噴射を続ける高圧ガス。
どれもあの程度のリュックへ収まる量ではない。
(真逆!?)
アリスの脳裏を、一枚の資料が掠める。
いつだったか、クライシスゲートで目を通した英雄因子評価資料にあった“ある因子”の記憶だった。
それは、使用者の着用する衣服のポケットや鞄などの『密閉された収納空間』を、理論上は無限まで拡張する能力。
だが。
(違う!)
あれは、見かけ倒しの欠陥品だということだった。それ故に英雄機関の因子評価査定は最低のDマイナス。
収納空間だけは無限。
しかしその実、中へ入れた物は取り出せない。
この能力における無限の収納空間は、観測されないことを前提とした量子的未確定領域。
見えない。
触れられない。
確定しない。
だからこそ、現実へ『無限』という概念を成立させられる。
だが中身を探す。
見る、触る、感じる。
その全てが一つの観測だ。
観測した瞬間、無限という可能性が崩壊するのだ。
理論上は概念級だが、使い物にならない。
機能不全、使用価値無しのゴミ能力。
それ故のランク査定Dマイナス。
もし、そうだとしたら……!
なぜ、なぜ私は好きなようにやられている!!!
怒りで頭がどうにかなってしまいそう。
体温は上昇し、爆発する激情は炎よりも早く天を衝く。
(なんでだ……)
なんで、こいつは。
必要な物を要るものを取り出せる!!
なんでこんなにも持っている!!!
何故、私に見せびらかす!!!!!
最初はただのガキだった。
いつでも殺せる。
時間を掛けて壊してやろうと思った。
泣かせて。
叫ばせて。
地獄の炎を纏った腕で抱き締め。
奴の皮膚の焼ける匂いを嗅ぎながら。
ゆっくり。
ゆっくり。
炭になるまで殺してやろうと。
なのにこのガキは……!!
ギリと睨め付けるアリスの視線の先。
道路脇の木の枝へ腰掛けた宋羅が、焦ったようにリュックを漁っていた。
「あれでもない……」
「これでもない……」
次々と飛び出すのは
おやつ。
枕。
寝袋。
カップラーメン。
シャンプー。
ボディクリーム。
ソーダメーカー。
フライパン。
リュックからポンポンと飛び出て放り投げられている。
「ふざけてんじゃねぇぇぇぇぇッ!!!!」
怒号が夜山へ響く。
「あった!」
宋羅が満面の笑みを浮かべた。
銀色の小さな缶を投擲。
アリスにパァンッ!!と炸裂し、白煙が一気に吹き上がる。
その瞬間。
ボワッ!!
アリスを包む炎が、ほんの一瞬だけ。押し返された。
「……!」
アリスが目を見開く。
宋羅は努めて意地悪くにやりと笑ってみせる。ホントはいっぱいいっぱいだけど。
リン酸アンモニウム系の消火粉末を詰めた、手製の携帯型消火剤。
「携帯型消火剤。いいでしょ!」
缶を指でくるくる回しながら。
「教えてあげる、私の英雄因子」
それは思考実験だけの無限。
理論だけの無限。
観測しないことを条件として広がる無限。
見るまでは、生きているとも死んでいるとも決まらない猫の世界。
見たら終わるなら見なけりゃいいじゃん!
少女は本気でそう思っている。
自分を信じている。自分の運を信じている。だって、私はこの運があるから……兄貴の妹として生まれたんだから。
アヤと親友になれた。
そして、今。また大事で大切な仲間ができた。
だから、私はこの“運”を信じてる。
だから、私なら取り出せる。
そう、信じられる。
宋羅は汗だくのまま、精一杯の虚勢でアリスに向かって、舌を出す。
「英雄因子――《シークレット・ポケット》」




