第02話 オープニング・セレモニー EP8-2
「消えろ。貴様の居場所はもうここにはない」
兄貴は、それだけを短く告げた。
目元まで伸びた、わたしと同じ桃色の髪。
「え……?」
突然のことで、半笑いのまま固まってしまった。
でもその瞳は冗談なんかじゃなくて。
でも、本当は
――少し前から、気づいてたんだ。
クライシスゲートに入ってから、兄貴は少しずつ変わっていった。
昔みたいに笑わなくなった。
わたしとも、あまり話してくれなくなった。
でも忙しいんだろうとしか思っていなかった。
こんなことを言われるなんて、思ってもいなかった。
「話は終わりだ。荷物をまとめたら、すぐに消えろ。目障りだ」
兄貴はもう、私を見てもくれなくて。
そのまま黙って白いコートを翻してどこかに行こうとする。
その後ろを歩いていたアリスが、ほんの一瞬だけこちらを見て、意地悪そうに笑っていた。
――――
爆発現象と見紛うほどの圧倒的な火力が、夜の山道を蹂躙していた。
闇に沈んでいたはずの山中は、今や真昼のように明るい。
宋羅もウツロも。
それぞれが、それぞれの戦い方を示し、アリスに一矢を報いた。
だが、それでこの局面は打開可能になったのか。
彼我の戦力差は、本当に埋まったのか。
答えはノーである。
周囲の空間を解析し、相手の心を読み取る。
莫大な情報を下地に、一手先を導き出す。
そして無限の空間へ収納された、無限の手札。
相手の切り札に対し、常に有利な回答を取り出せる可能性のるつぼ。
それらすべてより。
ただ轟々と燃え盛る火が、なお強い。
一瞬で何もかも。一切合切決着する。
そんな不条理を、アリスは全身から吹き出し、迸らせていた。
なにより、本人はその不条理に灼かれていない。
おそらく、自身の熱も効いていない。
ウツロは額から汗を流しながら、必死に思考を巡らせる。
博士は言っていた。
『英雄因子は、脳の演算能力を利用する』と。
通常ではあり得ない現象を演算し、それを現実へ固定する。
ならば、これだけの熱量。
これだけの炎。
それを絶え間なく現実へ呼び起こし続けるには、相当な演算負荷がかかるはずだ。
しかもアリスの身体からは常時、強烈な炎が噴き出している。
「ぐぅ……っ! くそっ! ちくしょう! 舐めやがって、クソガキどもがぁ!!」
炎を纏いながら、アリスが叫んだ。
だがその声には激しい怒りに紛れて、確実で強い苦痛の色が灯っていた。
――そうだ。
すごく乱暴で、怖くて、自分がこれまで出会ったことのない種類の人だけど。
でも、この人だって人間なんだ。
怖いからって、思考を止めちゃ駄目だ。
僕は僕の戦い方で戦わなくちゃ。
宋羅さんは、僕を守ろうとしてくれている。
なら僕も僕の戦い方で、宋羅さんを守る。
「宋羅さん!!」
「わぁ!?」
宋羅の肩が跳ねる。
「僕も宋羅さんと一緒に戦います! インカムをください!」
「びくったぁあ。急におっきい声! ……でも」
宋羅は一瞬だけウツロを見る。
そして。
「うん。分かった!」
インカムを取り出し、ウツロへ投げる。
受け取ったウツロがそれを耳へ装着する。
宋羅も、残ったもう一つを付け直した。
ここからは、二人で戦う。
――――
アリスは右手を持ち上げた。
グローブの手の甲へ、唇を寄せる。
そこには小さなスロットがあり、いくつかのカプセルが収納されていた。
アリスはその一つを歯で引き抜き、噛み砕く。
すると苦痛に歪んでいたアリスの顔が、再び愉悦に満ちた。
荒れていた炎も、わずかに安定する。
一呼吸。
深く息を吸った。
ウツロは、その様子を見逃さない。
(戦いが始まってから、何度も飲んでるあの薬は……?)
「宋羅さん」
『なにー?』
「あの人が飲んでいる薬、何か知ってますか?」
『知らないよー! ほら、あれじゃね? ドーピング!』
「うーん……」
本来なら一瞬の隙さえ命取りになる死線の中。
戦闘中に薬を飲む。
あり得ないほど大きな隙だ。
それでも、あの行為をしなければならない理由がある。
ウツロは記憶を探る。
世界のことが知りたくてたくさん読んだ数々の本。
その中の一つ一つを、めくるように思い出す。
覚醒剤。
例えば、アンフェタミンやメタンフェタミン。
あるいはメチルフェニデート系。
集中力を高める。
ドーパミン濃度を調整する。
意識の揺れを小さくする。
でも違う。
視線は乱れていない。
呼吸も、薬を飲んだ直後に特別変化しているわけではない。
何より感情の色そのものは、飲む前と大きく変わっていない。
集中力を高めるための薬なら、もっと色が変わるはずだ。
(鎮痛剤……?)
いや、違う。
それよりも……もっと。
―
アリスが踏み込んだ。
震脚と打突。
二つのタイミングが完全に重なる。
完璧な一撃。
爆発音。
アリスの拳が叩き込まれた巨木が、途中からへし折れた。
「わぁっ!」
宋羅が飛び退く。
巨大な幹が軋みながら回転し、そのまま吹き飛んでいく。
宋羅は別の木へ飛び移ろうとする。
だが。
その枝が。
アリスの掌から放たれた炎弾によって吹き飛ばされた。
「うそぉ!?」
足場を失う。
体勢が崩れる。
宋羅は背中のリュックから高圧ガスを噴射した。
空中で強引に姿勢を変える。
近くの幹を蹴り。
近くの足場へ着地しようとする一瞬。
そこへアリスが飛び込んできた。
ふわりと、軽く、垂直に高く跳ぶ。
圧倒的な飛翔力と、体操選手のような圧倒的な柔軟性。
右足を高く回転させる。
旋風脚。
「わぁぁぁぁ!!」
宋羅の鼻先を炎を纏った脚が掠める。
それだけでは終わらない。
「逆足来ます!」
「えっ!?」
アリスは伸びきった脚を、そのまま地面へ叩き付けた。
そこを軸に、逆足の二撃目。
連続旋風脚。
ぶわり。
足首の軌道を追うように、炎が尾を引いて走る。
宋羅の胸元すれすれを莫大な熱量が通り過ぎた。
(今のはヤバかった……ウツロ、ありがとう!!)
アリスの連撃が始まる。
「左です!」
「もう飛んでる!」
「次、炎!」
「知ってる!」
「その木は折れます!」
「じゃあ使わない!」
アリスの拳。
宋羅が飛ぶ。
アリスの蹴り。
宋羅が潜る。
炎。
枝。
岩。
地面。
すべてを利用して逃げる宋羅へ。
ウツロが、一手先を送り続ける。
「くそがぁぁぁぁぁ!!!!」
アリスの動きが荒くなっている。
「ハァ……ッ! ハァァ……!」
息も長い。
また右手を持ち上げ、グローブの甲へ唇を寄せる。
薬を噛み砕く。
宋羅は思わず唇を噛んだ。
「また……」
「大丈夫なの、あんた。そんなに薬飲んで」
「あ……?」
アリスが笑う。
「ハ……ハハハハ!!」
ほんの一瞬。
凪。
深い呼吸。
「心配でもしてんのかぁ!? うぜぇんだよ、メスガキがぁぁぁぁぁ!!!!」
一拍。
収縮していた炎が、再び爆発するように吹き上がった。
「大丈夫かぁぁぁ!! 宋羅! ウツロ!!」
遠くから声。
クロスだった。
「僕も宋羅さんも無事です!! クロスさんは!?」
「よし!! だが、すまない! すぐには行けない!! こっちを止めるので精一杯だ!! なんとか持ちこたえろ!!」
アリスは一瞬だけ声の方を見る。
笑う。
そして、再び宋羅へ視線を戻した。
「無駄だ無駄だ。オスガキ、テメェも。メスガキ、テメェも。わたしが燃やし尽くす。あのスカした剣士はハイドが殺す」
アリスの目が赤色に輝いている。
炎が揺れる。
「今日で、おしまい。全部、終わり」
低く笑う。
「ガキの正義ごっこも。第一支部も。」
「あの人を誑かすメスガキも―――」
炎が。
跳ね上がった。
「全部殺して!!」
「燃やして!!」
「捨ててやるよぉぉぉぉぉ!!!!」
両腕を広げる。
「歌え!!!」
夜へ。
「ど派手な葬式をあげてやっからよぉぉぉぉ!!!!」
感情が爆発する。
ウツロは見る。
薬を飲んだ瞬間、凪ぐ感情の色。そこからエンジンをふかしてギアを上げて変わっていく色。
止まる炎。
消える疲労。
その後、爆発する炎。
そして、かみ砕いたカプセル。
(噛み砕いた……?)
(すぐ効かせたいのか。)
もしかして……。
カプセルの謎は多分《《あれ》》だ。
でも、なぜ?
なぜ、あれを使わないといけない?
脳の演算で炎を作る英雄因子。
そもそも、その前提が違うかもしれない。
もし、あれがそうじゃないとすれば……。
「宋羅さん!!!!」
「うわぁ!!ちょ……ちょっと、ウツロ。大声出さなくても聞こえるからぁ!!」
アリスの連撃をダブルバトンで弾きながらウツロに対して抗議する。
「ご、ごめんなさい。でも、分かりました。あの人の倒し方」
「まじ?」
「はい!」
「もっと怒らせてください!」
宋羅が一瞬絶句してから、
「えぇ!? 私、もう充分怒らせてない!?」
取り乱す宋羅にウツロが真剣に語り掛ける。
「いいですか!聞いてください。あの人の英雄因子は……」
ーーーー
宋羅を追うアリスの内面は、纏う炎のそのままに、爆発するように動いていた。
宋羅が笑う。
その笑顔を見た瞬間だった。
――妹だから。
最初はそう思っていた。
猫彦はいい男だ。強く、頭もよく、顔もいい。
わたしにぴったりの男だ。
いずれ、猫彦は、私の夫になる。
別にどうでも良いが、宋羅は私の妹になる。
だから最初は、優しくしてやった。
それなのに。
『兄貴!』
『兄貴見て!』
『兄貴、これ食べよ!』
邪魔なんだよ、ガキが。
私の前で、あの人に笑ってんじゃねぇよ。
いら立ちが募った。
あの人に笑うのは私だけなんだよ!!
まぁ、いいさ。
あの人の女は、私だ。
ガキはあの人の妹で、私の妹だ。
多めに見てやるよ。
――
ある日、猫彦の机に置かれた一冊の手帳を見た。
別にいいだろ。猫彦は私のものなんだから。
ページをめくる。
宋羅の好きな食べ物の話。ナイフとフォークを初めて使った。肉を取られた。
なんだよ、そんなもん書いておくようなことかよ。
宋羅の好きな場所。近未来ガジェット展。目を輝かせて楽しかったと笑っていた。
ガキじゃねぇか。あんなもんのどこが楽しい?
宋羅の苦手な野菜。片眼を閉じてフォークでブロッコリーをつついて食べようとしない。
ああん……?
宋羅が河原の斜面で転んで泣いた日。前を見ないからだと少し叱った話。
…。
宋羅に友達ができた話。
……。
宋羅が描いた絵の話。
………。
手帳が手から零れ落ちる。
(私は?)
再度拾い上げた手帳のページをめくる。
めくる。
めくる。
ない。
私がいない。
どこにも。
一ページも。
(なんで。)
(なんでお前ばっかり。)
(なんで。)
(私じゃない。)
そういえばよく分からないことを言っていた。
家族……?
なんだよ、それ?
生まれた時から、人間一人だろ?
一人で、大災厄あとの瓦礫で目を覚まして。
殺して、奪って、踏みつぶして、
役に立つ奴だけとつるんで、たまに裏切って。
この世界には、私と、私以外しかいねえ。
猫彦は私のモノだろ……。
なのに、なんで猫彦はメスガキしか見てねぇんだ。
あぁ、そうか。
お前が猫彦を誑かしたんだろ。
お前が。
私のモノを。
私から奪いやがったんだろうが!!!!!!!
――
炎が唸る。
「――Der Hölle Rache……」
アリスの精神が深く沈む。
ステップを踏みながらアリスの右掌が振るわれる。
軌道に沿って爆発するかのような火柱が上がる。
宋羅はガスの制動力でかわす。
「熱っ!」
熱風が頬を焼くかのような痛み。
遅れて木々が弾け飛んだ。
――激情が、炎のようにこの心臓を燃やし煮え立たせる。
炎が次々と迸り、雨のように降って揺れる。
その中をアリスがすさまじいスピードで走ってくる。
――お前を殺さなければ。絶望の炎が私を燃やし尽くしてしまうから。
速度の乗った、そのまま真空回転蹴り。
炎が円を描く。
宋羅は工事看板を取り出してその蹴りを受けて、同時に飛びのく。
そして、リュックからガスを噴き上げて空中へ。
インカムからウツロの声がする。
「右!」「おっけ!」
手刀による振り下ろし。
爆熱により、宋羅が踏み込んだ木が唐竹割りに割けて、その後に燃える。
――お前はもう、私の妹ですらない。
「手刀!下段から肩口に滑ります!!!」
手首が捻られ、軌道が変わって逆袈裟に熱が走り、炎が、ふわりと重力に逆らって浮き上がった髪を掠める。
――永遠に見捨てられろ。
獣の笑いとともに震脚を転用した移動用の踏み込み。
宋羅が放り投げた鉄球をアリスは姿勢を崩して流す。
感情が高ぶる。
炎が爆ぜる。
枝が燃え。
岩が赤熱し。
地面の砂利が爆ぜる。
――永遠に忘れられろ!
アリスの意識の片隅で、猫彦が宋羅に向かって放った言葉が反芻される。
『話は終わりだ。荷物をまとめたらすぐに消えろ。目障りだ』
ようやくだ!
ようやく捨てられた!!!
ハハ……
ハハハ……
ギャハハハハハ!!
激しく笑う。
――絆など粉々に砕け散れ!!!
アリスは、思考を細かく、素早く装飾しながら、転がすように連続して繰り返させる。
首領の野郎が、メスガキを連れ戻せなんて命令しやがったが関係ねぇ。
ようやく猫彦がこのガキをゴミにしたんだからよぉ。
――そんなものがいるのなら、神々よ、私の絶望と怒りを聞け。
思考がかすむ。限界が近い。
まだだ。
アリスは手の甲に唇をつける。
だが、出した舌は空のスロットを滑って終わる。
薬が……切れやがった。
あぁああああ、まぁ、いいさ。
――願いではなく、呪いの如く。
――あの女を焼き尽くすがいい!
このまま、ぶっ殺してやるからよぉ!!!!!!!!
空を塵や砂利や木が舞って、上空で燃える。
アリスの生み出した爆発的な熱量が上昇気流を生み出していた。
――――
時は少しだけ遡る。
「いいですか! 聞いてください!」
ウツロは、インカムへ囁くように言った。
「あの人の英雄因子は、炎を演算する因子じゃありません」
『はえ?』
アリスから視線を外さず、冷や汗を流しながら飛び回る宋羅。
『だって、めっちゃ燃えてるよ!?』
「炎そのものを、一つ一つ演算してるんじゃないんです!」
「はにゃ?」
宋羅は顎に人差し指をあて、目を泳がせながら宙を見る。
「わがった……」
分かってない。
「たぶん――燃えるという現象そのものを、ずっと自動で動かしてるんです!」
ウツロは、自分の中に蓄積した情報を高速で組み立てる。
「博士が言ってました。英雄因子は脳の演算能力を使って、普通なら起こらない現象を現実に固定するって。でも、あの人はおかしいんです」
あれだけの熱量。
あれだけの規模。
絶え間なく炎を生み出し続ける。
それなのに、あれほど複雑な体術まで寸分の狂いなく使い続けている。
「すごい人なんだってことかもしれませんけど、でも、それより納得できる答えがあるんです」
「あの人の英雄因子は多分、『怒りを燃料として、燃える世界』を現実に演算している」
「それって……何か違うの?」
「あの人は感情を燃料にして炎を出すけど、それは多分自動なんです。つまりは、自分で《《止められない》》」
一瞬。
ウツロの目に、アリスの心が見えた。
赤。
黒。
濁った赤。
怒り。
憎悪。
嫉妬。
その奥に沈んだ、本人さえ名前を知らない何か。
「怒りが炎を強くする。でも、炎を強くするために、英雄因子の方もあの人の怒りを強くしてる!」
「だから、あの人は何度も戦闘中に薬を飲んでた!」
宋羅が目を見開く。
「ドーピングじゃないの?」
「能力発動前に飲んだ薬は覚醒剤系かもしれないけど。能力発動中に飲んだものは多分……」
ウツロは断言した。
「感情を沈めるための鎮静剤と、体温を急激に下げる効果のある冷却材の混合薬です」
「能力事態の炎と熱は、あの人を焼かない。でも、あのとんでも無い欠陥があるんです」
「あの人は、皮膚から炎を出すという能力故に、汗をかけないんです!」
身体中を覆う炎。
頭部を除いた皮膚という皮膚から噴き出し続ける燃焼現象。
炎そのものは、アリスを傷つけない。
だが。
人間の身体が生み出した熱まで消してくれるわけではない。
「人間は、身体が熱くなったら汗をかいて熱を逃がす。でも、あの人はそれができない!」
激しい運動。
上昇する心拍。
高まり続ける激情。
そのすべてが体温を押し上げる。
なのに。
逃げ場がない。
「炎は効かない。でも、自分の身体の熱は別なんです!」
―――
炎が天を焼いていた。
薬は、もうない。
アリスの視界が揺れる。
「ハァ……ハァ……」
心臓がうるさい。
身体が熱い。
身体の中が煮え立っている。
「ハァッ……!」
息が吸えない。
肺が焼ける。
頭が霞む。
それでも。
メスガキは立っている。
目の前に、あの女が。
「……くそがぁ!!!高い…ところから…見下ろしてんじゃねぇぞ!!!!」
殺せ。
燃やせ。
奪われたものを取り戻せ。
「なんで、そんな目をしてやがる!!!テメェは捨てられたんだよ!!」
「……そうかもね」
宋羅はあっさりと頷いた。
アリスの炎は止まらないが、確実にアリスの顔は苦痛に歪んでいる。
「だから英雄機関に尻尾振って取り入って意趣返しかぁ?この売女が、くせぇんだよ、メスガキ!!」
沖捶。だが、明らかに精細を欠き、スピードも遅い。
後ろ飛びに躱す。
「違うよ。でも、あんたには分かんないよ」
時が止まったような感覚の中で、宋羅はアリスに話しかける。
「兄貴は変わっちゃった。突然で、びっくりして、怖かったけど。でも、兄貴とすごした過去まで消えたわけじゃない」
アリスの瞳が見開かれる。
「兄貴を信じてる。だから兄貴には理由があるって信じてる」
本当は泣きたいくらい不安だけど。
でも、信じてるって気持ちは本当だから。
言葉にしながら宋羅は自分にそう、言い聞かせる。
そして、お返しはこれからだ。
ちょっとマジでムカついてるから、これくらい許してよ。
アリス。
「私は何があっても兄貴の妹だけど」
「兄貴の恋人なんて、あんたが勝手に言ってるだけでしょ?」
目の下を指で引いて、あかんべーをする。
「兄貴はあんたのことなんて、なんとも思って無いんじゃない?」
ブチン。
アリスの中で何かが切れた。
意識はもうろうとする。
既に深部体温は危険域へ入り、意識障害や臓器不全を起こしてもおかしくない状態。
「殺す!!!!!てめぇだけは、私が死んでも、殺してやらあ!!!!」
爆発する炎。
うねりがアリスの前蹴りの方向に槍のように飛ぶ。
上空を滞空するように舞う宋羅のリュックを炎の槍がかすめる。
「やばっ!!!!!」
宋羅のリュックが割ける。
「……でも」
宋羅は、いじわるそうに笑った。
宋羅の英雄因子『シークレット・ポケット』
量子的未観測領域を利用した無限を《《観測しない》》という約束で再現する。
この能力は欠陥である。
観測しないと約束することは、
逆に言えば《《観測してはいけない》》ということである。
リュックが割け、無限を覆った布きれが、ちぎれて夜に舞う。
宋羅は人差し指をクロスさせる
「乙女の秘密。覗いちゃダメだよ♪」
瞬間。
演算された無限が、現実へ逆算される。
「な……!」
スパナが。
一本のバトンが。
工具箱が。
鍋が。
クッションが。
鉄球が。
ポテトチップスの袋が。(ごみ箱に捨てるのめんどかった)
ガスボンベ。
ぬいぐるみ。
盾。
自転車のタイヤ。
謎の置物。
ドドドドドドドドドドドドッ!!!!
「なぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!?」
夜空に
乙女の秘密の雨が降る。
武器が。
ガジェットが。
おやつが。
おもちゃが。
日用品が。
ガラクタが。
何百。
何千。
いや、数えることすら意味が無い。
「くそがぁぁぁぁぁぁぁ!!!!」
それは、まるで礫。アリスを物量で叩き、押しとどめ、多少の炎など関係ないかのように埋め尽くす。
もともともはやアリスの身体は限界だったのだ。
「くそぉ……くそがあ……」
アリスの膝が折れる。
そのまま地面へ。
倒れ――。
その直前だった。
一閃。
黒い影。
地面すれすれを滑走するように飛び込んできた黒衣の男が、倒れかけたアリスの身体を片腕で抱き止める。
黒衣。
よほど激しい戦いを繰り広げたのだと分かる傷だらけのスティック。
その背後から。
「好きにはさせない!!」
クロスの剣閃。
一撃。
ハイドは残ったスティックで受けるが、スティックが限界を迎えて折れた。
クロスの剣撃が、そのままハイドの身体へ届く。
「……!」
ハイドは剣の進行方向に沿って横回転跳びして、致命的なダメージを防ぐが、ダメージは避けられない。
黒衣の騎士への初めての、明確なダメージである。
それでもハイドは表情すら変えず、静かに耳に装備した通信端末を片手で覆う。
「……撤退命令」
一拍。
「了承」
ブーツを深く叩き込むと、アリスを抱えたままありえない高さへ飛翔する。
それは、今回のクロスとの闘い全ての “ベッドされた全攻撃力” を離脱に用いた戦場の離脱手段。黒衣の男は戦士にあらず。ただ、忠実に王の意志を敷く者なれば、勝利に拘りなく、強者との闘いの愉悦もない。
「撤退する」
黒衣は、一瞬のうちに夜へ溶けて消えた。
―――――
「勝った……」
宋羅は自分の胸を押さえて、落ち着けようとしている。
まだ、ドキドキしてるのが止まらない。
怖かった。震えている足。
そして、終わったと思った瞬間、足を支えていた意識が切れてその場にへたり込む。
「宋羅さん!!!」「宋羅!大丈夫か」
クロスとウツロが遠くから走ってきている。
「大丈夫ですか!?どこかケガしてませんか?」
心配してくれてる?
「にひひひ。大丈夫……」
ただ、力は入らない。もうしばらくはこのまま座っていたいかも。
心配そうにのぞき込むクロスとウツロ。
「それより、二人とも腕出して。ほら、手を握ってさ」
「え?こうですか?」
不思議そうに拳を握るウツロ。
クロスも拳を握って前に差し出す。
「協力して勝ったらさ、こうやんの。がーんって」
突き出された二人の拳に宋羅の拳がぶつかる。
「やった。勝ったぞってね」
宋羅はにひひと笑う。
クロスは二人がなんとか無事だったことに安心してため息をついて静かになった夜空を見た。
ウツロは宋羅が無事だったことと、笑ってくれたことに安心して、つられて笑った。
みんなボロボロだった。
英雄因子の演算と、激しい戦いの疲労で頭が重い。
でも、3人が第一支部で本当に仲間になった。
その最初の勝利だった。




