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第02話 オープニング・セレモニー Ep7-1



 あたりは、もうすっかり夜になっていた。


 世界で最も整然と整備された都市、セントラル・ヘイヴンを抜けて、第一支部の白いワゴン車は、自己管理エリア・ディスクラッド市へと戻ってきていた。


 街明かりは徐々に遠ざかり、舗装された道路は山間へ続く。

 小高い山を縫うように走るS字カーブ。


 等間隔に並んでいた街灯も一本、また一本と姿を消し、窓の外には深い森だけが広がっていた。




 木々の輪郭すら飲み込む夜の闇は、どこまでも続いているようで、不思議と人の心をざわつかせる。

 そんな景色を、助手席のウツロは窓ガラスに張りつくようにして眺めていた。


「わぁ……」


 少しだけ口を開けたまま、目だけがきらきらと輝いている。


 昼も夜も騒がしい、繁華街の喧騒しか知らなかった少年にとって、静かな夜の山は見るもの全てが新鮮だった。



 後部座席ではクロスが静かに身体を固めていた。

 夜景など見ている余裕はない。

 S字カーブを曲がるたびに車体が左右へ揺れ、そのたびに僅かに眉が寄る。



 そんなクロスの肩を枕にして、宋羅だけは幸せそうに寝言を言っていた。

「んにゃ……兄貴ぃ……プリンよこせぇ……」


 その顔だけは、平和そのものである。



 車内は静かなエンジン音だけが流れていた。






 その時だった。




「……!」

 ウツロの身体が、小さく跳ねた。


「どうしたの?」

 運転席のシエナが前を向いて、目線だけウツロにやりながら尋ねる。



 ウツロは窓の外を見たまま、小さく息を呑んだ。

「……シエナさん。」


「すぐに車を止めてください。」




「え?」

 一瞬だけ戸惑ったシエナだったが、その真剣な声に反応し、反射的にブレーキを踏み込む。


 ギギッ――!



 ワゴン車が急停止する。


「ど、どうしたの? ウツロ君」

 シエナが振り向くが、ウツロは答えない。


 狭い座席の隙間から、クロスと宋羅を確認した。


「んにゃ……ぁ」

 急停止で身体が揺れ、宋羅が眠そうに目を擦る。

「もう着いたのお?」



 まだ半分寝ている宋羅の横で、クロスがウツロの表情を見て、遅れて事態を理解する。


「シエナ。」

 静かな声だった。


「俺たちはここで降りる。」

 腰へ手を添えて、シートベルトを素早く外す。



「お前はセントラル・ヘイヴンの安全な場所まで戻れ。」



「……はい?」

 意味が分からず聞き返すシエナ。




 だが、その直後だった。


 ――ヒュウ……


 夜風とは違う。


 何かが高速で空気を裂く音。


 遠く。


 本当に遠く。


 かすかに、それが聞こえた気がした。


 クロスはドアを蹴り飛ばすように開けて地面へ飛び降りると同時、


 腰のダガーを一本抜き放ち、音のした闇の方向へ迷いなく投げた。




 次の瞬間。

 ――ドォォォォンッ!!


 夜山を裂く爆音。

 白い閃光が森を昼のように照らし、一拍遅れて爆風が木々を揺らした。


「ええっ!」


 シエナが口元を押さえる。


 宋羅も眠気が一瞬で吹き飛んだ。

「あれ……グレネード弾……?」


 パチン。と音がしてクロスが腰の剣のロックを外す。


 持ち手へ親指を掛けたまま、一歩だけ前へ出た。

「よく気付いたな、ウツロ。」


「はい……。」

 ウツロも車から降りる。


「なんだか……うっすらですけど、嫌な感じがしたから。」


 その返事を聞くより早く、


 クロスは大きく叫んだ。


「シエナ!!」

 振り返らない。


「今すぐ戻れ! 本部エリアまで退避して自分の安全を確保しろ! あとで回収を頼む!」


「は……はい!!」

 シエナは慌ててドアを閉める。


 ギアを入れ替え、転回して走り去ろうとするワゴン車だが

 クロスは見送ることなく、構えをとる。



(させるか)

 思考と同時に、クロスの親指が鍔を押した。

 



 殺気を頭で感じるのでは遅い。


 そのさらに外へ意識を置く。



 手で抜くのでは足りない。


 さらにその先に剣を置く。




 林の奥で、マズルフラッシュが夜を裂く。



 パンッ!



 携行拳銃から放たれた十ミリ弾がワゴン車に向かって一直線に飛来する。



 だが、思考より前。

 マズルフラッシュが閃く、その一瞬前に、クロスの準備は完了していた。



 意だけを捉える。


 手は添えるだけ。

 腰が回る。

 全身が捻れる。



 抜刀。


 鞘走りで加速した刃が神速の閃光となって夜を裂いた。



 キィンッ!!


 飛来した弾丸が、冷たく滑る刃で真っ二つに割れた。



 クロスの頭の後ろで、背後でタイヤが鳴き、白いワゴンが夜道を駆け抜けていく。

 何とか間に合ったが……

「難儀だな……」


 クロスが小さく息を吐く。

 この世界の武器は速くて鋭い。


 威力だけ大きいあちら側の魔法よりずっと対処しづらいな……。



――


 息をつく間もなく、林から。法面の吹き付けコンクリートを滑るようにして、銃器や近接武器で武装したたくさんの男達が姿を現す。


 全員が黒いロングコートとゴーグル付きのフルフェイスマスクを装備した武装集団。


 クロスと宋羅は彼らを知っている。

 宋羅の顔色が分かりやすく変わる。

「クライシスゲート……!!」


 それだけではない。




ふわりと。



 夜の山を照らす頼りない街灯の淡い光の中へ、黒い影が静かに舞い降りる。


 身体をひねる。


 足裏から膝へ。


 膝から股関節へ。


 股関節から腰へ。


 そして肩、肘、手首。


 全身を一本のしなやかな鎖のように連動させ、高所からの落下衝撃を余すことなく逃がす。


 着地。


 音は――ほとんど無い。


 その柔らかで羽のような着地とは裏腹に、それはコートから露出した自分の白い太ももに指ぬきグローブをはめた手を置くと、凶暴な獣のような声で見栄を切った。

「ヘイヘイヘイ!!!」


 夜気を裂くような笑い声。

「大した売女《ばいた》ぶりじゃねぇか、メスガキ」


 俯いていた紅蓮のポニーテールが、ゆっくりと振り払われてギラついた瞳と三日月のように吊り上がった口が夜の燐光に濡れる。


「家出だけじゃ飽き足らず、英雄機関のヒーローだと?」


 黒いロングコートの下。

 ボンテージにも似た露出の多い黒いインナー。

 引き締まった身体が街灯に照らされる。


 整った怜悧で美しい顔立ちが、愉悦とも怒りとも取れる凶悪な表情に歪む。


 宋羅は唇を噛む。

「……アリス」


「覚えてるよなぁ?」

 アリスは腰を折り、宋羅の鼻先まで顔を近付けた。


「前に言ったこと」

 笑っている。




「てめぇは猫彦《あのひと》の邪魔だ」


 一拍。

 囁くように告げる。

「だから――」


 笑顔が裂けた。

「邪魔なてめぇは殺すってなぁッ!!」



 ダンッ!!

 アスファルトだけが砕け散る。


 次の瞬間には拳が走る。

 いや、《《走っている。》》


 躊躇の無い、ただ殺すためだけの一撃。


 宋羅は咄嗟に両腕を交差させるが鈍い衝撃のあと、宋羅の小さな身体は軽々と吹き飛んだ。

 道路へ尻もちをつき、そのまま何度も後ろへ転がっていく。

 アリスは、戦闘者としては決して体重が多いわけでも、体格が人並み外れているわけでも無い。


 だが、彼女の打撃には彼女の体重が十全に乗っている。

 点を衝くその一撃は、例え相手が大男であっても難なく倒してのける。

 いわんや宋羅をや、である。




「宋羅!!」

 一拍遅れてクロスが動く。


 クロスが一拍遅れたのは、10人ほどの一般兵に意識のリソースを割いていたからだけではない。


 もっと巨大な "意" を夜の闇の向こうに捉えたからだ。




 ヒュウ――


 クロスの上空はるか高くから、夜空を裂く落下音が鳴る。


 見上げる暇すら無く、黒い巨体が空から降ってくる。




 人体の全重量。さらに落下速度の全てを乗せた殺人的な踵落としが、クロスの頭上に突き刺さらんとしていた。


 クロスは反射だけで剣を掲げる。


 ガァァンッ!!

 と硬質の何かとぶつかった音がして、クロスの腕へ衝撃が突き抜ける。


 脚が地面へめり込むと感じるほどの衝撃。

(重い……!!)


 だが、クロスが絶句した理由はその威力だけではない。


(抜き身の剣に……体術だと!?)

 狂っている。


 その男は黒衣を翻しながら、一言も発することなく

 ドン、と着地する。



 男は一切隙を見せない。

 そのまま静かに姿勢を整えて、クロスだけを見据える。



 そして両手にもったスティックを静かに顔の前でイクスに構えた。



「……美術館の時の」

 クロスが低く呟く。


「お前か」



 返事は無い。

 男はただ構え続ける。


 クロスは舌打ちした。


(最悪だ)




 英雄因子は埋め込んだ。


 だが――


 まだ一度も実戦で使っていない本番ぶっつけ。


 しかもよりにもよって、相手は完成されたと言っても良いレベルの戦闘者。

 因子の戦いにおいては少なくとも格上。

 格闘技術でも勝てるかどうか分からない。


 リスクが高すぎる。

 だが、俺が止めなければアイツらが……。



――




「ダメぇ!!」

 震えた声が響く。

 声の主はウツロだった。


 両手を広げて、宋羅の前へ立ちはだかっている。


 足は震えているが、それでも退かない弱者《ウツロ》に対して、アリスが呆れたように笑って言う。


「あぁ?」

 両手をコートのポケットへ突っ込んだまま近付く。


「どけよ、クソガキ」

 笑う。


「てめぇも後で殺す」

 そして宋羅を指差した。


「だが、まずは後ろのメスガキだ」



 その時だった。


 クロスと対峙したまま、

 黒衣の男が初めて口を開く。


「……忠告する」


 低く、感情の無い声。


「首領の命令は、宋羅を生きて連れ戻すことだ」


「あぁん!?」

 アリスが苛立ったように振り返る。


「分かってんよ、ハイド!」


 肩を竦める。

「分かってっから、てめぇは黙ってそのスカした剣士でも止めてろ」



「了解した」

 短い返答。



 だが、アリスは唇だけで笑った。


 ハイドには聞こえないほど小さく。

 宋羅とウツロだけへ囁く。


「……まぁ」

 笑みが深くなる。


「事故ってのは、起こるもんだよなぁ?」



 凶暴な笑みを浮かべたまま、アリスは一歩踏み出した。


 その殺意だけで、夜の空気が張り詰める。

 ウツロは思わず息を呑んだ。


 胸が苦しい。

 心臓が痛い。


 こんなにも露骨な敵意を向けられたことは、生まれて初めてだった。


 それでも宋羅を守りたいという思いで、足だけ動かなかった。


「ウツロ……」

 ふらつきながら宋羅が立ち上がる。


 胸を押さえながら、苦しそうに笑った。

「大丈夫だよ」


「私も……もうヒーローだから」




 一歩。

 庇うようにウツロの前へ出る。


「私も戦う」

 もう一度首を振る。


「ううん」

 静かに息を吸う。




「私が戦う」



 両足を肩幅に開く。


 体重を左右均等に落とした半身。


 閉じた右拳を静かに前へ置く。


 後ろ足と前足が一本の線になるよう揃え、


 へそを斜めへ向けて呼吸を整える。




 吸う。

 吐く。





 アリスはその構えを見るなり、目を見開いた。



 そして爆笑する。

「あっはははは!!」


 笑いながら、怒っている。

 矛盾したことを、確かにアリスは両立している。


「あんま喜ばせんなよ、メスガキ」

 口角が吊り上がる。


「"事故"が早めに起きちまうだろうがぁッ!!」


 まるで津波のような殺気に、宋羅の身体が勝手に反応する。



 考える前に動く。

 いや、動いてしまった。


 反応だけで繰り出された拳。

 右足を踏み込み、

 腰を捻り繰り出されるは

 最速の縦拳。


 ストレートリード。




 速い。


 だが致命的に粗い。


 力み。

 焦り。

 恐怖。

 全てが拳を曇らせる。


 宋羅とアリスの使う身体操作術は、複雑な抜力《ばつりょく》と力みを切り替えることで見た目以上の破壊を、人体の深くまで《《通す》》ことを目的とする。


 極まれば、力みすらいらぬとされるその境地。

 完成された技術、そして揺るがず研ぎ澄まされた精神こそがそれを成す。



 防御反応として放たれた、ただ速いだけの拳など――


「ばーか」

 アリスは笑う。


 右腕が腰と連動してふわりと動く。

 鉤手が宋羅の拳を横から叩く。


 僅か数センチ。

 それだけ軌道をずらす。


 ――単鞭《たんべん》。


 なんのことは無い。

 アリスの修める身体操作術においては基本の動きである。


 だが奥義とは、

 基本を実戦において、完璧に実践することなれば。



 拳が逸れた瞬間、宋羅の伸びた腕に逆手が滑り込む。

 宋羅の上腕を抱え込み、



 完全に動きを封じた。


 そのまま、さらに腰が回転し、横鉄槌。


 ドゴッ!!


「かっ……!」

 胸へ衝撃がめり込んで宋羅がたまらず息を吐くとともに

 身体が斜め下方向へ吹き飛ぶ。



 受け身は間に合わない。




 背負ったリュックがクッションとなり、

 後頭部だけは辛うじて守られたが、それがなければ、この戦いはもう終わっていた。



 それでもアリスは止まらない。


 右足が高く持ち上がる。


 震脚。




 狙いは、宋羅の顔面への

 踏み抜きである。


「やめてぇ!!」

 ウツロだった。


 アリスに飛び付くように身体を押し込む。

 ドンッ!!

 軌道をわずかに外れた震脚が宋羅の耳元を掠め、

 アスファルトだけを砕いた。



「くそがぁッ!!」

 アリスの表情が完全に崩れる。



 怒り。

 憎悪。

 殺意。


「クソガキぃ!!」

 怒鳴る。



「私の邪魔をすんなって言ってんのが分かんねぇかァ!!」




 ウツロは震えていた。


 両手を前へ出したまま。


 まるで、許しを懇願しているような、あまりにも頼りない構え。




 格闘の経験が無い。

 いや、闘争の経験すら無いことが一目でわかる。


 それなのに、このガキはなんで私の前に立った?

 その事実がアリスをさらに苛立たせる。



 コートの胸ポケットへ手を入れる。

 小さなピルケースを慣れた手つきで開き、中からやや大きめのカプセルを摘み上げる。


 舌へ乗せて、ごくりと呑み込んだ。




 ゆっくりと息を吸う。


 天を仰ぐ。


 そして、笑った。




「分かったよ」

 静かな声だった。

 虚ろな瞳。


「それなら……」


「先に殺してやる!!!!」


 言葉が終わる前に身体が消える。




 顔面への手背撃ち。

 戦闘者ではない素人へは目つきなど不要。ただ雑に手の甲と指の反りで顔面を打つだけで充分。指は目を掠めれば動きを止められるし、手の甲で鼻を強く叩けば、戦意すら消え去る。


 逆手刀による喉撃ち。

 喉を押し込む打撃は顎により防がれにくいからこその手刀という選択。呼吸を止めればその後の全てが中《あた》る。強く入れば託天掌《たくてんしょう》による顎《きゅうしょ》への打ち抜きに繋がる。


 肘撃。

 肋を打ち付けるだけでなく、零距離に入り込むことで相手の動きの選択肢を潰す。肺に当たれば数秒呼吸が止まり、心臓に強く当たれば一撃で意識を奪える可能性すらある。

 

 裏掌《りしょう》による金的。

 人体への有効性は絶大。入るだけで長時間後遺症の残るダメージを与えられる。


 震脚による足甲の踏み抜き。

 逃がさない。捕まえて、次の連撃に繋ぐ。



 殺すためだけに組み上げられた、

 一切の無駄がない五連撃。


 アリスの脳裏には、確かに少年が無様に意識を失って倒れ伏す未来だけが見えていた。




 だから、

 見逃した。


 連撃に入る体の回転により、一瞬視線がウツロからはなれたその瞬間。



 掌を前に情けなく出したウツロの身体から、幽かな青い光が立ち上がったのを。



 意識と殺意の炸裂するその刹那の狭間。


 聞こえないはず。

 間に合わないはずのその一瞬の永遠の中。


 世界が、静かになった。


 泣きそうな声。


 それでも、


 確かに覚悟だけは宿っていた。


「英雄因子――」


 青白い光が指先まで走る。


「《ハーモニクスセンス》」




 ギリギリだった。


 本当に、紙一重ではあったが。


 ウツロの差し出した両手は、アリスが放った五つ全ての攻撃の、その成立の間際を挫くタイミングを寸分違わず捉え、そして止めていた。





――――――――――――



 天井の照明がぼやけた視界に滲んでいる。

 麻酔から覚めたばかりのウツロを見下ろしながら、アタラシ博士は手術帽の下で前髪をかき上げた。


「世の中にはのぉ、『超演算』いう力がある」

 いつもの軽い口調だった。


「人間は目ぇで見て、耳で聞いて、鼻で匂いを嗅いで、皮膚で触る」


「そうやって入力された情報を、脳で高速に処理して世界を認識しとる」


 自分のこめかみを、とん、と叩く。


「これが演算じゃ」


 ウツロは頭がぼんやりしたまま、小さく頷く。


「アンタに渡した英雄因子《ハーモニクスセンス》は、その演算そのものを強くする能力じゃない」


「その一個前」


「入力を、劇的に強化する能力じゃ」


「Dイコールランクじゃから比較的負荷も低い。あんたは元々、他人の考えとることが分かるっちゅう才能があるみたいじゃけぇ、相性が良いと判断した」


「この能力に攻撃力は一切ない。防御能力も一切ない。」


「じゃが、『世界を視る』いうんにこれほど向いた英雄因子は他にはないけえのぉ」



――――――――――――




 世界が、見える。


 相手が何を考えているか。


 何をしようとしているか。


 何をされたくないか。


 空気が流れる。


 重心が揺れる。


 筋肉が縮む。


 視線が動く。


 感情が色になる。


 怒りは赤く。


 焦りは濁って。


 殺意は黒く。


 全部、見える。




(……なんだ、これ)

 アリスは、目の前の少年の突然の変わりように驚くと同時に強い苛立ちを覚える。




 体重《フィジカル》では上回る。

 瞬発力《スピード》すら私のほうが上だ。

 技術《テクニック》など比べるべくもない。


 それなのに、中《あた》らない。




 ウツロは、遅いからこそ、最小の動作を選択しなければ間に合わない。

 だが、どこを押せば良いかは世界の凡《すべ》てが教えてくれる。


 敵《あなた》だって、教えてくれる。



 手のひらで相手を押し込む。

 いわゆる、バースティングを多用する独特の戦い。



(そこが……嫌な位置なんですね)


 体《たい》を崩した背の低いウツロ。

 単純な攻防に終始した故に、アリスは突然視界から消えたウツロの意を見失う。


(あぁ!?――)

 ウツロはそのまま前へ潜り込み、アリスの太腿へ手を掛けた。


 重心を、押すと同時に硬直する身体。

 倒されまいと意識が下半身に落ちたその瞬間。


 アリスの顎にはウツロのバースティングが突き刺さっていた。


 (しまっ――)

 アリスの身体操作術で言うところの托天掌。

 だが、この素人の少年は、下段のタックルと組み合わせることで、拙い技術を格上相手に確実に叩き込んだ。




 これが。

 世界を知りたいと願う少年に与えられた英雄因子《のうりょく》。


 この戦いで、初めてアリスの身体が地面に叩きつけられる。

 コートのエルボーガードで体を支えて、後頭部を打つことだけは堪えたが、脳が揺れている。


 これが。

 初めて少年が誰かのために戦いたいと願った、Dクラスの。

 イコールグレードの能力。


 ウツロは涙を流しながら、叩きつけられる世界の情報量に身体を震わせていた。


 これこそが。

 『英雄因子―――ハーモニクスセンス』


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