第02話 オープニング・セレモニー Ep6-3
「うがー!!!!」
不安な気持ちでいっぱいのまま待合スペースで待ってたら、診察室の中から大きな声が聞こえてビクッとなる。
びっくりした顔で診察室の扉を開ける看護師さんと、部屋の中に走って飛び込んでいくシエナさんを追いかけると、ちょうど宋羅さんが僕より小さい女の子にジャンプキックするところだった。
シャー!っていう音を喉から出しながら、顔を真っ赤にして女の子を威嚇する宋羅さんを、シエナさんが後ろから抱きかかえるようにして捕まえる。
一体何があったんだろう……。と、あたふたしていると、シエナさんが
「大丈夫よー、ウツロ君。応援してるから、頑張ってね!」
って、苦笑いされながら声をかけられたので、頑張りたいなと思って拳を握った。
コーヒーを注いだ女の子が机を軽く蹴ったら、タイヤのついた椅子が部屋の真ん中まで滑って、ちょうど中心で止まった。
すごい。
思わずパチパチと手を叩いた。
「ウツロね。まぁ、座りんさいや」
長いレシートみたいな紙を見ながら笑ってる。
この人がアタラシ博士?
英雄機関で、一番頭が良い人。
思ったより全然若くて。
ちっちゃくて。
すごくかわいい人だけど。
笑顔がちょっと怖いかも……。
なんかまた、緊張してきた。
自分が呑み込んだ唾の音が聞こえる。
博士は机の上に散らばった資料をまさぐると、一枚掴んでそれを読む。
「あんたぁ、記憶喪失じゃってね?」
「は…はい」
「覚えているのはいつからで、第一支部に入る前は何しとった?」
「えーっと……2か月くらい前で、第一支部に入れてもらう前は、たくさんのお姉さんに色々助けてもらってました!」
「ほぉー。いわゆるパトロンが常におったわけか。やるのぉ、このスケコマシ」
すけこまし?
どういう意味か分からなくて首を横に倒したけど、博士はそれについては答えてくれなかった。
ただ、笑ってる。
「それで?第一支部に入った理由は『世界をもっと知りたいから』?」
「はい!!僕、記憶がなくて空っぽだから、この世界のことをたくさん知りたいんです!!」
ふーんと鼻を鳴らす博士。
相変わらず、笑ってくれてはいるけど、博士が考えていることが分からなくて少し怖くなった。
僕を助けてくれたお姉さんも、シエナさんも、クロスさんも、宋羅さんも。
僕は、みんなの喜ぶことや、欲しがっている答えとかリアクションとか、そういうのがなんとなく分かった。
でも博士が何を考えて、何を欲しがっているかが全然分からなかった。
そう思った途端。
あれ?
チクリ。と、胸の奥に電気が走るのを感じた気がした。
そうして、それと同時に、僕の心が嫌な気持ちに淀んでいく気がした。
この人は凄い人だと思う。
そうだよね?
それなのに。
なんで僕はこんな嫌な気持ちになってるんだろう?
いらいらする気持ち。
焦っちゃう気持ち。
この気持ちを、僕は覚えてる。
これは。
「あんた、変な夢は見るか?」
え?
「夢の中であんたは、自分じゃ無い」
「誰かわからんもんが、自分の知らないことを。知らないものを見て、感じて、喋る」
その話……。
変な子だって思われるから誰にもしたことないのに。
僕の背中を冷たい汗が流れる。
でも、博士はそんな僕にも、僕の反応もお構いなしに話を続ける。
「『夢』っちゅうんは睡眠中の脳が、起きとるときに入力された記憶や感情を、整理・処理する過程で起こる現象じゃ」
「寝とるときは、前頭葉が休止しとるけぇ、論理的な思考ができん」
そう言って、ペンで自分の額あたりを博士が叩いてる。
「日中。もしくはそれより前。見たり、聞いたり、経験したり」
「ようは、“入力”された情報が、演算をされないままランダムに浮かび上がる」
難しい話だったけど、大事な話だと思ったので、僕は姿勢を正して博士をじっと見た。
「蝶になって空を飛んだ夢を見た奴がおっての」
蝶?
飛んだ?
すごい。
「そいつは空を飛びながらふと、思ったそうじゃ。『人間が蝶になった夢を見ているのか、蝶が人間になった夢を見ているのか分からない』……と」
なるほど。
と、納得しかけた僕に、博士がぴしゃりと言う。
「そんな訳はない」
え…?
「さっきも言うたじゃろう。夢とは、散文化された現実のデータの積み重ねじゃ」
「英雄因子で空を飛んだ人間はおるが、蝶に成って空を飛んだ人間はおらん」
「夢の最中に、外から新しい情報が入ることはほとんど無い」
「しかも前頭葉の働きが弱いけぇ、筋道立てた再演算もろくにされん。
「じゃから夢は、既に入力されたデータを無秩序に並べ直したスライドショーに近い。連続性もなければ、現実的な手触りも無い」
「思考実験としては面白いが、夢か現か分からないというのは言い過ぎじゃな」
んー。と、喉を鳴らす博士。
まだ、僕は博士が何が言いたいのか分からなくて。
一生懸命首を振りながら考えていると、博士が僕を見てにやぁと笑った。
「夢のあんたは、あんたが見ていない、覚えていないデータを再生して思考しとるんじゃないか?」
「反面、現実のあんたは、おぼろげで虚ろで、まるで現実のあんたが“夢”のようじゃ」
夢。
怖い夢。
焦っちゃう夢。
知らない僕。
でも、僕は記憶喪失だから……。
そう思った僕に、夢の中の映像が脳裏をよぎる。
夜空。窓の外に落ちる星。
「なんて愚かなんだ」と、いう言葉。
戸惑って動けないでいると、女の子は手に持っていたカルテをパサリと机の上に投げつけて僕に言う。
「ま、ええわ」
「あんたに関しちゃあ特に言うことは無し。記憶が無いんじゃけぇ、聞くことも無い」
そう博士が言うと、なんだか重かった空気が少し軽くなった気がする。
『視られている』感覚がなくなったからかもしれない。
「ただ、ランクの高い英雄因子は身体に合わん可能性が高いけぇ、使う因子はDクラスにしときんさい」
「え!Dクラスですか?」
いちばん下だ……。
首を傾げながら聞く僕に、博士は黙って頷く。
「英雄因子は《《重ねて》》付けると、過負荷で脳が焼き切れる。負荷の軽い因子を選んどいたほうがええで」
「え?重ねてって……。僕、英雄因子つけてませんけど?」
博士は無くなったコーヒーを注ぎに部屋の端に向かう。
「なぜ、言い切れる?お前、記憶喪失じゃろうが」
あ、そういえば……。
「あんたは色んな意味で怪しすぎるんよ」
こくりこくりと喉が動いてコーヒーを飲む博士。そこまで言って、止まって天井を見る。
「怪しいいうても、英雄機関の脅威にはならんから安心しんさい。排除するつもりもないけぇ」
「むしろ、あんたの望みが『世界をもっと知りたいから』なら、ちょうどええ英雄因子があるけぇ、それを付けちゃるわ」
そういう博士の言葉に不安が全部なくなって、期待と、うれしい気持ちが溢れてきた。
身体が自然に踊ってしまう。
博士は手に持ったコーヒーカップを ことりと机に置くと、僕に背を向けて手元のパソコンのキーボードを打ち始めた。
「ほいじゃあ、話は終わりじゃけぇ。」
「手術は10分後にクロスから順番にするけぇ、あんたも手術室に戻ってスタッフの言うこと聞いて待ちんさいや」
もう、振り返ってはもらえなかったけど僕は
「ありがとうございました!」
と、元気だけは込めてお礼を言って部屋を出た。
――――
アタラシ博士は、誰もいなくなった部屋で、忙しくキーボードを叩いていた。
「ほんま……」
小さい顔の割には大き目の丸眼鏡に、モニターのブルーライトが四角く映り込んで、
テキストだけが、反射した小さいライト内を忙しく駆け回る。
「『世界をもっと知りたいから』じゃと……?」
アタラシ博士は、噴き出しそうになるのをこらえているようだった。
「違うじゃろうが。記憶喪失のお前が望むべきなのは普通は『記憶を取り戻したい』じゃろうが――」
笑えて仕方ない。
面白い。
一人は、現実に歩み寄る幻想―。
異世界から来た青年。
しかも、綺麗に壊れとる。
一人は、ただの少女。
寂しがり、愛されたがりの普通の女子だが。
それ故に、最もズレている。
そして現実に穿たれた非現実。
境界を歩く虚ろな人形。
世界を見たいというのが、可笑しくて仕方ない。
モニターがウツロの検査結果をデータとして出力する。
「ふはっ……」
DATA--------
身長155センチ。
体重45キロ。
血液検査 : 採取した血液を分析装置に入れて20秒で分析装置がショート。
機器が完全に電気的に破壊され、二度と立ち上がらなくなったため、検査中断。
脳CT及び身体CT: 機械内部モーターが、検査中、過負荷により物理的に故障。
出力した画像は全面黒化。
予備機器で再撮影を試行したところ、X線を発生させる管球が破裂したため、検査中断。
――――――――――――――――――――――――――――――――――
「とりあえず、何も分からんことが分かった」
不明という結論と裏腹に、博士はパンと手を叩いて満足そうにしている。
「善哉、善哉」
ぴょこんと、椅子から飛び降りる。
(さて―-、そろそろわしも準備するかの)
ガンガン。
遠くでくぐもった音が聞こえる。
部屋の端の。
コーヒーメーカーの側の。
カーテンの奥で。
くぐもった音が聞こえる。
アタラシ博士は長くふわっとしたもみあげをクルクルと指で遊ばせながら、笑う。
ガンガン。
ガンガン。
定期的に鳴る音は、窓ガラスに何かを。
ちょうど赤子の頭くらいの固まりがぶつかっているような音だ。
「20階まで、ご苦労じゃのぉ」
ガンガン。
ガンガン。
「悪いが……」
椅子をコーヒーメーカーの机に寄せると、机の上によじ登る。
音はまだ鳴っている。
だが、博士は、なんの遠慮も躊躇も無くカーテンを開き、窓を勢いよく開けると。
窓のふちにぶら下がっていた人形の手と、
つぎはぎの人形の頭を、
まるで部屋のゴミでも拾うような手つきで掴む。
「あんたには何の興味も沸かんわ」
そう言って、何の感慨もなく、それらを二十階の窓から放り捨てた。




