第02話 オープニング・セレモニー Ep5
ノーマという男は、鍛錬というものをほとんどしたことがない。
生まれ持った強靭な肉体。
人間離れした動体視力。
野生の獣すら思わせる戦闘勘。
格闘術など必要なかった。
仮に教わろうとしても、三日で飽きただろう。
だが、そんな男が、
クロスが第一支部へ加わって以来、毎朝欠かさず鍛錬へ付き合うようになっていた。
もちろん、言い出したのはクロスである。
異世界で培った戦闘術は、全局面に対応可能なものではあれど、それはあくまで魔法ありきで構築したものである。
美術館で、黒衣の男に味わった敗北はクロスに、一つの事実を痛感させた。
この世界の戦いは、魔法の有無だけではない。
相手が何を持ち、何が出来るのか。
目まぐるしく変わる戦況の中、相手の能力の性能を予測しながら戦う、非対称の情報戦。
何が来るか分からないからこそ、何があっても崩れない、極まった肉体と完成された人としての技術が必要だ。
ならば、一刻も早く身体を慣らさなければならない。
クロスはそう考えた。
一方でノーマはというと。
「おぉ! 今日のお前、昨日より速ぇじゃねぇか!」
クロスの木刀をギリギリでかわしながらも、嬉しそうに笑うと、クロスに向かって姿勢を低くして前のめりに走り込む。
クロスもノーマの強さに、身体が高揚しているのが分かる。
「余裕綽々だな。なら、本気で行くぞ」
ノーマの滑り込みを迎撃する神速の突きを、ステップを踏んで鼻先間際から刀身を滑らせるように回避する。
地面を激しく踏み込んだノーマは、クロスの死角に素早く回るが、剣のグリップを強く握り込んで、突きを出し切ることなく制動させたクロスは、逆袈裟、太太に繋いでノーマを追う。
流れるような連撃。全てが繋がっている。
“出し終わり”の隙間が、ノーマをもってしても、見つけられない。
ノーマはヒュウと口笛を吹く。
「来い来い来い!!!!ギャハハハハ!!!!」
そんな調子で、毎日楽しそうに殴り合っていた。
自分と本気で遊べる相手が出来た。
それだけで十分だった。
かくして。
裏山での朝稽古は、二人にとってすっかり日課となっていた。
その日の鍛錬も、およそ二時間。
汗だくになった二人は支部へ戻ろうと坂道を下っていた。
その時だった。
「……ん?」
ノーマが足を止める。
第一支部の門扉。
その鉄柱へ肩を預けたまま、少女が一人、すぅ……すぅ……と規則正しい寝息を立てていた。
肩まで届かないくらいのピンク色の髪。
外側へぴんと跳ねた特徴的なショートヘア。
リュックを背負ったまま、疲れ果てたように眠っている。
「あー!!!!」
ノーマが目を丸くして指を指す。
「この前の子どもじゃねぇか!」
――
宋羅は、意識が暗闇からゆるやかに戻っていくのを感じていた。
――瞼が重い。
瞼一枚隔てたその向こうには強い光を感じるが、すぐに瞼を開けられない。開けたいという意思と開けたくないという身体が格闘しているのを感じる。
(昨日、無理をしたもんなぁ。)
昨日は無茶をした。
高圧ガスの補助があったとはいえ、リュック一つ分のガスだけで街中を飛び回るなど、本来出来ることではない。
屋根を飛び。
壁を蹴り。
滑りそうになる足を必死に動かし続け。
ようやく辿り着いた。
身体中が鉛のように重い。
意識の隙間で声が聞こえる。
「・・・・・・起こしますか?」
几帳面そうな男のひと?眼鏡とかかけてそう――。
「このままにしとく訳にはいかないだろう」
落ち着いた良い声。
「まぁまぁ、待ちたまえ、諸君。」
低くて、ねっとりした声。
ネズミとか食べてそう――。
ネズミ食いの声が嫌らしく響く。
「いかんぞ・・・・・・。もしかしたら、息をしていないかもしれん」
「いや、寝息立ててますけど」
「シャラップ!!素人はみんなそう言うんだ。そして、間に合わなくなって初めて失ったものの重さに気づく・・・・・・」
(うん――?)
(なんか・・・・・・)
(……影?)
(誰か、覆いかぶさって……)
「支部長!あなた、何をしようとして――!?」
「んー、心配するな、ヤマナシ氏。これは救命行為であるからして――」
(うるさ・・・・・・。)
(あ、ようやく)
(瞼が・・・・・・)
宋羅がとろんとした重い瞼をようやく開いたその先には……
朝日を逆光に、イグアナマスクが舌をチロチロさせながら、宋羅の鼻先数センチのところまで迫っていた。
「にゃあああああああああああああああああ!!!!!!」
絶叫である。
当然だが。
レースアップブーツのつま先が真上へ跳ね上がる。
ゴッ!!
イグアナの顎へ見事に直撃。
「ぶべぇっ!!」
派手に吹き飛んだ身体を、
クロスが無言で受け止めた。
いや。
受け止めたのではない。
顎を下から掬い上げ、
逆手で左腕を掴み、
そのまま円を描くように豪快に投げ飛ばした。
ドゴォッ!!
「……あ」
少女は震えていた。
両腕で自分の肩を抱き締める。
(危なかったぁ……)
あと数センチ。
あと少し遅ければ。
訳の分からない生き物に初めてのキスを奪われていたかもしれない。
そう考えるだけで鳥肌が立つ。
視線の先では、
「違う!! 吾輩は嫌らしい気持ちなど全くなくて!! あくまで救命行為として――ぶぁっ!!」
ノーマが馬乗りになって拳を振り下ろしていた。
「舌出したろ!!悪だ!!!!」
それはもう、ぼっこぼこである。
クロスはその様子をため息をつきながら、一瞬見守ると、振り返って震える少女に優しく笑いかけて手を差し伸べた。
「すまなかった。怖かったろだろう?」
「う・・・・・・うん」
(この人、アヤが言ってたヒーローの?)
自室でベッドから立ち上がってスマホを抱きしめてる親友を思い出した。
『え、待って』
『めちゃくちゃ格好良くない?
差し出された手を握って立ち上がる。
(まぁ、ちょっとだけ・・・・・・)
でも、今はそんなこと言ってる場合じゃないよねとすぐに頷く宋羅。
「あ、あの……!!!私宋羅って言って」
必死な顔でクロスと、イグアナを殴りつづけているノーマの後ろ姿と、そしてヤマナシとを交互に見る。
「ヒーロー募集を見てここに来たんです。」
「私――ヒーローになりたいんです!!」
クロスとヤマナシが同時に目を丸くする。
「……ヒーローに?」
「本気ですか?」
ヤマナシの問いに、
宋羅は力強く頷いた。
「強くなれるなら何でもやります!!」
「だから!」
「支部長に会わせてください!!」
必死な声だった。
沈黙。
クロスは腕を組んだまま、組んだ腕の下から頼りなく指を指す。
視線が動く。
ヤマナシがメガネを抑えながら、黙って手の平で指し示す。
視線が動く。
「え?」
きょとんとした宋羅が、2人が指した方向を目で追う。
つつーー。
そこには、ノーマにぼっこぼこにされる緑色全身タイツの変態不審者の姿。
「ええええええ!!!!!!!!」
少女は、ここ最近上げたことのない頓狂な叫び声をあげて驚く。
そんな中、イグアナは、もはや叫び声も上げることなく、叩きつけられるノーマの拳のリズムに乗って体をバウンドさせていた。
――
かくして。
医務室に運ばれて一回休みとなったイグアナを置いて、
クロスと、
宋羅と、
そしてシエナが突然、昼休憩明けにスカウトしてきたと連れ帰った、少年ウツロを連れて、一行は、シエナの運転するワゴン車に乗って、セントラル・ヘイヴンの英雄機関本部に向かうことになった。
第一支部のヒーロー候補である3人が本部に向かったのは当然ながら物見遊山だとか、ヒーローの心構えを学びに行ったとかでは決して無い。
支部所属のヒーロー候補は、支部長の許可と推薦があれば、本部から英雄因子の貸与を受けることができる。
貸与を受けるーーと、言っても当然ながら渡されて終わりという訳にはいかない。英雄因子は神経系、最低でも肉体内部にインプラントすることでしか発動しない。つまりは、外科的な手段による英雄因子の接続が必須になる訳だ。
よほど「力のある支部」ならば、例えば第四支部や第五支部あたりならば、自前で因子を埋め込める医療・科学スタッフと権限を併せ持つが、当然ながら第一支部にはどちらも無い。そもそも予備の因子すら持っていない。このため必然、手術には本部を訪れる必要がある訳だ。
いつも保護者役をしているヤマナシは気絶したイグアナを見てため息を吐くと、支部長室で溜まった許認可系の決裁を代決することにしたので、帯同せず。
一応。
一応ではあるが、支部唯一の正式なヒーローである支部長がそんな状態であるため、ノーマは第一支部に居残りが決定した。
狂犬は大層不満そうだったが
「イグアナの尻拭いをするのも正義の仕事だ!」
と、最後には無理矢理納得していたようだった。
イグアナを気絶するまでボコったのはコイツなのだが、それについては誰もツッコまなかった。
⸻
セントラル・ヘイヴンの英雄機関本部の駐車場に第一支部のボロボロの白ワゴンが突き刺さるように駐車したのは、そんなやり取りから3時間後だった。
名が示す通り、正に“世界の中心”たるこの街は、他のあらゆる街と比べても、その整備と発展の度合いが著しい。英雄機関本部は、もはや庁舎という形容自体が不相応なほど肥大化し、天を衝き、広がる一つの要塞のようですらあり、そのあり様は、第一支部とは比べ物にならない規模だった。
巨大な摩天楼。
白い壁面は翳りを見せはじめた陽光を受けてすら尚、神殿のように輝き、その足元には小さな街一つ分はありそうな広大な敷地が広がっている。
さらに地下には、どこまで続いているのか想像もつかないほどの各種機能を持った施設や、倉庫、シェルターなどが広がっている。
世界中の英雄因子。
兵器。
医療。
科学。
才能。
そして、誰もが忘れてしまった過去の歴史の残滓すらも。
全てがここから始まり、そしてここへ漏れなく集約され、ここで管理される。
当然だろう。ここより安全な場所など世界のどこにも無いのだから。
ここは、世界そのものを支える一本の柱であり、枝葉たる世界の端々へと必要な秩序と技術と才能を供給する世界樹の幹だ。
――
後部座席のスライドドアが音もなく開いた。
「わぁ……」
宋羅がぴょこん、と軽い足取りで飛び降りる。
リュックの紐を握りしめながら、思わず見上げる。
「でっか……」
首が痛くなるくらい高い。
クロスが続いて車から降りようとしていたが。その動きが妙に遅い。
「……大丈夫ですか?」
ウツロが助手席から降りながら声を掛ける。
クロスは額へ手を当て、小さく息を吐いた。
「少し……酔った」
シエナがサングラスをダッシュボードに収めながら、苦笑いで車から降りる。
「あー…。ご、ごめんなさいクロスさん。私、その……ハンドル握ると楽しくなっちゃって。ちょっと、運転激しかったですよネ?」
声が少し上擦っている。
「昔、とんでもない荒くれの戦馬には乗ったことがあったんで、大抵の乗り物には強いと思ってたんだけどな」
クロスの声も上擦っている。
第一支部と本部の道中、道路の整備不良や、前支部長時代から続く道路の敷設自体の不格好な計画と、シエナの荒すぎるドライビングテクニックと相まって、ワゴン車は本部到着までに複数回、中身がど派手にシェイクされていた。
たはー!と、破顔一笑して後ろ頭を押さえるシエナ。
「でも、僕!ジェットコースターみたいで楽しかったです!」
クロスの背中を、さすりながらウツロがにっこりシエナに笑いかける。
あー。ほんとに楽しそう。
「ありがとね、ウツロくん!」
(でも、フォローになってないかもー)
項垂れる異世界の救世主を見ながら、シエナは少し反省していた。
少しと言わず、ちゃんと反省してほしいものである。




