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第02話 オープニング・セレモニー Ep4




 ここが、どこだか分からない。


 土壁に囲まれた、小さな部屋。


 窓は一つしかなくて、その向こうには、どこまでも続く深い黒。


 僕は机に向かっていた。


 手元には一冊のノート。


 何かを書こうとしている。


 でも、書けない。


 何を書こうとしていたのかさえ思い出せない。


 髪を掻きむしる。


 ページは白いまま。





 閉塞している――。


 行き詰まっている――。





 胸の奥が焼けるように苦しい。


 僕は、とても大事な何かを探している。


 それだけは分かる。




 でも。


 どこにも辿り着けない。


 何一つ見つけられない。


 そんな焦りだけが胸のうちにある。


 ふと顔を上げると、窓の向こうに、一条の星が流れた。


 きらり、と輝き。


 長い尾を引きながら。


 驚くほど近くへ堕ちていく。


 その光景を見た瞬間。


 僕は自然に呟いていた。


「……なんて愚かなんだ」



 怒り。


 焦り。


 悲しみ。


 何か分からない感情だけが胸を焼く。


 意味は分からない。


 でも。




 何とかしなければならない。


 そんな焦燥だけが膨らんでいく。




 怖い。


 怖くなるほど、その気持ちは大きくなる。



 だけど。


 僕は何も見つけられない。


 どこにも行き着けない。


 このままでは――。




 そんな確信にも似た予感だけが、際限なく膨らんでいった。


 先の見えない暗闇。


 出口の無い迷路。


 そんな、夢を見た。




――





 目を開ける。


 柔らかなソファ。


 大きな窓。


 朝になり始めたばかりの薄明かり。柔らかな日差しがカーテンの隙間から漏れている。


 繁華街の大通りに面したマンション高層階の一室で、僕は今日も目を覚ました。




 夢。


 また、あの夢だった。




 僕に記憶は無い。


 それなのに、あんな夢だけは何度も見る。




 この街の人たちは皆、十年前以前の記憶が無いと言う。



 だけど僕は違う。


 僕の記憶は、もっと最近から始まっている。



 二か月前。


 ディスクラッド市の裏路地。


 気が付いたら、そこに立っていた。


 “それ以前”を、僕は何一つ覚えていない。




 名前も。


 家族も。


 故郷も。


 何も。




 それでも、この街の人たちは優しかった。


 行く当てのない僕を見つけると、


「一週間くらいなら」


 そう言って家へ泊めてくれた。


 そして一週間経つ頃になると、次のお姉さんを紹介してくれる。




 そんな生活を、もう二か月も続けていた。




 不思議と僕は、お姉さんたちが喜ぶことを何となく分かってしまう。




 洗濯物を畳んだり。


 料理を手伝ったり。


 話を聞けば、

 どう答えれば喜んでくれるかなんとなく分かる。


 僕が、お姉さんに喜んで欲しくて頑張れば、お姉さんたちは皆嬉しそうに笑ってくれる。


 その笑顔を見るのが、僕は好きだった。


 だから今日も、頑張ろうと思う。




 ガン。


 小さな音が窓から響いた。決して大きな音ではないけど、控えめに、何度も。


 ガン。


 ガン。



 まだ寝ぼけた頭のまま、まずは布団を畳む。


 ガン。


 ガン。



 この部屋とも今日でお別れだ。


 約束の七日間。


 今日で終わる。




 静かにカーテンを開く。



 朝日を背にして窓ガラスへ、人形の腕が張り付いていた。


 ガン。


 ガン。



 つぎはぎだらけの顔。


 落ち窪んだ眼窩。


 焦点の合わない目。


 首だけになった人形が、窓へ何度もぶつかっている。


 ガン。


 ガン。


 ガン。


「しー……」


 小さく指を口へ当てる。


「お姉さん、まだ寝てるから」


 そっと窓を開ける。


 腕と頭だけになった人形を掴み上げた。


 下を見る。


 人はいない。


 そのまま静かに放り投げる。


 人形はアスファルトへ落ち。


 乾いた音を立てて、ばらばらに砕け散った。



 ビル風を浴びて少し背伸びをする。


 少しだけ目が覚めた気がする。






 あれは多分、催促なんだ。


 長く同じ場所へいると、必ず現れる。


 そして新しい場所へ移るまで、ずっと付き纏う。




 分かってる。


 迎えに来たんでしょ?


 今日で、ここを出るから。


 だから。


 お姉さんを怖がらせたりしないでね。


 砕けた人形を見下ろしながら、僕は心の中だけでそう呟いた。



――



 朝ごはんは、ハムエッグトーストだった。


 こんがり焼けたパンに、とろりと半熟の目玉焼き。


 横にはレタスとトマトのサラダ。


 それから温かい牛乳。


 七日間、毎朝ほとんど同じ献立だった。


 でも僕はこの朝ごはんが好きだった。


「いただきます」


 手を合わせて、一口。


 サクッと焼けたパンが心地良い音を立てる。


 おいしい。


 やっぱり、お姉さんの料理はおいしい。


 いつもならもっとゆっくり味わって食べる。


 でも今日は少しだけ急いだ。


 長居するとまた“アレ”が来ちゃうから。


 それでも牛乳だけは最後までちゃんと飲んだ。


 背が高くなるって聞いたから。


 ごく、ごく、ごく。


 空っぽになったコップを机へ置くと、お姉さんが笑う。


「偉い偉い」


 頭を撫でられる。


 くすぐったくて、少しだけ照れくさい。


 でも嫌じゃない。


 こうして頭を撫でられるのも、今日で最後だ。


 ――


 部屋へ戻る。


 荷物は少ない。


 着替えが少し。


 財布。


 歯ブラシ。


 それくらいだった。


 リュックへ全部詰め終わるまで、一分も掛からない。


 新しい服へ袖を通す。


 これも、お姉さんが買ってくれた服だ。


「ちょっと待って」


 後ろから声がした。


 振り向くと、お姉さんが笑っている。


「フード、折れてる」


 そう言って。


 後ろへ回り込む。


 肩へ触れる指先。


 フードを整えて。


 そのまま髪へ触れた。


「あ」


 お姉さんが笑う。


「寝癖ついてる」


 小さな櫛。


 整髪剤を少しだけ手へ取って。


 優しく髪を梳いていく。


 さらり。


 さらり。


 心地良い。


 僕は片目を閉じて、されるがままになっていた。


「動かないの」


「……はい」


「いい子」


 その言葉だけで、何だか少し嬉しくなる。


 鏡を見る。


 さっきまでぼさぼさだった髪が、ちゃんと整っていた。


「ありがとう」


「どういたしまして」


 お姉さんは満足そうに笑った。


――


 玄関で新しいハイカットのスニーカーを履く。


 紐を一つずつ、丁寧に結ぶ。


 最後にリュックを背負って振り返る。


 お姉さんは笑っていた。


 笑っていたけれど。


 少しだけ寂しそうだった。


 僕は姿勢を正す。


 ぺこり。


 深く頭を下げた。


「お姉さん、ありがとうございました」


 お姉さんは優しく笑う。


「いいのよ」


「ウツロ君が来てくれたおかげで、お姉さん毎日楽しかったんだから」


 少し照れたように笑って、


「生活に張りができちゃった♡」


 なんて冗談めかして言う。


「また困ったら、いつでも来ていいのよ?」


 その言葉に、僕は少しだけ考えた。


 “あれ”はきっと許してくれない。


 同じ場所へ戻ることなんて。


 きっと今度はお姉さんを怖がらせちゃうから。


 でも、僕は笑って嘘をつく。

「はい!」


 少しだけ間を置いて。

「……また、お邪魔させてください」


 そう言うと、お姉さんは笑って小さく手を降ってくれた。


 だから、僕は大きく手を振る。

「いってきます!」


「いってらっしゃい」


 ドアが閉まる。


 振り返らない。


 振り返ったら、きっと足が止まる気がしたから。


 だから僕は、そのまま朝の街へ歩き出した。



――――







 シエナは毎日、違う店で昼食を摂るようにしていた。


 始めは、なんだかイヤらしい目で見てくる上に、変な事ばかり言ったり、勝手に居なくなっては奇行を繰り返す支部長イグアナから少しでも離れるためでもあったが、いつしか、なんということもない彼女の日常のルーティーンのようなものになっていた。




 今日のお昼は何を食べよう。


 今日はどこの店へ入ろう。




 そんなことを考えながら街を歩く時間が、今では小さな楽しみになっている。

 イグアナが奇行を始めれば、思考を遮断して、心は街中の人波を掻き分けて、まだ見ぬ美味しいお店を探して回るのだ。




 そして、今は昼下がり。

 繁華街の一角。



 ある料理店の前で、シエナは足を止めた。


 店先から漂ってくる香りが鼻をくすぐる。


 柑橘類にも似た爽やかな香り。


 炒められたネギやニンニク。


 生姜。


 焦げた唐辛子。


 鼻孔を刺激する香辛料の匂いに、思わず目を細めた。


「よし……」


 ぐっと拳を握る。


「今日は辛い料理かな」


 口も胃袋も、すっかりその気になっていた。


 いや、その気になりすぎていたのかもしれない。


 ぐぅぅぅぅぅ。


 盛大にお腹が鳴る。

「っ……!」


 シエナは一瞬で真っ赤になった。


(やばっ……!!)


 反射的に周囲を見回す。


(誰か聞いて……)


 くぅぅー。


「……え?」


 また鳴った。


(あれ?)


 今度の音は少し高い。


 可愛らしい。


(私のじゃ……)


 くぅぅー。


(ない?)


 恐る恐る視線を下げる。


 料理店のショーウィンドウへ、ぺたり。


 黒髪の少年が一人張り付いていた。


 ガラスの向こうの料理を、じぃーっと見つめている。


 口元からは、ほんの少しだけ涎が垂れていた。


「…………」


 可愛い。


 思考が止まる。


 少年は少し大きめのフード付きパーカーを着ていた。


 細い身体。


 黒く柔らかな髪。


 吸い込まれそうなほど澄んだ黒い瞳。


 整い過ぎているわけではないけど、妙に目を引くのは、透明感と清潔感と儚さの全部が混ざり合って、芸術みたいに見えたからかもしれない。




(えっ……何この子)


(可愛い……)




(いや、可愛いっていうか……)


(なんかもう……)


 言葉にならない。


 シエナはしゃがみ込む。


「ねぇ」


 少年が振り向く。


「僕、お腹空いてるの?」


 少年は少しだけ考えたあと、


 こくり。


 素直に頷いた。


 そして。


 にこりと花が咲くように笑った。




 その瞬間。


 シエナの理性は鉄鍋を転がるバターの如く、速やかに音を立てて溶けた。


 気がつけば、少年の手を引いて店へ入っていて、メニューを少年と一緒に眺めていた。


「はっ!」

 勢いだけで知らない子を連れてきてしまった。


 間抜けな声で我に返るが、キョトンと首を傾げる可愛い生き物を見て、再度意識を失った。


 鉄鍋にバターである。





――



 シエナがようやく落ち着いて少年の話を聞けるようになったのは、料理をほとんど食べ終えた頃だった。


 少年は最後の一口をゆっくり味わうように食べ終えると、


「ごちそうさまでした!」

 と、満面の笑みで手を合わせた。


 その笑顔だけで、奢った甲斐があったなとシエナは思ってしまう。


 食後のお茶を一口飲みながら、改めて尋ねた。


「そういえば、まだ名前聞いてなかったね。」


「ウツロです!」

 少年は胸を張って答える。


「ウツロ?」


「はい!」

 嬉しそうに頷く。


「二か月前から記憶が無くて。それで、最初に助けてくれたお姉さんが、いろんな名前を考えてくれたんです。」


「その中から、僕が選びました!」


 嬉しそうに笑うウツロを見て、シエナは少し複雑そうな顔になる。

「でも……。」


 少し言いづらそうに笑う。

「意味は知ってるの?」


「意味?」


「ウツロって、あんまり良い意味では使わない言葉だと思うんだけど……。」


 その言葉に、ウツロは照れくさそうに頭を掻いた。

「ですよね。中身が無い、とか。空っぽ、とか。むなしい、とか……?」


「次のお姉さんにも、その次のお姉さんにも笑われちゃいました。」

 たはは、と笑う。


 その顔があまりにも屈託なくて、シエナは思わず肩の力が抜けた。


「でも。」

 ウツロは嬉しそうに続けた。


「その次のお姉さんが教えてくれたんです。」


 黒い瞳がきらりと輝く。


「中身が無いなら、“なんでも入れられるんだよ”って――」


 黙って耳を傾けるシエナに、少年は少し照れながら笑って言う。


「だから、空ろで良いんです。今はまだ空っぽだけど。世界を見て、たくさんの人と出会って、いろんなことを教えてもらって」


「いつか、僕が忘れたものを思い出したい」


 柔らかく笑う。


「だから今の僕は、まだ”ウツロ”なんです!」


 その笑顔は、あまりにも真っ直ぐだった。

 曇りが無い。


 だからこそ胸が締め付けられる。


 シエナは屈託なく笑うこの少年に、何かしてあげたいと強く思った。本当は連れて帰って少年を抱えこんで癒されたいなんて気持ちも少しだけ湧いたけど。


 それよりも、少年の望みを叶えてあげたいと、そう思った。




 シエナはバッグから名刺を取り出した。


 テーブルの上へ、そっと差し出す。


 ウツロは不思議そうにそれを手に取った。


「え……?」


 目を丸くする。


「お姉さん、英雄機関の人なんですか?」


 シエナは微笑んで頷いた。

「うん。」


「ウツロ君の望みが世界を見たいことなら。人を知りたいことなら。無くなった記憶を取り戻したいなら」


「私と一緒に来ない?」


 ウツロは名刺とシエナの顔を何度も見比べる。


「支部長は、ちょっと頼りないけど」

 目を閉じるとイグアナがノーマにプロレス技を掛けられて泣き叫ぶ映像がすぐに再生された。


「ううん、間違えた。支部長は完全に頼りないし、他の支部に比べたら小さい力しか持ってないけど。それでも腐っても英雄機関だから」


「宛てもなく街を歩き続けるより、きっとたくさんのものを見られると思うんだ」


 ウツロの瞳が少しずつ輝き始める。


 その様子を見ながら、シエナは優しく笑った。



「ヒーロー……やってみない?」




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