第02話 オープニング・セレモニー Ep3
夜。
ディスクラッド市第五学区。
繁華街から少し離れた住宅街の一角にある二階建ての小さな一軒家では、二階の一室だけがまだ明るかった。
部屋の床には教科書や漫画、ファッション誌が無造作に積まれ、
壁には昨今女子人気の高い第二支部のイケメン男性ヒーローや、映画のポスターが所狭しと貼られている。
白を基調にした、模範的な女子中学生の部屋に二人の女子が話に花を咲かせていた。
「ねぇねぇ宋羅っち」
ベッドへうつ伏せになった少女がスマートフォンを片手に振り返る。
アヤ。
宋羅のクラスメイトであり、この部屋の主でもある少女。
宋羅と同じ14歳。陸上競技をやっているからか、無駄無く引き締まった体に健康的な小麦色の肌。栗毛のショートカットもきれいに整えられている。
一見して活発で陽気な美少女であり、色んな話をしたり、遊びまわったりしたい宋羅にとっては無二の友人でもあった。
「今日、うちのクラス席替えあったんだけど、セージの隣になんたんだよね」
「は? 神じゃん」
「神!!」
アヤは足をばたつかせた。
「でもさー。普段はぜんぜん喋れるのに、神だって思った瞬間、全然喋れなくなっちゃってさー」
なお、セージとは銀髪、物静かでスポーツ万能な上に誰にでも優しい宋羅の同級生であり、アヤとは幼馴染ですらある。
顔まで良いので、学年内外の女子はおろか、女性教師まで格別にセージに対しては態度が違うと話のタネにもなっていた。
宋羅は意地悪そうに笑いながら言う。
「アヤ、セージとは幼馴染でしょー。今さらじゃん。かわいー!!」
「でしょ!!私、可愛いもん」
二人は同時に吹き出した。
アヤは笑いながら体を起こすと、宋羅に聞く。
「ていうか宋羅っちはそういうのないの? 気になる人」
「うーん」
天井を見上げる宋羅。
アヤの顔が少し焦る。
「あ!セージはダメだかんね!私のだから!!!」
「そう言ってる娘、めちゃくちゃ居そー」
歯を見せて宋羅が苦笑する。
「でも、大丈夫、大丈夫。私、もっと大人の男が好きだかんね」
他愛もない話だった。
授業のこと。
クラスの男子のこと。
最近出来たバーガー屋のこと。
バーガー屋がやってるキャンペーンのこと。
次の体育祭のこと。
気が付けば二時間近く喋っている。
それでも話題は尽きなかった。
「そういえばさ」
アヤが突然スマホを操作し始めた。
「今、第一支部がヒーロー募集してるらしいよ」
「え、そうなん?」
宋羅が顔を上げる。
「ほらほら!」
アヤがベッドから降りて、そのまま宋羅の隣へ滑り込んできた。
画面には英雄機関第一支部の募集ページが表示されている。
ページ上部には大きく、
『第一支部 新規ヒーロー募集』
という文字が躍っていた。
「ほぇー……」
「ヒーローって募集するんだ」
人材不足かよ……と思ってすこし可笑しかった。
――まぁ、人材不足なのだが。
アヤは画面をスクロールしていく。
「だから経験とか経歴とか関係なく、才能ある人を募集してるんだって!」
「経歴不問なのすげぇね……」
宋羅の瞳に、スマホの画面が反射している。
さらに画面が下へ動いた。
そこには第一支部所属ヒーロー紹介という項目がある。
「あ」
宋羅が思わず声を上げた。
「この人!」
画面に映っていたのは、金髪の男だった。
黒のライダースーツ。
野生の獣みたいな鋭い目付きに凶悪な笑顔。
「この前、美術館で私たちに花渡そうとして来た人じゃね!?」
アヤも記憶がよみがえったのだろう、声を上げる。
「あーー!」
二人は顔を見合わせて笑う。
「ノーマっていうんだ」
「てか、第一支部のヒーローだったんだ」
アヤはくすくす笑いながらさらに画面をスクロールする。
「もう一人……」
表示された写真に、アヤの動きが止まった。
「…………」
無言。
数秒。
「…………え?」
宋羅が覗き込む。
「どったの?」
「いや」
アヤは画面を指差した。
「見て」
そこには美しいライトブルーの髪をした青年が写っていた。
落ち着いていながら、強い意志を感じさせる表情。
腰に佩いた剣も、異質なコスプレ感が無く、様になっている。
何より、その前身の居ずまいは完璧で、その姿だけで「付いていきたくなる」不思議なオーラがあった。
カメラ目線の宣材写真。
カメラには気づいていないが、普通に立っている写真。
食堂らしきところで食事をしている写真。
庭のような場所で、木剣を振ってトレーニングしている様子の写真。
多い……。
ノーマは宣材写真が一枚だけ。支部長に至っては写真すら無い。
なのに、この青年だけは妙に枚数が多かった。
写真の最後には紹介文。
『異世界を救った救世主。本物の勇者「クロス」』
集中線くらいつきそうな大きさのフォントでデカデカと記載されていた。
「…………」
二人とも黙った。
先に口を開いたのはアヤだった。
「え、待って」
「めちゃくちゃ格好良くない?」
宋羅も、黙ってこくりと頷く。
もっと言えば、紹介文というか煽り文句は余計だと思ったが言わなかった。
「いやいやいや!」
スマホを抱き締める。
「これはズルいって!」
「救世主とかは、分かんないけど、めちゃくちゃカッコいいじゃん!!」
興奮が止まらないアヤに宋羅は苦笑した。
「アヤって、ほんと面食いだよねー。てか、セーちゃんはいいの?」
「違うの!いや、違わないけど。セージとはまだ付き合ってないんだから、私的には“推し”なの。推しは何人いてもいいの!」
違わないのは面食いであるということである。
もう一度画面を見る。
「この人と一緒に働けるなら、ちょっとヒーローやってみたくならない?」
「うーん……」
はにかみながらも言葉を濁す宋羅。
「進路希望決めた!!!私、卒業したら、第一支部に入る!!!」
力強く立ち上がるアヤを見上げる宋羅。
「マジで?」
「マジ!宋羅っちも一緒に受けようぜ!」
その言葉に。
宋羅の笑顔が、一瞬だけ止まった。
「あ……」
小さく笑う。
「あー……はは。」
「そうだね。」
曖昧に笑って、ごまかした。
「宋羅っちはなりたくないの?」
きょとんとして聞くアヤに頬を掻く宋羅。
親友が自分と一緒に働きたいと言ってくれるのはうれしかったが、割と巨大な問題があった。
宋羅は曖昧に笑うしかなかった。
この話だけはアヤには、どうしても言えない。
だから誤魔化すしかなかった。
そんな空気を切り裂くように。
――ピンポーン。
夜の静かな住宅街へ、玄関チャイムが鳴り響いた。
――
――ピンポーン。
夜の静かな住宅街へ、玄関チャイムが鳴り響いた。
「……こんな時間に?」
アヤが時計を見て不安そうな表情をする。
二十二時を少し回った頃だった。
アヤは父親との二人暮らしだ。
アヤの父親は夜勤へ出ていて、普段ならこの時間に訪ねてくる人間などいない。
「宅配かな?」
二人は顔を見合わせる。
もう一度。
――ピンポーン。
今度は少し長い。
催促するような押し方だった。
「私、見てくるね」
アヤが立ち上がる。
宋羅も自然と腰を浮かせた。
「私も行く。」
階段を降りる。
玄関には人感センサーの照明が灯り、磨りガラス越しに細い人影が映っていた。
女性だ。
長い髪。
背は高め。
細身。
少なくとも、こんな夜間の訪問者に心当たりなど無い。
アヤは恐る恐るインターホン越しに声を掛ける。
「……どちら様ですか?」
「宅配です。開けてもらえますか?」
女性の声。
酒で焼けたようなかすれた声だったが、その言葉にアヤは少し安心したように玄関の灯りをつけると、鍵を外した。
「待って――!」
宋羅は玄関越しの声に聞き覚えを感じてアヤを止めようとしたが遅かった。
アヤがドアを数センチだけ開けた、その瞬間。
ガンッ!!
勢いよくドアが押し開かれた。
「きゃっ!」
アヤが尻もちをつく。
夜風と共に、一人の女が玄関へ踏み込んできた。
燃えるような真紅の髪を高い位置で束ねたポニーテール。
黒いボンテージ調のインナー。
露出の多い服装を隠すように羽織ったロングコート。
鋭く吊り上がった目。
獲物を見付けた獣のような笑み。
女は宋羅を見付けるなり、口角を吊り上げた。
「よう。」
舌打ちするように笑う。
「やっと見つけたぜ、メスガキ。」
宋羅の表情から笑顔が消えた。
「……アリス。」
女は笑いとも怒りともとれるような目で宋羅を見つめる。
「手間ぁかけさせやがって。いつまで、外ほっつき歩いてやがんだ」
それだけ言った。
「クライシスゲートに戻ってもらうぜ」
空気が変わる。
アヤが呆然と宋羅を見る。
「……え?」
宋羅は庇うように右手でアヤを下がらせると一歩前へ出た。
「兄貴の命令?だったら、兄貴が直接来ればいいじゃん!!」
アリスは鼻で笑う。
「馬鹿言ってんじゃねぇ」
吐き捨てるように言う。
「猫彦が。あの人が、テメエなんざ気にするかよ」
その言葉が胸へ刺さる。
「私も事情は知らねぇが、首領が“一応、生きて連れ戻せ”って煩くてね。私としちゃあ、テメェなんざ、のたれ死んでて構わねぇんだがなぁ」
アヤの顔から血の気が引いた。
「宋羅っち……。」
震える声。
「クライシスゲートって……。」
宋羅は振り返る。
少しだけ笑った。
「ごめん。怖がらせちゃったね」
「でも、大丈夫だから。」
決意を込めた顔を浮かべて、もう二歩、アヤを下がらせる宋羅。
同時に呼吸を整える。
一歩踏み込み、同時に体を落とす。
静かに、流れるように。
左足を滑らせ、アリスの足首へ絡めるように引っ掛けると、そのまま身体を半回転。
肩ではない。
背中全体を相手の脇下へ叩き込む。
――貼山靠。
鈍い衝撃音。
狙うのは意識の隙間。
ダメージでは無く、相手を吹き飛ばすこと。
単純に体重の軽い自分が、より大きな相手を倒すことは技があっても難しい。
だから、これは護身の技であり、相手が自分と同じ土俵に立たず、準備もできず、力を固めないこと。
意識の無防備を突けば、技で相手を吹き飛ばせる。
――はずだった。
アリスの身体は微動だにしなかった。
むしろ。
「へぇ。」と、楽しそうに笑う。
「おい、メスガキ。まさか忘れてんじゃねぇだろうなぁ?」
宋羅は距離を取る。
アリスは首を鳴らした。
「その技」
一歩。
「その動き」
また一歩。
「その戦い方。」
口元だけで笑う。
「誰が教えてやったかをさぁ!!!!」
元々、猫彦に教わろうとした。
でも、兄貴は教えてくれなかった。
「弱者が戦おうなどと考えないことだ……」
そう言って、眼も合わせてくれなかった。
――だから。
兄貴が教えてくれなかったから、この女に教わった。
「なるほど」
肩を回す。
「てめぇの気持ちはよぉく分かった」
笑う。
「戻る気は、無ぇってことだな。じゃあ、“生きて連れ戻す”ってのは無しだ」
心底、嬉しそうにアリスは笑う。同時にアリスの足元から青白い光が立ち昇った。
全ての英雄因子の起動時に、使用者の足元から立ち上がる前兆。
宋羅は息を呑む。
この女も“使える”のか。
「死体だけ、持って帰るとするか!」
凶暴な笑みが深まる。
「お友達ごと火葬してやるよ。」
アリスの精神が深く沈み、《《どこかへ》》落ちていく。
「――英雄因子」
声が、エコーがかかったかのように響く。
――だが。
そのとき、甲高い警告音が周囲へ鳴り響いた。
ビーッ!
ビーッ!
ビーッ!
アリスが眉をひそめる。
「……あぁ?」
視線の先。
アヤが震える手で小型端末を握っていた。
『こちら英雄機関……セキュリティシステムの起動を確認』
『緊急警備契約の有効を確認。直ちに現場へ駆けつけます』
機械音声がけたたましく定型句を告げる。
宋羅が驚いて振り返る。
アヤが涙目で笑う。
「お父さんね。」
「夜勤ばっかりだから。」
「何かあった時は、すぐヒーローが来る契約してるの。」
アリスが舌打ちした。
「ちっ……面倒くせぇ。思ったより金がある家だったか」
契約料は恐ろしく高額だが、その代わり契約者の安全を保障する最強の警備システム。
第一支部。
本部。
第二支部。
そのいずれかから、ヒーローもしくは準ヒーローの派遣を確約する直接契約。
一般的には事件が起こってから対応する英雄機関において、それは特別な契約であった。
そしてそれ故に、その威力は図り知れない。
アリスは逡巡する。
助けが来るまで数分というところか。
アリスは獰猛に笑った。
「そいつらが来るまで保つか、試してみるか?」
殺気が膨れ上がる。
――その時だった。
今度はアリス自身の端末が激しく鳴り始めた。
――
けたたましい着信音が鳴り響く。
アリスは露骨に眉をひそめ、乱暴に端末を取り出した。
「……あぁ?」
画面を見た瞬間、心無しか表情が柔らかくなる。
「猫彦か」
通話ボタンを叩く。
「おい、今取り込み中なんだよ。あと少しで終わ――」
受話口から何かを告げられる。
アリスの顔から笑みが消えた。
「……はぁ?」
苛立ちが滲む。
「戻って来いだぁ?」
声が一段低くなる。
「今、あたしが何のために動いてると思って――」
数秒。
受話口から返ってきた言葉を聞き続ける。
やがて。
「……ちっ」
舌打ち一つ。
「分かったよ」
ぶっきらぼうにそれだけ言うと、通話を切った。
玄関先へ静寂が戻る。
アリスは忌々しそうに宋羅を睨む。
「命拾いしたな、メスガキ」
一歩下がる。
「だが、次はねぇ」
笑う。
その笑みには先ほどまでの余裕ではなく、獲物を逃した肉食獣の苛立ちが滲んでいた。
「てめぇは猫彦の邪魔で、私にとっても邪魔だ。どうせ殺す。じきに殺す……」
その言葉だけ残し、コートを翻すとすぐに闇に溶けて見えなくなった。
静寂――。
アヤはその場へ座り込んだまま動けなかった。
今起きた出来事が理解できない。
怖い。
意味が分からない。
頭の中が真っ白だった。
宋羅は小さく息を吐く。
そしてゆっくりアヤへ向き直った。
「……ごめんね」
申し訳なさそうに笑う。
「怖がらせちゃったね」
アヤは震える声で尋ねる。
「宋羅っち……」
「今の人……」
「クライシスゲートって……」
宋羅は少しだけ俯いた。
もう隠せない。
「うん」
小さく頷く。
「私のお兄ちゃん」
一度言葉を切る。
「ヴィラン組織の。クライシスゲートの第四課の課長なんだ」
アヤの目が見開かれる。
「……嘘」
信じられない。
学校で笑っていた宋羅。
一緒にお昼を食べて。
放課後寄り道して。
恋バナで盛り上がって。
その宋羅が。
「嘘だよね……?」
絞り出すような声だった。
宋羅は苦笑しながら、ゆっくり首を振る。
もうアヤの、親友の顔をまっすぐに見れなかった。
――怖いよ。
兄貴が、私を見る目を思い出す。
いつからか、笑わなくなった兄貴。
仕事が、忙しいと思った。そう、思い込もうとしていた。
アリスの声が頭の中でこだまする。
「あの人が、テメエなんざ気にするかよ」
「てめぇは猫彦の邪魔で、私にとっても邪魔だ」
友達の顔を見るのが、今はただ怖い。
「だから」
「もう、アヤには会えない」
そう言うと、部屋へ駆け込む。
リュック。
財布。
着替え。
最低限の荷物だけを手際よく詰め込んでいく。
アヤが慌てて後を追った。
「待って!宋羅っち!!」
「どうするの!?こんな夜中に!」
宋羅は振り返る。
泣きそうな顔で笑った。
「大丈夫」
「たまには連絡くらいするから。あ、セーちゃんと上手くいったら、教えてね」
無理やりそれだけ言って玄関を飛び出した。
タンッ。
地面を強く蹴りあげる。
小さな体が浮かび上がり、そこに背負ったリュックから噴き出した圧縮ガスが、ありえない高さへ宋羅の身体を押し上げる。
タンと2階建ての民家の屋根に足がつき、そしてそれをまた蹴り上げる。
屋根。
塀。
街灯。
街の高低差を利用するように次々と飛び移る。
夜の住宅街を、一人の少女が駆け抜けていく。
冷たい風が頬を叩く。
寒いな。
でも今は、これでいい。
強く結んだ口。
それとは反対に泣きそうな顔。
胸の奥では、さっき聞いた言葉だけが何度も繰り返されていた。
『あの人は、てめぇのことなんざ気にしちゃいねぇ』
――嘘だよね、兄貴。
そんなはずない。
幼い頃の記憶が浮かぶ。
瓦礫だらけの街。
小さな自分。
前を歩く兄の背中。
歩くのが遅くて。
すぐ泣いて。
「兄貴ぃ、抱っこぉ」
そう言えば猫彦は困ったように笑って。
「ほら、おいで」
そう言って背負ってくれた。
あの頃は兄貴だってまだ子どもだった。
それでもずっと私を守ってくれた。
……でも。
兄が笑わなくなったのはクライシスゲートに入ってからだった。
生活は楽になった。
食べ物にも困らなくなったし、今思えばいろんな人にちやほやされた気がする。
でも、楽しかったのは最初だけで。
兄は――。
ううん、私は、大切な何かをあの日から失ってしまった。
宋羅は唇を噛む。
だから。
だから私は――。
夜風を切り裂きながら、少女は進む。
向かう先は一つ。
英雄機関第一支部。
あの募集チラシが頭に浮かぶ。
――兄貴。
私。
ヒーローになるよ。
兄貴を捕まえる。私が、捕まえる。
そしたら褒めてくれる?
昔みたいに笑ってくれる?




