第02話 オープニング・セレモニー Ep2
クロスは“ヒーロー募集”と大きく印刷されたチラシを小脇に抱え、ゆっくりと街を歩いていた。
第一支部が置かれているディスクラッド市は、この世界でも有数の巨大都市である。
隣接する英雄機関本部管轄区域――セントラル・ヘイヴンから流れるように伸びる幹線道路。
寸分の狂いもなく区画整理された街並み。
地下へ張り巡らされた交通網。
頭上を走る高架鉄道。
人の暮らしを支えるあらゆる設備が、そこには当たり前のように整えられていた。
この世界は十年前、一度滅びた。
そう聞かされてなお、この景色を目の当たりにすれば、とても信じられるものではない。
クロスが育ったのは、山奥の小さな集落だった。
朝は鳥の囀りで目を覚まし、昼は畑を耕し、夜になれば焚き火を囲む。
季節と共に生きる、穏やかな村。
やがて立身出世を夢見て王都へ渡り、一兵卒として王国へ仕えることになった。
石畳が美しく敷き詰められた街路。
城壁に囲まれた壮麗な城。
露店が立ち並ぶ市場。
それは当時のクロスにとって、世界で最も栄えた都市だった。
だが――。
今、その常識は音もなく崩れ去っていた。
目の前を、人を乗せた巨大な鉄の箱が轟音を響かせながら駆け抜ける。
見上げれば、長く伸びた鉄軌の上を幾両もの車両が連なって走り、その窓の向こうには押し込められるように立つ無数の人影が見えた。
道行く人々は、それらを誰一人として珍しがらない。
誰にとっても、それが日常なのだ。
クロスは小さく息を呑んだ。
――途轍もなく、発展している。
ふと、ヤマナシとの会話を思い出す。
彼は、クロスたちの世界で当たり前に使われていた魔法を「ファンタジー」の類だと言っていた。
だが、クロスは初めてみる巨大都市に息を呑みながら思う。
確かに、この世界の文明は過去の技術を土台にしているのだろう。
何も無い場所から築き上げたわけではない。
それでも、世界が滅びてから、僅か十年。
たった十年で、ここまで積み上げたというのなら、それの方がよっぽど「ファンタジー」だろうと思った。
クロスの思考に黒い霧のような違和が滲みそうになって、首を振ってそれを掻き消す。
悪い癖だ。
余計なことを考えるな。
自分は所詮“外様”だ。
この世界に違和感などあって当たり前。
救世主としての自分の役目は本来なら終わっていたはず。
自分は仕事を終えたただの人間で、あまつさえ戦う手段たる魔法すらも失った残骸。
ならば自分はこの世界に呼ばれた意味を。
それを果たすことだけを考えれば良いのだ。
この世界に生きる人々の。
努力と祈りによって出来たこの世界を。
余所者の自分の尺度で測ってはならない。
かき乱すなどもってのほかだろう。
自分がすべきことはただ一つ。
自分たちの世界の“罪”。
何故かこの世界に現れたクロスの世界の邪神 グラザス。
奴を討つ。
今度こそ完全に。
強い決意を秘めた瞳で、クロスは上を向く。
そのライトブルーの瞳とは裏腹に。
かつての救世主の表情は、雑踏喧く街の片隅で、祈るかのような儚さに揺れていた。
⸻
街の喧騒を切り裂くように、エアホーンの、気の抜ける甲高い音が広場へ響き渡った。
パフッ、パフパフッ。
グリーンイグアナが、両手に持ったそれを景気よく振り回していた。
「市民の皆様、ごきげんよう!!」
パフッ。
「貴方の英雄機関第一支部!!」
パフパフッ。
「貴方のグリーンイグアナがやってきましたーーーー!!!」
パフパフパフパフッ!!
実にうるさい。
親子連れが無言で進路を変えた。
下校中らしい学生二人組は顔を見合わせると、広場を大きく迂回していく。
鳩が餌を貰えると思って遠くからゆったりと下降してきて、イグアナを見てそのまま上昇して飛び去る。
イグアナの背後には、気合いだけは十分伝わってくる巨大な横断幕が掲げられている。
「最強ヒーロー!頼れる上司No. 1!グリーンイグアナ支部長の元で働けるチャンス!君もヒーローをやってみないか!?」
と、自意識がクラウチングスタートして目的を周回遅れにしていて、大変鬱陶しい。
しかも、一生懸命作ったことは察せられるが、金銀の折り紙や、ラメの入ったペンで装飾されていて大変やかましい。
イグアナマスクが今日はおめめぱっちり。うっすらファンデーションが塗り込まれてさえいるので大変うざったい。
いつもであれば、ヤマナシが適当なところで止めるのだが、現在彼は各種求人サイトへの掲載申請、英雄機関関連法人への募集要項送付、街の掲示板へのポスター掲示、募集説明会の準備など、その他諸々の事務作業に追われている。
“支部長ごとき”に構っている暇などなかった。
止める者がいないので、今日のイグアナは無敵になれそうな気すらしていた。
そして。
もう一人、止めなくてはならない人物がいた。
金の狂犬――ノーマである。
ノーマもヒーロー募集の話を聞きつけ、イグアナと共に広場へやって来ていた。
もっとも、手伝う気など毛頭ない。
イグアナから少し離れた石畳へどっかりと腰を下ろし、その隣へ巨大な金属板を立て掛けている。
騒がしさという意味では、ノーマは実に静かだった。
迷惑の次元を軽々と突破しているイグアナと比べれば、拍子抜けするほどである。
とはいえ。
周囲の人々は、イグアナ以上にノーマを避けて歩いていた。
それも当然だった。
筋骨隆々の長身。
獣のような威圧感。
そして何より。
本人は親しみやすく笑っているつもりなのだろうが、どう見ても獲物を見付けた猛獣の笑みだった。
無辜の市民が近寄る理由など、一つもない。
イグアナはその様子を見ながら、
(あいつ馬鹿だなぁ)
と、自分のことを綺麗さっぱり棚へ上げた感想を抱く。
そして近付いていった。
「ノーマ……何してんの?」
ノーマは膝へ片腕を乗せたまま、満面の笑みを返した。
「俺と肩を並べて戦える奴をヒーローとして選ぶんだろ!!」
実に爽やかな笑顔だった。
「だったら、戦って確かめるのが一番だろ!!!」
単純明快。自信満々。そして《《ちゃんと》》ズレている。
イグアナは(お前に勝てるような奴が市民に居てたまるかってーの)と、アイシャドウとラメの塗り込められた瞼をぱちぱちしながらノーマの背後に築かれるであろう気絶した挑戦者の山を幻視していた。
「大体、お前みたいな狂犬と戦う市民なんて居ないでしょうが。ほら、無駄なことやってないで吾輩を讃える歌の一つや二つでも歌いなさいよ」
ノーマは不敵に笑って、小さく頷く。
「大丈夫だ。ちゃんと特典を用意した!!」
クイッ。
顎で巨大な金属板を指す。
イグアナはようやくそれへ目を向けた。
「……そういや、それ何?」
金属板には深々と文字が刻まれている。
『英雄機関 第一支部』
見覚えがあった。
というより見覚えしかなかった。
毎日見ている。
それは第一支部庁舎の正面へ取り付けられていた巨大な銘板、そのものだった。
「なに考えどんじゃ、貴様はーーーー!!!」
イグアナの絶叫が、広場中へ響き渡る。
ノーマは悪びれる様子もない。
「武道家は看板を賭けて試合をするって聞いたぞ!!」
「だから俺が負けたら、潔くこれは俺を倒した奴へ譲る!!」
「いや、それ“俺の”看板!!てか、俺のでもないわ!!英雄機関のだから!笑顔で勝手に気前よくフルベットしてんじゃねぇ!!!」
⸻
夕暮れ。
西日に染まる噴水広場には、昼間の喧騒も幾分落ち着き始めている。
結局イグアナとノーマの思惑は綺麗に外れ、新たな仲間は見つからなかった。
石畳へ力なく座り込むイグアナ。
その隣では、一日中挑戦者を待ち続けたノーマが、半分眠りかけながら舟を漕いでいる。
「なぜだ……」
イグアナは遠い目をした。
「気合い入れて、おめかしまでしてきたのに……。なぜ一人もヒーロー志望者が来ない……」
「努力の方向性が違うからじゃないですかね」
聞き慣れた声が返ってきた。
振り向くと、シエナが小さく手を振っている。
「支部長。迎えに来ましたよ」
その笑顔を見た瞬間、イグアナの表情が、一気に明るくなった。
「シエナ氏ーーー!!!」
勢いよく立ち上がる。
「吾輩を心配して迎えに来てくれたのーーー!!?」
シエナは一瞬だけきょとんとし、
「あー……そうですね」
と曖昧に頷いた。
そしてすぐ本題へ戻る。
「ところで、クロスさんはどこですか?」
「支部の前で別れてから一回も見てないけど?」
「チラシ持って街へ行ったから、その辺で人集めでもしてるんじゃない?」
「それで支部長たちは、お二人だけで勧誘活動ですか?」
こくりと頷くイグアナ。
シエナは少し首を傾げる。
(……一番向いてない二人でしょうに。)
「それで、興味を持ってくれた人もゼロですか?」
「男は何人か来たけど、ノーマが一人残らずボコってな……」
「あらら……」
納得した。
それならゼロである。
「ノーマが男ばかり勧誘してはボコるから吾輩は、欲望に忠実に!いや、間違えたわ、今の無し。やむを得ず!男女平等に機会を与えるため!若くて見目麗しく、あと出来ればセクシーな女性を中心に声を掛けたのだが、全くもって泣かず飛ばずでね!!」
シエナは心の中だけで(ナンパしてただけじゃん)と呟いた。
「いやぁ!」
イグアナは満足そうに腕を組む。
「シエナ君みたいに美しくて! セクシーで! 吾輩の魅力を理解できる大人の女性は、中々居ないものだな! はっはっはっ!!」
シエナは、事務机へ頭痛薬を置き忘れてきたことを思い出した。
「ところでシエナ氏」
イグアナが髪を掻き上げるような仕草をする。
「今日の僕、すっごく決めてきたんだけど、どう?」
当社比ではある。
なんとなく色気のある感じで尋ねるイグアナ。
シエナは真顔で即答した。
「いやぁ……、はっきりとは言えませんが、気持ち悪いことだけは確かですね」
「いや、本音を包んで? オブラート的なものに」
イグアナが胸を押さえて崩れ落ちる。
「でも」
シエナはふと思い出したように言う。
「女性スタッフが欲しかったなら、クロスさんを連れて歩けば良かったのに」
「……え?」
イグアナが固まる。
シエナは手帳で口元を隠しながら、小さく笑った。
「だって、あの人めちゃくちゃヴィジュアル良いですから」
その一言で。
イグアナは取り乱した。
「いやーーーー!!!」
「シエナ氏!! 騙されちゃダメーーー!!!」
「ほら! アイツ暗いし!!」
「えー」
シエナは首を傾げる。
「物静かでミステリアスじゃないですかぁ」
「剣持ち歩いてるし!!」
「守ってくれそうですし、似合ってるからいいじゃないですか」
「髪青いし!!」
「何がいけないんですか?」
シエナは視線を遠くへ向ける。
「あ」
嬉しそうに笑った。
「……あれ、クロスさんじゃないですか」
ぶんぶんと手を振る。
「えへへー!」
イグアナも振り返る。
目を細める。
クロスが歩いてくる。
……一人ではない。
「…………え?」
思わず間の抜けた声が漏れた。
クロスの後ろには。
女性。
女性。
女性。
女性。
女性。
老齢の女性。
少女。
キャーキャーと黄色い歓声を上げながら、十数人の女性たちがぞろぞろとクロスへ付いてきていた。
「クロスさん!」
シエナが駆け寄る。
「どうしたんですか、この人たち?」
「街でチラシを貼って回ってたんだが」
クロスは困ったように頭を押さえた。
「第一支部で働きたいそうだ」
「俺はヒーロー募集だって説明したんだがな……」
その瞬間だった。
「このイケメンと一緒に働けるんでしょ!!」
一人の女性が叫ぶ。
「応募するから責任者出して!!」
「ずるーい!」
「私も!」
「私もーー!!」
女性たちが一斉に前へ押し寄せる。
イグアナの口元がひくひくと痙攣した。
妬み嫉み、そして敗北感。あらゆる感情が渦巻き、目から大粒の涙を流しながら叫ぶ。
「吾輩達第一支部は誇り高き英雄機関の直下にして、ディスクラッドを守る固き秩序の城なり!!!不純な動機でヒーローを目指すなんて吾輩の目が黒いうちには許さんぞぉ!!!!!!」
こういうとき、イグアナという男は過去の自分の発言を高ーい棚に上げておくことができる。
便利である。
「許さんぞ!!! クロスーーーーー!!!!」
「……え?」
クロスは少したじろぐ。
「俺か?」
――――
――その日の勧誘活動結果。
イグアナ。
応募者〇名。
成果――シエナに面と向かって「気持ち悪い」と言われた。
ノーマ。
応募者八名。
成果――全員戦闘不能。
クロス。
応募希望者十数名。
成果――女性全員がノーマとイグアナを怖がって現地解散したため、成果無し。




