表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
8/10

焼却

朝。


「……くさい」


目が覚めて、最初に出た言葉がそれだった。


爽やかな異世界の朝。

小鳥のさえずり。

窓から差し込む柔らかな光。

森を抜ける涼しい風。


そして、そこに混ざる濃厚な獣臭と腐敗臭。


「……昨日の俺ぇ」


俺はベッドの上で頭を抱えた。

昨日、ほぼ一日かけてエルダービッグボアを解体した。


皮はボロボロ。

肉は部位ごとどころか、だいたい「肉っぽい何か」状態。

骨も内臓も残骸も散らばったまま。


そして俺は疲れ果てて、


「明日やろう」


と言って寝た。

つまり、その“明日”が今である。


『おきたか』


「朝イチで人の心に語り掛けるのやめてもらっていいですか?」


『昨日寝る前に、明日は火魔法を覚えると言っておったな』


「無視かぁい!」


『言ったな?』


「記憶にございません」


『便利な記憶じゃな』


「社会人時代によく使ってました」


『成績が知れるのw』


「もう異世界ですし、二度寝を」


『おぬしも人の話を聞かんな』


俺は布団をかぶり直そうとした。


その瞬間。

窓の外から、ぶううううん、という嫌な羽音が聞こえた。


「……」


ぶうううううん。

ぶうううううん。


「……でかい虫、増えてません?」


『増えておるのう』


「ですよね」


『昨日より二倍くらいじゃな』


「二倍!」


『あと結界の外のエルダーフォレストウルフも増えた』


「それ先に言って?」


『今言ったじゃろ』


「起きる前に言って?」


『寝ておったしの』


俺はゆっくりベッドから出た。

体が重い。


昨日の解体作業で、腕も腰も足も全部痛い。

筋肉痛というより、全身が抗議している。

そして臭い

体中が臭い


昨日、井戸水で拭いたつもりだったが、完全には落ちていなかったらしい。


「体の汚れとにおいをどうにかしたいな」


『洗浄魔法があるぞ』


「洗浄魔法……」


『うむ。今日はそれも覚えるのじゃ』


「火魔法と洗浄魔法、両方ですか」


『ついでに身体強化もじゃな』


「朝から業務量が多い」


『昨日サボった分じゃ』


「昨日はサボってないです。解体しました」


『片付けてはおらん』


「ぐうの音も出ない」


俺は深く息を吐いた。

今日はやるしかない。

理由は単純。


臭いから。


あと虫が嫌だから。

あと狼が怖いから。


修行したいとか、強くなりたいとか、そういう立派な理由ではない。

ただ、快適に引きこもるためには最低限の努力が必要なのだ。


「快適な怠惰のために働く……」


『矛盾しておるようで、人間らしいのう』


「前世でも土日にだらだらするために金曜の夜に洗濯してました」


『妙に生活感があるの』


俺は本棚の前に立った。


目当ての本はすぐに見つかる。


『猿でもわかる魔法入門』


「……タイトルが腹立つな」


『おぬし向けじゃろ』


「猿以下だった場合どうするんですか」


『その時は雷じゃな』


「教育方針が昭和」


俺は本を開いた。

最初のページには、大きな文字でこう書かれていた。


> 魔法とは、体内の魔力を外界へ作用させる技術です。

> まずは魔力を感じましょう。


「出た、まずは感じましょう。昨日無理だったやつ」


昨日できなかったことが一晩寝ただけでできるか!

できるときもあるけど。


「体内の魔力……体内の魔力……」


俺は椅子に座り、目を閉じた。

本にはこう書いてある。


- 目を閉じる

- 呼吸を整える

- 胸の奥、腹の奥にある温かい流れを意識する

- 無理に動かそうとしない

- まずは存在を認識する


「温かい流れ……」


ぐぅぅぅぅ


「おなか減った」


女神の目線が痛い・・・・


「しょうがないじゃないですか。

 昨日はあれだけ動いてざるそばしか食ってないんですから。」


『なにもいっておらんが?』


「視線が言ってるんです!」


『わしはそこにはおらんが?』


「どこにいるんですか!」


『おぬしの心の中におるのじゃ。』


かわいい女神ならよろこ・ビシャアン!


カミナリ・・


とりあえず腹ごしらえしてから再チャレンジ。

気を取り直して

ええと


- 目を閉じる

- 呼吸を整える

- 胸の奥、腹の奥にある温かい流れを意識する

腹の中。


胸の奥。


血の流れとは違う何か。


じんわりとした熱。


昨日、解体ナイフに魔力を流した時に感じたものに近い。


「あ、これか?」


『ほう。思ったより早いの』


「昨日ナイフでちょっとやったからですかね」


『そうじゃな。実践で使った経験は大きい』


「実践っていうか、切れないから仕方なくだけど」


『理由はどうあれ使えればよい』


なるほど。


異世界も、結局は必要に迫られた時が一番覚えるのかもしれない。


前世でも、仕事で必要になったExcel関数だけはやたら覚えたし。

本の次のページをめくる。


> 初級火魔法:火種

> 掌の少し先に魔力を集め、熱を生み出すイメージを持ちましょう。

> 詠唱例:ファイア


「ファイア」


俺は右手を前に出した。

掌の先に魔力を集める。


熱。

火。

ライターの小さな炎。


ろうそくに火をつけるくらいのイメージ。


「ファイア」


ぽっ。


小さな火が出た。


「おおっ!」


本当に小さい。

マッチの火くらい。


でも、確かに俺の手の前に炎が浮かんでいる。


「魔法だ……!」


『おぬしのくせに・・・』


「いいかた・・」


『佐藤のくせに』


「全佐藤にあやまれ!」


「それといいかたってそういういみじゃないです!」


『わざとじゃwしかし突っ込みがよわいのw』


「素人なんです!」


まったく

しかし気をそらしたわりに火は消えていなかった。

俺はしばらく炎を見つめた。

少し感動する。


異世界に来た実感が、今さら湧いてきた。


昨日までの実感は、


- 痛い

- 怖い

- 臭い

- 疲れる


だった。

だが今は違う。


魔法。


これはちょっと楽しい。

魔法を使ってあんなことやこんな・・・

そう思った瞬間、火がふっと消えた。


「おっと」


『完全にほかのこと考えたの』


女神が目を細めてみてる気がする・・


「維持には練習が必要かな~?」


俺は何度か試した。


「ファイア」


ぽっ。


少し強火に


「ファイア!」


ぼぉっ。


もっと強く!


「ファイア!!」


ボンッ!。


「うわっ!」


前髪焦げた・・・


『魔力の込めすぎじゃ』


「危ないなこれ!」


『だから練習するのじゃ』


「家の中でやるもんじゃないですね」


『ようやく気づいたか』


俺は本を閉じ、外へ出る準備をした。


玄関に向かいかけて、ふと自分の服を見た。

昨日の汚れが残っている。

そして、臭い。


「……先に洗浄魔法だな」


『そうじゃな』


本をめくる。


> 生活魔法:洗浄

> 対象物の表面に付着した汚れを魔力で浮かせ、分解または除去します。

> 詠唱例:クリーン


「クリーン」


俺は自分の袖に向かって唱えた。


し~ん。


何も起きない。


「……」


『イメージが雑じゃ』


「クリーンって言えば綺麗になると思うじゃないですか」


『魔法は便利じゃが、万能のボタンではない』


「ちぇっ」


俺はもう一度本を読む。


汚れを浮かせる。

分解する。

落とす。


洗濯機。

シャワー。

泡。

水流。


そのあたりをイメージする。


「クリーン」


ふわっ。


袖の表面から、黒ずんだ汚れが薄い煙のように浮かび上がった。

そして、空気に溶けるように消えた。


「おおおおお!」


袖が綺麗になっている。


臭いも少し薄くなった。


「すごい! これ一番便利かもしれない!」


『生活魔法は侮れんぞ』


「前世に持って帰りたい魔法ランキング一位ですね」


『二位はなんじゃ』


「しらないっす」


『おぬし・・・』


「ほかの魔法しりませんしね」


『それはそうじゃな』


俺は服全体にクリーンをかけた。

ついでに体にもかける。


「クリーン」


ふわっ。


全身のべたつきと臭いが薄れていく。


「うわ、快適……」


風呂ほどではない。

だが、体を拭くよりずっと楽だ。


「これ覚えた時点で今日の目標達成!」


『まだ外が残っておるぞ』


「ですよね~」


扉を開ける。

朝の光が眩しい。

そして、臭い。


「うっ」


昨日よりはマシ……ではない。

むしろ悪化している。


解体されたボアの残骸が、庭のような場所に広がっている。


- 骨

- 皮の切れ端

- 使えない内臓

- 血の染みた土

- 細かい肉片

- 寄ってくる腐肉蝿


「これは~」


『地獄じゃな』


「ですか・・・」


『わしのせいではないぞ』


「放置した俺のせいです」


『わかっておるならよい』


結界の外を見ると、森の木々の間に影がいくつか見えた。

狼のような姿。

こちらをじっと見ている。

よく見るとよだれたらしてるし。


「……あれがエルダーフォレストウルフ?」


『うむ』


「入ってこないですよね?」


『今のところはな』


「今のところ、やめて」


『早く焼くのじゃ』


「はい……」


俺は残骸の近くに立った。

本によれば、火魔法で焼却する場合

いきなり大火力を出そうとせず、燃えやすいものから順に焼くのが基本らしい。


「燃えやすいもの……」


肉片。

脂。

乾きかけた皮。


どれも燃えそうではある。


ただ、問題がある。


「これ、普通に火事になりません?」


周囲は森。

草もある。

木もある。


火魔法で焼いて山火事になったら最悪だ。


『土を掘って焼却穴を作るのじゃ』


俺はスコップを探しに倉庫へ向かった。

倉庫の隅に、ちゃんとスコップがあった。


「あるんかい」


『生活に必要なものは大体あるぞ』


「風呂は?」


『ない』


「そこが一番必要なんですよ」


俺はぶつぶつ言いながら穴を掘った。

身体強化はまだ覚えていないので、普通にきつい。

いや、能力値が上がっているせいか前世よりは掘れる。

それでもきついものはきつい。


「はぁ……はぁ……」


『身体強化を覚えれば楽じゃぞ』


「今それ言うのずるいですね」


『必要性があると覚えやすいじゃろ』


「確かに……」


俺は試しに、体の中の魔力を全身に巡らせるイメージをした。


昨日ナイフに流した魔力。

今朝火を出した魔力。


それを腕だけでなく、肩、腰、足へ。


「身体強化」


小さく唱える。


ふっと体が軽くなった。


「お?」


スコップを土に差し込む。


ザクッ。


さっきより深く入る。


「おおお! 楽!」


『力任せにやりすぎるでないぞ。体を痛める』


「はいはい」


俺は調子に乗らないように気をつけながら穴を掘った。

ただ、魔力がじわじわ減っている感覚がある。

長時間は無理そう。


しばらくして、そこそこ大きな穴ができた。


『あ!そういえば土魔法でもほれるの』


「お・・・ま・・・・」


『すまんのぉ、忘れておったのじゃ』


「絶対わざとですよね・・・チクショウ」


とりあえず掘れたので

使えない内臓や細かい肉片、皮の切れ端を少しずつ入れていく。


「……これも重労働だな」


『昨日すぐやっておれば多少は楽じゃったな』


「過去の俺に言ってください」


『過去のおぬしは寝た』


「知ってます」


穴に残骸を入れ終わるころには、また汗だくになっていた。

ただ、洗浄魔法があると思うと心が軽い。

汚れてもクリーンできる。

これは大きい。


「よし……焼くか」


俺は穴の前に立つ。

右手を向ける。

火種では足りない。

でも大きすぎる炎は危ない。


本にはこう書いてあった。


> 焼却には、火を出すよりも燃焼を維持する意識が重要です。

> 対象の表面から少しずつ熱を入れ、煙の流れに注意しましょう。


「なるほど、わからん」


『まあ最初は小さく始めるのじゃ』


「ファイア」


ぽっ。


小さな火が肉片に移る。


じゅう、と嫌な音がした。


「うっ……」


臭い。


焼いた肉の匂いではない。

処理するための匂いだ。

煙が上がる。


「くっさ!」


『風下に立つからじゃ』


「先に言って!」


『常識じゃろ』


「現代日本のサラリーマンに焼却穴の常識はない!」


俺は慌てて位置を変えた。

火は少しずつ広がっていく。

燃えにくい部分には追加で火を入れる。

強くなりすぎたら土をかけて抑える。


地味。

とにかく地味。


攻撃魔法の練習というより、完全にゴミ処理だ。


「異世界初火魔法が焼却作業……」


『実用的でよいではないか』


「もっとこう、火球を飛ばして魔物を倒すとか」


『今のおぬしがやったら森が燃える』


「否定できない」


火を扱うのは思ったより怖い。


少し魔力を込めすぎると炎が大きくなる。

逆に弱いと消える。


煙は目にしみる。

臭いはきつい。

虫は逃げたり寄ってきたりする。


「うわっ、こっち来んな!」


腐肉蝿が一匹、俺の方へ飛んできた。

小鳥サイズのハエ。

最悪だ。

俺は反射的に手を向けた。


「ファイア!」


ぼっ。


火が飛んだ。


いや、飛んだというより、手前に出た火にハエが突っ込んだ。


ジュッ。


「……」


ハエが落ちた。


『初討伐じゃな』


「ハエで?」


『腐肉蝿じゃ』


「嬉しくない……」


- 討伐

- 腐肉蝿 × 1


「通知いらない」


『経験にはなるぞ』


「ハエでレベル上げかぁ」


とはいえ、虫が減るのはありがたい。

よく考えれば簡単に経験が入るのだ

俺は焼却作業を続けながら、近づいてくる腐肉蝿を火種で燃やした。


太陽が高くなるころ。


焼却穴の中の残骸は、だいぶ炭と灰になっていた。

大きな骨は燃え残っているが、臭いの元になりそうな部分はかなり減った。


「はぁ……はぁ……」


俺はスコップを杖代わりにして立っていた。

昨日ほどではないが、十分きつい。

魔法って便利だけど、使えば疲れる。

魔力も体力も使う。


『魔力が0になるとひどい倦怠感と吐き気

 めまいに襲われるので気を付けるのじゃぞ』


「さきいって!」


『初めのうちは残りの魔力をチェックしながら魔法使うのじゃよ』


「そういうこ・」


『先言って?か?異世界マナーじゃなwもっといろいろ読んで居ればのw』


「クッソ・・」


とりあえずステータスをチェックすると


魔力55(122)


「魔力減りすぎぃ……」


『初心者じゃから効率が悪いの』


「そりゃそうか……あれ?こないだより増えてる?」


『魔法の熟練が上がったからじゃな』


「熟練・・そんなのも」


『マスクデータ?じゃな』


「なるほど」


でも、成果はあった。


- 火魔法を使えた

- 洗浄魔法を覚えた

- 身体強化も少し使えた

- 残骸の大半を焼却できた

- 腐肉蝿を何匹か倒した


「……今日、結構頑張ってない?」


『まあ、昨日よりはの』


「昨日も頑張りましたけど?」


『片付けまでやっておれば満点じゃった』


「評価が厳しい」


『生きるとはそういうものじゃ』


「急に真面目」


結界の外を見る。


エルダーフォレストウルフたちはまだいる。

だが、臭いが薄れたせいか、少しずつ距離を取り始めているようだった。


「……帰ってくれるかな」


『匂いが消えればそのうち去るじゃろ』


「よかった」


俺はその場に座り込んだ。

もう今日は終わりたい。

だが、まだ問題がある。

昨日切り分けた大量の肉。


「……肉の保存」


『そうじゃな』


「明日……」


空が光った。


ピカッ。


「今日、やります」


光は消えた。


俺は学習する男である。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ