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初めての解体

目の前にはエルダービッグボア。

軽トラ級。いや、近くで見るとやっぱり小型バス級。


そして俺の手元には本。


『素材解体・初級編』


最初のページにはこう書いてある。


第一章:巨大な獲物は一人で解体しようとしないこと。


「一人しかいないが?どうしろと・・・」


詰んだ?

とはいえ、

臭い。

虫が増えてる。

結界の外には狼っぽい何かの気配もある。


このまま放置すれば、俺の快適セーフハウス生活が崩壊する。


「……やるか」


俺は鼻に布を巻き、本を片手にボアの腹側へ回った。


本には丁寧に手順が書かれていた。


まず血抜き済みか確認

腹側から皮を裂く

内臓を傷つけないように取り出す

肉を部位ごとに分ける

皮はなるべく一枚で剥ぐ

骨、牙、魔石を回収する

不要部位は焼却または埋却する


「血抜き?……」


少し遠い目になった。

これからさらに血がドバドバと?

すでに臭いのに?

目の前には獣。

巨大。

生々しい。

昨日まで生きていたもの。


「はぁ~」


正直、かなりきつい。

臭い。

かなり臭い。


俺はナイフを当ててみる。


「うっ……硬い」


皮が硬い。

ナイフが通りにくい。


『魔力を流すのじゃ』


「魔力?」


『本にも書いてあるじゃろ』


「本?ああ!」


俺はページをめくる。


解体ナイフに魔力を薄く流すと、刃の通りがよくなります。

ただし流しすぎると刃が欠けたり、手元が狂ったりします。


「しかし魔力ってなんだ?」


『体の中を流れる力じゃな』


「なるほど、体の?中を?流れる?力?」


『おぬしの血管に沿っておなかの真ん中のあたりから流れている力じゃ。

 目を閉じて体の中に意識をむけるのじゃ。』


「なるほど、目を閉じて、意識を~って、くさっ!

 目を閉じると余計臭く感じる!」


『感じるだけじゃろ!早くやってみるのじゃ!』


俺は目を閉じ、体の中の熱っぽいものを意識した。

するとおなかの中心付近から

何とはなしに温かいものが感じられ・・


「ないよっ!何にも!感じない!」


『ぷぷっwセンスの問題では?w』


「くっそ、言いたい放題言いやがって」


でもステータスには魔力があった。

つまり、使えるはず。


ちょっと体の中のってのは置いといて

こう不思議パワーを想像して

それが

手のひらからナイフへ。

薄く。

薄く。


ナイフの刃が、ほんの少しだけ鈍く光った。


「おお」


消えた・・

意識してないと消えるな


もう一度

ナイフに集中して

そのまま皮に当てる。


ザクッ。


さっきより明らかに刃が入った。


「すげぇ!」


『そこで感動して手を止めるでない』


「はい……」


そこからは、もう地道な作業だった。


切る。

剥ぐ。

休む。

本を見る。

間違える。

女神に笑われる。

切る。

また休む。

しかも皮はうまく剥げない。


本には、

皮は肉から少しずつ剥がし、刃を寝かせるように動かしましょう。

と書いてある。


だが実際にやると、肉に皮が残ったり

皮に肉がついたり、変なところを切ったりする。


「うわっ、破れた!」


『下手じゃのう』


「・・・」


『ほんっと下手じゃのう』


「二回言うな!」


内臓を取り出す作業では、さらに精神を削られた。

臭いし・・


日が高くなったころ

俺はようやく胸のあたりまで作業を進めた。


「心臓付近……心臓付近……」


本には、魔石は心臓の近くにあると書かれていた。

しばらく探ると、ぬめった肉の奥に硬い感触があった。


「これか?」


取り出してみる。

拳より少し小さい、赤黒い石。

中に淡い光が揺れている。


「おお……これが魔石」


『そうじゃな』


「売れる?」


『町なら売れるの』


「町どこ?」


『北の山脈を越えた先じゃな』


「今すぐは無理ですね」


『無理じゃな』


「じゃあ保管か……」


俺は魔石を井戸水で洗って、家から持ってきた布に包んだ。

少しだけテンションが上がる。


素材。

魔石。

異世界感。


ただ、その周囲には肉と骨と内臓と虫。

現実感のほうが強すぎる。

いやハエはデカすぎるんだよ!


夕方近く。


俺はようやく食べられそうな肉をある程度切り分け終えた。

ただし、部位ごとに綺麗に分けるなんて無理だった。


本には、

肩肉

ロース

バラ

などと書かれているが、俺の成果物はこうだ。


肉っぽい肉

脂っぽい肉

筋っぽい肉

何かよくわからない肉

たぶん食える肉


『雑じゃな』


「素人ですし」


『皮も穴だらけじゃな』


「なにか?」


『へたすぎじゃろwww』


「はいはい。下手ですよ。最後の方はましになったんですけどね」


でも、食料としては十分だ。

肉の量はとんでもない。

問題は保存方法。


「これ、冷蔵庫ないよな……」


『ないの』


「箱で冷蔵庫出せたりは?」


『食べ物を出す箱じゃからの』


「冷蔵庫は食べ物を守る箱ですよ?」


『屁理屈じゃな』


「ダメか」


『ダメじゃ』


俺は肉の山を見た。


これ、全部すぐ食べるのは不可能だ。

干し肉にする?

燻製?

塩漬け?


知識がふわっとしかない。


『そういう本もあるぞ』


「あるんですか」


『保存食入門じゃな』


「……明日読もう」


『今読め』


「無理です、今日はもう解体だけ」


日が暮れてしばらくしてから

ようやく・・


「はぁ~っ、はぁ~っ、はぁ~」


ほぼ一日がかりでやっと終わった。

いや、終わったと言っていいのか?


素人作業だから皮はボロボロだし、肉もこま切れてるし。

でもまぁ、なんとか解体はできた。


魔石も取れた。

牙も片方は回収できた。

肉も大量にある。


「……でもさ」


俺は目の前を見る。


そこには、解体後の残骸。


骨。

使えなかった内臓。

血の染みた土。

細かい肉片。

破れた皮の切れ端。


「これ、解体しただけじゃ片付かないな……」


むしろ別の問題が発生している。

この散らばった、

というか、解体した肉と骨どうしようか。


『火魔法で焼いたらいいのじゃ』


「火魔法! 魔法! そうか異世界ぽいですね」


『じゃろう? 棚に猿でもわかる本があるのじゃ』


「よし! それだ!! 明日やろう!」


『なんでじゃぁぁぁ!! これからやってちょちょいと焼けばいいではないか!』


「いやもう疲れましたし」


『解体しただけじゃろ?』


「だけですが?」


俺はゆっくり顔を上げた。


「このサイズを! 一人で! 初めて! 朝から夜まで! 臭いと虫と戦いながら!」


『うむ』


「無理です」


『無理ではない』


「無理です」


『火魔法の初歩などすぐじゃぞ』


「その“すぐ”が無理なんです」


『本を開いて、魔力を感じて、火を出すだけじゃ

 ナイフにも魔力をとおせたじゃろ?』


「その三工程がもう大冒険なんですよ」


俺は草の上に大の字になった。


空は満点の星

綺麗だ。

異世界の空は本当に美しい。


ただ、横には魔獣の骨と肉片がある。

台無しだ。


『おぬし、このまま放置する気か?』


「明日やります」


『明日になったらもっと臭うぞ』


「明日の俺が頑張ります」


『未来の自分が泣くのではないのか?』


「今日の自分が救われます」


『ほんと屁理屈がうまいのう?』


「明日できることは今日やらない!」


『成長せんのう』


「異世界転移くらいで人間性は変わらないんですよ」


『妙に説得力があるのが腹立たしいの』


俺は起き上がる気力もない。

本当に疲れた。


体力が底をついている。

魔力も、ナイフに流し続けたせいでかなり減っている気がする。


ステータスを開く気力もない。


「とりあえず飯……」


『この状況で食えるのか』


「食えるかどうかじゃない。食わないと寝れない」


『肉なら目の前にあるぞ』


「今その肉は見たくないです」


今日はもう肉を見すぎた。


肉の断面。

脂。

筋。

骨。


しばらく肉料理はいい。


「箱からざるそば出します」


『異世界初の魔獣解体日の夕飯がざるそばか』


「さっぱりしたいんです」

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