三人の成長と、聞かれた本当のこと
朝の空気は、思ったより冷えていた。
健一が焚き火の残り火に手をかざしていると
隣にしゃがみ込んだレイラが、無言で干し肉を差し出してくる。
「……いいんですか」
「二人分焼いた。見込み違いだっただけだ」
「見込み違い」
「アンタが遠慮するタイプだって見込んでなかった」
「遠慮はします、一応」
「してないから今聞いてる」
健一は素直に受け取った。
火の向こうでは、ロイが手早く荷物をまとめ、トマが剣の刃を布で拭い、ニナが地図を広げて今日のルートを確認している。
新人らしさの抜けた、手際のいい朝支度だった。
(三日前より、動きが揃ってる気がする)
そんなことを考えていると、バルクが立ち上がりざま、全員を見渡した。
「今日は二手に分かれる。俺とレイラとジークで鉱石の方、お前らは薬草の群生地だ」
「「「はい」」」
三人が揃って返事をする。
バルクの視線が、健一に移った。
「お前はどうする」
健一は、少し考えてから答えた。
「三人組の方に付きます」
「保護者か」
「否定はしません」
バルクが、ふん、と鼻を鳴らして歩き出す。
その背中越しに、レイラがぼそりと付け加えた。
「――付くだけにしとけ。手は出すな」
「え」
「見てたらわかる。アンタ、放っておくとすぐ前に出るタイプだろ」
図星だった。
「……気をつけます」
「気をつけるじゃなくて、出るな、だ」
レイラはそれだけ言うと、バルクたちの後を追って歩いていった。
残されたジークが、最後に片手を上げる。
「まあ、たまには子離れの練習も必要だぜ、お父さん」
「その呼び方、地味に応えるのでやめてください」
ジークの笑い声を背に、健一は三人組の方へ向き直った。
薬草の群生地までは、歩いて一刻ほど。
道中、ニナが地図から顔を上げずに言った。
「今日は、健一さんが静かですね」
「静かにしてろって言われたので」
「レイラさんに?」
「うん」
「珍しいですね、健一さんが人の指示を素直に聞くの」
「俺だって聞くときは聞くよ」
「今までのデータだと、六割くらいの確率で聞いてない印象です」
「そのデータ、どこで取ってるの」
ニナが手帳をぽんと叩いた。
何も言い返せなかった。
群生地に着くと、三人はすぐに手分けして薬草を摘み始めた。
ロイが根元を丁寧に掘り、トマが周囲を警戒しながら剣を構え、ニナが摘んだ薬草を種類ごとに手早く仕分けていく。
健一は、少し離れた岩の上に腰掛けて、その様子を眺めていた。
(口を出したくなる。……けど)
出さない。今日はそう決めていた。
三十分ほど、平和な時間が流れた。
籠が半分ほど埋まった頃、ふいにトマの動きが止まった。
「……止まって」
三人がぴたりと動きを止める。
茂みの向こうから、鼻を鳴らすような荒い息遣いが、複数聞こえてきた。
姿を現したのは、赤褐色の剛毛に覆われた猪の群れだった。
先頭の一匹は、他よりひと回り大きく、牙の色が濃い。
健一は、目を細めてその群れを見た。
――クセで、視界の端に情報が滲む。
〈牙猪の群れ/先頭個体:牙猪の長老/状態:縄張り防衛〉
(縄張り、か。……子どもがいるわけじゃなさそうだな)
危険度としては、致命的というほどではない。
ただ、三人だけで対処するには、少し骨が折れる相手だった。
健一は、岩から降りかけた足を、途中で止めた。
(……いや、待て。今日は見る日だ)
拳を握って、その場に踏みとどまる。
ロイが素早く前に出て、盾を構えた。
「トマ、右!ニナは下がって支援!」
「了解!」
「はい!」
三人の連携は、以前とは明らかに違っていた。
ロイが牽制で先頭の注意を引きつけ、トマが側面から斬り込み、ニナの魔法が的確に補助を入れる。
(……本当に、やるようになったな)
健一は、岩の上で、ただ拳を握りしめたまま見守った。
戦闘の最中、ニナがふと手帳に手を伸ばしかけた。
「これ、群れの陣形が興味深いので、後で記録――」
「今それやってる場合か!」
横からトマが、ニナの襟首をぐいと引いて後ろに下げた。
「危ないだろ、集中しろ!」
「……すみません」
ニナが、素直に手帳を懐にしまう。
(トマが止めるの、なんか新鮮だな)
岩の上で見ていた健一は、思わず口元が緩んだ。
いつもロイの役目だったはずのそれが、今日はトマだった。
三人の中の役割が、少しずつ入れ替わりながら回り始めている。
形勢は、おおむね三人の優位で進んでいた。
だが、追い詰められた牙猪の長老が、最後に不規則な突進を見せた。
狙いは、下がっていたニナの足元――踏み荒らされた地面が、いつの間にか彼女の逃げ道を潰していた。
「ニナ、逃げ――」
ロイの声が、間に合わない距離だった。
健一の体が、考えるより先に動いていた。
一瞬で距離を詰め、突進の軌道に体を割り込ませる。
牙を弾き、勢いを横に逸らす。
それだけだった。深追いはしない。
長老の突進が空を切り、体勢を崩したところへ、トマの一撃が的確に決まった。
短い静寂のあと、牙猪の群れは、統率を失って森の奥へ散っていった。
「……大丈夫か、ニナ」
健一が手を差し出すと、ニナはこくりと頷いた。
「はい。……すみません、油断しました」
「油断っていうか、あれは俺が見誤った。長老が最後まで暴れるとは思わなかった」
「健一さんでも、見誤ることあるんですね」
「毎日あるよ」
ロイとトマが、駆け寄ってくる。
「大丈夫ですか、二人とも」
「平気。ニナのおかげで大きな怪我はなかった」
健一がそう言うと、トマが、ふう、と息を吐いた。
「……最後、健一さんが出てくるまで、俺、本気で焦りました」
「悪い。もうちょっとギリギリまで我慢しようと思ってたんだけど、あれは無理だった」
「我慢しないでください、そこは」
「うん、次からそうする」
三人が、揃ってへなへなと地面に座り込んだ。
それでも、その顔には、達成感の方が色濃く残っていた。
荷物をまとめ、少し離れた場所で休憩を取る頃、ニナが真顔で健一の前に立った。
「健一さん」
「なに」
「今日、聞きたいことがあります」
いつもの、観察の延長のような口調ではなかった。
どこか、覚悟を決めたような響きがあった。
「あなた、本当に何者ですか」
これまで何度も聞かれてきた問いだった。
その度に、健一は笑って誤魔化してきた。
――今日だけは、少し違う答えを返したい気がした。
「……正直に言うと」
「はい」
「ちょっとだけ、人と違う何かを持ってるとは思う。詳しくは言えないけど」
ニナは、しばらく黙って健一を見つめた。
「言えない、ということは」
「うん」
「言ってはいけない類のものなんですね」
「……鋭いね、それも」
風が、群生地の草を静かに揺らした。
ニナは、懐から手帳を取り出しかけて――
そのまま、閉じたまま手を止めた。
「分かりました」
「うん」
「これは、書きません」
健一は、少し驚いた。
「いいの?貴重なサンプルなんじゃなかった」
「貴重なものだからこそ、記録より先に、しまっておいた方がいいものもあると思います」
いつもより、ずっと大人びた声だった。
「……ありがとう」
「お礼を言われることじゃないです。私が決めたことなので」
ニナは、それだけ言うと、いつもの調子で手帳をぱたんと閉じた。
「代わりに、今日の牙猪の陣形は書きます」
「そっちは書くんだ」
「魔物の生態と、健一さんの秘密は、別の棚に置いてます」
「棚があるんだ、頭の中に」
「四段あります」
「多い」
その夜、野営地に戻ると、バルクたちの班も鉱石採集を終えて合流していた。
焚き火を囲みながら、今日の首尾を報告し合う、いつもの時間。
食事も一段落した頃、健一は何気なく口を開いた。
「――この依頼が終わったら、そろそろ、俺も次の町に向かおうと思ってて」
場が、一瞬で静まり返った。
「「「え」」」
ロイが、持っていた串を取り落としそうになる。
「ちょ、まだ行かないでください!」
「いや、いつかは行くってずっと言ってたでしょ」
「言ってましたけど、いつかって今日じゃないです!」
トマも、身を乗り出してくる。
「せめて、俺がもう少し強くなってからにしてください」
「もう十分強くなってるよ、今日見たし」
「まだです。まだ足りないです」
ニナだけは、少し黙っていた。
やがて、静かに口を開く。
「……いつかは、そうなると思っていました」
「うん」
「でも、思っていたのと、聞くのとでは、違いますね」
その一言に、健一は何も返せなかった。
火の向こうで、レイラが小さく笑う気配がした。
「面倒見のいい保護者ってのは、大抵、いなくなる時が一番揉めるもんさ」
「……経験談ですか」
「さあな」
バルクが、腕を組んだまま短く言った。
「行くなら行くで、最後まで役目は果たせ。それだけだ」
「はい」
ジークが、欠伸交じりに割り込んでくる。
「まあ、そう泣くなよ坊主ども。旅立ちってのは、追いかけていいもんだぜ」
「「追いかけるんですか!?」」
ロイとトマが、目を輝かせて食いつく。
「たとえ話だ、たとえ話」
健一は、その様子を眺めながら、小さく息を吐いた。
(この保護者感、一体どこから来てるんだろう)
我ながら、不思議だった。
たった一ヶ月かそこらの付き合いのはずなのに、この騒がしさが、もう随分と馴染んでしまっている。
空を見上げると、星が一段と近く感じられる夜だった。




