手紙
あの食事から三日ほど経った、いつも通りの昼過ぎ。
健一はギルドの掲示板の前で串を齧りながら、依頼票を眺めていた。
料理長との一件以来、なんとなく屋台の串焼きにも「火入れ」という言葉が浮かぶようになった自分がいる。
(あれ以来、ちょっと串の見方が変わった気がする……いや、串は串なんだけど)
そんなことを考えていると、ギルドの扉が開いた。
以前ほどではないが、それでも空気がわずかに張る。
豪華すぎない、けれど明らかに上等な仕立ての外套。
クローデットだった。
「健一殿」
「あ、クローデット様。……こんにちは」
「先日は、途中で席を立たせてしまって」
「いえ、あれは俺が勝手に離れただけなので」
「いいえ。大事な話の途中でしたのに」
クローデットは、少し困ったように、それでいて楽しそうに笑った。
「改めて、伺ってもよろしいでしょうか」
「はい、もちろん」
ギルドの隅、以前ミリアが座らせてくれた簡素な卓に案内される。
向かいに座ったクローデットが、懐から一通の手紙を取り出した。
上質な紙。丁寧に折られ、赤い封蝋で閉じられている。
「もし、次の旅路でこの町――正確には、私の実家の領地を通ることがあれば。
この手紙を、ある場所に届けていただきたいのです」
「ある場所、ですか」
「領地へ向かう道の途中に、小さな孤児院があります。私が幼い頃、よくお世話になった場所で」
「孤児院……」
「大したことではないのですが」
クローデットが、少しだけ声を落とした。
「あなたなら、頼めると思って」
健一は、思わず手紙を見た。次に、クローデットを見た。
「……なんで俺が信用されてるんだろう」
思わず声に出ていた。
「はい?」
「あ、いえ、独り言です」
「聞こえていましたが」
「気にしないでください」
クローデットが、口元を押さえて小さく笑う。
「理由でしたら、簡単です。あなたは、見返りも名乗る気もなく、困っている人を助けた方ですので」
「それはただ通りがかっただけで……」
「通りがかっただけで、人を助ける人間は、そう多くありません」
言い切られると、返す言葉がなかった。
「……分かりました。次にその領地を通ることがあれば、必ず」
「ありがとうございます」
クローデットが、手紙を差し出してくる。
健一は、それを両手で受け取った。
その瞬間、いつもの癖が、また勝手に発動した。
手に触れたものを、うっかり鑑定してしまう癖。
今回は、握手ではなく手紙そのもの――正確には、赤い封蝋に反応した。
視界の端に、いつもの表示が滲む。
――効果:改竄防止(貴族級)
「(……ん?)」
健一は、封蝋をじっと見た。
赤い蝋に押された紋章は、確かに美しい意匠だった。
だが、それだけではないらしい。
ただの飾りではなく、開封や改竄を許さない、それなりの魔法的な加工が施されている。
(普通の私信に、こんな仕掛けをするか……?)
孤児院への、ただの近況報告のような手紙にしては、物々しい気がした。
「健一殿?」
「……あ、いえ。丁寧な封蝋だなと思って」
「実家の作法でして。あまり気になさらず」
「そうですか」
健一は、内心で小さく頷いた。
(……聞かない方がいいやつだ、たぶん)
貴族の家の作法と言われれば、それ以上は踏み込みようがない。
少なくとも今は。
そっと懐にしまい込むと、妙にずしりと重く感じた。
紙一枚のはずなのに。
用件が済んだところで、クローデットは護衛と共に一度ギルドの外へ出た。
見送りに立った健一の背後から、ルーカスがすっと近づいてくる。
今日も一人、静かな足取りで。
「少し、いいか」
「はい」
促されるまま、ギルドの壁際まで移動する。
ルーカスは、クローデットの馬車が見える位置で、腕を軽く組んだ。
「彼女のことを頼む、と言いたいわけではない」
「はい」
「ただ……お前は、変わった男だ」
健一は、少し考えてから答えた。
「よく言われます」
ルーカスが、小さく笑う。
「今日で、四回目だな」
「数えてたんですか」
「気になる人間は、数えたくなる性分でな」
「悪癖ですね、それ」
「褒め言葉として受け取っておく」
それだけで終わるかと思いきや、ルーカスの視線が、健一の懐――手紙をしまった辺りに一瞬だけ落ちた。
「重要な頼まれ事は、慣れているか」
「いえ、正直、あまり」
「なぜだ」
「大事な書類、押し付けられがちな体質なんですよね……」
「体質、というほどのことか」
「前世からの持病です」
言った瞬間、健一は自分の言葉に固まった。
ルーカスが、片眉を上げる。
「……前世?」
「(しまった)」
「面白い言い回しだな。前世、というと」
「……はぐらかしです。忘れてください」
「忘れろと言われて忘れられるほど、暇な頭はしていないんだが」
「今回だけ特別にお願いします」
ルーカスは、しばらく健一の顔を眺めていた。
何かを探るような、それでいてどこか楽しんでいるような目だった。
「……いい。気になる言い方だが、今日のところは追及しないでおく」
「ありがとうございます」
「その代わり、いつか聞かせてもらう」
「その日が来ないことを祈ってます」
「祈っても来る時は来るぞ、そういうものは」
妙に実感のこもった言い方だった。
(この人、絶対何か経験あるな……)
健一はそれ以上聞かなかった。触れてはいけない話は、お互い様らしい。
ルーカスが馬車の方へ歩いていきながら、最後に一言、振り返って告げた。
「達者でな。次に会う時までに、少しは"普通"になっていることを期待している」
「無理な期待はやめてください」
「無理か」
「無理です」
「……そうか」
ルーカスは、なぜか満足げに頷いて、馬車に乗り込んでいった。
遠ざかる馬車を見送りながら、健一は懐の手紙にそっと手を当てた。
(改竄防止の魔法つきの手紙……か)
考えても答えは出ない。
今のところ、深く探る材料もない。
(まあ、次にその町を通る時に、答え合わせすればいいか)
そう結論づけて、懐にしまい直した瞬間――
「ケンイチさーん!」
聞き慣れた声に振り返ると、ロイとトマ、それにニナが小走りに近づいてくるところだった。
「なんですか、そんなに慌てて」
「見てください、これ!」
ロイが指差した先、ギルドの掲示板に、新しい依頼票が貼り出されていた。
『――複数ランク混合パーティ募集。遠方産の薬草・鉱石採集。単独Eランクでの参加は不可――』
トマが、目を輝かせながら健一を見上げてくる。
「これ、俺たちだけじゃ条件足りないんです」
ニナが、静かに続けた。
「健一さんが一緒なら、条件を満たせます」
「……何が言いたいのか、もう分かる気がします」
三人が、揃って笑顔になった。
「「「一緒に来てください!!」」」
健一は、懐の手紙の重みと、目の前の三人の圧を、同時に感じながら小さく息を吐いた。
(旅立つ前に、まだやることが増えるらしい)
空を見上げると、今日もどこまでも青かった。




