食事会?
案内された店は、外観からしてすでに串焼き屋とは別の生き物だった。
石造りの壁に、蔦を這わせた装飾。
入り口に立つ従業員の姿勢まで、やけに綺麗だ。
扉を開けた瞬間、香草と焼いた肉の匂いが、静かに、しかし確実に押し寄せてくる。
(串焼き屋の匂いとは、圧の種類が違う……)
健一は思わず足を止めかけた。
「こちらです」
クローデットが、慣れた様子で先へ進む。
案内された席は、店の一番奥。
窓から中庭が見える、明らかに「良い席」だった。
椅子を引かれるという体験に、健一は数秒遅れて座った。
「……椅子、引いてもらったの初めてです」
「そうなのですか?」
「串焼き屋では、椅子は自分で引くものなので」
クローデットが、口元を押さえて小さく笑った。
ルーカスは向かいの席で、興味深そうにこちらを見ている。
「串焼き屋というのが、そんなに気に入っているのか」
「命の恩人みたいなものなので」
「食事にそこまでの思い入れは、初めて聞いた」
「一度食べたら分かります」
「今度案内してもらおうか」
「……貴族が来ていい場所じゃない気がします」
ルーカスが小さく笑って、それ以上は追及しなかった。
最初の皿が運ばれてくる。
小さな器に、色とりどりの前菜が並んでいた。
健一は、まず匂いを嗅いだ。
次に、皿の上の配置をじっと見た。
それから、フォークを手に取る前に、ひとこと呟いた。
「……これ、香草を先に油で馴染ませてますね」
給仕の手が、一瞬止まった。
「……お客様、お詳しいので?」
「いえ、詳しくは。串焼きしか焼いたことないので」
「串焼き、ですか」
「串焼きです」
給仕が、微妙な表情のまま一礼して下がっていった。
クローデットが、興味深そうに身を乗り出す。
「香草を先に、というのは?」
「あー……焼く前に馴染ませておくと、匂いが角なく回るんです。串焼きでも、タレを先に絡めておくのと後から塗るのとで、味の乗り方が全然違って」
「詳しいのですね」
「詳しいのは串焼きだけです」
「串焼きへの造詣が、想像以上に深いようですね」
「一年、屋台で焼いてもらったの見てただけなんですけど」
「見ていただけで、そこまで?」
「気になると、つい」
ルーカスが、面白そうに口を挟んでくる。
「戦い方より詳しい口ぶりだな」
「戦い方は成り行きです。串焼きは信念です」
「信念、か」
ルーカスがなぜか、感心したように頷いた。
メインの皿が運ばれてくる頃には、健一はすでに料理人の目になっていた。
肉の切り分け方。
焼き目の入り方。
ソースのとろみ。
「……この火入れ、余熱で仕上げてますね」
思わず声に出ていた。
「健一殿……?」
「(ハッ)すみません、つい」
「いえ、構いませんが……お詳しいですね、本当に」
「串焼きの延長線上で見ちゃうんです。癖みたいなもので」
「癖、ですか」
「悪い癖です。自分でも思います」
クローデットが、楽しそうに肩を揺らした。
「健一殿とお話ししていると、飽きません」
「食べ物の話ばかりで恐縮です」
「いいえ。……とても、人間らしいと思います」
その言い方に、健一はわずかに引っかかった。
(人間らしい、って言い方するあたり、この人も色々見てきたんだろうな)
食事が進み、空気が少し緩んだところで、クローデットが姿勢を正した。
「健一殿は、これから、どちらへ?」
「次の町ですね。そのうち出ようかと」
「そのうち、というのは」
「明確な予定はないです。ふらっと出る予定です」
「……ふらっとで、大陸を移動されるのですか」
「今のところ順調にふらっとできてます」
クローデットが、少し困ったように微笑んだ。
「もしよろしければ、立ち寄っていただきたい場所が――」
そこまで言いかけたところで、給仕が新しい皿を運んできた。
湯気の立つ、見たことのない形の料理。
健一の視線が、綺麗に吸い寄せられた。
「……クローデット様、すみません、この皿だけ先に」
「あ、はい、どうぞ」
会話は、あっさり中断された。
クローデットは特に気を悪くした様子もなく、むしろ面白そうにその横顔を見ている。
(続きは、また今度でいいか)
そんな顔をしていた。
ルーカスだけが、片眉を上げていた。
「……今、彼女の話を遮って料理を選んだのか」
「え、まずかったですか」
「いや。ただ、そういう人間を初めて見ている、というだけだ」
「よく言われます」
「一日に何度も言われている自覚は?」
「今日だけで三回目な気がします」
食後、給仕が下がった隙に、ルーカスがふと声を落とした。
「一つ、聞いていいか」
「はい」
「君は……彼女に、特別な感情を持っているのか」
健一は、フォークを置く手を止めて、真顔でルーカスを見た。
「えっ、婚約者いるじゃないですか」
「……いや、それはそうなんだが」
「いるところに、特別な感情を持つ理由がないです」
「理由の話をしているんじゃない」
「理由がないので、成立しないという話をしています」
ルーカスは、しばらく無言だった。
やがて、額を軽く押さえて息を吐いた。
(なんだ、この男は)
「……いや、いい。よく分かった」
「分かってもらえてよかったです」
「褒めているのか、貶しているのか、自分でも分からなくなってきた」
「褒めてもらえたら嬉しいです」
「……褒めておく」
食事も終盤、厨房のほうから、給仕とは別の男が姿を見せた。
腰にエプロンを巻いた、いかにも料理人という風貌の男だった。
「失礼します。当店の料理長です」
「わざわざご丁寧に……」
「先ほど給仕から伺いまして。香草の油馴染みと、火入れの余熱について、お客様が」
「あ、あれはただの独り言のつもりで」
「差し支えなければ、少しお話を伺えませんか。串焼き、とお聞きしましたが」
健一は、思わずクローデットとルーカスを見た。
二人とも、面白がる目でこちらを見返している。
「……行っていいですか」
「もちろんです。存分にどうぞ」
「食事の途中で席を立つ客、初めてなんですが」
「初めてでも構いません。健一殿らしいので」
料理長に連れられて厨房の入り口まで行った健一は、串焼きのタレの配合を身振り手振りで説明し始めた。
料理長が、真剣な顔でメモを取っている。
貴族の食事処の裏口で、屋台の串焼き談義が繰り広げられる光景を、給仕たちが遠巻きに見ていた。
「……あの方、何者なんです?」
「さあ……ただ、料理長があんなに前のめりなの、初めて見ました」
席に戻った健一を、クローデットが変わらぬ笑顔で迎えた。
「満足のいくお話はできましたか」
「はい、思いのほか」
「良い時間になったなら、なによりです」
「ただ、肝心の食事が冷めかけてます」
「それは……申し訳ないことをしましたね、私が呼び止めたばかりに」
「いえ、俺が勝手に行ったので」
ルーカスが、笑いを堪えるように口元を歪めていた。
「食事に呼んで、途中で料理談義に消える客も、なかなかいない」
「次からは気をつけます」
「次があるのか」
「……次、あるんですか」
「さあ、それは彼女次第だな」
クローデットは、それには答えず、ただ静かに微笑んでいた。
店を出る頃には、日はすっかり傾いていた。
橙色の光が、石畳の道を長く照らしている。
「今日は、ありがとうございました」
「いえ、こちらこそ。良い時間でした」
「食事の作法、色々あやふやですみません」
「気になりませんでした。健一殿らしくて」
「その"らしさ"、もう少し普通の方向にできないものかと自分でも思います」
ルーカスが横で、軽く肩を叩いてくる。
「無理に直す必要はないと思うぞ」
「なんでですか」
「そのままの方が、面白い」
「面白がられるために生きてるわけじゃないんですが」
「分かっている。だが、事実だ」
反論しようとして、健一はやめた。
今日一日で、反論しても勝てないパターンを、もう十分に学んでいた。
空を見上げると、相変わらず青い。
女神の声は、今日はまだ聞こえてこない。
(……串焼き以外の美味さを知った日、くらいには覚えておくか)
そんなことを思いながら、健一は馬車に乗り込む二人を見送り、宿への道を歩き出した。




