登場したのは
外の光を背に、すらりとした人影が入ってくる。
金の髪、整った顔立ち、隙のない立ち姿。
どこからどう見ても「絵になる男」だった。
歩き方一つ取っても、無駄がない。育ちの良さが、そのまま姿勢に出ているような男だ。
ギルド中の視線が、今度はその男に集まった。
「……今度は男か」
「イケメンだな、おい」
「なんかこう、キラキラしてないか」
冒険者たちの囁きが、また波紋のように広がっていく。
健一は串の最後の一かけらを噛み終えたところで、内心だけで頷いた。
(うん、キラキラしてる。俺には分からない光り方だ)
クローデットが、男に向かって小さく手を上げた。
「ルーカス様。こちらです」
「ああ」
男――ルーカスは、迷いのない足取りでこちらへ歩いてくる。
健一の前で立ち止まると、まっすぐに目を合わせてきた。
「君が、彼女を助けたという人か」
「……はい、たぶん」
「たぶん、か」
ルーカスは軽く笑った。
悪意のない、育ちのいい笑い方だった。
「クローデット。彼が、その」
「はい。半年前、街道で私を助けてくださった方です」
「なるほど」
ルーカスは一つ頷くと、すっと右手を差し出してきた。
「申し遅れた。ルーカス・ヴェイン・オルグレンだ。彼女――クローデットの、婚約者にあたる」
「健一です」
差し出された手を、健一は反射的に握った。
ごく普通の握手だった。力の込め方も、常識的な範囲だった。
だが、その瞬間。
(あ)
長年のクセが、勝手に発動した。
握手した相手を、うっかり鑑定してしまうクセだ。
視界の端に、いつもの表示が滲むように浮かぶ。
――状態:値踏み中
「(あ、この人今めっちゃ値踏みしてる……)」
表面上の笑顔と、状態表示のギャップが凄まじい。
握手も、笑顔も、声のトーンも、何一つ崩れていない。
それでいて内側では、健一の値打ちを冷静に測っている。
(すごいな、貴族。表と裏が完全に別人だ)
思わず、視線がわずかに泳いだ。
「……どうかしたか」
ルーカスが、握った手はそのままに、静かに問いかけてくる。
「いえ、なんでも」
「そうか」
あっさり流されたが、内心はあっさりしていなかった。
(人を鑑定できるとか、絶対言っちゃいけないやつだ……)
以前、教会でうっかり漏らしかけた時のことを思い出す。
「そのような能力をお持ちの方を見つけたら、ぜひ教会に」と目を輝かせた神官と、その後に続いた「親切に説明して教会に努めていただけたら」という、拉致と紙一重の勧誘。
あの時、健一は咄嗟に誤魔化して逃げ切った。
今、目の前にいるのは貴族だ。教会よりよほど権力を持っていそうな相手だ。
ここでバレたら、もっと面倒なことになる気がする。
知られていいことは、何一つない気がする。
握手が終わり、ルーカスがようやく手を引いた。
「一つ、聞きたいことがある」
「はい」
「なぜ、助けたんだ」
「困ってたので」
「……それだけか?」
「それだけです」
短すぎる答えに、ルーカスが一瞬、言葉を止めた。
何か裏を探るような目で、健一の顔をじっと見つめる。
「見返りも、名乗る気も、なかったと聞いた」
「特に考えてなかったので」
「彼女がどこの家の者かも、確認しなかったと」
「知らなかったです」
「今は知っている」
「今は知ってます」
ルーカスは、しばらく無言だった。
やがて、なぜか少し可笑しそうに息を吐いた。
「そういう人間は、初めて見た」
「よく言われます」
「褒めているんだが、伝わっているか」
「伝わってます。ありがとうございます」
反応が薄すぎて、ルーカス自身が拍子抜けしたような顔をしていた。
その様子を、ギルドの柱の陰から三つの頭がじっと見守っていた。
「……ケンイチさん、すごい人と知り合いですね」
「婚約者まで出てきましたよ」
「顔色、変わらないですね」
「変わらないのがむしろすごいです」
ロイとトマが、感心と困惑の間くらいの顔で囁き合っている。
ニナだけは、いつも通り手帳を構えていた。
「私には、令嬢と婚約者を前にしても健一さんが動揺していないのがわかります」
「なんでですか」
「呼吸が一定なので」
「観察の粒度、そこまで細かいんですか」
「大事な記録なので」
トマが腕を組んで、感嘆したように呟く。
「普通、あんな綺麗な人に囲まれたら緊張しますよね」
「健一さんの場合、緊張の沸点がそもそも高いのかもしれません」
「呪いの影響もあるかもしれないですね」
「――今、勝手に俺の緊張の沸点で議論してませんか」
三人が、揃ってびくっと肩を跳ねさせた。
「聞こえてました!?」
「そこそこの声量で話してたので」
「気配、消せてなかったですね」
「元々消える気がなかったです」
ニナが手帳に何かを書き足す。
「新項目。健一さん、聴力も並外れている」
「並外れてないです、普通の距離でした」
「もう記録しました」
「記録の速度だけは本当に規格外ですよね、ニナさん」
クローデットが、微笑ましそうにその様子を眺めていた。
「賑やかなお仲間ですね」
「いや、あの、お恥ずかしい限りです」
「いいえ。とても、あなたらしい光景だと思います」
「まだ知り合って数分のはずですが」
「噂だけで、十分伝わってきておりましたので」
ルーカスが横で、興味深そうに三人組の方を見ていた。
「彼らは?」
「ギルドで世話になってる新人組です。俺が世話してるつもりはないんですが、勝手に懐かれてます」
「懐かれてます」
ロイが即座に肯定した。
健一は反論するのをやめた。反論しても勝てない気がした。
ひとしきり空気が緩んだところで、クローデットが改めて姿勢を正した。
「本題なのですが」
「はい」
「先ほども申し上げた通り、言葉だけのお礼では、私の気が済みません。もしよろしければ、この後お食事の席にお付き合いいただけないでしょうか」
「食事、ですか」
「はい。この街で一番の料理処を、すでに手配しております」
「もう手配済みなんですね」
「はい」
きっぱりと言われて、健一は今日何度目かの「言葉に詰まる」を経験した。
ルーカスが横から、面白がるように口を挟んでくる。
「彼女、こうなると聞かない性分なんだ。慣れておいた方がいい」
「もう慣れかけてます」
「早いな」
「今日一日で色々慣れました」
健一は助けを求めるように、二階を見上げた。
ガルドは、いつもの位置で、いつもの姿勢で腕を組んでいた。
視線が合う。
ガルドは、わずかに顎を引いた。
――行ってこい、という合図らしい。
「……今日、二回目のその合図ですね」
「貴族の頼みを無下にする理由がない。二回目も変わらん」
「理由なら今も考え中です」
「考える前に、もう返事は決まってる顔だ」
見透かされていた。二回目も、である。
「では、決まりですね」
クローデットが、嬉しそうに手を打った。
ルーカスが、健一の肩を軽く叩く。
「案ずるな。食事だけだ。命の危険はない」
「今日聞いた台詞の中で、一番安心できないやつです」
「なぜだ」
「わざわざそれを言う必要がある状況だったのかと」
ルーカスは答えず、ただ楽しそうに笑っていた。
ギルドの外へ向かう三人――クローデット、ルーカス、そして健一――を、柱の陰の三人組が最後まで見送っていた。
「……ケンイチさん、令嬢と婚約者に連れられてどこかへ……」
「食事に行くって言ってましたよね」
「私たちも、いつか手帳に記録されるような日を過ごしてみたいです」
「ニナさん、それ願望というか記録者の欲みたいになってません?」
三人の声は、扉の閉まる音にかき消されて、健一の耳には届かなかった。
外へ出ると、空はいつも通り青かった。
女神の声は、まだ聞こえてこない。
聞こえてこなかったが、健一にはなんとなく分かった。
(今、絶対どこかで面白がられてる)
その予感だけを胸に、健一は豪華な馬車に案内されるまま、大人しく乗り込んだ。




