ワイバーンを・・
「囮になります」
健一が唐突に言い出したのは、岩場から少し下がった木陰でのことだった。
一瞬、全員の動きが止まった。
カインが握っていた杖を、危うく取り落としかけた。
「は?」
レオンの声が、綺麗に裏返った。
朝、寝言のガロンに突っ込んでいた時よりも高い声だった。
「囮です。俺が動き回って、母ワイバーンの気を引きます」
「正気か」
「たぶん」
「たぶんで囮をやるな」
「でも他に適任がいないので」
「俺じゃできないってのか?」
ガロンが少しむっとした様子でたずねる
「そういうわけでは・・・
ただ自分のわがままで生かしたまま何とかしたいというのに
皆さんまで危険にできないというか・・・
それに・・・」
「それに?」
「どらさんの模擬戦より危ないとは思えないので」
「……どらさんって?」
「師匠です」
「師匠……」
「本人は否定しますけど」
レオンが、聞かなかったことにしようという顔をした。
賢明だった。
ガロンが静かに、しかし切実な声で口を挟む。
「それでもだ。俺が盾になるから、お前は前に出るな。昨日も言った」
「昨日も言われました」
「今日も言う」
「明日も言いそうですね」
「言う」
律儀な男は本当に律儀だった。
セレナが腕を組んで、値踏みするような目でこちらを見た。
「囮って、要するに『わざと狙われる係』ってことだろ。お前、それ楽しんでないか」
「楽しんではいないです。得意ではあります」
「得意ってなんだ」
「避けるの、得意なので」
「戦うのが得意、じゃなくて避けるのが得意、って自分で言う奴、初めて見た」
カインが半笑いで、しかし目は笑っていない声で言った。
「にしても、あの図体のワイバーンから逃げ回るなんて、俺は絶対やりたくないな」
「たぶん大丈夫です」
「たぶんって言葉、お前の口から出るたび不安になるんだが」
「よく言われます」
「言われすぎだろ」
エレナが、控えめに、しかしはっきりと問う。
「万が一のときは、私が回復魔法で……あの、間に合うでしょうか」
「間に合わなかったら、その時はその時です」
「それ、慰めになってないです」
「すみません、慰め方が分からなくて」
「素直すぎるのも困りものですね……」
エレナが小さくため息をついた。
怖がりのくせに、こういう時だけ律儀に心配してくれる。
健一は少しだけ、ありがたいと思った。
作戦会議が始まった。
「カインとエレナは後方から支援。強化魔法と回復を絶やすな」
「望むところだ」
「いつでも」
「ガロンは親個体の正面に立って、注意を引きつけろ」
「本職だ」
「セレナは幼体を安全な方向へ誘導」
「任せろ。逃げ足には自信がある」
「健一と俺が仕留め役。健一が囮になっている間に、隙を作って俺が動く」
「はい」
一通り決まったところで、レオンが健一を見た。
「一つ聞きたいんだが」
「はい」
「なぜお前が囮をやると、殺さずに済ませられる算段になるんだ」
「囮の動きを、俺が自分で決められるからです。傷つけない動き方を、俺が自分でやれば確実なので」
「お前ならできるってのか?」
「そうです」
「ガロンじゃダメなのか?」
「ワイバーンの攻撃を受けきれるならいいんですが
自分なら確実に回避できるかなと」
「確かに受けきるには厳しい相手かもしれないが・・」
「そこまで言うならケンイチにやらせてみよう。
ただし危なくなったらすぐに俺も出るからな。」
「ガロンさん・・ありがとうございます。」
作戦開始の合図とともに、健一は岩場に向かって駆け出した。
「おおおおおおい!!」
我ながら締まらない雄叫びだと思いながら、両手を振り回して岩の上を走る。
母ワイバーンが、旋回を止めてこちらを見た。
(見た。よし)
視線を釘付けにしたまま、健一は岩場の東側へと走路を取った。
巣とは反対方向、幼体からも離れる方向。
母ワイバーンが咆哮を上げ、急降下してきた。
「うわ、思ったより速い」
呑気な感想と共に、健一は横に転がって避けた。
爪が、直前まで健一がいた岩を削り取る。
「危なかったですね」
「危なかったで済ますな!!」
木陰からガロンの怒鳴り声が飛んできた。
母ワイバーンが再び上空へ舞い上がり、旋回する。
その動きを、健一はじっと観察していた。
(ここは翼の付け根が見える角度……あっちは尾が邪魔で死角……)
頭の中で、地形と相手の動きを組み合わせていく。
どらさんとの模擬戦で叩き込まれた癖だった。
避けるための地図を、無意識に描いてしまう。
二度目の急降下が来た。
健一はまた避けた。
三度目も避けた。
「……なあ」
木陰で見ていたレオンが、隣のカインに小声で聞いた。
「気のせいか、あいつ、毎回同じルートを避けてないか」
「言われてみれば」
「巣に近づく動き、一回もしてないな」
「してないですね」
「わざとやってるのか、あれ」
「本人は『避けるの得意』としか言ってなかったですけど」
「得意で片付けていい動きじゃない気がする」
木陰の分析会議をよそに、健一はさらに一往復、母ワイバーンを引きつけていた。
息は上がっていたが、まだ余裕はあった。
「そろそろ、いいですかー!」
叫びながら振り返った拍子に、健一は石につまずいて盛大に転んだ。
「うおっ」
「健一!!」
ガロンが本気で叫んだ声だった。
母ワイバーンの影が、頭上に迫る。
刹那、レオンが横合いから斬り込んだ。
翼の付け根、健一が何度も避け続けていたことで露わになっていた急所を、正確に一撃。
母ワイバーンが体勢を崩し、地面に落ちる。
セレナの誘導で巣を離れていた幼体二体が、遠くで甲高い声を上げた。
「……今の、わざと転んだのか」
レオンが、剣を構えたまま真顔で聞いてくる。
「いえ、普通につまずきました」
「普通に?」
「はい・・」
「本気で心臓が止まりかけたんだが」
「すみません」
母ワイバーンは意識を失ってはいたが、息はあった。
エレナが慎重に回復魔法をかけ、傷を最小限に留める。
セレナが幼体たちを遠巻きに見ながら、呆れたように呟いた。
「殺さずに済んだな。本当に」
「よかったです」
「よかったですじゃないんだよ。お前が転んだ瞬間、全員の寿命が縮んだんだからな」
「それは申し訳ないです」
ガロンが、健一の肩をがっしり掴んだ。
「無事か。無事なんだな」
「無事です」
「本当に無事なんだな」
「たぶん」
「たぶんはやめろと言っただろう」
「癖になってて」
「今すぐ抜け」
律儀な男の説教は、しばらく続いた。
母ワイバーンは、意識を取り戻すと同時に幼体たちのもとへ這うようにして戻っていった。
討伐というより、撃退に近い決着だった。
レオンがそれを見届けて、短く言った。
「巣ごと移動するだろう。しばらくは戻ってこない」
「よかったです」
「お前の『よかった』は、今日だけで何回目だ」
「数えてないです」
「数えろ」
パーティは荷物をまとめ、街への帰路についた。
歩きながら、カインがぽつりと呟く。
「にしても、避けるだけで急所まで見えるようにしてくるとか、どういう鍛え方したんだよ」
「たぶん理不尽な鍛え方です」
「たぶんばっかりだな、お前」
「本当のことなので」
セレナが横から口を挟んだ。
「その師匠とやら、一回見てみたいもんだな」
「絶対やめた方がいいです」
「なんでだよ」
「価値観が壊れます」
「もう十分壊れかけてるから今更だ」
「それはそれで心配です」
軽口の応酬が続く中、街道を歩くパーティの空気は、行きよりずっと軽くなっていた。
街に戻ると、待っていたのは戦闘よりも過酷な現実だった。
「報告書、六人分お願いしますね」
受付でミリアが、満面の笑みで紙束を差し出してきた。
「……六人分」
「討伐報告と経過報告、それぞれ一部ずつです」
「それ、六人分って言いつつ実質十二枚では」
「気付くの早いですね」
健一は諦めて羽根ペンを握った。
ワイバーンより、こちらの方が正直つらかった。
数日後、ギルドの職員の間で、健一の書いた報告書がひそかに回し読みされているという噂を、本人は知らない。
『ワイバーンは、思ったより素直でした(感想)』
『囮の役割について。避けているつもりが、いつの間にか作戦になっていたようです。自分でもよく分かりません』
『転倒については不可抗力です。反省しています』
一方、ガロンの報告書にはこう記されていた。
『ワイバーン相手におとり役を見事にこなした。石に躓いたこと以外は』
セレナの報告書は簡潔だった。
『新人、思ったより化け物。ただし本人に自覚なし。以上』
カインの報告書は、途中から愚痴のようになっていた。
『鍛え方を聞いたが「たぶん理不尽」としか答えが返ってこず、参考にならなかった。悔しい』
エレナの報告書だけが、やけに丁寧に締めくくられていた。
『健一様の身の安全を、今後も陰ながらお祈り申し上げます』
ギルドマスター室の窓際で、それらを一通り読み終えたガルドが、静かに呟いた。
「……変な新人だな、本当に」
その台詞を、健一は今日だけで三回目、レオンから直接聞いていた。
ギルドマスターにまで言われているとは、本人はまだ知らない。




