遭遇
朝、焚き火の灰がまだ白く残っている中で、健一は先に目を覚ました。
見張りを交代しながら眠ったはずなのに、なんとなく寝た気がしない。
理由はすぐに分かった。
「……たぶんです」
すぐそばで、ガロンがまだ寝言を続けていた。
律儀な男は、寝ていても律儀らしい。
「おい、起きろ」
セレナが容赦なく足でつつく。
ガロンが跳ねるように飛び起きた。
「な、なんだ」
「寝言、聞かれてたぞ」
カインが半笑いで言う。
「たぶんです、って何回も言ってた」
「……嘘だろう」
ガロンが露骨に狼狽える。
昨夜の健一とのやり取りが、寝ている間にすっかり染み付いていたらしい。
「うつるんですね、あれ」
「うつしたのお前だからな」
レオンが淡々と突っ込んだ。
朝から律儀に成立する会話だった。
朝食を手早く済ませ、パーティは再び北へ向かって歩き出した。
昨日より、木々が密になっている。
街道の轍も、いつの間にか消えていた。
「この辺りから、正式に索敵範囲だ」
レオンの声が、いつもより低くなる。
それだけで、空気が少し張り詰めた。
セレナが先行し、しばらくして戻ってくる。
「爪痕がある。木の高い位置に、三本」
「三本ってことは」
「大型の飛行種。おそらく本命だ」
淡々とした報告だったが、内容は十分に物騒だった。
ガロンが盾の位置を調整し、カインが杖を握り直す。
エレナも、両手をそっと胸の前で組んだ。
(緊張感……ある)
健一もそれなりに気を引き締めたつもりだった。
つもり、ではあった。
しばらく進むと、木々の隙間から開けた岩場が見えてきた。
その上空を、大きな影が緩やかに旋回している。
「……いた」
レオンの声がわずかに硬くなる。
パーティ全体の足が、自然と止まった。
健一もその影を見上げた。
翼。
長い尾。
鋭い爪。
「あ」
「あ?」
「これ、前のより小さいな」
至極どうでもよさそうな声だった。
沈黙が落ちる。
「……お前、本当に一ヶ月前に来た新人か?」
レオンが真顔で聞いてくる。
「はい」
「ならなんで、今のを見て顔色一つ変わらんのだ」
「変わる要素がなくて」
ガロンとカインが、そろって困惑した顔で健一を見た。
「いや、あれ、普通に怖いだろう」
「怖いですけど、初対面じゃないので」
「初対面じゃない、って何回目だ」
「三回目くらいだと思います」
「三回も遭遇して生きてる奴、初めて見た」
カインが呆れ半分、感心半分の声を出す。
セレナも一歩後ろから、値踏みするような目でこちらを見ていた。
(比較対象が悪いだけなんだけどな……)
説明しても長くなるので、健一は黙っておいた。
念のため、健一は静かに鑑定を発動する。
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・種族:ロックワイバーン(成体・雌)
・レベル:41
・特徴:巣持ち。周辺に幼体二体を確認
・状態:警戒、防衛本能極めて強い
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最後の一行を見て、健一の表情が固まった。
「……子どもいる」
「は?」
レオンが聞き返す。
「あの個体、子持ちです。巣の周りに、幼体が二体」
パーティの空気が、一段階変わった。
「……面倒だな」
レオンが低く呟く。
「なんでですか」
「子連れは気性が荒くなる。単独の個体より厄介だ」
「あ、それは知らなかったです」
「知らずに突っ込む気だったのか」
「突っ込む気はなかったですけど、傷つけたくない気持ちは増えました」
「……は?」
レオンの声が裏返った。
「子ども、いるので」
「討伐対象だぞ」
「討伐対象ですけど、子どもです」
「それはそうだが」
「かわいそうです」
真顔で言い切られ、レオンが本気で言葉に詰まった。
エレナが、控えめに、しかしはっきりと口を挟む。
「命を大事にするお気持ちは立派だと思います。ですが、まずご自分の命の心配をされては」
「一理あります」
「一理どころではないと思うのですが」
正論だった。
反論する材料は、健一の中にも見当たらなかった。
だが、それとこれとは話が別だった。
「どっちが強いの」
レオンが本気で心配し始めた声で聞いてくる。
「たぶん向こうです」
「たぶんで納得できる強さの相手に、傷つけたくないとか言うな」
「言いたくなったんです」
「理由になってない」
ガロンが、静かに、しかし切実な声で割り込んできた。
「……頼む。俺が盾になるから、お前は前に出るな」
「ガロンさん」
「本気で言ってる」
「本気で言われるとちょっと重いです」
「重くていい。前に出るな」
普段の穏やかさが消え、ほとんど懇願に近い声だった。
健一は少しだけ、心が動いた。
カインが横から、真剣な顔で尋ねる。
「なあ、お前、どうして子どもの魔物にまでそんな肩入れするんだ」
一瞬、答えに迷う。
森の奥で、竜の姿をした相手に投げ飛ばされ続けた日々を思い出す。
あの頃、自分より圧倒的に強い存在に、それでも見捨てられずに育ててもらった。
「……小さいのに理不尽な目に遭う奴を見ると、放っておけないんです」
我ながら、らしくない台詞だった。
だが、噓ではなかった。
カインは何か言いかけて、結局黙った。
セレナも、無言でこちらを見ていた。
レオンが、深く息を吐く。
「分かった。殺さずに済ませる方法を考える」
「本当ですか」
「本当だ。だが、お前の命を最優先にする。それだけは譲らん」
「レオンさんも、たまにいいこと言いますね」
「たまにで悪かったな」
短いやり取りの後、レオンは岩場に視線を戻した。
「セレナ、幼体の位置を確認できるか」
「巣の中だ。母親が外を旋回してる間は動かないだろう」
「ガロン、囮を引き受けられるか」
「本職だ」
「カイン、援護は」
「望むところだ」
「エレナ」
「回復はいつでも」
一人ずつ、短く応じていく。
六人分の声が、静かに、しかし確かに揃った。
健一だけが、少し出遅れた。
「……あの、俺は」
「お前は、傷つけない方法を考えろ」
レオンが短く言った。
「それがお前の役目だ」
思いがけない言葉だった。
討伐に来て、まさか「傷つけない方法を考えろ」と言われるとは思っていなかった。
「……はい」
短く答えると、レオンがわずかに口の端を上げた。
「変な新人だな、本当に」
「よく言われます」
岩場の向こうで、母ワイバーンがまた一つ、大きく旋回した。
その影が、地面に長く伸びる。
平和な景色ではなかった。
だが、絶望的な景色でもなかった。
健一は小さく息を吸い、頭の中で作戦の断片を組み立て始めた。
(囮になるなら、俺だな……)
北の空を見上げながら、健一はそう結論づけた。
まだ誰にも言っていない結論だった。




