出発
出発の朝は、いつもより静かに始まった。
宿の一室、荷物を並べて健一はもう一度確認する。
剣。
非常食。
着替え。
そしてロイからもらった保存食が、すでに鞄の半分を占領していた。
「……減らない」
一つ手に取ってみたものの、なんとなく罪悪感が勝って、結局そのまま戻した。
支度を終え、宿を出る。
夜明けの空気はまだ冷たく、通りには人影も少ない。
ギルド前の広場に着くと、すでに人影が三つ、待ち構えていた。
「「「おはようございます!!」」」
三人の声が、朝の静けさを見事に切り裂いた。
ロイ、トマ、ニナ――三人組が、なぜか気合十分な顔で並んでいる。
「なんで全員いるの」
「見送りに決まってるじゃないですか!」
ロイが胸を張って答える。
胸を張るような話だろうか。
突っ込む元気は、まだ朝の健一には残っていなかった。
トマが荷物を覗き込んでくる。
「思ったより身軽なんですね」
「身軽にしたいんですけど、なぜか荷物が」
視線を落とすと、ロイが目をそらした。
「これ、お弁当です!」
差し出されたのは、想像より二回りほど大きい包みだった。
「……ロイ君、これ何日分ですか」
「多めに作りました!」
「多めの基準がおかしい」
受け取ると、ずっしりと重い。
「重い(物理的に)」
心の声が、そのまま口から漏れた。
両手で持ち直したところで、トマが真顔で言う。
「それ、もう武器として使えません?」
「これで殴られたら魔物の方が心配です」
「魔物を心配してどうするんですか」
ニナが手帳を構えたまま、静かに付け加える。
「保存食、追加投入。健一さんの荷物、着実に増加中」
「このペースだと、目的地に着く頃には荷物の方が健一さんより重くなる予定」
「予定を立てないでください」
「予定は大事です」
「記録する内容がだんだん生活記録になってません?」
「貴重な記録です」
反論する気力を溜めている間に、通りの向こうから低い声が届いた。
「よう」
レオンだった。
背には大剣。
その後ろに、見覚えのない人影が四つ続いている。
「時間通りだな」
「レオンさんが早いのは知ってます」
「早いんじゃない。お前が遅いだけだ」
「……一理あります」
レオンの後ろにいた四人が、値踏みするような視線を健一に向けてきた。
まず、頭一つ大きい大男が前に出る。
盾を背負い、立っているだけで妙な安心感があった。
「お前が例の新人か」
低く、しかし柔らかい声だった。
「健一です。よろしくお願いします」
大男は健一を上から下まで、ゆっくりと眺めた。
あまりに丁寧な観察だったので、健一は思わず両手を軽く上げそうになった。
職務質問の気配がする。
「……普通に見えるな」
「よく言われます」
「ワイバーンを単独で仕留めた新人、という話だったが」
「話が一人歩きしてるだけです」
「そうか」
大男は特に追及せず、小さく頷いた。
だが、何かを決意したような目をしていたのが少し気になった。
「ガロンだ。盾役をやってる」
「よろしくお願いします、ガロンさん」
続いて、細身の女性が腕を組んだまま口を開いた。
「魔石の査定書、話盛ってないか?」
いきなりだった。
「盛ってないです。というか、盛られてるのは俺じゃなくて噂の方です」
「同じことだろう」
「違います。俺は当事者として、一番驚いてる側です」
「本人が一番驚いてる噂ほど、信用ならないものはない」
「それ、俺に言います?」
女性は健一をじろじろと眺めてから、小さく鼻を鳴らした。
「セレナ。斥候やってる。噂は信じない主義」
「賢明だと思います」
「お前自身は、まだ判断中だ」
信用されているのか、疑われているのか。
どちらとも取れる言い方だった。
今度は、若い男が腕を組んだまま健一を睨むように見てくる。
「カインだ。魔法使い」
「よろしくお願いします」
「聞いた話だと、お前、詠唱が異常に短いらしいな」
「短いというか、区切ってるだけです」
「区切って、そんなに短くなるものか?」
「癖です」
「癖で片づけるな」
「片づかないと困るので片づけます」
「片づいてない、今の説明で一番」
対抗心なのか、興味なのか。
判別が難しい目だった。
健一は曖昧に頷いておいた。
最後に、小柄な女性が一歩前に出る。
神官衣を纏い、胸の前で両手を組んでいた。
「エレナです。回復魔法を担当しています」
丁寧な自己紹介だった。
だが、握手をしようと差し出した手が、健一の手に触れる寸前で止まった。
「……あ」
小さく声が漏れる。
「どうかしましたか」
「……いえ、なんでもありません」
エレナは笑顔を貼り付けたまま、そっと手を引っ込めた。
握手は、結局できなかった。
(今の、絶対何か視えたな……)
健一には、心当たりがありすぎた。
聖職者は、この手の気配に敏感だと聞いたことがある。
カインが横から怪訝な顔をする。
「どうした」
「……あの、これは深く聞かない方がいいやつです」
「気になる言い方すんな」
エレナは首を振るだけで、それ以上は何も言わなかった。
沈黙が、逆にいろいろ物語っていた。
ガロンが横から、静かに、しかし妙に重々しく言う。
「触れるな。触れたら負けだ」
「対戦相手みたいに言わないでください」
「実際、負けた」
「エレナさん本人はまだ何も言ってないんですが」
レオンがその様子を眺めながら、ふと呟く。
「新人にしちゃ、変な人望あるな」
「それが呪いの副作用じゃないといいんですが」
「呪いの話は、この際もういい」
「俺もそう思います」
三人組がその会話をこっそり聞いていたらしい。
ロイが小声でトマに囁く。
「ケンイチさん、すごい人たちと一緒に行くんですね」
「俺たちより大人っぽい」
「大人っていうか、値踏みされてる」
なかなか正確な観察だった。
出発の時間が近づく。
広場の空気が、少しだけ引き締まった。
三人が横に並び、声を揃える。
「「「気をつけてください!!」」」
綺麗にハモっていた。
練習でもしたのだろうか。
「……ありがとう」
素直に礼を言うと、三人が揃って照れたような顔をした。
これはこれで、なんだか調子が狂う。
ニナが手帳を閉じながら言う。
「見送り、記録終了」
「記録するようなことでもない気がします」
「貴重な記録です」
反論する時間はなかった。
出発の合図が、レオンの短い一言で告げられたからだ。
「行くぞ」
「はい」
健一は三人に軽く手を振り、六人パーティの最後尾についた。
振り返ると、三人がまだ手を振っている。
(なんかお父さんが仕事行く感じ……)
「モテてるな」
すぐ横を歩いていたレオンが、ぼそりと言った。
「絶対違います」
「否定が早いな」
「否定するようなことでもないので」
「その割に食い気味だったが」
「食い気味になるくらい否定したいので」
会話にならない会話をしながら、パーティは北の街道を歩き出した。
門を抜けると、街の喧騒が急速に遠ざかっていく。
代わりに、乾いた土と草の匂いが強くなった。
街道は広く、隊商の轍がいくつも残っている。
だが、今日はその轍の上を歩く商人の姿がない。
「静かですね」
「足止めされてるからな」
セレナが淡々と答える。
「本来なら、朝一番に何台もすれ違うはずだ」
がらんとした街道は、平和な景色のはずなのに、どこか落ち着かない雰囲気を纏っていた。
健一は隊列の後ろを歩きながら、なんとなく前世の通勤ラッシュを思い出していた。
(あの頃は人が多すぎて息が詰まったのに、今は人がいなさすぎて息が詰まる)
どちらにしても詰まっていた。
人生とは、そういうものらしい。
しばらく歩くと、ガロンが横から声をかけてきた。
「本当に大丈夫なんだな?」
「たぶん」
「たぶんか」
「たぶんです」
三度目のやり取りの後、ガロンは何かを諦めたような顔で前を向いた。
安心させるための質問だったはずなのに、聞かれるたびに不安が増しているのは、健一の気のせいではないだろう。
数十歩進んだところで、ガロンがまた口を開いた。
「本当に――」
「たぶんです」
「まだ何も聞いてないが」
「聞かれる前提で答えました」
「気が早いな」
「気を早くしないと、四回目が来る予感がしたので」
カインが横から口を挟んでくる。
「なあ、詠唱が異常に短いって話、結局どこまで本当なんだ」
「話半分くらいで聞いてもらえると助かります」
「話半分でも大概おかしいけどな」
「否定できないのがつらいところです」
カインは何かを確かめるように、こちらの手元をじっと見つめていた。
指先の動きから詠唱の秘密でも読み取ろうとしているらしい。
「……あなたもメモ取るタイプなのか」
「取らない。ただの癖だ」
「その言い訳、ニナさんに似てます」
「誰だそれは」
カインは不服そうな顔をしながらも、それ以上は突っ込んでこなかった。
だが、時折こちらを観察する視線が続いているのは、健一にも分かった。
セレナが少し前方から振り返る。
「お前、森育ちらしいな」
「そうですね」
「森でどう暮らしてたんだ」
「魔物を避けて、魔物と戦って、魔物を解体して……あとは、たまに空を飛ばされてました」
「最後、聞き間違いか?」
「聞き間違いだと思います」
セレナは眉を寄せたが、それ以上は追及せず、また前を向いた。
疑いの目は、まだ完全には晴れていないらしい。
昼過ぎ、街道脇の開けた場所で小休止を取ることになった。
エレナが手早く水を配りながら、それでも健一の番だけはわずかに手つきが慎重だった。
「……ありがとうございます」
「いえ」
短いやり取りの後、エレナはさりげなく一歩分だけ距離を取った。
一歩分だけ、というのが逆に律儀だった。
レオンがそれを見て、小さく笑う。
「エレナ、分かりやすいな」
「気づいてても、言わないであげてください」
健一が小声で頼むと、レオンは肩をすくめただけだった。
休憩を終え、再び歩き出す。
日が傾き始めた頃には、街道の左右に木々が増え、道幅も少しずつ狭くなっていた。
「今日はここで野営だ」
レオンの号令で、パーティは街道脇の少し開けた場所に足を止めた。
野営の準備は手際が良かった。
ガロンが結界石を並べ、カインが火をおこし、セレナが周囲を一巡して戻ってくる。
エレナが手早く簡易の陣を敷き、健一はといえば、荷物からロイの保存食を取り出して配っていた。
「量、多くないか」
ガロンが差し出された包みを見て言う。
「多いです。減らないんです」
「減らそうとしなかったんじゃないのか」
「一応、努力はしました」
包みを開けると、干し肉、木の実、謎の丸いパン、そして小さな手紙が一枚出てきた。
『無理しないでください。でも、無理してください。頑張ってください』
矛盾した応援だった。
「ロイ君の情緒、忙しいですね」
セレナが横から覗き込み、真顔で言う。
「これ、量的に一人分じゃないだろう」
「三人分プラスアルファだと思います」
「アルファ、多くないか」
「気持ちの分です」
焚き火を囲みながら、それぞれが今日一日の疲れを吐き出すように口数を減らしていく。
カインがふと、思い出したように尋ねた。
「なあ、本当にワイバーンと戦ったことあるのか」
「あります」
「勝ち方は」
健一は少し考えてから、正直に答えた。
「反射でなんとかなりました」
「反射で?」
「はい」
「その反射、どこで鍛えたんだ」
森の奥にいる、竜の姿をした相手のことが、また頭をよぎる。
だが、ここでその話をすれば長くなる。
「……森の、知り合いに」
「森の知り合い」
「便利な言葉なので、よく使ってます」
カインは釈然としない顔をしていたが、それ以上は聞いてこなかった。
火が爆ぜる音だけが、しばらく続く。
やがてセレナが、焚き火越しに健一を見て言った。
「一つだけ聞いていいか」
「なんでしょう」
「お前、本当に不安なのか。それとも、そう見せてるだけなのか」
鋭い質問だった。
健一は少し迷ってから、正直に答える。
「どうなんですかね」
「……分かりにくい奴だな」
「よく言われます」
セレナはそれ以上何も言わず、視線を焚き火に戻した。
だが、その横顔は、疑いよりもわずかに興味の色が勝っているように見えた。
夜が更け、見張りの順番が決まる。
最初の番が健一に回ってきた。
一人、焚き火のそばに座り、北の空を見上げる。
星は多いが、月は細い。
「……ワイバーン、か」
呟いた声は、誰にも届かず夜に溶けた。
一度目は山の中で。
二度目は街道の脇で。
どちらもソロで・・
今度は違う。
仲間がいて、期待があって、記録に残る依頼として立ち向かうことになる。
(……まあ、なんとかなるか)
自分に言い聞かせるように呟いて、健一は小さく息を吐いた。
背後で、寝ているはずのガロンが寝言で「……たぶんです」と呟いた。
どうやら、うつっていたらしい。
遠く、北の方角の空だけが、やけに静かだった。




