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指名依頼

呪いは解けない。

費用も足りない。

だが串焼きはうまい。


そんな結論に落ち着いてから、数日が平和に過ぎていた。


朝に依頼表を見る。

昼に軽い依頼をこなす。

夕方に串焼きを食べる。

夜に宿へ帰る。


三人組とも、相変わらず顔を合わせる。

ニナの手帳は相変わらず埋まっていく。

健一の呪いの認知度は、たぶん相変わらず上がっている。


「平和だ……」


健一はギルドの隅で串焼きの残り一本を眺めながら呟いた。


平和というのは、こういう時に限って長続きしない。

森でも同じだった。

静かな夜ほど、朝には何かが結界の外をうろついている。


その予感は、案外すぐに当たった。


「ケンイチさん」


受付からミリアが、いつもの笑顔で呼びかけてきた。


「はい」


「マスターがお呼びです。二階までお願いします」


健一の串焼きを持つ手が止まった。


「……俺、何かしましたか」


反射的に出た言葉だった。

だが仕方がない。

これまでの経験則がそう言わせている。


魔石の査定で二階に呼ばれた。

模擬戦の疑惑で二階に呼ばれた。

書類の署名が虫みたいだと二階で笑われた。


二階イコール、何かの清算である。


「さあ。何かされたんですか?」


ミリアは笑顔のまま聞き返してきた。

質問に質問で返された。

これは一番怖いパターンだった。


「……何もしてないはずです」


「はずですか」


「してないです」


「では、行ってらっしゃいませ」


営業スマイルに背中を押される形で、健一は階段を上った。

一段ごとに、心当たりを数える。


壁は壊していない。

魔法は封印している。

書類の署名も、最近は人間の字に戻した。

鶏には勝った。

負けたのは精神だけだ。


思いつく限りの罪状を洗い出したが、決定打はない。

むしろそれが一番不安だった。

心当たりがない呼び出しほど、厄介なものはない。


マスター室の扉をノックする。


「入れ」


低い声が返ってきた。

扉を開けると、ガルドが重そうな椅子に座り、腕を組んでいた。

机の上には、書類ではなく一枚の地図が広げられている。


書類じゃない。

それだけで少し安心した。


「呼びましたか」


「座れ」


健一は言われるまま、向かいの椅子に腰を下ろした。

ガルドはしばらく無言で健一を見た後、地図の一点を指でとんとんと叩いた。


「街道の北側だ」


「はい」


「ここ数日、ワイバーンが出ている。隊商が足止めされてる」


健一は真顔で頷いた。

真面目な依頼の話らしい。

清算ではなさそうだ。

少しだけ肩の力が抜けた。


「大変ですね」


「他人事だな」


「え、俺の話ですか?」


「今からする」


ガルドは腕を組み直した。


「本来はAランクに任せる案件だ。だが今、この町にAランクがいない」


「そうなんですか」


「ちょうど別の依頼で出払っている」


「タイミングが悪いですね」


「悪い」


ガルドは短く同意した。

それから、健一をまっすぐ見た。


「そこで、お前に話が来た」


健一は自分を指差した。


「俺ですか?」


「お前だ」


「なぜ俺に」


至極まっとうな疑問だった。

Eランクになったばかりの新人に、ワイバーン討伐が回ってくる理由がない。

ガルドは机の引き出しから、一枚の紙を取り出した。


見覚えがあった。

以前、鑑定士に渡された査定書の控えだ。


「……あ」


健一の声が小さく漏れた。


「思い出したか」


「思い出しました」


「ワイバーンの魔石、状態良好。欠けも少なく、魔力の濁りもほぼなし」


ガルドがそのまま読み上げる。


「これはお前が査定に出した魔石の評価だ」


「……はい」


「魔石の状態がいいということは、つまり」


「つまり?」


「仕留め方が綺麗だったということだ。無駄に暴れさせて壊した魔石とは、質が違う」


健一は口をつぐんだ。

反論の余地は、正直あまりなかった。

確かに、一撃だった。


(あの時は……まあ、普通に片づけただけなんだが)


山を越えたところで襲ってきた個体を

風魔法で翼の付け根を斬り飛ばし、雷で仕留めた。

たしかに自分の手で終わらせた。

終わらせたのだが、当人にとってはそこまで大した実感がない。

(どらさんに比べれば、よわすぎるんだよな……)


比較対象が悪かった。

古竜を基準に置くと、たいていの魔物の動きは間延びして見えてしまう。

査定書の「討伐者:ケンイチ」は、紛れもない事実だ。

ただ、事実は事実として、噂はいつも本人の実感より大きく育つものらしい。


「鑑定士がその話をした。次に商人が広めた。それがギルド中に回った」


「早くないですか噂」


「鶏より速い」


「その例えもう定着してるんですか」


ガルドは答えず、腕を組んだまま淡々と続けた。


「南の森でワイバーンを単独で仕留めた実績のある新人、という話になっている」


健一は頭を抱えた。


「誰ですかそんな尾ひれつけたの……」


「知らん。だが今更、火消しは無理だ」


「なぜですか」


「もう酒場でも話題になっている」


「終わってません?」


「終わってる」


ガルドはあっさり肯定した。

容赦がなかった。


健一は天を仰いだ。

森で静かに暮らしていたはずの三十年分の非モテ人生。

その延長で、なぜか町では妙な英雄譚を背負わされようとしている。

人生とは分からないものだった。


「あの……一応言っておきますけど」


「なんだ」


「そんなに大した戦いじゃなかったです。」


「魔石の状態がそれを否定しているが」


「……否定されると、弱いです」


健一は言葉に詰まった。

綺麗に片づいたのは事実だが、本人の中では大した手応えがない。

それもそのはずで、比べる相手が悪すぎた。


「その自信のなさ、どこから来る」


「比較対象の問題です」


森の奥で、来る日も来る日も稽古をつけてくれた、竜の姿をした相手のことを思い出す。

古竜が稽古相手です、なんて口にしたら、話がまた別の方向に転がる予感しかない。


「……森の、知り合いに、少し鍛えてもらってたので」


「森の知り合い」


「はい」


ガルドはしばらく健一を見つめた後、鼻から短く息を吐いた。


「まあいい。詳しくは聞かん」


「察してもらえてありがたいです」


「察しはするが、免除はしない」


「予感はしてました」


ガルドは地図の北側を指でなぞった。


「街道は隊商の命綱だ。塞がれたままでは、町の物流にも響く」


「それは困りますね」


「困る。特に串焼き屋の仕入れにも響く」


健一の背筋が伸びた。


「それは一大事です」


「だろうな。お前の顔つきが変わった」


「串焼きは文明の要ですから」


「そうか」


ガルドは特に取り合わず、話を戻した。


「で、聞きたいのは一つだ」


「はい」


「できるか、できないか」


短く、重い問いだった。

健一は考える。

実際に自分一人でワイバーンと正面から戦って勝てるかと言われれば、正直わからない。

たまたま自分が出会ったワイバーンが弱かっただけという可能性もあるのだ。

同じドラゴンでもどらさんと町に来る途中のドラゴンでは大きさも強さもかなり差があったのだ。

だが、ここで「無理です」と正直に言えば、査定書という動かぬ証拠が待っている。

そして何より。


(串焼き・・・・・)


すでに特例昇格、模擬戦の噂、鶏師匠の二つ名を背負っている身だ。

今更ワイバーンの噂一つ増えたところで

すでに目立ってしまっていたのだから。


「……できないとは言えない状況ですね」


健一は絞り出すように答えた。

ガルドはしばらく無言で健一を見つめた後、口の端をわずかに上げた。


「珍しく歯切れが悪いな」


「歯切れよく即答できる自信がないだけです」


「正直だな」


「正直にしか言えないので」


ガルドは椅子の背にもたれた。


「一人では行かせん。レオンのパーティに入れ」


健一は少しだけ肩の力を抜いた。


「それは助かります」


「お前が単独でワイバーンに突っ込んで、査定書通りの実力だと思われたら困る」


「思われても困りますし、実際そんなんじゃないので困ります」


「だろうな」


ガルドは短く言い、地図を丸めた。


「出発は明後日だ。準備をしておけ」


「分かりました」


健一は立ち上がりかけて、ふと動きを止めた。


「あの、一つだけいいですか」


「なんだ」


「もし途中で、俺が思ったより弱かったらどうなりますか」


「レオンがいる」


「レオンさんが間に合わなかったら」


「そうならんように鍛えてある」


「鍛えられた記憶がないんですが」


「記憶喪失なんだよ」


「だれが?」


「ケンイチがだ」


謎の理論だった。

だが反論する材料が見つからず、健一は黙るしかなかった。


沈黙が落ちる。

ガルドが健一を見た。

健一もガルドを見た。


――お前、本当にできるのか。


――串焼きが心配ですね。


――であれば十分だ。


――早く肉を町に。


言葉は交わさなかった。

だが、なんとなく通じ合った気がした。

毎回全く通じ合っていないのだが。

二人の勘違いは深まっていくのだった。


「まあいい。行け」


ガルドが手を振った。


「はい」


健一は一礼して部屋を出た。

扉を閉めた瞬間、大きく息を吐く。


「……ワイバーン、また」


今度は町の依頼として、正面から向き合うことになる。

運命というのは、案外しつこいものらしい。


階段を下りると、掲示板の前でロイたち三人組が依頼票を眺めていた。

健一の顔を見た瞬間、ロイが真っ先に気づく。


「ケンイチさん、なんか顔色が」


「悪いですか」


「悪いというか、遠い目してます」


トマも顔を覗き込んでくる。


「マスターに何言われたんですか?」


健一は少し迷ってから、正直に答えた。


「ワイバーン討伐、行くことになりました」


三人が固まった。


「え」


「えっ」


「……え?」


三人の声が見事に重なった。

ニナだけが、すでに手帳を開いている。


「新項目。ケンイチさん、ワイバーン討伐へ」


「もう書いてるんですか」


「記録は早い方がいいので」


ロイが目を輝かせた。


「やっぱりケンイチさん、すごい人だったんですね!」


「違います」


健一は即座に否定した。


「魔石の状態がよかっただけで、実際はほとんど勢いというか、反射でなんとかなっただけで」


「反射だけでワイバーン倒せるんですか?」


「森の、知り合いに鍛えられてたので、反射だけは」


ガルドに使ったのと同じ言葉で誤魔化す。

便利な言葉だった。

何度でも使い回せる。


トマが腕を組んだ。


「森の知り合いって便利ですよね」


「便利です」


「俺たちも今度から使おうかな」


「使うほどの森経験は、あまりおすすめしません」


以前にも似たようなやり取りをした気がする。

デジャブというやつだろうか。

ニナが手帳から顔を上げずに言う。


「危険度、推定:高」


「そこ、推定でお願いします」


「記録は正確にお願いします」


「そういう時だけ正確さ求めるのやめてください」


ロイが不安そうな顔になった。


「大丈夫なんですか? ワイバーンって、鶏よりずっと強いですよね」


健一は真顔で頷いた。


「鶏よりは強いです。たぶん」


「たぶんって……」


「何度か会ったことがあるので、勝手は少し分かります」


トマが真剣な顔になる。


「俺たちも何か手伝えませんか」


気持ちはありがたかった。

だが、Eランクの子供たちを連れて行けるような相手ではない。


「今回は無理です。レオンさんのPTと6人で行きます」


「レオンさんのパーティと!」


「はい」


ロイが少し安心した顔になった。


「それなら安心――」


「安心とは言い切れません」


健一が正直に付け加えると、ロイの顔がまた曇った。


「そこ、はっきりさせてください」


「正直な人間なので」


ニナが手帳にさらさらと書く。


「ケンイチさん、不安を煽る才能あり」


「才能じゃなくて事実です」


そんなやり取りをしていると、受付の方からミリアの声が飛んできた。


「ケンイチさん、出発前に必要書類がありますので、後ほど受付までお願いしますね」


健一の背中に、冷たいものが走った。


「……書類」


「はい、書類です」


「ワイバーンより怖い響きがします」


「気のせいかと」


気のせいではない気がした。

少なくとも過去二回、書類は健一の精神を確実に削っている。

ロイが横で気の毒そうな顔をした。


「頑張ってください、書類」


「討伐より応援されてる気がします」


「両方頑張ってください」


「両方に自信ないです」


トマが笑いながら肩を叩いてくる。


「まあ、ケンイチさんならなんとかなりますよ」


「その根拠のない信頼、どこから来るんですか」


「実績です」


「実績、俺の意思じゃないところで積み上がってるんですけど」


ニナが最後に、真顔で付け加えた。


「帰ってきたら、また観察を続けます」


「その言葉、なぜか一番安心します」


自分でも意外だった。

危険な討伐に向かう前に、一番心強かったのが観察日誌の宣言だとは。

人の心とは分からないものである。


二階の手すりから、ガルドがこちらを見下ろしていた。

腕を組み、いつもの位置。

健一と目が合う。


――行ってこい。


――帰ってきたら串焼き奢ってくださいよ。


――レオンたちに協力しろよ。


またしても、言葉のない会話が成立した気がした。

気がしただけかもしれないが、もう気にしないことにした。


健一はその日の午後、ミリアに捕まって書類と向き合うことになった。

討伐依頼書。

危険度確認欄。

同行者確認欄。

遺書――ではなく緊急連絡先欄。


「これ、遺書じゃないですよね?」


「緊急連絡先です」


「よかった、本気で身構えました」


「念のため、緊急連絡先の欄はしっかりお書きください」


「その言い方、緊急事態を前提にしてませんか」


「念のためです」


ミリアの笑顔は、今日も優しく、そして今日も少し怖かった。


夕方、書類との戦いを終えた健一は、屋台通りへ向かった。

串焼き屋のおじさんが、いつものように声をかけてくる。


「おう、兄ちゃん。今日は何本だ」


「今日は多めでお願いします」


「景気がいいな」


「これから戦地に赴くので」


「戦地?」


「ワイバーンです」


おじさんの手が一瞬止まった。


「……マジか」


「マジです」


「なら特別に一本、俺のおごりだ」


「太っ腹ですね」


「生きて帰ってきたら、また来い」


「それ死亡フラグみたいな言い方じゃないですか」


「縁起でもねえこと言うな」


おじさんは笑いながら、いつもより気持ち大きめの肉を串に刺した。


串焼きを頬張りながら、健一は北の空を見上げた。

夕焼けの向こう、遠くに小さな影が飛んでいる気がした。

気のせいかもしれない。

気のせいであってほしかった。


「……まあ、なんとかなるか」


自分に言い聞かせるように呟く。

どらさんとの模擬戦を思えば、たぶん、なんとかなる。

たぶん。


町は今日も平和だった。


北の空を除けば。


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