町に慣れて
町に来てから、少し時間が経った。
健一は、冒険者ギルドの空気にも多少は慣れてきていた。
朝に依頼表を見る。
昼に町を歩く。
夕方に串焼きを買う。
夜に宿へ帰って、翌日の予定を考える。
非常に文明的である。
森での生活と違って、朝起きた瞬間に魔物の気配を探らなくていい。
罠の確認もしなくていい。
結界の外に森狼がうろついていないか気にしなくていい。
ただし、串焼き屋の営業時間だけは気にしなければならない。
それは町で生きるうえで、かなり重要な情報だった。
そんなある日の午前。
健一は屋台通りではなく、町の中央近くにある教会へ向かっていた。
理由は一つ。
「……そろそろ、ちゃんと相談してみるか」
女神にもらった、というか、たぶん女神が関わっているであろう謎の状態。
非モテ。
正確には、女性との縁が妙に遠い気がする問題。
町に来てからも、健一はそれを薄々感じていた。
女性店員に商品を聞けば、横から男性店員が出てくる。
宿の女将に話しかけようとすると、なぜか旦那が対応する。
屋台の看板娘が「いらっしゃいませ」と言いかけた瞬間、奥から父親が出てくる。
偶然かもしれない。
だが、偶然がここまで重なると、もうそれは何かの力である。
「まあ、呪いって言っても、そんな大げさなものじゃないだろ」
そう自分に言い聞かせながら、健一は教会の扉を開けた。
中は静かだった。
白い石造りの広間。
差し込む光。
壁に刻まれた神聖そうな紋様。
祈りを捧げる人々。
森の砦やギルドとは違う、厳かな空気がある。
健一は受付らしき場所にいた若い神官へ声をかけた。
「すみません。少し、呪いについて相談したいんですが」
若い神官は穏やかに微笑んだ。
「はい。どのような症状でしょうか」
「ええと……女性関係が、妙にうまくいかないというか」
神官の笑顔が、ほんの少しだけ止まった。
「女性関係」
「はい」
「心当たりはありますか?」
健一は考えた。
転生前。
学生時代。
社会人時代。
告白どころか、まともな恋愛イベントすら発生しなかった人生。
異世界に来てから。
女神は老婆。
どらさんは竜。
森の魔物は論外。
町に来てからも女性との会話は、受付のミリアを除けば不自然に短い。
「……転生前から数えると、三十年分くらい」
神官は一瞬だけ黙った。
そして、非常に優しい目をした。
「……随分と積み重ねてこられたんですね」
「神官さんに同情されると余計しんどいです」
健一は胸を押さえた。
ここは教会だ。
救いを求める場所のはずだ。
なのに、なぜ初手で精神にダメージを受けているのだろうか。
神官は健一を小さな診察室のような部屋へ案内した。
椅子に座らされ、額、手首、胸元に小さな聖印をかざされる。
神官は目を閉じ、何やら祈りの言葉を唱えた。
淡い光が健一の体を包む。
「……ふむ」
神官が首を傾げた。
「どうですか?」
「少々、珍しいですね」
「珍しい」
嫌な言葉だった。
森でも珍しい魔物はだいたい危険だった。
珍しい毒草もだいたい触るとひどい目に遭った。
神官はもう一度、聖印をかざす。
光が健一の周囲を巡り、そして、すうっと滑るように流れていった。
「……これは、“縁遠し”の呪いですね」
「縁遠し」
「はい。特定の縁、主に恋愛や婚姻に関わる縁を遠ざける類のものです」
「非モテでっすね・・・」
「…………そこまでは申し上げていません」
「でもステータスに書いてあるんです」
神官は静かに目を逸らした。
「ステータスとは?」
神官が小声でつぶやく
「え?人の能力が数値で見れるというか・・・」
「なんと!そのような能力をおもちなのですか?」
神官は目を見開いて健一の肩をつかみ聞いてくる
「ええ?いや自分は持ってない・・かなぁ・・・」
あまりの形相につい嘘をつく健一
「そうですか・・いやそのような話は聞いたことがないのでつい」
「いえ、私も人からそのような能力があれば
便利なのにという話を聞いただけでして」
「もし見つけたらぜひ教会にお知らせください!」
「え・・お知らせしたらどうされるのですか?」
「謝礼は払います!」
「いえ能力を持っている人は?」
「拉・・親切に説明して教会に努めていただけたらと」
「そ‥そうですか・・」
健一はゆっくり息を吐いた。
内心焦りまくって。
あぶな!
ステータスはこの世界じゃ一般的じゃないのか!
どころかレアスキルぽいな・・
明らかに拉致って言いかけてたし!
ステータスの話は封印!
鑑定しても何となくわかったとか
そんな感じでいこう!
それはさておきだ・・・
「解除できますか」
「試みます」
神官は小瓶を取り出した。
「まずは聖水を」
ぽたり。
聖水が健一の手に落ちた。
何も起きない。
いや、何も起きないどころか
聖水が水滴のままつるりと滑って床に落ちた。
「……滑りましたね」
「滑りました」
次に神官は神聖魔法を使った。
淡い光が健一の周囲に展開される。
しかし、その光は呪いらしきものに触れた瞬間、ぬるっと横へ流れた。
まるで油を塗った鉄板の上を水が滑っていくようだった。
神官の眉が寄る。
「……頑固ですね」
「油汚れかな?」
「え?」
「いえ難しそうですか・・?」
「うう~~ん、普通、ここまで神聖魔法が滑ることはありません」
「神聖魔法にも相性があるんですね」
「神聖魔法というか・・その・・・
あなたと呪いの・・・」
若い神官は困った顔になり、奥へ人を呼びに行った。
しばらくして、年配の神官が現れた。
白髪混じりの髪。
穏やかな顔。
見るからに経験豊富そうな人物である。
若い神官が事情を説明すると、年配の神官は健一を見て、深く頷いた。
「なるほど。縁遠しですか」
「分かるんですか?」
「長く神官をやっておりますが、ここまで見事なものは初めてです」
「見事!!」
年配の神官も聖印をかざした。
神聖な光が健一を包む。
だが、結果は同じだった。
光が滑る。
聖水が弾かれる。
祈りの言葉が、なぜか健一の周囲で迷子になる。
若い神官と年配の神官が、二人並んで首を傾げた。
「呪いをかけた相手は相当の方のようえすね」
「普通の神殿では難しいかもしれません」
健一は無言になった。
頭の中に、老婆の姿をした女神の笑顔が浮かぶ。
——食は命じゃぞ。
いや、今それは関係ない。
だが、もし女神が絡んでいるなら。
「そりゃ、解除できんわな……」
「何か心当たりが?」
「ありそうで、言いたくないです」
年配の神官は少し同情した目になった。
また同情された。
今日は教会に来たはずなのに、なぜか心を削られている。
「本格的な解除となると、上位神殿への依頼になります。費用もかかります」
「どのくらいですか?」
「最低でも銀貨数十枚。場合によっては、さらに」
健一は口元を引きつらせた。
町に来たばかりの頃なら、魔石の報酬でどうにかなったかもしれない。
だが、宿代。
装備の補修。
生活道具。
ギルドで必要な細々した費用。
そして何より、串焼き。
金は思ったより早く減る。
文明は便利だが、維持費がかかる。
「……うん、そうですよね」
健一は立ち上がった。
「ありがとうございました。すぐにどうこうできるものじゃないと分かっただけでも助かりました」
「お力になれず申し訳ありません」
「いえ。むしろ、名前が分かっただけ前進です」
縁遠しの呪い。
世界規模の非モテ。
言葉にすると、余計にひどかった。
教会を出た健一は、無言で屋台通りへ向かった。
こういう時、人は何か温かいものを食べるべきである。
幸い、昼前の屋台通りには、早めに火を入れている串焼き屋があった。
「おじさん、串焼き三本ください」
「おう、兄ちゃん。今日は早いな」
「おじさんも、いつもは夕方からじゃ?」
「なんか兄ちゃんが来るような気がしてな」
「なんという!
今日は癒されに来ました・・」
「串焼きにか?」
「ええ」
「それじゃあたれ薄目で優しい味にしとくかい?」
「いえ濃いめで、おねがいします。」
屋台のおじさんは、それ以上何も聞かずに肉を焼いてくれた。
じゅうじゅうと脂が落ちる。
香辛料の香りが立つ。
甘辛いタレが表面で照りを作る。
健一は受け取った串焼きを、屋台の端にある木箱に腰かけて食べた。
一口。
「……うまい」
文明は偉大だった。
呪いは解けない。
費用も高い。
神聖魔法は滑る。
神官には同情される。
だが、串焼きはうまい。
世界はまだ終わっていない。
「まあ、すぐ解決するとは思ってなかったけどな」
健一は自分に言い聞かせるように呟いた。
「森で何年も一人だったんだ。今さら焦っても仕方ないし」
二本目にかじりつく。
肉汁が口の中に広がる。
「うん。まずは稼ごう。町に慣れよう。呪いはその後だ」
そう思った、その時だった。
通りの向こうから、見覚えのある三人組が歩いてくるのが見えた。
ロイ。
トマ。
ニナ。
朝、ギルドで何度か顔を合わせた、十代前半くらいに見える冒険者三人組。
盾持ちのロイは、盾を背負ったまま足を引きずっている。
剣士のトマは、袖が破れ、頬に擦り傷。
魔法使いのニナは、ローブの裾に草の汁をつけ、無表情のまま少しふらついている。
全員、傷だらけだった。
健一は串焼きを持ったまま立ち上がった。
「……何があったんですか」
ロイが気まずそうに笑う。
「薬草採取に行ったんですけど」
トマが顔を逸らす。
「ちょっと角ウサギがいて」
ニナが淡々と言う。
「群れでした」
「薬草採取で、角ウサギの群れ」
健一は空を見上げた。
冒険者って大変だな。
自分も冒険者だが。
「手当て、しますか」
三人は顔を見合わせた。
「え、いいんですか?」
「そのままギルドまで歩くよりは。こっち来てください」
健一は串焼きを片手に、空いた手で近くのベンチを示した。
ロイたちは素直に座る。
健一はマジックボックスから応急処置用の布
消毒液に近い薬草液、軟膏、包帯を取り出した。
三人の目が丸くなる。
「えっ、そんなに持ち歩いてるんですか?」
「癖で」
森暮らしでは、怪我は日常だった。
どらさんの訓練では、空を飛ぶことも日常だった。
自分の意思ではなく、尻尾で飛ばされるという意味で。
そのたびに手当てを覚えた。
回復魔法も使えるが、町中で派手に使うのは避けたい。
だから今日は普通の処置である。
普通の処置のはずだった。
健一はまずロイの膝を見た。
「擦り傷と打撲ですね。骨は大丈夫そう」
「見ただけで分かるんですか?」
「だいたいです」
本当は身体操作と鑑定でかなり分かっている。
だが、そこは言わない。
次にトマの腕。
「こっちは切り傷。浅いけど、土が入ってますね」
「うわ、やっぱり?」
「洗います。しみます」
「え、ちょっ、待っ」
健一は待たなかった。
トマが悲鳴を上げた。
「痛ってぇぇぇ!」
「動かない」
「新人さんの手際じゃない!」
「森で色々あって」
この言葉は便利だった。
だいたいのことは森で色々あったことにすれば説明がつく。
つくかどうかは相手次第だが。
最後にニナの腕を取った瞬間、健一は眉をひそめた。
「これ、あの毒草に触りました?」
トマが即答する。
「触ってないですよ?」
ニナが静かに手を上げた。
「触った」
「え!?」
ロイとトマが同時に叫んだ。
「ニナ!? 触ったの!?」
「薬草に似ていた」
「いや、似てても触る前に言えよ!」
「鑑定しようと思った」
「鑑定できないだろ!」
「観察はできる」
「観察と素手で触るのは違う!」
ニナは無表情のまま、少しだけ視線を逸らした。
健一は小さくため息をつく。
「葉の裏に紫の筋があるやつですよね」
「ありました」
「それ、触るとかぶれます。放っておくと痺れも出ます」
ロイが青ざめた。
「えっ、危ないやつですか?」
「命に関わるほどじゃないですけど、早めに洗った方がいいです」
健一は薬草液でニナの手を丁寧に洗い、別の軟膏を塗った。
ニナはじっと健一の手元を見ている。
「ケンイチさん」
「はい」
「なんで新人さんがこんなに手際いいんですか?」
ロイとトマも、こくこく頷いた。
健一は少し考えた。
女神に飛ばされて。
結界付きの家をもらって。
森狼と戦って。
エルダービッグボアを解体して。
どらさんに尻尾で吹き飛ばされて。
古竜と模擬戦して。
全部説明すると、たぶん話が終わらない。
「……森で色々あって」
結局、それに落ち着いた。
トマが疑わしそうに目を細める。
「森って便利な言葉ですね」
「便利です」
「俺たちも今度から使おうかな」
「使うほどの森経験は、あまりおすすめしません」
健一は真顔で答えた。
ロイが包帯を巻かれながら、申し訳なさそうに頭を下げる。
「すみません。助かりました」
「いえ。大きな怪我じゃなくてよかったです」
トマも腕をさすりながら言う。
「でも、角ウサギってあんなに速いんですね。油断しました」
「群れで来ると厄介ですよ。小さい相手ほど、囲まれると危ないです」
健一がそう言うと、三人は素直に頷いた。
その姿を見て、健一は少しだけ不思議な気持ちになった。
森では、誰かに注意することなどなかった。
自分で失敗して、自分で覚えて、自分で治す。
だが今は、目の前に年若い冒険者たちがいる。
危なっかしくて、でも真剣で。
自分よりずっと町の常識は知っているのに、森の危険にはまだ慣れていない。
「……まあ、自分のことを考えてても仕方ないしな」
健一は小さく呟いた。
ニナが顔を上げる。
「何か言いました?」
「いえ、独り言です」
「独り言は聞かれます」
「それ、最近学びました」
そこでふと思い返す
「あれ?ニナは鑑定できるんですか?」
「まだできないです」
「でも鑑定しようとしてって」
「物の名前とかくらいならわかるかなって」
「普通に持ってる人おおいんですか? 鑑定」
「結構いるはずです。」
「人には使えるんですか?」
「まさかぁ、もし人に使えちゃったりしたら大変なことになりますよぉw」
「あははwで・・ですよねぇ・・・」
自分の手に串焼きが一本。
少し冷めていた。
だが、肉は肉である。
健一がそれを見つめていると、ロイが申し訳なさそうに言った。
「あの、もしかして食事中でした?」
「大丈夫です。串焼きは多少冷めてもおいしいので」
「強い信頼ですね」
「串焼きですから」
トマが首を傾げる。
「ケンイチさん、串焼き好きすぎません?」
「好きです」
即答だった。
ニナがじっと健一を見る。
「記録していいですか」
「何を?」
「串焼きへの執着」
「やめてください」
ニナは無言で小さな手帳を取り出した。
「やめてくださいって言いましたよね?」
「聞きました」
「聞いたうえで書くんですか」
「はい」
健一は頭を抱えた。
この少女、危険である。
毒草に素手で触るし、人の串焼き愛を記録しようとする。
別方向の危険さだった。
ロイが慌ててニナの手帳を押さえる。
「ニナ、失礼だから!」
「貴重な観察対象」
「ケンイチさんは対象じゃなくて人!」
「そう、人です。サンプルではありません」
健一は強く頷いた。
教会で呪い扱いされ、屋台で串焼きを食べ、今度は観察対象にされかけている。
異世界生活は、今日も忙しい。
三人は健一に礼を言い、ギルドへ報告に向かうことになった。
健一もついでに同行する。
三人だけで歩かせるには、少し心配だった。
ロイが隣で照れたように笑う。
「本当にありがとうございました。今度、何かお礼します」
「気にしなくていいですよ」
トマが腕を回しながら言う。
「次は角ウサギくらい、ちゃんと倒します」
「無理はしないように」
「なんか親みたいなこと言いますね」
「親ではないです」
即座に否定した。
健一は三十歳。
彼らは十代前半に見える。
確かに年齢差はある。
だが、親ではない。
せめて兄貴分くらいにしてほしい。
ニナが横からぼそりと言う。
「保護者」
「違います」
「観察継続」
「しなくていいです」
そんなやり取りをしながら、四人はギルドへ向かった。
健一の胸には、教会で告げられた言葉がまだ残っている。
縁遠しの呪い。
恋愛や婚姻に関わる縁を遠ざける呪い。
世界規模の非モテ。
だが、目の前の三人とは、こうして普通に話せている。
ロイは懐いてくる。
トマは突っかかりながらも素直だ。
ニナは観察対象扱いしてくるが、距離を取っているわけではない。
これは呪いの対象外なのか。
それとも、恋愛ではないから関係ないのか。
あるいは、もっと別の何かなのか。
健一には分からなかった。
ただ、一つだけ思う。
「まあ……悪くはないか」
「何がですか?」
ロイが聞く。
「いえ、町も案外悪くないなって」
トマがにやりと笑う。
「串焼きあるし?」
「それも大事です」
ニナが手帳に書いた。
「町の評価基準、串焼き」
「書かないでください」
ギルドの扉が見えてくる。
今日、呪いは解けなかった。
費用も足りなかった。
神聖魔法は滑った。
だが、傷だらけの三人組を手当てして
少しだけ町の中に自分の居場所ができた気がした。
健一は最後の串焼きを食べきり、串を片手に小さく息を吐いた。




