串焼き・・・
練習場からギルドの中へ戻るころには
健一を見る冒険者たちの目が明らかに変わっていた。
模擬戦前は
- 「高そうな魔石を持ってきた怪しい新人」
- 「どこか田舎から出てきた世間知らず」
- 「絡んだら面倒そうな新人」
くらいの視線だった。
だが今は違う。
- 「レオン相手に粘った新人」
- 「ギルドマスターに手を抜いたと疑われた新人」
- 「本人はごまかせたと思っている新人」
である。
本人としては一番最後だけは絶対に認めたくなかった。
「……なんとか切り抜けたなぁ」
健一は小さく呟いた。
隣を歩くレオンが、ちらりと横目で見る。
「そう思っているなら、幸せなことだな」
「えっ、何がですか?」
「いや、何でもない」
「何でもない顔じゃなかったですけど」
「何でもない」
レオンは笑っていた。
完全に何かを察している顔だ。
健一は目を逸らした。
「俺は切り抜けた。俺は何もバレてない。俺は普通の新人冒険者……」
そう自分に言い聞かせる。
しかし、前を歩くギルドマスターのガルドが、背中越しに低い声で言った。
「普通の新人は、Bランク相手に安全配慮しながら負けん」
「聞こえてたんですか!?」
「声に出ていた」
健一は両手で口を押さえた。
またやった。
異世界に来てから、独り言が増えた。
森暮らしが長すぎたのだ。
森では誰も突っ込まない。
どらさんは突っ込む前に尻尾で飛ばしてくる。
女神は微笑むだけで、逆に怖い。
だが町では違う。
独り言は聞かれる。
健一は新たな社会常識を学んだ。
ギルドマスター室に戻ると
ガルドは重そうな椅子にどかりと腰を下ろした。
机の上には、いつの間にか書類の山が積まれている。
健一はそれを見た瞬間、顔を引きつらせた。
「早速だがこの書類を片付けていってくれ」
「……これ、全部ですか?」
「全部だ」
ガルドは短く答えた。
「魔石の買取だけじゃないんですか?」
「それもある。だが、お前の場合はそれだけでは済まん」
「なぜ……」
「理由を聞きたいか?」
「いえ、だいたい分かります」
がっくりと肩を落とす。
魔石。
模擬戦。
手加減疑惑。
常識不足。
心当たりが多すぎる。
ミリアがにこやかに机の横へ立ち、書類を一枚ずつ整えていく。
「まず、冒険者登録の正式完了手続きですね」
「はい」
「次に、仮身分証と冒険者証の紐付け」
「はい」
「魔石買取の確認書」
「はい」
「高ランク魔石持ち込みに関する事情記録」
「はい……」
「模擬戦実施記録」
「はい」
「練習場使用記録」
「はい」
「練習場破損なし確認」
「それも必要なんですか?」
「必要です」
ミリアは笑顔のまま答えた。
「過去に“模擬戦だから大丈夫だろう”と言って壁を三枚抜いた方がいまして」
「壁を三枚」
「はい。ちなみに、その方は修理費で三ヶ月ただ働きでした」
健一は背筋を伸ばした。
魔法を封印して本当によかった。
もし自分が初級火魔法のつもりで撃っていたら、壁三枚どころではない。
ギルドが新築になる。
いや、跡地になる。
「魔法、使わなくてよかった……」
「何か言ったか?」
ガルドの目が細くなる。
「いえ、壁は大事だなと」
「そうだな」
ガルドはじっと健一を見る。
その視線が痛い。
健一は再び目を逸らした。
ガルドは一枚の書類を取り上げ、健一の前に置いた。
「お前は登録したばかりだから、本来ならFランクだ」
「はい」
「Fランクは薬草採取、荷運び、町中の雑用が中心だ。討伐依頼は基本的に受けられん」
「なるほど」
うなずきながらホッとする。
むしろそれでよかった。
目立たず、町の常識を学びながら、串焼きを食べる。
完璧な計画である。
だが、ガルドの次の言葉でその計画は崩れた。
「だが、お前は特例でEランクに上げる」
「……はい?」
「特例ランクアップだ」
「えっ、いきなりですか?」
「いきなりだ」
健一は固まった。
「いや、でも俺、レオンさんに負けましたよ?」
レオンが横で腕を組み、笑いをこらえる。
「そうだな。負けたな。とても丁寧に負けていた」
「丁寧に負けるって何ですか」
「転び方が綺麗だった」
「そこは忘れてください」
「無理だ」
健一は頭を抱える。
ガルドは話を続ける。
「魔石の件、模擬戦の件を考えれば、本来ならD以上も検討するところだ」
「やめてください」
健一は即答した。
あまりにも本気の拒否だったため、部屋の空気が一瞬止まる。
ミリアが小さく噴き出した。
「ケンイチ様、昇格をそこまで嫌がる方は珍しいですよ」
「目立ちたくないんです」
「もう手遅れかと」
「そんな……」
健一はショックを受けた。
自分ではまだぎりぎり“変な新人”くらいで済んでいると思っていたのだ。
ミリアは慰めるように言う。
「大丈夫です。まだ“非常に変な新人”くらいです」
「悪化してる!」
レオンが肩を震わせて笑っている。
ガルドも口元をわずかに歪めた。
「安心しろ。Eランクだ。大きく目立つわけではない」
「本当ですか?」
「少なくとも、いきなりCランクにするよりはな」
「それは比較対象がおかしいです」
そこから、健一は書類と戦うことになった。
魔物との戦いなら慣れている。
剣を振ればいい。
避ければいい。
火魔法は封印した方がいい。
だが書類は違う。
紙は避けても追ってこない。
斬れば犯罪。
燃やせば大惨事。
そして内容を読まないと後で困る。
ミリアが一枚目を差し出す。
「こちらに署名をお願いします」
「はい」
健一はペンを取った。
異世界言語理解のおかげで文字は読める。
書くこともできる。
ただ、こういう事務手続きには慣れていない。
名前を書き込む。
ケンイチ。
「こちらにもお願いします」
「はい」
ケンイチ。
「こちらは確認欄です」
「はい」
ケンイチ。
「こちらは同意欄です」
「はい……」
ケンイチ。
「こちらは説明を受けた証明ですね」
「はい…………」
ケンイチ。
十枚ほど書いたところで、健一はペンを持つ手を止めた。
「ミリアさん」
「はい」
「俺の名前って、こんな形でしたっけ?」
「疲れてきていますね」
ゲシュタルト崩壊である。
森で竜に吹き飛ばされた時でも
気は失うが
自分の名前を見失うことはなかった。
だが書類はそれをやってくる。
恐ろしい敵だった。
ふと疑問に思う
魔石の持ち込み事情はまぁわかる。
でも練習場の使用はギルド側の都合ではないだろうか?
と
「あの・・この練習場のやつとかはほんとにわたしが書かなきゃ?・・」
レオンが横から覗き込む。
「字は綺麗だな」
「ありがとうございます」
「ただ、だんだん最後の方が虫みたいになっている」
「虫……」
健一は自分の署名を見る。
確かに、最初の方はしっかりしている。
だが途中から少しずつ崩れ
最後の一枚に至っては、森にいた謎の甲虫に似ていた。
「これ、通りますか?」
ミリアは少し考えた。
「通します」
「温情!」
「次からはもう少し人間の字でお願いしますね」
「人間の字……」
ごまかされた・・・
完全に話をそらされなかったことに・・・
それからも何度か聞こうとするたびに露骨に話をそらされた。
書類の山が少し低くなったころ、奥から鑑定士が戻ってきた。
手には小さな帳簿と、硬貨の入った革袋がある。
「査定が終わりました」
健一は姿勢を正す。
「お願いします」
「ワイバーンの魔石、状態良好。欠けも少なく、魔力の濁りもほぼなし。
エルダーフォレストウルフの魔石も同様です。
合計で金貨十二枚、銀貨八枚になります」
「……はい?」
健一は聞き返した。
鑑定士は丁寧に繰り返す。
「金貨十二枚、銀貨八枚です」
健一は固まった。
通行税が銅貨五枚。
屋台の串焼きが、おそらく銅貨数枚。
つまり。
「串焼きが……何本……?」
そこに真っ先に思考が向かった。
ミリアが笑顔で計算する。
「串焼き一本を銅貨三枚として、金貨一枚が銀貨十枚
銀貨一枚が銅貨百枚ですから……好きなだけ食べられますよ」
「好きなだけ!」
目を輝かせる。
レオンが呆れた目でこちらを見つつ。
「普通は装備を買うとか、宿を取るとか考えるところだぞ」
「宿も取ります。でも串焼きは大事です」
「そんなにか」
「はい」
真剣だった。
森でも肉は食べた。
むしろ食べすぎるほど食べた。
エルダービッグボアの肉。
森狼の肉。
ワイバーンの肉。
干し肉、燻製、塩漬け、スープ、焼き肉。
だが、町の屋台の串焼きは別物である。
誰かが焼いてくれる。
お金を払って買う。
手渡される。
それを道端で食べる。
それは文明の味だ。
健一は異世界生活で初めて、強く町を感じていた。
「手続きが終わったら、絶対に串焼き……!」
拳を握る健一。
しかし、その時ミリアが申し訳なさそうに新しい紙束を取り出した。
「では次に、Eランク冒険者としての説明に入ります」
「……え?」
「依頼の受け方、禁止事項、違約金、素材納品、討伐証明、パーティ申請
宿との提携割引、町外活動時の報告義務などですね」
「まだあるんですか?」
「はい」
健一はゆっくりと窓の外を見た。
夕日が、かなり傾いていた。
説明は長かった。
とても長かった。
ミリアの説明は分かりやすい。
声も聞き取りやすい。
内容も大事だと分かる。
だが、鼻の奥に残る屋台の匂い。
じゅうじゅう焼ける肉。
滴る脂。
香辛料。
甘辛いタレ。
その幻が、説明の合間にちらつく。
「依頼を受けた後、無断で放棄した場合は違約金が発生します」
「はい」
串焼き。
「討伐証明は魔石だけでなく、耳や牙など指定部位が必要になる場合があります」
「はい」
串焼き。
「町中での抜剣は禁止です。正当防衛の場合は後ほど聴取があります」
「はい」
串焼き。
「ギルド酒場での乱闘は修理費を当事者で割ります」
「はい」
串焼き……酒場にも肉、あるかな。
「ケンイチ様」
「はい!」
健一はびくっとした。
ミリアが微笑んでいる。
「今、串焼きのことを考えていましたね?」
「考えてません」
「では、今説明した違約金の額は?」
「串……」
「はい?」
ミリアの視線が刺さる
笑顔なのに視線は冷たい・・
「すみません」
即座にばれた。
ミリアの笑顔は優しい。
視線以外は・・・
真面目に聞き直した。
時間は無情に過ぎていく。
窓の外の赤みは濃くなり、やがて紫に変わりはじめた。
説明が終わるころ、健一はほとんど燃え尽きていた。
「以上で、Eランク冒険者としての基本説明は終了です」
「ありがとうございました……」
ミリアが冒険者証を差し出す。
「こちらが新しい冒険者証です。仮身分証と連携済みですので、町の出入りにも使えます」
健一は両手で受け取った。
金属製の小さな札。
そこには自分の名前と、Eランクの文字が刻まれている。
少しだけ、胸が熱くなった。
異世界で初めて得た、社会的な身分。
森の砦ではなく、町の中で生きるための証。
「ありがとうございます。大事にします」
健一が素直に礼を言うと、ミリアは嬉しそうに微笑んだ。
「はい。無くすと再発行料がかかりますので、本当に大事にしてください」
「現実的!」
健一は革袋を受け取り、冒険者証をしまい、勢いよく立ち上がった。
「では、俺はこれで!」
目的地は決まっている。
屋台通り。
串焼き。
文明の味。
しかし、ギルドを出た瞬間、健一は足を止めた。
通りは薄暗かった。
屋台の多くはすでに片付けを始めている。
湯気は消え、焼き台の火は落とされ
香ばしい匂いだけが名残のように漂っていた。
おれは走った。
「すみません! 串焼き、まだありますか!?」
一番近くの屋台のおじさんが、申し訳なさそうに首を振る。
「悪いな兄ちゃん。今日は売り切れだ」
「売り切れ……」
「また明日来てくれ」
「明日……」
その言葉は、健一の胸に深く刺さった。
明日がある。
確かにそうだ。
だが、今日の串焼きは今日しか食べられない。
夕暮れの町で、初めての報酬で買う、初めての屋台串焼き。
その尊い瞬間は、書類の山と共に沈んでいった。
健一は屋台の前で両手を両ひざを地面につきうなだれる。
その背後から、レオンの声がした。
「そんなに食べたかったのか?」
振り返ると、レオンが苦笑しながら立っていた。
どうやら様子を見に来たらしい。
「レオンさん……俺は、負けました」
「模擬戦では俺に負けたな」
「違います」
健一は首を振る。
「書類に負けました」
レオンは一瞬黙り、それから腹を抱えて笑った。
「はははっ! そりゃあ、冒険者なら誰でも一度は負ける相手だ!」
「強敵でした」
「しかも何度でも復活する」
「絶望じゃないですか」
そこへミリアもギルドの入口から顔を出した。
「ケンイチ様、入町税の後払い分、銅貨五枚は忘れずに本日中にお願いしますね」
健一は硬直した。
「……本日中?」
「はい。門の詰所かギルド窓口で納められます」
「串焼きの前に?」
「串焼きはもう売り切れです」
「グフッ・・」
健一は胸を押さえた。
結局、健一はギルド窓口で銅貨五枚を支払った。
晴れて通行税も完済である。
その後、レオンにおすすめの宿を教えてもらい、健一はとぼとぼと歩き出した。
手元には金貨の入った革袋。
腰には冒険者証。
身分も金も手に入った。
成果だけ見れば、大成功の一日だ。
だが健一の心には、ぽっかりと串焼き型の穴が空いていた。
夜の町を歩きながら、こぶしを天に突き出して固く誓う。
「明日こそ……絶対に串焼きを食べる」
その声は低く、重く、決意に満ちていた。
ワイバーンと戦う時よりも。
どらさんの訓練に挑む時よりも。
竜王との模擬戦に臨む時よりも。
その決意は、間違いなく本物だった。
背後でレオンが呟く。
「こいつ、本当に大丈夫か?」
ミリアが笑って答える。
「少なくとも、悪い人ではなさそうですね」
ガルドはギルドの二階の窓からその背中を見下ろし、腕を組んでいた。
「悪人ではない。だが・・・」
そして健一はまだ知らない。
明日の串焼きが、ただの串焼きでは終わらないことを。




