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出会い

どらさんとの模擬戦を終えた俺は、夕暮れの森を抜けて拠点へ戻った。


体は回復魔法である程度治してある。

骨も繋げたし、裂けた筋肉も塞いだ。血も止まっている。

……それでも、痛いものは痛い。


全身が鉛みたいに重い。

歩くたびに、肋骨の奥がじんじん響く。

肩は上げると痛むし、右腕にはまだ少し痺れが残っていた。


けれど、不思議と足取りは軽かった。


森の砦――かつて女神にもらった小さな家は、長い年月の間にずいぶん姿を変えている。

結界を張り直し、石垣を積み、畑を広げ、訓練場を作り、倉庫も増やした。


最初は、夜の森の音に怯えながら布団にくるまっていた。

森狼三匹とリーダーを相手に、罠と結界と火魔法を総動員して、どうにかこうにか勝った。


あの頃は、井戸まで這って行って水を飲むだけで精一杯だった。


それが今では、拠点周辺に出る大抵の魔物なら、危なげなく対処できる。

気配を読んで避けることも、正面から斬ることも、必要なら魔法で仕留めることもできる。


ずいぶん遠くまで来たものだ。

そんなことを考えながら門をくぐる


『もどったか』


「はい」


『なにかすっきりとした顔をしておるな?』



「そうですね・・・」


俺は少し黙った。

言葉にしようとすると、まだ胸の奥が熱くなる。

どらさんの爪。

尾。

翼の暴風。

岩を溶かす息。

そして、首元に届いた短剣の感触。



「一本、取れました」


『ほう?おぬしの笑いもそこまできたのじゃな』


「ええ、これで賞レースに出場できます」


『相変わらずつまらんの・・ボケに弱いボケでかえすとはの』


「芸人じゃないんです!!」


『そうじゃのwしかしあヤツが一本取ったと認めると刃の』


「ギリギリ、ですけどね。

 首筋にうすく」


『それでも大したものじゃ』


「ほんと・・よくここまで・・・

 初めはなんというか・・・」


それは、森狼戦からかなり時が経った頃だった。


俺は拠点周辺の魔物を、ある程度危なげなく倒せるようになっていた。

最初は命懸けだった森の探索も、少しずつ範囲を広げられるようになっていた。


剣を振れば、森狼程度なら一撃で仕留められる。

罠を使わなくても、複数相手に立ち回れる。

火魔法も水魔法も、土魔法も風魔法も、実戦で使えるようになってきた。


その頃、俺は少しだけ慢心していたのかもしれない。

自分は強くなった。

この森でも、もうそう簡単には死なない。


そんなことを、どこかで思い始めていた。


ある日、木剣を振り終えた俺に、女神は静かに言った。


『健一よ、おぬしに教えるにはちと限界かの』


俺は驚いた。


「限界、ですか?」


『そうじゃ、本を通じて、思念で、おぬしに教えることはできるじゃろう。』


「それだけでも十分すぎるくらい助かってますけど」


『じゃがやはり本物との戦闘は必要じゃよ』


「森の魔物では?」


『もうおぬしが危険を感じることもないじゃろ?』


「たしかに、でもいいことでは?」


『もう一皮むけろと言っておるのじゃ』


「やですよ」


『なんでじゃ!』


「だってそれ絶対痛い奴じゃないですか」


『そういうとこじゃよ』


俺は何も言えなかった。

いや真面目にだ

初めて森狼と戦った時もそうだった。

本で知っていることと、目の前で牙を剥かれることは全然違った。

たしかに実践で危険を感じることも減った。

さいきんではほぼないといっていいくらいに


『じゃから森の奥にいる古い知り合いに話付けといたのじゃ』


「古い知り合い?」


『うむ』


「森の奥……」


『うむ』


その時点で、嫌な予感はしていた。


この森の奥にいる存在で、この女神の“古い知り合い”。

正直いきたくない・・・


『もう話してしもうたし、

 まぁあれじゃ、ジムにちょっと通う感じでちょちょいと言ってくるといい』


「ジム?ダイエットとか、筋肉つけるとかの?」


『そうじゃ?気楽じゃろ?』


翌日、俺は女神に教えられた方角へ向かった。

森の奥へ進むほど、空気が変わっていった。


魔物の気配が減る。

鳥の声も消える。

風の音だけがやけに大きく聞こえる。


やがて、巨大な岩場に出た。


そこにいた。

というか司会全体がそれだった。

山かと思った。


黒に近い深い鱗。

金色の瞳。

大木より太い尾。

岩壁のような胴体。

折り畳まれた翼は、それだけで森を覆えそうだった。


俺はしばらく固まった。

そして、心の底から思った。

ドラゴン!!!!


『来たか』


低い声が響いた。

声というより、地面の奥から鳴る地鳴りだった。


俺は思わず半歩下がった。

逃げたい。

ものすごく逃げたい。


けれど、背中を向けた瞬間に終わる気がした。


「あ、あの……女神様の紹介で来ました。健一です」


『聞いている』


「ええと……訓練を、お願いできると」


『ああ』


巨大なドラゴンは、金色の瞳で俺を見下ろした。


その視線だけで、膝が笑った。

俺は必死に耐えた。

耐えたつもりだった。

けれど、次の瞬間には地面に片膝をついていた。


圧が違いすぎた。


森狼の殺気とは比べ物にならない。

古竜と呼ぶべき存在の前に、俺の体が勝手に敗北を認めていた。

それでも、俺はどうにか顔を上げた。


「あの……お名前は?」


ドラゴンは少し黙った。


『好きに呼べ』


「好きに……」


名前を聞いても教えてくれない。

かといって、ドラゴンさんと呼ぶのも妙に距離がある。

俺は混乱した頭で、かなり雑に言った。


「じゃあ……どらさんで」


金色の瞳がわずかに細くなった。

終わった、と思った。

初対面の巨大ドラゴンに、どらさん。

失礼すぎる。


けれど、ドラゴンは喉の奥で低く笑った。


『クハハwその状態でよくもそんな名を我につけるのうw』


「ひぃぃ、すみません」


『よい、好きに呼べと言った』


そうして、どらさんとの訓練が始まった。

最初の訓練は、戦闘と呼べるものですらなかった。


どらさんが少し前脚を動かす。

俺は吹き飛ぶ。

どらさんが軽く息を吐く。

俺は結界を張っても転がる。

どらさんが尾をゆっくり動かす。

俺は避けたつもりで、風圧だけで地面に叩きつけられる。


何度も骨を折った。

何度も気絶した。

何度も、もう無理だと思った。


それでも、どらさんは殺さなかった。

組成魔法は何度か使われた気がした。

殺されてたわ・・

いや今生きてるから殺されてはいない?どうだ?


厳しいが、雑ではない。

荒いが、的確だった。

俺が避けられるぎりぎりの速度。

受ければ死なないが、油断すれば大怪我をする威力。

逃げ道を残しつつ、そこへ辿り着くには本気で考えなければならない攻撃。


今なら分かる。

どらさんは、最初からずっと俺を鍛えてくれていた。


『あの頃はおぬしの泣きそうな顔と行動に笑わせてもらったのじゃw』


「今もそこそこ泣いてますけど」


『たしかにwじゃが無様ではなくなったのじゃ』


「ですかね」


『じゃよ』


「それならまぁ・・・」


『おっさんが照れてもキモイだけじゃぞ』


「おっさんいうな」


『おっさんじゃろ?自分の元の年齢わすれたのか?」


「覚えてます!30でしたがおっさんでは・・」


『さらに何年たったと・・・おっさんどころか爺さんじゃろ?不老がなければ』


「そうですけど・・そうなんだけど!」


俺はため息をついた。


もしあの時、どらさんと会わせてくれていなければ。

俺はきっと、森の中で強くなったつもりのまま、どこかで命を落としていたかもしれない。


強さには上がある。

自分より遥かに大きな存在がいる。

どれだけ鍛えても、油断すれば一瞬で終わる。

それを、どらさんは体に叩き込んでくれた。


夕日が木々の向こうへ沈んでいく。

拠点の結界が淡く光り、畑の葉が風に揺れる。


ここは、俺にとって家になった。

異世界に放り出されて、何も分からなかった俺が、初めて安心して眠れた場所。

何度も死にかけて、何度も戻ってきた場所。

女神と話し、どらさんの訓練でぼろぼろになって帰り、魔物の肉を燻製にして、畑を耕し、剣を振った場所。


大切な場所だ。

でも、最近ずっと考えていた。


「そろそろ世界を見て回ろうかなと」


『そうじゃの。いいころあいじゃな』


「止めないんですか?」


『もうここにいてもこれ以上面白くなりそうにないしの

 せっかくの非モテも宝の持ち腐れじゃしな』


「おいっ!」


『なんじゃ』


「そこは言わない約束」


『しとらんが?』


「してませんね」


『まぁ気を付けていくのじゃ』


「はい」


『困ったことがあったら教会で祈るがよい

 暇ならアドバイスくらいはしてやれるかもしれん』


「教会・・・神像とか・・・あるんですか?」


『あるのじゃ』


「あなたの?」


『うむ、女神じゃからな』


「見た目魔女の?」


ピシャアアン


「・・・・」


『いらんのなら立ち寄らなくてよいのじゃぞ?』


「すみません・・」


俺はもう一度、森の奥を見た。


どらさんにも、改めて挨拶に行こう。

一本取れたとはいえ、まだまだ勝てたわけじゃない。

あの人――いや、あのドラゴンには、きっとこれからも教わることがある。


けれど次はどこか知らない土地だ

俺は立ち上がり、夕焼けの空を見上げた。


異世界に来たばかりの頃の俺なら、考えもしなかった未来。


怖さはある。

不安もある。


でも、それ以上に楽しみだった。

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