20話 死闘
「……些か状況が変わったな」
ロキアが静かに口を開いた。
「私の意思は変わらない。その杖はここで破壊するべきだ」
真っ直ぐ自分の主張をぶつけてくるロキアに、ハルも正面から向き合う。
「ただの杖じゃありません。アリシアは、私の大事な友達です」
「その友人は、お前を破滅させるかもしれないんだぞ」
ロキアの静かな声が響く。
「その杖は最強の魔法使いを作り出すために製造されたものだ。試験の時のような事態がまた起きるかもしれない。まだ何か隠された危険な機能がある可能性だってある。それに私が気付いたのだ、その杖の価値を知る危険な魔法使いがその杖を狙う可能性も十分にある。そうなった時、お前はどうするつもりだ?」
「……強くなる」
静かに、ハルは答える。
「アリシアに何かあっても、アリシアを狙うやつらがいるのだとしても、私がそれを跳ね返せるくらい強くなる。私は、アリシアのために誰よりも強く……最強の魔法使いになる!」
「説得力に欠けるな。お前の言葉は子供の我が儘だ」
「そりゃあ私、まだまだ子供だもん。……だからもう、子供らしく我が儘言うね」
そう言って、ハルは大きく息を吸い込んだ。
「大好きな友達を殺すなんて言われて、『わかりました』なんて言うわけないでしょ!!」
単純な、そしてだからこそ純粋な真っ直ぐな答え。
その言葉にほんの僅かな笑みを浮かべて、ロキアの視線がハルの隣に控えているアリシアの方に移る。
「アリシア、お前はどうだ? お前自身、私の考えに同意していたはずだ」
『……そうですね』
「アリシア……?」
『当機は、マスターを傷つけました。そんな私にはもう、マスターの相棒である資格はないと思っていました』
「アリシア! それは……」
何か言おうとしたハルを、アリシアはそっと手で制する。
『でも……死ねない理由ができました』
「……理由?」
『ロキア先生、あなたは正しいです。マスターの安全を考えるなら、私はいない方がいい』
そこで言葉を切って、ほんの少し笑った
『けれどよくよく考えれば、私もまだ子供といっていい年齢でした。だから私も……子供らしく我が儘を言います』
アリシアの幻影の手がハルの手と重なる。気のせいか、アリシアの温もりを感じられた気がした。
『もっとハルといっぱいお喋りしたいです。これまではずっと魔法のことばっかりだったから、それ以外のくだらないこともいっぱい話して、もっとハルのことを知りたいし私のことも知ってもらいたいです』
その言葉に、ハルの胸がじわりと温かくなっていく。
『美味しいものもたくさん味わいたいですし、お風呂も……ちょっと恥ずかしいけど、たまになら悪くないかもしれません』
頬を赤らめながら、アリシアははにかんだように笑った。
『もっともっとハルとたくさんお喋りして、遊んで、仲良くなって……幸せになりたいです。だから先生、どうか見逃してください。私に……私たちに、チャンスをください』
その言葉に、ロキアは静かに目を閉じた。沈黙が辺りを包む。
「……私の考えは変わらない」
ロキアの声は静かでありながら、決して揺るがない。
「教師は生徒を護ることを第一としなくてはならない。フェルシアス、お前の言っていることは何の裏付けもない理想論だ。そんな言葉で教師の義務を放棄するわけにはいかない」
ロキアは短杖を手に静かに構える。
「そして……お前達も譲る気はないんだな?」
「当然!」『もちろんです』
ハルも杖をロキアに向ける。
「ふっ……」
ロキアの口元が僅かに歪む。
「魔法使い同士、絶対に譲れないものがぶつかった。……ならば後は、やることは一つだ」
瞬間、ロキアの身体を覆うように闇の魔力が渦を巻いた。
「さあ、アリシアを狙う敵が現れたぞ! 見事退けて見せろ!!」
「っ!!」
刹那――両者の魔力放射が真正面から激突した。
雷鳴のような轟音が地下空間を震わせる。衝撃波に周囲の瓦礫が吹き飛ぶ。
「ほう、教師と拮抗するとは口先だけではないようだな」
――冗談じゃない。ロキアの言葉にハルは内心悲鳴を上げていた。
本来、対人戦において圧倒的なアドバンテージを持つはずのハルの魔力放射。それを全身全霊で放ってなお、ロキアとは互角が精一杯だった。ストーン・ギガンテスとの戦いと同じ、圧倒的な魔力量の差。
「ではこれならどうだ?」
ロキアが指を弾く。するとハルの四方八方から、漆黒の魔力弾が音もなく飛来した。
『マスター避けてください!』
「――っ!?」
その言葉に視線を動かした瞬間にはもう魔力弾が目前まで迫っていた。
体感時間を極限まで圧縮。肉体強化を最大化。死にものぐるいで身体を捻って魔力弾を回避。だが全ては回避できず一発が肌を掠めた瞬間――。
「ぐ、あああああぁぁぁぁぁ!?」
まるで全身を一斉に切り裂かれたような激痛が全身を蹂躙した。痛みに悲鳴を上げ、視界が白く点滅する。
『マスター!!』
「ガンドの呪いを圧縮したものだ。掠っただけでも苦痛が全身に走るぞ」
ロキアは容赦なく追撃の魔力弾を連射する。数は数十。
しかしハルは痛みに歯を食いしばりながら、杖を薙ぎ払うようにして魔力放射を放ち必死に相殺した。
「その苦痛の中でよく動くな」
「誰かさんが、鍛えてくれたおかげで……痛いのとか、苦しいのは、慣れてるんで……!」
強がって笑う。だが実際は全身が軋み、目には涙が滲んでいる。けれど止まるわけにはいかない。覚悟を決め、全力で前に駆け出した。
狙うのは接近しての魔力放射の一撃。元より自分には他の勝ち筋なんてない。
「掴み、蝕め、亡者の手」
詠唱。ロキアの周囲で闇が凝縮し、それが無数の腕の形になって次々とハルに迫る。
ほとんど隙間のない飽和攻撃。だがハルはその僅かな隙間に身体をねじ込む。
僅かに触られた部分の皮膚が焼けるように痛んだがそれを無視、避けきれない手だけを魔力を纏わした杖で打ち払いさらに前へ。
抜けた。ロキアの目の前まで迫る。杖を向け、魔力を込めようとした――瞬間、背筋がぞわりとした。
『マスター下がって!』
脚力を全力で強化。慣性を無視するように即座にバックステップ。直後、ロキアの影がまるで怪物の顎のように隆起してハルがついさっきまでいた場所を一呑みにした。
「これも避けるか。回避だけなら教師顔負けだな」
褒められても全然嬉しくない。追撃で放たれた魔力弾を避けるためにハルは必死に詰めた距離を自分から開けないといけなくなってしまっていた。
戦闘開始してからまだ十数秒、なのにもう息が上がっている。限界まで酷使した筋肉と魔力路が悲鳴を上げている。
(でも……だめ、もっと……速く……!)
歯を食いしばり、力ずくで魔力を循環させ再び全身を強化。――だがそれが裏目に出た。
思い切り地面を蹴って駆け出そうとした瞬間、バギン! と足元で床の石畳が割れた。肉体強化したハルの脚力に耐えきれなかったのだ。
直後、バランスを崩して無防備になったハルにロキアの放った魔力放射が直撃した。
「――っ」
『マスター!!』
人形のように吹き飛ばされ壁に叩きつけられた。そのままずるずると、ずり落ちるように床に崩れ落ちる。
「……ここまでだ。もう諦めろ」
加減したとはいえ、今のダメージは一年生のハルには戦闘不能に十分のもののはずだ。
ロキアはどこか苦々しい顔で言って戦闘態勢を解く……だがその刹那。
「――そこっ!」
閃光。不意をつくようにハルが魔力放射を放った。
「っ!?」
ロキアは即座に魔力障壁を張る。だが不意をつかれて大きく体勢が崩れた。ハルの魔力放射に押されるように壁際まで後退する。
『マスター!? 身体は大丈夫なのですか!?』
「……へへ、ミルカに……後でお礼言わないと……」
魔力放射を撃ち続けながらハルは薄く笑う。全身の傷や酷使されて傷んだ筋肉、魔力路までもがみるみるうちに修復されていく。
「ミルカにもらった治癒、まだ残ってるみたい……」
高速治癒――通常ではありえない回復速度にロキアは目を細めた。
「……なるほどな。あんな重傷でここまで追ってこられたのは、ミルカ・アルフェンの仕業か……」」
不意をつかれて体勢を崩していたロキアだが、すでに体勢を整え直していた。
ロキアの前には生徒のものとは桁違いに強固な魔力障壁が張られている。本来魔法使い同士では圧倒的に有利なはずの、ハルの魔力放射による対消滅を圧倒的な魔力量で完封している。
(ダメだ……このままじゃ勝てない……!)
ハルは全力で魔力を放ち続けるが、不意をついても倒しきれなかった。勝機が見えない。
――そんな状況で、アリシアは静かに何かを考えていた。
『……解析、開始』
ハルの身体をスキャンする。
(体内に夢魔の魔力を確認……粘膜接触による魔力供給の形跡……?)
取得方法が少し気になったが傷ついた魔力路の即時修復なんてでたらめ、夢魔による治癒能力ぐらいしかあり得ない。
……このでたらめを前提にできるなら――。
『マスター、このままでは勝ち目がありません。けれど一つだけ方法があります』
「ホントに!?」
『けれどそれは、マスターの未来の可能性を摘み取りかねない方法です』
「……え?」
アリシアは、静かにはっきりと告げる。
『マスターの魔力路をこの戦闘で勝利することに特化させるのです。具体的には、魔力放射と肉体強化のみに特化した魔力路への改変。この場での大幅な戦闘力の向上が見込めます』
言葉を切り、アリシアは僅かに躊躇った後、続ける。
『ですが、改変を行えば通常の魔法使いのような詠唱魔法はほぼ不可能になります。そして、その改変は不可逆……元に戻すことは絶対にできません』
それは魔法使いにとって死刑宣告にもふさわしい言葉だ。
多彩な魔法を自在に操ってこその魔法使い。魔力放射と肉体強化しかできない魔法使いなど三流以下だ。そんなことをすれば、まともな魔法使いとしての未来は永遠に閉ざされる。
アリシアもそれをよく理解している。……理解した上で、アリシアは強くはっきりと続けた。
『ですが当機は……いえ私は、ハルにお願いします! 一生のお願いです! 帰ったら何でも言うこと聞きますから……!』
「……っ!」
『どうかあなたの未来を私にください……私はハルと、もっと、ずっと……一緒にいたいんです……』
切実な叫び。ハルは一瞬だけ息を止め――すぐにニカッと笑った。
「よしきた! それじゃあアリシア、思いっきりやっちゃって!」
『……はい!』
魔力路、接続。
改変開始――身体の内側が溶けて、燃えていくような感覚。
自分の本質が書き換えられていく。魔力放射と肉体強化……この戦闘に勝つことだけを考えた、歪で苛烈な形に。
「待てっ!? それは……!」
ロキアの表情が焦りに歪む。即座に詠唱を開始し、魔力弾の集中砲火をハルに浴びせる。
――やっぱりロキア先生は優しいなと思う。
あんなに容赦なく攻撃を仕掛けておきながら、いざとなれば全力で止めようとしてくれるんだから。
世界の動きが、ゆっくりと引き伸ばされたように感じる。
迫りくる魔力弾の一つ一つ、表面の魔力の流れまで、今ははっきり見える。
――大丈夫、今の私なら。
魔杖を滑らかに動かす。奔流のように放出された魔力が軌道を変え、鞭のようにしなりながら全ての魔力弾を叩き落とした。
「お前、自分が何をされているのか分かっているのか!?」
「もちろん……アリシアがちゃんと教えてくれましたから……」
――こんなに痛いだなんて聞いてなかったけどね、と心の中で苦笑する。
「ならば……なぜ笑っている?」
ハルは額に脂汗を浮かべ、呼吸を乱しながらもニッと笑った。
「だって……大好きな友達に、『一生のお願い』まで使って、『一緒にいたい』って言われたんだから、嬉しいじゃん……!」
視界がクリアになる。神経が冴え渡り、指先一本一本にまで魔力が満ちていくのが感じられる。
杖を掲げる。今までみたいな魔力放射の使い方じゃあ、この身体には合わないと直感でわかる。
イメージするのはもっと、直接的で、荒々しくて、自分たちの行く手を阻む者をぶっ壊していけるような、そんな――。
バチバチバチッ! と電気が爆ぜるような音が鳴る。
杖を中心に魔力を圧縮。凝縮された魔力が巨大な槌の形を成した。
魔力で造られた身の丈ほどもある戦鎚を、ハルは一薙ぎして構え直す。
「……行くよ、アリシア!」
『はい、マスター!』
魔力が全身を駆け巡り、身体能力を極限まで引き上げる。そのまま、躊躇なくロキアへ突っ込んだ。
「っ! 闇よ――」
「でやあああああああああ!!」
詠唱を許さない速攻。
ロキアは咄嗟に身体を横に飛ばし回避する。空振りした槌は壁を砕き、轟音とともに大穴を穿った。
ロキアが自分を見る目が、初めて『敵として相対しなければならない相手』に切り替わったのをハルは認識した。
「掴み、蝕め、亡者の手――!」
「邪魔ぁっ!」
空間から無数の闇の手がハルに伸びる。しかしハルは迷わずそれを槌でぶっ叩いた。
瞬間、パァンッとまるで風船が割れるように闇の手が消滅する。槌を形成する魔力が直撃の瞬間に対消滅反応を起こす。
次々と伸びてくる闇の手を暴風のような攻撃で粉砕していく。もはや魔法使いにあるまじき狂戦士のような戦闘スタイル。
後退しながら魔法を放つロキアと、それを粉砕しながら迫るハル。両者の距離が徐々に縮まっていく。
「厄介だな……だが……!」
次の瞬間、ハルの動きがびたりと止まった。
ハルの背後、死角から伸びた闇の手がハルの手足を拘束している。
「お前のような力任せに突っ込んでくる相手への対処法など、心得ている」
息を弾ませながらロキアは言う。
それは魔法使いとしての経験値の差。強い魔法は詠唱に時間がかかる分、近接戦闘が苦手というのは魔法使いに共通する弱点だ。
ならば当然、それに対抗する手段も用意してある。
ハルの背後から伸びた手はハルの四肢をがっちりと掴んで離さない。あとは動けないハルに魔法をかけてその意識を刈り取るだけ――。
だがそこからのハルはロキアの予測を超えていた。
「う……ああああああああ!!」
ミシッ……ミシッ……と嫌な音がした。闇の手に四肢を拘束された状態で、それでもハルは前に進もうとしていた。
服が千切れる……だけでは済まない。その下の肉までが裂け始める。それでもハルは、目に涙を浮かべながらも前進しようとするのをやめない。
「痛い思いなら、何度もしてきた……! 泣いちゃうことだって何度もあった……!」
自分を鼓舞するようにハルは吠える。
「それでも、前に進もうとすることだけはやめなかった……!」
全身に魔力を滾らせる。
「どれだけ痛くても、苦しくても……それだけは、私の誇りなんだから――!」
ブチブチッ……! 掴まれた服ごと、肉ごと、ハルは闇の手を振りきった。
†
まるでスローモーションのように流れる時間の中で、ロキアは迫りくるハルを見つめていた。
ハルの行動は確かにロキアの想像を超えていた。
だが、完全に想定を外れていたわけではない。
メイガス魔法学園の教師にまで上り詰め数多くの修羅場をくぐり抜けてきたロキアならば、この攻撃を迎撃するのも十分間に合う。
だが必死に自分に立ち向かうハルを見て、ふと思い出してしまった。
――最初は、彼女もすぐに諦めるだろうと思っていた。
魔法がまったく使えず、周囲から蔑まれ、どれだけ努力を積み重ねても成果は一向に現れない。
そんな日々に折れ、やがて魔法から離れることが彼女のためだとさえ考えていた。
それでも――ハル・フェルシアスは諦めなかった。
周りの生徒たちから嘲笑され、図書室の片隅で泣きながら魔法書を読み漁り、必死に努力し続けていた。そんな姿をロキアは、何度となく目にしていた。
いつしか、図書室を訪れるたびに、真っ先に彼女の姿を探すようになっていた。
ずっと、彼女の努力を見ていた。その努力が報われてほしいと願うようになった。
授業で彼女が初めて魔法を使えたと報告を受けた夜には、柄にもなく高い酒を開け一人祝杯を上げたものだ。
その記憶がほんの僅かに、だが致命的に、ロキアの迎撃を遅らせた。
――やれやれ私もまだまだ青いな。戦いの最中に、こんな感傷に囚われるとは。
そんなことを考え、心の中で嘆息する。
今でも理性的には、アリシアは破壊されるべきだと考えている。
それでも心のどこかで、この少女たちに自分を打倒してほしいだなんて教師失格のことを考えてしまっていた。
ハルの全力の一撃が迫る。
――ああ、そういえばまだ、この言葉を伝えていなかったな。
ロキアは静かに目を閉じ、小さく微笑んだ。
「おめでとうハル・フェルシアス。……よく頑張ったな」
†
次の瞬間、凄まじい衝撃音と共に魔力の大槌がロキアを直撃し、そのまま壁まで吹き飛ばした。
「が……はっ……!」
背後の壁に叩きつけられたロキアは短く呻き、ずるずると崩れ落ちて床に膝をつく。
ハルは今にも折れそうになる足を必死で踏ん張り、息を弾ませながらロキアへと杖を向けた。
「先……生……、私達の、勝ちです……」
「……ああ、そうだな」
「これ、で……アリシアの、こと……許して、くれますか……?」
ロキアの口元にフッと笑みが浮かぶ。
「生徒相手に真剣勝負して負けたんだ。これ以上恥を晒すつもりはない」
その言葉を聞けて、ようやくハルの身体から力が抜けた。
「よか……」
そのまま受け身も取れず、べちゃっと床に倒れ込む。
『マ、マスター!?』
「……いくらなんでも無茶をしすぎだ。どれだけ無茶をしたと思っている?」
ロキアは呆れたように鼻を鳴らし、自分に治癒魔法をかける。
最低限の治療を終えると立ち上がり、そのまま気を失ったハルの小さな身体をひょいっと肩に担いだ。
「……これではどちらが勝ったのかわからんな」
こうして、ハルは結局ロキアに担がれて学園に帰還することになった。




