14話 不穏な忠告
──密林の夜は、昼とはまったく違う顔を見せていた。
周囲からは得体の知れない獣の遠吠えが聞こえ、湿った風が不気味に枝葉を揺らす。
昼間とは比べものにならないほどの濃密な闇が森を覆い尽くし、急に下がった気温が肌を震わせる。
「……ふぅ、やっと一息つけるかな……」
ハルは近くの大きな木の根元に座り込み、大きく息を吐き出した。
髪は泥と汗でぐちゃぐちゃ、制服も汚れが目立つ。体力も限界に近く、身体中の筋肉が悲鳴を上げている。
それでも──、
「今日だけで七人も倒したんだよね……私」
自然と笑みがこぼれた。
ほんの一ヶ月前の自分からは想像もつかない成果。ずっと『落ちこぼれ』と揶揄され続けてきた自分が、今日は他の生徒を次々に撃破しているのだ。
『マスター、日没をもって本日の生徒同士の戦闘は一旦終了となりました』
アリシアの淡々とした声にハルは大きく頷いた。夜間は生徒同士の戦闘は禁止。生徒の安全を考えた措置だ。
「うん……分かってる。今日はもう、休まなきゃね」
そう呟きながら、拳を握りしめる。
(まだまだ足りない……明日は、もっと稼がなきゃ)
自分が置かれた状況はまだまだ厳しい。これまでが散々だったため、無事に退学を回避できるかはまだ怪しい。
明日はもっと積極的に動いて、得点を稼ぐ必要がある。
「……よし、とにかく今は寝床を探そう」
『肯定。休息は戦闘能力の回復において非常に重要です』
「アリシア、どこかいい場所あるかな?」
『少々お待ちください』
アリシアの瞳が淡い光を放つ。アリシアはそうしてしばらく周りを見回し、やがて一つの方向を指差す。
『──約三百メートル先に洞窟を確認しました。中にモンスターの生体反応は無し』
「洞窟かぁ……うん、行ってみよう」
密林を進む。夜の森は昼間のように素早く動くことができない。周囲を警戒しながらゆっくりと足を運んでいく。
そうして進んでいくうちに──
「あった!」
木々の間にひっそりと佇む岩の裂け目が目に入った。内部は闇に包まれているが、中から流れてくる空気は乾いている。少なくとも獣臭い感じはしない。
「ここだよね?」
『はい。一晩休息を取る場所には妥当かと』
「よし、それじゃあ……光よ!」
呪文を唱えるとハルの手に光が灯る。ハルが安定して使える数少ない呪文だ。
小さな光を頼りに洞窟の中に入っていく。
洞窟の内部は思ったよりも広々としていた。動物の気配もなく、少し肌寒いけど火を焚けば問題ないだろう。
「うん、ここならゆっくり休めそうだね」
ハルは洞窟の壁際に座り、小さな焚き火を起こした。
炎がパチパチと音を立て、辺りを柔らかな光で包む。
密林の夜の冷え込みがじんわりと和らぎ、ハルはホッと息をついた。
「……はぁ、落ち着く……」
火の温もりに身体が緩んでいく。張り詰めていた神経がほぐれていくのを感じる。
こんなふうに無事に夜を迎えられるとは、少し前の自分では到底考えられなかった。
「……ねぇ、アリシア」
『はい、マスター』
いつも通り淡々と答えてくれる。そんなアリシアの受け答えがなんだか今は凄く落ち着く。
「なんかさ……今こうやって試験をちゃんと受けられてるのが夢みたい」
ハルは焚き火を見つめながら、小さく呟いた。
「少し前まで、魔法が全然使えなくて、試験の度に馬鹿にされてさ……」
『……何度でも言いますが、マスターの努力の成果です。胸を張ってください』
「ふふ、ありがとう。アリシア」
そっと杖を抱きしめると、アリシアが静かにハルの隣に寄り添った。
――変化は唐突だった。
『マスター、警戒してください』
アリシアの声が鋭く張り詰めた。ハルは咄嗟に杖を握り直すが、何が起きているのか把握できていない。
「アリシア? どうしたの?」
焚き火の光が急に揺らぐ。焚き火を挟んで反対側、そこにまるで空間から滲み出すように影が浮かび上がる。
「……アリシア、か。半信半疑だったが、どうやら間違いないようだな」
静かなのに不思議とよく通る声。ハルのよく知る人物がそこに立っていた。
「えっ……ロキア先生……?」
そこに立っていたのは、学園の教師――ロキアだった。
「先生? どうしてここに?」
最初こそ警戒していたものの、ハルの顔にほっとした笑顔が浮かぶ。
――ロキア・ヴェイン。
図書室の司書で、常に物静かで落ち着いた態度を崩さない人物。無愛想で生徒たちの間では少し怖がられているが、ハルにとっては一番信頼している先生だった。
魔法が使えず、実技試験では毎回失敗し、成績はいつも最下位。どれだけ頑張っても結果が出ないハル。
最初は温かく見守ってくれた教師たちも次第に冷ややかになり離れていった。
そんなハルが唯一頼れる場所は学園の図書室だった。
毎日のように放課後に図書室に通い、どうにかして魔法を使えるようになろうとするハル。そんなハルを、ロキアはいつも静かに見守ってくれた。
別に直接的に励まされたり褒められたりしたわけではない。
けれどハルがどれだけ遅くまで残っても嫌な顔一つしなかったし、関連する本をさりげなく机に置いてくれたこともあった。
何よりアリシアと出会えたのは、間接的とはいえロキアのおかげのようなものなのだ。それだけでもいくら感謝してもしたりない。
だから信用していたし、先生として好きだった。
けれど。
『マスター、近づかないでください』
「え……?」
困惑するハルをよそに、焚き火に照らされるロキアの表情はいつもと違っていた。
冷たくて、刃物のような鋭い視線。まるで危険な敵を前にしているかのような気配。
ハルは戸惑いながらも、何とか笑顔を作って話しかけた。
「先生、こんなところで会うなんて驚きました……試験の監視とかですか?」
ロキアは一言も返さない。
じっと、何かを見定めるようにハルを睨んでいる。
いや、正確には……まるでハルの隣にいる誰かを……。
「せ、先生? ……どうして、そんな怖い顔をしてるんですか?」
「……お前が、アリシアか」
その声は明らかにハルではなく、隣に立つアリシアに向けられたものだった。
『……当機が、見えるのですか?』
「メイガス魔法学園の教師を舐めるな。そこにいると分かってさえいれば波長を合わせるのはそう難しいことじゃない」
ハルは驚愕していた。これまで学園でいつもアリシアを連れていたが、誰もその存在に気付いた者はいなかった。それを、こんなにあっさりと──。
「先生はアリシアのこと知っているんですか?」
「ああ、よく知っている。……私は学園の教師になる前は、魔法による犯罪を取り締まる部署にいたからな」
「……え?」
「魔杖アリシア。正式名称、魔杖アリシア・オルディナリウス。その製造には禁忌の──」
『やめてください!!』
アリシアが叫んだ。そんな必死で切羽詰まった声を聞いたのは初めてだった。
瞬間、ハルはロキアに杖を向けた。
「……何のつもりだ?」
ロキアの敵意がこちらにも向けられる。全身が震え上がる感覚を必死に堪えた。
「先生、やめてください。アリシアが嫌がっています」
「だがその杖は……」
「誰にだって知られたくない秘密の一つや二つはあります」
ハルは怯えを隠しきれないながらも、真っ直ぐにロキアを睨んだ。
「私の友達を傷つけるなら、先生でも許しません」
「……勝てると思っているのか?」
ロキアが静かに杖を握る。肌にピリピリと感じるような敵意が、空気を一気に張り詰めさせる。
だが、ハルは一歩も引かなかった。
「勝てるかどうかは関係ありません。……私の大切な友達を悲しませるなら、私は全力で抵抗します」
『マスター……』
洞窟の中に張り詰める一触即発の緊張感。焚き火の炎がゆらりと揺れ動く。
数秒、数十秒──沈黙の後、ロキアは静かに杖を下ろした。
「……今は神聖な試験の真っ最中だ。また後日にしよう」
張り詰めていた空気が僅かに緩む。
だが、ロキアの瞳に宿る冷たい敵意は微塵も消えていない。
「だが警告する。その杖は危険だ。その杖自体も、その杖が引き寄せるものも」
ロキアの視線がアリシア、そしてハルへと移る。
「今ならまだ間に合う。お前が取れる最も賢い選択は、その杖を手放すことだ」
「嫌です」
「仮にその選択がお前を破滅させることになったとしてもか?」
「はい」
迷いのない即答。ロキアの目が、わずかに細められた。
「警告はした」
それだけを言い残し、ロキアの姿は闇に溶けるように消えていった。
気配が完全に消えた後、ハルは緊張が一気に緩みそのまま地面にへたり込んだ。
「な……なんだったの、今の……」
汗がどっと噴き出す。心臓がドクンドクンとうるさい。
(あんなロキア先生、初めて見た……)
冷たくて、鋭くて、まるで別人みたいだった。
(……先生は、明らかに何かを知ってる。あんなことするぐらい、何か重大な……)
だがそこで考えるのをやめて、ハルはふっと小さく笑った。
「さ、なんか色々あったけど、明日に備えて休もっか?」
『……何も、聞かないのですか?』
戸惑い気味のアリシアに、ハルはあっけらかんと笑う。
「だってアリシアは知られたくないんでしょ?」
『……ですが』
「さっきも言ったけど、誰にでも秘密はあるよ。私も聞かれたくないことはあるし、だからアリシアも無理に話す必要ないよ?」
ハルは優しく微笑むと寝る準備に取りかかる。
『……マスター』
「ん?」
『当機は……マスターと出会えて、幸せです』
ハルは思わず動きを止めた。
ちらりと見ると、いつも無表情なアリシアがほんの僅かに頬を赤らめていた。
「……わ、私も! あーやばい! なんか今の、すっごく嬉しいんだけど恥ずかしい!」
『……肯定します』
「よ、よし! とりあえず早く寝よ? 明日も頑張ろうねアリシア」
そうしてハルは恥ずかしいのを誤魔化すように布団にくるまる。
そんなハルの寝顔を、アリシアは一晩中見守り続けるのだった。




