13話 進撃のハル
淡い朝の光が部屋に差し込んでいる。
しんとした静寂。昨日までのドタバタを思い返すとどこか現実感のない、穏やかな空気が満ちている。
「ん……ふぁぁ……」
ハルは大きく伸びをしながら朝日を浴びていた。
普段なら朝は苦手なのだが今日は自然に目が覚めた。今日は、試験本番の日だ。
「ついに、本番かぁ……」
心臓がトクン、トクンと高鳴るのを感じる。
長かった。本当に長かった。
何度もバカにされて、悔しくて泣いた日々。笑われ続けた自分を変えたいと願い続けた日々。
そしてアリシアと出会い。死ぬほど苦しい特訓をこなしてようやく掴んだ自信。
今日は、それを証明する日だ。
準備を済ませて試験会場へ向かう道を歩いていると、他の生徒たちもちらほら集まってきていた。
その中の一人、ミルカがこっちに気付いて手を振ってくる。
「おはようハル!」
「ミルカ、おはよー!」
いつも通り明るく挨拶したつもり。けれどミルカは心配そうな顔をしていた。
「……大丈夫? 緊張してる?」
「あ~……わかっちゃう? そりゃ、まぁねぇ」
冗談めかして肩をすくめたが、声はほんの少し震えている。覚悟は決めたつもりだったけれど、やっぱり実際は怖い。
するとミルカは一歩近づいて、ハルを優しく抱きしめた。
「ミ、ミルカ!?」
「……大丈夫だよ。ハルが頑張ってたの、私はちゃんと知ってるから」
優しく背中を撫でながら、小声で囁く。
「絶対に大丈夫。うまくいく!」
「……うん、ありがとう」
ハルは小さく頷きながら、じわりと胸が温かくなるのを感じた。
ミルカと別れ、広場へ向かう。
広場には大きな魔法陣が刻まれていた。確かこれは転送用の魔法陣で、試験の参加者はこれでダンジョンに送られるらしい。
「お、才能ゼロシアスが来たぜ」
集まる生徒達の中に、いつもハルを馬鹿にしている生徒達の姿もあった。こちらを見てニヤニヤ笑みを浮かべている。
アリシアの言いつけでハルは自分の実力を隠していたのもあって、きっと彼らはハルが一カ月前と大差ない実力だと思っているのだろう。
『マスター……』
「大丈夫。……今はもう、ほんとに気にならないよ」
気遣うように声をかけてきたアリシアにそう返す。反論は実力ですればいい。今ならきっと、できるはず。
そうしてしばらく待って定刻になると、壇上に試験監督のロキア先生が現れた。
鋭い視線で生徒たちを見回し、静かに口を開く。
「これより、本試験を開始する」
静かながらよく響くその声に、生徒たちは一気に静まり返る。
ロキアは改めて試験のルールを説明する。
試験の舞台は、学園が準備した『密林ダンジョン』。
生徒たちはバラバラに転送され、そこからサバイバルを開始する。
モンスターの討伐、生存時間、他生徒の撃破。それらで得点を獲得し、総合的な評価で成績が決まる。
また、生徒たちの制服には特別な保護魔法が施されている。
試験中だけ有効という縛りで効果を底上げした保護魔法で、着用者が致命傷を受けると自動発動し、一度だけ命を守る。
これがあるから相手を死なせる心配はしなくていい。ただしもちろん発動した瞬間に強制失格、即座にダンジョンの外へ転送される。
「では各自。これより、ダンジョンへの転送を開始する」
ロキアの宣言と共に、足元の魔法陣が淡く輝き始める。
(大丈夫……できることはやった……)
胸に手を当てて深呼吸していると、隣に佇むアリシアがそっとハルを見上げた。
(アリシアが一緒だもん。絶対に大丈夫)
ハルは小さく微笑む。
視界が真っ白な光に包まれる。
次の瞬間には、周りは巨大な木々が鬱蒼と生い茂る密林へと変わっていた。
「……ついに始まったね」
ハルは湿った空気を胸いっぱいに吸い込んで吐き、小さく呟いた。
周囲を見渡すと木々が空を覆うように絡み合い、わずかな陽光が薄く差し込んでいる。
葉の間から見える空は霞がかかったようにぼやけている。足元は苔むした岩や太い根が無造作に広がっており、見たこともないような植物やキノコが生えている。
(……思ってた以上に、サバイバル感すごい……)
遠くから獣の唸り声がかすかに聞こえ、甲高い鳴き声の鳥が上空を飛んでいく。気温は蒸し暑くて、じわりと汗が滲んでくるのを感じる。
と、その時だ。
(なに、これ……?)
空気の微かな振動を感じた。音……というよりは、身体全体で感じ取る小さな波のような感覚。
『……誰かが感知魔法を使用しました』
「えっ……!?」
アリシアの声に、ハルは反射的に身をすくませた。
不意打ちでもされたらたまらない。すぐに隠れるべき──と、ハルは思っていたのだが。
『マスター。このまま開けた場所に立っていてください』
「ええっ!? いやそれダメなやつじゃない!? 流石に隠れたほうがよくない!?」
『いいえ。隠れてはいけません。もともとマスターを狙ってくる敵を迎撃し、積極的に点数を稼ぐという作戦だったはずです』
「そ、それはそうだけど……!」
アリシアに説得され、ハルはしぶしぶ覚悟を決める。ぎゅっと杖を握り締め、あえて開けた場所に出てキョロキョロ周りを見回す。
(……ほ、本当にこれでいいの?)
どんな相手とだって戦ってやると覚悟は決めたものの、他の人が感知魔法を使っている中でこんなに堂々としているのはなかなか覚悟がいることだった。
そうして待つこと数分。
「マスター。こちらを補足した三人の生徒が接近中です」
「……さんにん!? 三人も来るの!?」
ハルの顔から一瞬で血の気が引いた。
試験のルールでは、誰を倒しても点数は一律だ。ゆえに自分のような『落ちこぼれ』は狙われやすいのだろう。
「アリシアこれヤバくない!? いくらなんでも三対一はさすがに……」
一対一なら頑張るけれど、流石に三対一は無謀すぎる。そう思ってアリシアに意見するが、アリシアは相変わらず涼しい顔だった。
『問題ありません。むしろ好都合です』
「えぇぇぇぇぇぇ!?」
一方その頃。
学園の広々とした観覧ホールには多くの生徒や教師が集まり、大型スクリーンで試験の様子を見守っていた。
『さぁ、いよいよ始まりました! メイガス魔法学園一年生によるダンジョンサバイバル試験です!』
生徒による実況が始まると、ホール内で歓声が沸く。
元々は他学年の試験を見ることで勉強を……という趣旨で試験中の様子を放映しているのだが、毎年思わぬ好プレーや珍プレーが飛び出すことから今では実況までついてすっかり生徒達の娯楽の一部となっている。
『今年の新入生はどんなドラマ……あるいは面白おかしいコメディを見せてくれるのでしょうか──おっと! さっそく面白い展開ですよ!』
解説を務める生徒が画面を切り替えると、巨大スクリーンには密林ダンジョンでおろおろと辺りを見回すハルの姿が映った。
『これはこれは! フェルシアス家の落ちこぼれ……失礼しました、ハル・フェルシアス選手ですねぇ』
生徒たちの間でくすくすと笑い声が広がる。世界に名だたる名門出身の落ちこぼれということで、ハルの名前は他学年でも有名だった。
画面端に表示されるレーダーには、ハルへ向けて一直線に近づいてくる三つの光点が見える。
『さっそく狙われていますね! これは格好の獲物といったところでしょうか』
カメラが切り替わり、三人の生徒たちが迷いなく森の中を疾走している映像が流れる。
『さあ果たしてこの三人のうち、誰が最初の得点を獲得するのでしょうか!』
その様子を見守る誰もがこれは『誰がハルを狩るか』という勝負になると思っていた。
「ハル……頑張って……」
唯一例外の生徒、試験を免除されているミルカは祈るように手を組んで親友の様子を見守っていた。
茂みを掻き分け、ゆっくりと三人の男子生徒が現れた。……よく見知った顔だった。
「へへっ、いたいた」
「なんだよ、お前らもこいつ狙いか」
「そりゃそうだろ。誰がどう見てもボーナスポイントじゃん」
いつもハルに陰口を言っている三人がニヤつきながらハルを取り囲む。
全員一年生の中でも魔法の腕が良く、特に中央にいる男子は以前ガンドでハルを皆の前で嘔吐させた張本人だ。
「開始から数分で見つかるとか、どんだけ間抜けなんだか」
「ま、探す手間をかけさせないだけ身の程わかってるってことじゃない?」
「んじゃま、誰が狩るかは早い者勝ちってことで」
三人がニヤリと笑う。
(や、やばいやばいやばい!!)
それに対してハルは、焦った顔でアリシアの方をちらっと見た。
「アリシア、逃げよう!? 三人は流石に無理だから!?」
『はぁ……マスター……』
「そんな呆れた顔しないで!? いや私だって一対一なら頑張るよ? でも三対一はダメでしょ!?」
ハルが慌てふためいていると、アリシアがまたため息をついた。
『……十秒、といったところです』
「十秒……ってなにが?」
『彼らを全滅させるのにかかる時間です。マスターならダメージを負う心配もないでしょう』
「……へ?」
アリシアの淡々とした言葉にハルが目をぱちくりさせていると、男子生徒の一人が苛立ち気味に声を荒げた。
「おい一人でブツブツ何言ってんだよ、落ちこぼれが!」
三人が同時に杖を掲げる。
火球、氷の刃、雷の矢が一斉にハルに向かって放たれた。
(……?)
ハルはぽかんとそれを見つめた。
男子生徒三人も、観戦している観客達も、ハルのその様子を『なすすべなく呆けている』と思った。
だが実際は――。
(……え、なにこれ? ……遅っ……しょぼっ……)
ハルは三人が放った魔法の稚拙さに面食らっていた。
遅い。小さい。雑すぎる。
(え……嘘でしょ……? こんなに弱かったっけ……?)
夢の中でのアリシアとの訓練を思い出す。
目で追えない閃光。極大の火炎弾が降り注ぎ、回避する隙間さえ与えてもらえない超精密攻撃。
この一カ月間見てきたそれらと比べると、今まで怖いとすら思っていた他の一年生の魔法はあまりにもしょぼかった。
(えっ、もしかして、今まで私がビビってたのって……これ?)
ぽかんとしたまま、ハルは三方向から自分に向かってくる魔法に目をやる。
時間感覚を圧縮。飛んでくる魔法の速度が止まっていると感じるほどにまで遅くなる。
(んー……これは……)
とりあえず前方から飛んでくる火球を確認。特に誘導性能とか何らかの仕掛けはなさそうだ。
(ひょいっと)
ゆるりと体を傾けると、火球が顔の横を通過。
(次はこっちか)
軽く踏み込んで体勢を変えれば、氷の刃が頭の上を通り過ぎていく。
(で、次っと)
流れるように身をひねると、雷の矢が地面を焦がすだけで終わった。
「なっ……!?」
「は?」
「へ?」
三人の生徒は目を見開いた。
あっさりと、完全に魔法を見切って回避したハルに混乱している。その隙をついて、ハルは足に魔力強化を施して一気に踏み込んだ。
(とりあえず、一人)
魔力放射すると魔力がもったいないので、そのままドロップキック。
「っ……!?」
男子生徒の一人が真横に吹き飛び、大木に激突するとそのまま意識を失った。
「て、てめぇ!!」
二人目が焦りながら魔法を詠唱する。
「氷よ! 射貫け!」
氷の矢が形成され、ハルの胸を貫こうと一直線に飛んで来る。
油断が消えたのか、威力も速度もさっきよりはだいぶマシ。
(でも……アリシアならこれを十倍速で連射してくるよねぇ……)
そもそも直線的な攻撃で、逃げ道を塞ぐような工夫もないから防ぐにしろ避けるにしろ簡単にできてしまう。
ハルは顔色ひとつ変えず、その矢を片手でパシリと掴んだ。
「は、はぁ……!?」
二人目の生徒が絶望的な顔をする。
「お、おかしいだろ!? なんでそんなことが……!?」
「あー……ごめん。なんか、弱いものいじめみたいになっちゃった」
ハルは申し訳なさそうに呟きつつ男子の懐に入り、魔力強化した拳を振り抜く。一撃で男子の意識が飛び、その場に崩れ落ちた。
「ウ、ウソだ……」
残った一人――かつてハルを散々馬鹿にしていた男子は震え上がっていた。
「ち、違う……これは何かの間違いだ……」
震える手で、指先をハルに向ける。
「こ、こんなの……こんなの認めるわけねぇだろぉぉぉ!!」
ガンド――指差した相手を体調不良にさせる呪い。
一カ月前は為す術もなかった呪いを、今のハルはあっさりとレジストした。
「ひ、ひいいいぃぃぃ!?」
勝てない。そう悟った男子はハルに背中を向けて逃げ出す。
「逃がさない」
ハルが静かに杖を向け、黒と白の魔力を螺旋状に放つ。
せめてもの抵抗のように防御魔法を張るも、光と闇の魔力の一部が混ざり合って対消滅反応を起こし、あっさり防御魔法を貫通して男子に直撃した。
「……ふう」
息を吐いて見回すと、戦闘不能になった三人の男子。
「……えっと、正直言って、これまでの恨みを晴らしてやろうって気持ちもちょっとあったんだけど……なんか弱すぎて罪悪感湧いてきた……」
ハルが微妙な表情で呟くと、アリシアは小さく笑った。
『当機は胸がスッとしました』
「あはは……まあアリシアが喜んでくれたなら、それでいいか」
小さく笑い合いながら、二人は再び密林の奥へと足を進めた。
†
『な、なんということでしょうかぁぁぁ!?』
観戦ホールに、実況の絶叫が響き渡った。
試験開始直後。大型スクリーンには、ハルが三人の男子生徒をあっさり沈める映像が映し出されていた。
『信じられません! これは何かの間違いか、あるいは夢でしょうか!? 開始直後からまさかの三人抜きです!!』
『いや……ちょっとありえないですねこれは……』
『彼女は確か魔法が使えないとの話でしたが、いったい何が起きているんでしょう!?』
映像に映るハルはまさに圧倒的。魔力の消耗を最小限に抑え相手を圧倒していた。
まるで別人のような活躍に、観客席は騒然とした。
「な、なんだ今のは……?」
「あれってあのフェルシアス家の落ちこぼれだよな……?」
「トリックか何かじゃないのか?」
「いやいや、試験にそんなトリックなんて……」
そうやって誰もが状況を飲み込めずにいる中、ただ一人──。
「すごいすごいすごい!! やったぁぁぁぁ!! ハルすごいよおおおお!!」
ミルカだけが興奮のあまり椅子から飛び上がり、ぴょんぴょん飛び跳ねていた。
「見た!? 今のハルの動き!! ひょいひょい避けて、ドカーンってやっつけて!! 超かっこよかったぁぁぁ!!」
「お、おう、見てたけど……」
興奮しすぎたミルカは隣にいた見ず知らずの男子生徒の胸ぐらを掴み、がっくんがっくん揺さぶっていた。掴まれた生徒は困惑気味だがミルカのテンションはさらに上がる。
「ねぇねぇ、めっちゃすごかったよね!? もう絶対、ハルが一番だよ!! ね? ね? ね?」
「そ、そうだな……」
圧に押されて男子が頷くと、ミルカは満足したように男子の胸元を離した。
「ハル……頑張ったんだね……!」
ミルカは涙ぐんだ目でスクリーンを見つめ、嬉しそうに笑った。
一方、観戦ホールの後方に設置された教師席では、黒衣を纏った試験監督のロキアが静かにスクリーンを見つめていた。
(異常な成長速度……。これは努力だけでは説明がつかない)
この半年間で一番図書室に通い詰めたのは彼女だ。司書を務めるロキアも、ハルの努力についてはよく知っている。
……だが、いくら何でもこの成長の仕方は説明がつかない。
ロキアの鋭い瞳は、スクリーンに映るハルの手元を捉えていた。そこには黒と白の紋様が刻まれた長杖。
(……まさか……)
ロキアは目を鋭くする。その杖に関して心当たりがあった。
(…………魔杖、アリシア……?)




