第四章 その4 『リザーブは補欠ではない。五人目の選手だ』
昼間の練習が終わった夜のカーリングホール。
昼間の結果に納得がいかないわへいはそのままシートを使って練習を続けていた。
周りでは年配のチームが練習をしている。
「熱心な事だな」
声を掛けられてわへいは振り返る。
いつから見ていたのか?
そこには宇葉由里子がゆらゆらと佇んでいた。
「どうだい?ここの氷は?」
「苦戦していますよ」
「そうか。ここの氷は、な。浄水器を使って不純物を取り除いている。だから何エンド試合を続けても氷の状態も良い。こんな設備を持っている所は少ないがな」
わへいもその話は初耳だった。
「ドローウェイトが慣れないだろ?コンマの差ですっぽ抜けるしな・それに、ここにはアリーナ用の氷もあるぞ。今のところは一シートだけだが」
「一口に氷と言っても色々あるんですね」
「勉強になるだろ?」
「はい」
「森島君、お久しぶり」
「牧村先生、ご無沙汰しております」
「あら、覚えてくれてたのね。先生嬉しいわ」
宇葉由里子の隣には髪がぼさぼさでジャージ姿というおおよそ年齢に相応しくない格好の女性。
松山達の高校のカーリングの顧問、牧村 渚。
所謂バカーラーと呼ばれる類の人間で二十四時間カーリング等数多のイベントに出没する女教師。
どうやら宇葉と牧村の二人は知り合いのようだった。
「ゴールデンウイークの合宿ではいらしてなかったですね」
「そ。色々仕事が忙しくって。もう教師なんて辞めようかな」
「おいおい。渚には学校でカーリング布教してもらわないと」
「いや、教職者の本分は青年達を正しい道へ導くことでね」
「正しくカーリングへ導いてくれ」
肩を竦める牧村。
宇葉由里子はわへいの後ろにいたはずだがいつの間にか氷の上に並んでいた。
『本当に不思議な人だな…』
「少年。悩める少年よ。君は何故そんなに強くなりたいのか?」
「…好きな人の為に。リューリの為に。彼女は強くて。僕は強くなって彼女に相応しくなりたい。強くなって彼女の隣にいたいから」
「リューリ…機屋リューリ君、だな。機屋選手の娘さんか」
「不純な動機ですか?」
「あの手の才能だけで生きているようなタイプは細くて脆いぞ。極端に尖った才能一本で生きているからな。細い氷柱に支えられた薄い氷の上に立っているようなもんだ。すぐ折れる。そのままでは自分を支えきれないから他人に支えてもらって自分を確立させている…逆に君のように自分をしっかり持っている人間は他人に依存なんてしない」
何かを思い出しているのか。
宇葉由里子は何かの光景を押し潰すようにゆっくり瞳を閉じる。
「相手が先導して君がくっついている、周りからそう見えているとしたら。それは君の性格が素直だから。相手を立てて君が相手の歩調に合わせてあげているだけだ。その段階で主は君で従は相手だ。相手は好き放題やっているように見え、その実、君の手の平で踊っているにすぎん。君が進路を変えたら?相手はただ一人で歩くだけになってしまう。相手は君でなければ気持ち良くいられない。そりゃあ心地良いさ。君が相手の形に合わせているんだからな。君は彼女を甘やかせすぎだ」
「由里子さん言い過ぎですよ」
「いえ…耳に痛いです。つまり正論です」
「禄に話したこともないおばさんにこんな事言われたんだ。君は怒って良い。若いというのは何でも衝動的なモノだよ」
長く喋りすぎたな、と宇葉由里子が口の中で呟く…がわへいには届かない。
「好きな事は突き詰めると嫌いになって辞めてしまう。それが大半だぞ。で、あるならば好きな内に辞めるか、好きな所で止めておくか」
話の論点があちらこちらへと切り替わりわへいが面食らう。
それは果たしてカーリングの話だろうか、それとも別の何かの比喩だろうか?
「好きなまま努力を続けて勝ち続けられるのは才能だが一握りの人間だけだ。……いま来ている韓国のチームな」
強く言い過ぎた事を後悔するように宇葉由里子が言葉を紡ぐ。
「いや彼等が、ではなく韓国では、な。29歳までに選ばなければならないんだ。カーラーとして続けるか?コーチになるか?、それともアイスメーカーになるか」
わへいの脳裏に李時友の笑顔が浮かぶ。
「彼らは常に選択を迫られている。遠征に来るときもメンバーは六名。この意味わかるか?」
カーリングチームはリザーブも含め通常は五名一チームで動く事が多い。
何故六名なのか?
「分かりません」
「分からないを素直に分からないと言える。君は本当に良いコだな。…六名で動く理由。それはリザーブ含めいつでも交代する可能性を持たせチーム内に緊張感を持たせるためさ。五名なら誰かがリザーブと変わるだけ。だが六名なら調子が悪ければ二名まで一気に交代になる。もちろん、リザーブがリザーブとして機能しなければリザーブも交代させられる」
衝撃を受けるわへい。
自分はなんと緩い環境でカーリングをしているのか?
韓国チームとは雲泥の差だった。
「彼等の活動費は国から出ている。コーチは専属。送迎もコーチが各家庭まで送り届けるんだ。…結果を出せなきゃならんわけさ。韓国では日本と違って趣味でカーリングをする人はほとんどいない。結果を出すために専門的に練習しているカーラーばかりだ。日本ではエンジョイ勢が大多数。対照的だな」
また沈黙が訪れる。
「いや、すまない。君のような真っ直ぐで一生懸命な若者を見ているとつい、な。心配になるのだよ」
スルリとわへいの右肩から左肩へ場所を移動する宇葉由里子。
「努力は報われる。夢はいつか叶う…そうであれば良いが」
しばらく沈黙が続き、石のぶつかる音や掛け声が響く。
「ストーンチェックをするか?」
「やります」
「即答か。君は本当に素直なコだな」
宇葉由里子の唐突な提案を迷いなく受けるわへい。
「私も混ざっていいかな?夏休みだってのに学校で仕事。嫌になっちゃたわ」
「構わんよ」
氷の上に牧村も乗る。
「はぁ~氷の香りって最高!一日に一度はコレをかがないとね。この香りの為に生きてるわ」
「仕事の後の一杯か?」
「そうよ悪い?」
ストーンチェック。
大会の前になり行う石毎の癖を掴む為のもの。
わへいも聞いたことはある。
それが何故今必要なのか?
それを考えるよりも他人が純粋に自分の事を思って提案をしてくれている。
それを感じ取るのが森島わへいという人間。
では、と宇葉が呟く。
「ここはとあるオリンピック会場と思ってくれ」
そう言うとわへいにもそこが今までと違った別の場所のように思えた。
シン…と静まり返ったホール内。
誰もいなくなった観客席。
隣のシートでは他のコーチや私のようなストーンチェックをしているメンバーが投げていたな。
国際大会やオリンピックでは十エンドの試合を多い時では一日に二試合から三試合行う。
ハードだろ?
他のチームも、ね。試合が終わった後の夜。
ストーンチェックを行っている。
石の癖を把握するためだな。
時間は限られているから少しでも多く投げてコーチと一緒に石を調べ抜く。
皆と相談して癖の強い石はリードに回したり、ね。
それもリザーブの仕事さ。
リザーブってのはね。
補欠じゃない。
文字度り五人目のメンバーなのさ。
それに、癖のある石を回されるリードも大変なんだよな。
厄介な石ばかり押し付けられてな。
石の声を聞けなんて私は教わったが。
私に言わせれば性格の悪い石を探す事だったな。
ただし、もちろん石の癖を把握するためには自分に癖があってはいけない。
何度も何度も同じように否、同じに投げるんだ。
やってみなよ?
君ならいい線いってるね。
そうだ。
何度も何度も。
我々は愚直に繰り返すしかないのさ。
何度も何度も…。




