死なないで
しばらく黙って二人で海を見続けていた。
お昼頃になってお腹も空いたけれどお互いを何も言わずに海を見ていた。時々船の汽笛が聞こえた、波の音は絶えず耳に入る、風に乗って塩の香りが鼻孔を擽る。
「なごちゃん」
久しぶりに帷の声を聞いた気がしたのは何十分もお互いに口を開かなかったからだろう。
「僕、なごちゃんと同じ学校に通いたかったよ」
膝に顔を埋めて帷はそう言った。その声は掠れていて悲しそうで痛々しい。
「学校なんて楽しくない、行きたくない、つまらない、なごちゃんもいないし。それに周りは嫌なヤツばっかりだしさ。毎日毎日同じことばっかり……靴隠されたり、ノート破られたり」
私ははじめて帷の本音を聞いて彼がどこまで追い詰められていたのかを理解した。ここまで追い詰める顔も知らないいじめっ子に激しい怒りを感じる。
「死んだら、楽になれるのかな」
「だめ!」
自分でも驚くくらいに大きな声が出た。私の声に帷は驚いたのか顔をあげる、その顔は心の底から世間に絶望して嫌になっている顔だ。このままでは帷はきっとまた死んでしまう。
私は何も気づけなかった。でも、今過去に戻って気づくことができた。帷を二回も死なせたりしない。そのためにも私は何とかして帷を止めなければいけない。
「だめ!死んじゃだめ!何で帷が死なないといけないの!帷が死んだら帷のお母さんも私のお母さんも私も悲しいよ、だからそんなこと言わないで!」
「なごちゃん……」
「死んじゃいやだ!」
私の脳裏に帷の葬式の記憶が甦る。帷の遺影、泣いて憔悴しきった帷の母、そして眠っているだけのような安らかな帷の遺体。
「なごちゃん!」
帷は私の名前を大声で呼んだ。私が帷の方を見るとほっと安堵したように笑った。いつもの帷の笑顔だった。
帷は私を諭すように言った。
「大丈夫、僕は死んだりなんてしないから。だからなごちゃん泣かないでよ」
その一言は私を安心させるには十分の言葉だった。
「本当に?約束する?」
「うん、約束」
「絶対、だからね」
私は帷の手を握って目を見据えて言った。帷は「怖いなあ」と少し嬉しそうに笑っていた。
でもこんな風に思う帷が悪いのではない、悪いのは帷をいじめる人たちだ。どうしてこの世の中にいじめがあるのだろう。
人をいじめる心は誰しも持っているとテレビて聞いたことがある、私にもあり帷にもあるもの、だけどそれはいけないことだと理解しているからやらない、それが人間としての常識だから。
人間はいつも少数を多数でいじめる。どの時代でもそうだ。
「ねえ、なごちゃん」
「何?」
「世界はこんなに綺麗なのにどうして人間は汚いか分かる?」
「……さあ、何でかな」
「これは僕が考えたことなんだけどね、人間には言葉とか権力があるからじゃないかなあ」
「言葉と権力?」
「うん、そう」
普段帷はいつもこんなことを考えているのか、将来哲学者とか向いてそうだなと思った。私は普段ほとんど何も考えて生きていないけれど帷の言っていることは理解できなくはない。
「でも、僕は人間に生まれてよかったなって思うよ」
「どうして?」
「だって、僕たち人間には言葉もあるし知識もある。これは他の生物にはないことだよね。言葉は使い方を間違えれば凶器になるけど正しく使えばそれは便利なものになるはずなんだ」
こういう話をしているときの帷はとても生き生きとしている。そんな帷を私はもっと見ていたいと思う。
「ねえ、なごちゃん」
「何?」
帷のお腹から大きな腹の虫の音が聞こえた。
「お腹、空かない?」
「空いたー」
「どっか食べるところあるかな?」
「その前にお金……バス賃と、えと、おにぎり一個くらいは買えるかも」
「足りなかったら奢るよ」
「ううん、後で返す」
そうして私たちはバスに乗って自分達の町へと帰った。帰りのバスには誰も乗っていなくて行きと同じく静かだった。私と帷の間に会話はなかった、けれどそれが妙に居心地がよくて安心できた。
「あー生き返るー、おいしいー!」
私は鮭おにぎりを食べながらそう言った。塩加減が堪らなく食欲をそそる。
「美味しいね」
家に帰ると母に説教をされた。当然だけど学校から私が来ていないと連絡がありそこらじゅうを探し回ったらしい、それは同じく帷の母も同じだったようで帷も怒られたらしい。
でも楽しかったというと母は少し呆れたように笑った。
「あんたたち今でも仲良しなのね」
「うん、仲良しだよ」
「学校離れたから疎遠になってたのかと思ったわ。今日はどこに行ってたの?」
「海」
「海?また遠いところまで行ってたのね」
「えへへ、まあね」
今日は色々あったけれど楽しかった。学校をずる休みしたのは私も帷も初めてだった。一緒に海に行ったのも初めてだった。
後一回くらい帷と一緒に海に行きたい。でもその願いきっと叶わない。




