沈着で勇敢で聡明な貴女に
テラポルトスの島々の上には、ぞっとするほど美しい星空が広がっていた。
その星の洪水に飲み込まれそうな島の、片隅の、芝生の公園を、1人の若い女性が、ゆっくり歩いていく。LSSE職員が身に着ける制服姿で、手には職員用の商店の紙袋が握られている。芝生を踏みしめる音だけがそこに響いていた。
彼女は大きな木がいくつか植えられている中に、万里の長城のように長く続く壁の部分までたどり着いた。辺境戦争で死んでいった人々すべての名前が刻まれた慰霊碑だ。宇宙のように美しい黒い石に、白で刻まれた犠牲者の名前。母国語と英語で、それぞれの名前と年齢、生年月日と国籍や所属、そして死んでいった場所とその日時が刻まれている。
「地球から旅立った冒険者たちよ
汝らの旅が安らかに続くことを願い、
この悲しみと過ちと後悔と勇気と功績と尊敬を
どれも忘れることのないように
ここに冒険者たちの名を刻む 」
その前にその女は静かに立ち止まった。ゆっくりと顔をあげる。辺境戦争の生き残りであるウエキセンカだった。
センカは再び慰霊碑の前を、ゆっくりと進んでいく。そしてある場所まで来ると足を止めた。
「ただいま、帰投しました。」
センカはそれだけつぶやくと、戦艦オリオンの紋章が刻まれた慰霊碑の前に静かに座り込んだ。誰もいなかったが、すでに花がいくつか置いてあるのを見て、ここに来た生存者は自分だけではなかったことを悟った。
「もう聞いたかもしれないけれど、また、メカを倒しに行くことになったんですよ、私たち。」
センカはそう静かに語り掛ける。
「どうするかは、とっても悩んだんですよ、トメグ戦略長。私はあなたほど優秀ではないから、何も判断できなかった。エリーゼ・フェシカさん。あなたの言葉は最後までわたしの中で響いてた。今なら、K作戦やA作戦を先輩方がどんな気持ちで立ててたか、わかるかもしれない。」
センカはつぶやきながら、紙袋を開ける。中から折り紙を取り出し、星明りを頼りに折り鶴を折り始めた。
「戦略局は……いえ、わたしが、ね。確かに天の川銀河での影響力を考えたら、太陽系からかなりの数を派遣しておきたいって気持ちはあったし、天の川銀河の仲間を救うってかっこいいよね。でもLSSE戦略局が主力である太陽系防衛軍第1軍を全面的に派遣すべきって結論を出したのは、たぶん私のわがままだと思う。」
折り紙を折りながらセンカは続ける。
「ずっとね、メイルのご両親を助けたかった。だってレイアのご両親は間に合わなかったでしょ。それにメカを……メカは憎き敵ではあるけれど、メカを超えたかったの。憎くて敵で、おまけに機械だから、いくらでも壊してもよかったけれど、でも、壊したら平和になるってどうも思えない自分もいたの。辺境戦争の生き残りなのにね、私。」
鶴の羽を整えながら、センカはちょっとだけ笑って見せた。ずいぶん自分をけなすような笑いだった。
「でもわがままだってちゃんとわかってた。だからショウタが、最終的に、戦艦アルタイルだけ派遣するって発表したとき、どこかほっとしたの。」
鶴を慰霊碑のそばに置いて、もう一枚の折り紙を出しながらセンカは続けた。
「ヒルタは旧型艦だろうが何だろうが構わずに、戦力をとにかく集めて、今度の天の川三星連合艦隊の主力になるそうよ。旗艦はベルダーナ。偶然整備中であの戦闘には参加していなかったんだって。リンネルーアは戦艦シャハラザードに乗って、レイア最高司令官が直々に指揮を執るそうよ。でもリンネルーアも太陽系と同じようなもんで、シャハラザードと、3隻の小さな巡洋艦しか派遣は認められなかったわ。なにが天の川三星連合艦隊よ……。」
星は相変わらず瞬き、そよ風が吹く。風の音がさーっと流れる。センカは髪を耳にかけ、続けた。
「ショウタもユウキも、カズマもね、なぜ戦艦アルタイルだけなのか教えてくれなかった。他のメカの脅威も気になるし、太陽系の防衛になるべく割きたいのは私も一緒だけど……なんだかもっと深刻な何かがあるような気がしてならない。なんだかたまらなく不安。わたし、行っても大丈夫なの?」
もう1羽の鶴の羽を整えながら、センカは顔をあげる。
「でもね、戦艦アルタイルには、地球人の精鋭を集めたわ。メイルとスタワードも、レイアもいるのよ。グレーゴールとヘムルートも。きっと大丈夫。すぐ戻ってこれる!」
センカは鶴を、ゆっくり慰霊碑に置いた。刻まれた名前をゆっくりなぞる。
「テレーゼ・フェシカ隊長、ゼロが8機もいるのよ。楽勝よ。大丈夫ですよ、あなたの大切にしていたことはテレーゼさんから教わってますから、バイルシュミット隊長。天国のお父さんとお母さんは元気かしら。あなたの名前が決まったら教えてって何度もお願いしてるのに……。スノーヴァ情報長、リンカのYURIKAシステム、何度も地球を守ったわ。これからも。ブンタさん、裏方がわたしたちをいつも支えてくれる。新しい技術もたくさんあるんだよ、タブ技術長。ショウタもカズマも、立派に経験を積んで勉強したんだよ、キッド戦術長。私たち、あなたたちのように素敵な大人になったかなぁ、トニイ艦長。」
1つ1つの名前をなぞっていく。戦艦オリオンのにぎやかで遠足みたいにはしゃいでいた先輩たちの顔が次々と浮かんだ。
「どうか、みんな、頑張るから、見守っていて……。」
「センカ?」
ききなれた声が聞こえて、センカは顔をあげた。見ると、アサヒユウキが向こうのほう、移民星アスの慰霊碑の方からゆっくり歩いてくるのが、星明りに浮かんで見えた。制服姿のまま、背筋を伸ばして歩く姿は、もう立派な青年だった。
「ユウキ?」
「お前、準備は? 出港明日だろ?」
「引継ぎも済ませたし、準備なんて何度もしたもの。もう慣れたわ。」
そう言いながらセンカは立ち上がって、土を払った。
「まぁ来ると思ってたけど。とりあえず早く寝ろよ。」
「たぶん、寝れないと思ったから。」
「そっか……。戦艦オリオンの?」
「うん、上官に報告してた。ユウキは?ご両親に?」
「あー、えーと、まぁそう。今度は必ず守るからって決意表明をしにね。」
「今度は……?」
センカは首を傾げた。ユウキは今度は何を守らないといけないのか、とっさに思いつかなかった。嫌な予感がする。
「ほんとに例の宙域に、行くんだよな、お前ら。」
「戦艦アルタイルしか派遣しない代わりに、チームゼロの8名、地球のエースパイロットが全員参加するって言い切ったもの。ユウキ、地球に残れなくてごめん。」
「……謝ることじゃないよ。誰かが行くべきだった。俺とカズマがゼロのパイロットとしているし、戦艦ベガと戦艦デネブまで残ってくれた。何があっても大丈夫だろう。メイルのご両親のこと、頼むな。できれば付き添ってやりたかった。」
「もう、メカで大切な人の大切な人が死んでいくのは、ごめんよ。頑張るわ。」
「お前も……っ!」
「どうしたの?」
「お前も、気をつけろよ。メイルたちの知恵があるにしても、相手はあのメカだ。」
「死なないわよ、たかがメカごときで、……少なくとも、そのつもり。」
「ああ、あのさ。」
「ん?」
「絶対、帰って来いよ。俺ら太陽系で待ってるから、絶対。」
「急にどうしたの?」
「絶対、青い地球に帰ってこいよ、だからさ、お守り。」
ユウキはそう言ってポケットに手をつっこんだ。
「お守り?」
「センカ。」
「は、はい?」
「俺は、お前を守るって昔言った。銃を向けあってでも守るって言った。ずっとセンカを守る、って約束するから、これ、約束の証拠。」
ユウキはそう言ってセンカの手を取ると、ぐいっと左手の中指に指輪を押し込んだ。
「薬指にし直すかどうかは、答え、待つから。いつでも。いつまでも。」
ユウキはひざまつくことも、懇願することもしなかった。ただまっすぐ立って、センカを見つめた。
「指輪……。」
センカは左手をじっと見つめる。薄く青く光る石が、星の光の下、静かに光っている。水色と形容してもいいのだが、水色という言葉だけでは表せないと思うほど深い色にも見えた。
「きれい……。」
「指輪ならいつでも、戦闘服でも正装でも私服でも付けられるし、最悪……、身元の確認にもなる。」
「ちょっと、お守りなんでしょ?これ。」
センカが笑った。
「笑ったほうがいいよ、センカ。僕もこれお守りに持ってるから。」
ユウキは自分の指を見せた。今まで気づかなかったが、赤い石の指輪が光っていた。
「僕の誕生石で、紅色の宝石。ルビーなんだ。」
「ルビー、……あっ、確かルビーって。」
「そう、移民星アスの象徴でもある。アジア原産の石だから、僕らアスはルビーを象徴にしてみたんだ。赤は火星の色でもあるし、太陽の色でもある。情熱の色でもある。前に進むしかない宇宙移民の人々にとってはお守りなんだ。」
「ええ、そうね。」
「センカのは、アクアマリン。」
「わたしの誕生石ね。」
「それもそうだし、アクアマリンは藍色の、地球の海の色だ。センカが帰ってくる場所は、ここ母なる地球だろ?」
「あなたもね。すべての地球人にとって、地球は心の故郷であってほしい。」
「さあて、これからはどうなるかな。」
ユウキとセンカは、一瞬だけ世界を背負った者の顔になって笑った。
「ありがと。大切にするわ。」
「ああ。高かったんだからな、絶対帰って来いよ。」
「うん、わかった……。ユウキ、私コハルさんのお墓にも挨拶したいから、もう行くわ。」
「俺はもう戻るよ。」
「うん。本当にありがとう。うれしい。いずれお礼するわ。」
「お礼ね。」
ユウキは笑った。
「じゃ、明日な。」
「うん、おやすみ。」
センカは紙袋を拾って、星空の下を奥に向かって歩いて行った。
「おやすみ、センカ。」
「ただいまー」
センカは自分の宿舎の部屋に戻ると、玄関でそれだけ言った。紙袋をテーブルの上に置き、ややちらかった机を見てため息をつく。必要な書類とそうでないもの、捨ててよいものをよりわけて、必要なものをカバンに押し込んでしまうと、糸が切れたかのように寝室のベッドに飛び込んだ。
「お風呂は明日の朝でいいかなぁ。」
帰り際に本部施設の大浴場には行っているが、高級士官でもさすがに水の無駄遣いはできない宇宙に行く前に、もう一度シャワーくらいは浴びたい。しかしそれよりも寝たいという気持ちが勝った。目覚ましをかけて寝ようとしたとき、指にきらめく指輪が目に留まった。
「ほんと、なによいきなり……。」
センカはそうつぶやいて、指輪を外してじっくりみた。デザインも悪くない。シンプルでごてごてしてはいないが、寂しいわけでもないデザイン。アクアマリンが静かに光っている。よく見ると内側に何か書いてあった。
「ユウキは何を書いたんだろう。」
センカはじっと見つめる。文字が小さくてよく見えない。技術の進歩で、細かい文字も入れられるようになったものの、顕微鏡でも使わないと見えないのでは意味がないだろう。
「えっと……日本語?」
センカは目を凝らす
「かささぎの わたせるはしに おくしもの しろきをみれば よぞふけにける、……百人一首か。大伴家持の歌ね。」
センカはもう一度つぶやく。
「織姫と彦星を逢わせるために、かささぎが翼を連ねて渡したという橋……天の川のことね、……にちらばる霜のようにさえざえとした星の群れの白さを見ていると、夜もふけたのだなあと感じてしまう、か。」
センカはため息をついた。日本の実家で、冬に見上げていた冷たく輝く満点の星空が目に浮かんだ。吸い込んだ冷たくてきれいな空気も思い出す。
「戦艦ベガは地球に残るものね。戦艦アルタイルは天の川の彼方へ向かう。ほんと、かささぎに橋をわたしてもらって、いつでも会えるようにしてほしいわ。でも……なんで、ユウキはこの歌を選んだのかしら。確かに宇宙にぴったりな歌だけど、『夜ぞふけにける』か。」
センカは和歌の先に刻まれた言葉を見る。今度は漢字で読みにくい。
「旭日佑紀から上木千賀へ……。」
センカの目から涙が零れ落ちた。
「本当の名前で書くなんて……。」
宇宙開発が進み、自らも宇宙時代に放り込まれたチームゼロの面々は、自分の名前をローマ字で書くことが圧倒的に増えた。というのは宇宙開発によって英語をはじめとする印欧語族の言語が共通語として使われるようになったからだ。漢字で署名を書くことはめっきり減った。
日本のメディアですら、センカたちの名をカタカナで表記していた。というのは、訓練生時代はチームゼロの面々の個人情報は明かされず、国連宇宙防衛軍時代に公表されたときは海外からの発表だったのでアルファベットでしか名前が発表されなかったからだ。宇宙移民たちも同様だった。漢字で同標記されるのかわからず、カタカナで報道するしかなかった名残だったのだ。
無論調べればすぐわかるのだが、宇宙時代の先頭を行くチームゼロの少女はあくまで「ウエキセンカ」であり「上木千賀」ではなかった。自分でも、自分たちでも、無意識のうちにそう使い分けていた。チームゼロの面々にとって、漢字で書かれる自分の本名は、特別な意味を持っていた。
「……絶対に、帰ってこよう。帰らなきゃ。」
センカは嗚咽を漏らす。
「ユウキ……佑紀、ありがとうね。」




