小さなダイナーのカウンターで
中東の荒れ地の中に、一軒の小さなダイナーがあった。
半分ほど砂に埋まりかけた道の中、小さな湧き水の池とL字型の建物。宿泊できるモーテルの部分と、食事や買い物ができる食堂があった。裏手には池と畑。荒れ地にポツンと立つダイナーは、場違いなネオンを輝かせ、確かにそこに建っていた。
そのダイナーに、一台の荷物を積み込んだジープが止まっていた。中には誰も乗っていない。雑多に押し込まれた鍋や毛布だけがガラスに映っていた。
ジープの持主は、ダイナーの中にいた。
「おお、いい食べっぷりだね、お嬢さん。」
年老いた店主は、空っぽになった皿を下げながら、カウンター席に座る2人の客を見つめた。
「ありがとう。とてもおいしかったです。」
男の方はレンズに色のついた眼鏡をかけていて、女の方はスカーフを頭に巻いていた。イスラム教徒ではないようだが、このあたりでは強い日差しから体を守るサングラスやスカーフは欠かせない。特に不自然でもなかった。紫とグレーが混ざったような色のスカーフの隙間から、びっくりするほどきれいな黒髪が見えた。ここまでの黒さはめったに見かけない。
「部屋の準備は今させているよ。ここは水だけはたくさんあるから、シャワーはふんだんに使ってもらって構わない。」
「ありがとうございます。」
「でも、水は貴重よ。大切に使わせてもらうわ。」
「まぁ、砂漠じゃ常識だよな。」
店主はそこでふと手を止めた。
「お前さんたち、アルコールは大丈夫かい?どうやらイスラム教徒じゃなさそうだが。」
2人は少し顔を見合わせたが、女の方がすぐに答えを返した。
「ええ、大丈夫よ。」
「サービスしよう、客は久しぶりだ。」
店主は笑った。
「何がいいかい?」
「ウイスキーがいいわ。あんたもそれでいい?」
「ああ、いいぜ。」
サングラスの男が答える。
「ウイスキーを2つ。」
店主はうなづきながら、グラスを2つ出す。
「ウイスキーか。種類だけはたくさんあるが、どれがいいかい?」
「何があるの?」
スカーフの女が身を乗り出して聞いた。
「いろいろあるぞ。スコティッシュウイスキー、カナディアンウイスキー、アメリカのは切らしちまったな……。そうそう、ジャパニーズウイスキーもある。俺のおすすめはこいつかな、アイリッシュウイスキーだ。」
「ジャパニーズウイスキーがいいな。」
サングラスの男が即答した。
「ええ、わたしもそれで。」
「ほう、珍しい選び方だな。」
店主は棚からウイスキーの瓶をいくつか取り出した。大小さまざまな瓶から、角ばった瓶を選び、残りは戸棚に戻していく。
「といっても、3日前に同じように日本のウイスキーを頼んだ奴がいたが。」
サングラスの男と、スカーフの女が顔を見合わせた。女の目がわずかに震える。
店主は瓶のふたを開けようとしたがすぐには開かなかった。やれやれと近くにあったふきんを手に取り、もう一度ひねった。
「……気が合いそうな人たちだ。観光客ですか?」
サングラスの男は、やや間をおいてつぶやくように尋ねた。
「最初はそう言っていたが、な。」
店主はそう言ってにやりと笑った。
「お前さんたちも例の噂を追いかけてるのかい?」
店主は特に何かさぐりを入れたわけではなかった。ただ、好奇心と不思議な希望に駆られて尋ねただけだった。
世の中が目まぐるしく変わっていく中、世界の片隅に取り残されていたこの小さなダイナーにも、確実に世の流れがさざ波のように伝わってきている。穏やかな日常がいつまでも続いてほしいという願いは変わらなかったが、日々の暮らしをちょっとした冒険物語に変えてしまうようなスパイスに憧れる気持ちもあった。
世の中は目まぐるしく変わっていく。たった2,3年ほどで人類は太陽系の隅々まで生活圏を広げ、今では天の川銀河の異星人との交流や貿易まで始まっている。宇宙や異星人など、この中東の片隅の砂漠ではまだまだ遠い存在だ。それでも、宇宙は地球に変化をもたらした。国家、アイデンティティ、宗教、資本、豊かさ、歴史、伝統、支配、政府、流通、情報。当たり前だと思っていたものが、大きなうねりの中で変わっていく。変わるもんかといううねりもぶつかる。そうして生まれた渦が、今まで想像もしなかった新しい世界にむけて、新しいうねりを作っていく。今、地球にいる人類も、宇宙に暮らす人類も、みなこの新しい大きなうねりが、ゆっくり宇宙を包み込んでいる不思議な感覚に酔いしれていた。
そして、稲妻のようにいきなり現れ、大きなうねりを断ち切ろうとする『太陽系の民主主義を守る会』のクーデター。彼らに同調するものもいるが、強く抵抗する人もいる。大部分の人類は、「守る会」の言い分を理解しつつも、彼らの行動には嫌悪感を抱いていた。宇宙を包み込む大きなうねりを感じていた人々は、それを断ち切ろうとする稲妻をも包み込もうとする、また新しいうねりを感じつつある。「守る会」の一連の事件を、やんわりと解決しようと、宇宙や地球のいたるところで小さな動きが起き、それが誰も気づかぬうちに大きなうねりになるのではないか、という予感。
店主はまさにその予感に酔いつつ、好奇心に駆られて尋ねたのだ。彼は何も考えずにつぶやくと、ウイスキーの瓶をあけ、空いたグラスに注いでいく。
「例の噂、とは?」
スカーフの女がグラスを受け取りながら微笑む。
「詳しくは知らないがな……。ジャパニーズウイスキーを飲みながら、その客はつぶやいたよ。『俺はあの子たちが作ろうとする世界の方が希望に満ち溢れているように感じていたんだ』とね。」
サングラスの男が少し身を乗り出した。
「まさか、それは?」
店主は頷いた。
「観光客を装っているそうだが、やっこさん、本部の職員だそうだ。」
「本部…?しかし職員は全員軟禁状態という噂が流れているじゃないですか。」
スカーフの女がそう言ってウイスキーに口をつけた。ウイスキーはほとんど減っていない。
「そうでもないようなんだよ。まぁ、若いもんにはわからないかもしれんが……。」
「なぜ自由に行動できる職員がいるのでしょう?」
サングラスの男が不気味なほど静かに尋ねる。
「さぁ……。お偉いさんの事情は分からねぇ。でも全員テラポルトスで働いているわけじゃない。ほら、このあたりにも、石油資源の管理だとか、若者の支援だとか、移民候補者の選抜や訓練、募集なんかで来ているLSSE関係者が大勢いるだろ?」
「そう……なんですか?」
「ああ、観光の方だとピンと来ないかもしれないか。ほらぁ、この辺りはイスラム教の影響が強くて、宗派の対立でテロだなんだが起きたり、女は学校に行っちゃいけないとかそれでも行きたいとか、政治も不安定なら経済も不安定だしな……いろいろあるだろ。生きていきにくいと感じる若いもんもたくさんいた。いままではヨーロッパやアメリカに移民するしかなかったし、移民した先ではやっかいもの扱いだ。でも宇宙ならそんなことはない。訓練もしてくれて、宇宙では安泰。人類の英雄になってまっさらな新しい世界に行ける。若いもんはこぞって宇宙に飛び出した。ヨーロッパやアメリカ、成功している国のもんは宇宙移民にあまり興味を持たなかったし、移民と言っても研究者とかビジネスマンとか、エリートの仕事ばかり。いちから開拓しようなんてつらい肉体労働に来るもんはそうそういなかった。お偉いさんたちからしたら、進んで宇宙へ行く中東の若者はちょうどよかったんだろう。そんな若者を勧誘して支援して宇宙に移民させるために、そういうお偉いさんがたくさん来たんだ。」
「しかし、宇宙移民は……。」
サングラスの男がわずかに顔をそむける。店主は頷いて続けた。
「そう、辺境戦争だ。あの戦争で中東出身の若者もたくさん死んじまった。宇宙移民どころじゃなくなって、訓練所も閉鎖されることになった。孤児になって行き場がなくなって、宇宙に行こうと訓練所で医学を学びながら食いつないでいたのに、訓練所が閉鎖されて途方に暮れて、住み込みの使用人やなにかで生き延びて、いろいろあってうちに来たのが、今お前さんたちの部屋の準備をしている、うちの息子の嫁だ。……おっと、話がそれたな。まぁでも、最近は辺境移民再建委員会とか、宇宙移民自治政府とか、もちろん本部の人間も来て、あれこれ活動していた。」
店主は話を続ける。
「で、その観光客らしい3人組もどうやら出張中のテラポルトスの人間だったらしい。実は、アフリカの奥地で調査をしていただか何かで、難を逃れたLSSE職員が北を目指しているって噂があってな。噂だと思っていたが、どうやら本当に似たような境遇の人間がいるらしい。詳しくは聞かなかったが、その3人組も、その噂を聞いて、似たような境遇のLSSE職員が仲間を探して北上していて、その途中でうちの店に寄ったそうなんだ。」
店主はそう言って、つまみのチーズを数切れ取り出した。それを机にポンと置く。
「俺からのおごりだ。で、ここからがもっと面白い話。その3人組、本気であの子たちと合流しようとしているらしい。」
「ありがとうございます……あの子たちって?」
スカーフの女が尋ねた。
「チームゼロの子たちだよ。太陽系の辺境で逃げ出して以来、行方不明で、「守る会」が血眼で行方を捜している。」
「彼らは、いまどこに?」
サングラスの男が一口ウイスキーを飲みこんでから尋ねた。店主は椅子をひいて、腰を下ろした。ゆっくりと足を組んで、ため息をつく。
「さあな。守る会は血眼だ。テラポルトスの宇宙港はもちろん、ケープカナベラルやバイコヌールも厳しいチェックをしているそうだし、貨物も厳しく管理されているから、地球に、そして本拠地のテラポルトスに戻ってくることは不可能だ。監視員が送り込まれているとはいえ、「守る会」は宇宙や辺境にあまり興味がない。冥王星の宇宙移民自治政府が何枚かかんでいるだろうというのが、大方の意見だ。」
店主は自分もウイスキーを一口飲んだ。
「しかし、本部と宇宙移民自治政府、地球上の国々の通信は厳しく監視されていて、意思の疎通がうまくできていないらしい。たとえ宇宙移民自治政府がチームゼロの保護をしていても、それを全世界に言うには時期が早すぎる。もっとも、宇宙移民自治政府も「守る会」にかなり疑いをかけられているそうだから、まだ保護できていない可能性も十分に高い。火星移民自治政府はチームゼロの支持者ではあるが、その分監視も厳しいし、鉄の星ヒルタのヒルタ宇宙軍に、緑の星リンネルーアのリンネルーア軍の抑え込みまで押し付けられていて、とてもチームゼロの保護に動けるとは思えない。月移民団は妙なところで理想を追い求めるエリート集団だからな。月移民自治政府は監視を受け入れつつも、今回の事件に関しては恐ろしいほど沈黙を保って、いつも通りに動いているそうだ。「守る会」も持てあましているという噂だぜ。」
「しかし、月や火星ほどでなくても、軌道上に作られたスペースコロニーや、小惑星の移民星なんかに逃げてるかもしれないですよね?」
サングラスの男が口を挟む。
「ああ、そうかもしれないな。しかし監視からは逃げられない。ましてや小さなコロニーや移民星は力が弱い。いざというときに地球相手にけんかできる存在ではないよ。たとえ宇宙移民自治政府が背景についても、だ。助けを求められても、何もできないだろう。」
「では、例の観光客はどこを目指していたのでしょう?」
サングラスの男がつぶやく。
「今となってはよくわからないな。彼らはチームゼロの子たちが、地球に戻っているのではないかと話していた。」
「どうしてそう考えたのでしょう? だって、地球に戻るのは難しいのでしょう?」
スカーフの女が尋ねた。
「詳しい話は聞けなかったが……酒に酔った観光客たちは、宇宙からこっそり地球に潜り込む方法はいくらでもあると信じていた。貨物に紛れる、とんでもない支援者を手に入れる、他人に化ける、いくらでも方法はあるとね。彼らはチームゼロがテラポルトスに戻るべく、地球上の国々の政府とのパイプを活用するだろうと言っていた。彼らはチームゼロが立ち寄りそうな場所を探しながら、自分たちもなんとか協力できないかさぐっているらしい。チームゼロへの敬意をこめて、彼らはジャパニーズウイスキーを飲んで、行ってしまった。」
「使えるものは何でも使う、か。」
サングラスの男は、まるで自分に言い聞かせるかのようにつぶやいた。
「だそうだ。」
店主はもう一口ウイスキーを飲んだ。
「お前さんたちは……やっぱり、テラポルトスを目指しているのかい?」
もう、好奇心だけではなかった。大きなうねりが帰ってきたような、不思議な希望に駆られながら、思わず尋ねてしまった。
「まずは、ヨーロッパを目指します。」
サングラスの男はそれだけ言うと、ウイスキーをぐいっと飲み込んだ。
「ええ、そうね。」
スカーフの女もそう返事をした。
「おやじさん、ありがとう。おいしいウイスキーだった。明日の朝は早いから、朝食はいらない。今晩のうちに、食料とか買いたいんだけど……あとは洗濯物を洗いたい。車もふきたいな。外の水道を貸してくれるかい?」
「ああ、構わんよ。商品はそこの棚から選んでくれ。」
「ありがとう。」
席を立ったサングラスの男に、スカーフの女が声をかけながら席を立つ。
「わたしは洗濯の方に取り掛かってるわ。無駄遣いしないでよ?」
「わかってるって!」
それから数か月後、例の『合同訓練』が無事に終わった後、ダイナーには1つの小包が届いた。中身はSake。日本酒だった。
「無事にテラポルトスに帰ることができたことを報告します。
あの時は素晴らしいジャパニーズウイスキーをありがとう。
しかし、こちらも負けず劣らずおいしい。
次に日本の酒を求める客が尋ねて来たら
これを飲みながら、あの時のように語り合ってほしい。
サングラスの男とスカーフの女こと
LSSE戦術局戦術第1課長、他 ハシモトショウタ
LSSE戦略局戦略第1課長、他 ウエキセンカ 」
ダイナーの店主は、くすりと笑う。大きなうねりは、一瞬だけゆっくりとダイナーを包み、またあるべきところに進んでいったのだった。
お久しぶりです…。




