帰還
夕方のテラポルトス本部施設。第1食堂で、ユリアン・ゲープハルト戦略局戦略第2課長は一人食事をとっていた。
「遅くなっちまったな。まだまだ報告書は完成しそうにないし、今日は残業かもな。」
ユリアンは水の入ったコップを片手にぼそぼそと歌い始めた。『守る会』に引き起こされた混乱は未だに続いていた。特に課長たちは、課長級会議が開かれない分、独自に動いたり判断したりしていたため、その経緯を報告書にまとめるという膨大な作業を抱えてしまっていた。ユリアンもさすがに疲れを感じ始めていた。
Stille Nacht, heilige Nacht,
Alles schläft, einsam wacht
Nur das traute, hochheilige Paar,
Holder Knabe im lockigen Haar
Schlaf in himmlischer Ruh!
Schlaf in himmlischer Ruh!
「第2のクリスマス休戦」と呼ばれるようになった今回の「休戦」でも歌われた讃美歌。宗教と国と星を超えて歌われたこの曲を、ユリアンは呆然と口ずさんでいた。
Cicha noc, święta noc!
Pokój niesie ludziom wszem,
a u żłóbka Matka Święta
czuwa sama uśmiechnięta
nad Dzieciątka snem.
nad Dzieciątka snem.
突然聞こえてきた歌声に、ユリアンは後ろを振り向いた。そこにはすらりとしたスーツ姿の一人の女性がトレーを手に立っていた。
「スクウォドフスカ技術第3課長?」
ユリアンは手を止めて尋ねた。
「あっ、見苦しいところを……。」
「幼いころ、ポーランドの教会で歌ったわ。あの頃はまさかこれが宇宙で歌われるとは思っていなかった。」
エーヴ・スクウォドフスカ技術第3課長は、その場で少し笑うとトレーを少し持ち上げた。
「隣、いいかしら?」
「Bitte, setzen Sie sich.」
ユリアンはドイツ語でそういうと、少し微笑んで椅子を引いた。
「Dziękuję.ありがとう。」
エーヴは笑いながらトレーを置いた。
「私、ポーランド語とフランス語は両親に習ったし、仕事の関係で英語も覚えて、ドイツ語も少し覚えたわ。でもやっぱりドイツ語は苦手。なんだかいかつくて。」
「そんなこと言うなよ。第一、Stille Nachtもドイツ語の讃美歌だぜ?」
「わかってるわよ。」
エーヴはそう笑うと水を一口飲んだ。
「で、ゲープハルト戦略第2課長、報告書はどうなの?」
「報告書……まだまださ。」
ユリアンは自嘲気味に笑った。
「今回の報告書はかなり丁寧に進めないと、せっかくチームゼロの容疑を解いたのに、またケチをつけられかねない。」
「ええ、そうね。技術局もピリピリしているわ。」
エーヴはプレートに乗ったサラダを一口食べた。
「チームゼロのみんなは、報告書どうなの?進んでいるって?」
「さあ、向うもいろいろ動いてたから、公開非公開に関わらずかなり書き残すことがありそうだしね。この間話を聞いたら、どうやらアラブ諸国の政府やらテロ組織やらと怒涛の交渉をしていたらしい。まったく…でも今日はセンカもユウキもいないんだ。」
「学校?」
「ああ。ウエキ課長は火星でヒルタ宇宙軍とリンネルーア軍の友達に会ってから、地球にとんぼ返り。大学のレポートを出しに行ったよ。」
「ユウキは……確か冥王星のプロセルピナね。そういえばさっき宇宙移民自治政府戦略委員会から今後の動きについて連絡があったわね。」
エーヴもプロセルピナの人間だ。宇宙移民自治政府は宇宙移民自治政府で独自の連絡ルートや命令系統を持っている。
「アサヒ課長もだいぶやることが詰まっているからな。」
ユリアンはそういって水を一口飲んだ。
「そういえば、今日よね?」
エーヴが身を乗り出す。
「ヒルタ宇宙軍とリンネルーア軍の帰国。」
「ああ。本部からは第1軍司令官、ハシモトショウタが戦艦アルタイルで出かけて行ったよ。」
「そうね、宇宙移民自治政府から第3軍司令官、クラモトカズマが見送りに行ったわ。」
「講和の意味もあるからな、一応。」
「そうね……本当に危なかったわ。あんな讃美歌だけで止められたなんて、奇跡よ、奇跡。」
エーヴはそういってユリアンの腕を突っついた。
「太陽系辺境防衛戦争があってから、ほんの3年しかたっていない。みんなもうあんなのはごめんだったんだよ。特に第3軍の中には、当時避難を強いられた辺境移民出身者も大勢いるはずだ。」
ユリアンの言葉に、深い茶色の瞳の技術第3課長は頷いた。
「ええ、そうよ。」
「本当にうちに寄らないのか?」
戦艦シャハラザードと戦艦ベルダーナが並んで停泊する火星のハルモニアシティ宇宙港。2つの巨大戦艦の陰に2人の若い女性が缶コーヒーを飲んでいた。ヒルタのメイル・ノトメイアと、リンネルーアのレイア・リンネルーアだ。2人ともそれぞれの戦闘服に身を包んでいた。レイアの長くて白銀に輝く髪が、火星の風にあおられて揺らいでいる。
「スタワードもいるのに。」
メイルはそういってコーヒーを飲み乾す。地球の食文化の中には理解しがたいものもあるが、地球上で暮らしたことの2人にとって、忙しいときに一杯コーヒーを飲むことはもはや当たり前となりつつあった。
「そう言って、気が付いたらノトメイア研究所の掃除を手伝わされるんでしょ?」
レイアは頬を膨らませる。
「いい加減、ご両親がいなくてもなんとか暮らしていけるようにしなさいよ。スタワードがかわいそう。まともなご飯も作れないお姉ちゃんなんて。」
「スタワードだってしっかりしてるし……あとね、私たちの両親はまだ死んだわけじゃないわ。どこかに行っているだけ。」
メイルのまっすぐなまなざしに、レイアは少しだけ笑った。
「ええ、そうだったわね……。」
「せっかくだから、うちに寄ればいいのに。」
メイルは空き缶を手でくるくる回しながらつぶやいた。
「お気持ちだけ受け取っておくわ。リンネルーアをだいぶ離れていたし、リーヒ叔母さんも心配しているのよ。やることがたっくさんあるんだから!」
「でしょうね。」
一瞬ふくれっ面をしたメイルだったが、レイアと目が合った瞬間、2人ははじけたように笑った。
「太陽系とも、センカたちとも、しばらくお別れね。」
レイアが空を仰ぎ見ながら言った。
「センカも……これから大変だろうな。」
メイルはそういってため息をついた。
遠くの方で、騒がしい声が聞こえる。乗組員たちが荷物を積み込んだり、最後にハルモニアシティで土産物を買って帰ったりしているのだ。火星の人々もたくましく、土産の買い忘れはないかと行商まで出ていた。
「もうすぐ出航だ!時間はないぜ!」
「いいだろう?ちょっとそこまで。」
「ったく、知らねーぞ。」
「準備はもう終わってるんだ、いいじゃないか。」
「そうだな、次いつ太陽系に来れるかわからないしな。」
タラップをそういいながら若い士官が降りていく。
「いっぱい買ったわね。」
「ヒルタの両親へのお土産。いろいろ心配させちゃったと思うしね。」
「ほんとほんと。」
「でも地球のものって結構いいのあるじゃない?」
「そう。ヒルタじゃ手に入らないし……すみません通りたいんですけど。」
今度は若い女性士官たちが、荷物を抱えてタラップを登っていく。
「おい!ここのエンジン、ちゃんと整備したのか?」
「しましたよ!」
「チェックが付いていないぞ!」
「忘れてたんです!あとでまとめて印つけようと。」
「馬鹿野郎。何かあるかもしれん。俺がもう一度確認するから、お前はそっちの整備を続けてろ!」
「はいっ!」
あちこちでは出航に向けた最終整備がまだ続いていた。
メイルとレイアはそんな両軍の姿を眺めていた。2人が寄りかかっている戦艦シャハラザードの片隅は、積み上がった荷物や隣に停泊する戦艦ベルダーナの陰になっており、喧騒からは離れていた。
「LSSEは……地球はこれから大変だ。今回の『守る会』のことで、ヒルタやリンネルーアからの視線が変わってしまっただろうし。」
「あら、ヒルタの技術士官のくせに、ずいぶん天の川銀河の事情にお詳しいのね?」
メイルの思いつめた声に、レイアがふふっと笑った。
「一介の技術士官でもわかるんだよ。最高司令官の次期王位継承者のリンネルーアの王女様は、とっくに対策練ってるんでしょ?」
「そうね……こちらもいろいろ動いているわ。」
レイアはため息をついた。
「太陽系は広大よ。私たちの星みたいに、星にすら統一政府がないのに、移民星やスペースコロニーが乱立している。『LSSE』って組織でまとまって、『太陽系』として私たちと交渉しているけれど、そのLSSEの創設者はまだ母国で成人すらしてない学生。いろいろと事情が違うということを、改めて思わせられたわ。」
「ええ。地球に嫌なイメージを持ったヒルタ人も多い。今後に響かなければいいんだけれど。それこそ、LSSEとのつながりよりも、地球上の国とか各星の自治政府とかと個別にやり取りしたほうがいいんじゃないかっていう可能性も出てきたしね。」
メイルもそういって頷いた。
「でもそんなことしたら、太陽系内での内戦が起きかねない。かつ私たちリンネルーアも巻き込まれかねない。」
「だいたい、今回火星であれこれ調べて驚いたよ。地球上の国々は国際連合という組織でまとまってると思ったら、バラバラだし、紛争やテロ、きなくさい外交。情報戦。貧困、格差。なんかもうすごかった。」
メイルはそこまで言うと伸びをした。
「LSSEってものすごく大変なことをしているんだなーーーーって思わされたわ。」
「ええ、ほんと。リンネルーアなんかよりもずっと複雑よ。でもその多様性と複雑さが、地球人の強さであり、魅力でもあるのよね。リンネルーアもうまく付き合っていかないと、太陽系に巻き込まれちゃうわ。」
レイアはそういってウインクをした。
「レイアさまー?」
上の方から、突然声がかかった。
「なにかしらー?」
レイアが上を向いて返事を返す。戦艦シャハラザードの甲板から、リンネルーア軍の士官が顔をのぞかせた。
「あっ、こちらにおられたのですね。」
士官はそこでリンネルーア式の、心臓に右手を当てる敬礼をして見せた。
「王女様、そろそろ出航です。艦橋での指示をお願いできますか?」
レイアはコーヒーの残りを飲み乾すと、ちらっとメイルの方を見た。そのすまなそうな表情をみて、メイルは黙ってうなずく。
「わかったわ!今行く!乗組員の点呼を始めてちょうだい!」
「かしこまりました!」
士官はもう一度敬礼をして走り去っていった。それを2人は黙って見届けた。
「じゃあ、行くわ。」
レイアはそういうと、メイルに手を差し出した。メイルは黙ってその手を握った。
「いろいろありがとね。いつも。今度はリンネルーアにも来て。」
「ええ、メカの研究が一通り済んだら、遊びに行く。」
「そんなこと言わないで。いつまでもかかるじゃない!」
レイアは笑って手を離した。
「じゃ、行かなきゃ。またね!」
「また今度。」
白銀の髪が火星の赤い風になびく。レイア・リンネルーアの華奢でたおやかな戦闘服姿は、たちまち物陰に消えた。メイル・ノトメイアは黙ってその場を後にした。戦艦ベルダーナの出航も近づいていたからだ。
火星のハルモニアシティを発った、鉄の星ヒルタと、緑の星リンネルーアの大艦隊は、小惑星帯の近くにある、地球の「宇宙の裂け目」付近に差し掛かった。警護と監視をするのは、太陽系防衛軍の第1軍旗艦たる戦艦アルタイルと、第3軍旗艦たる戦艦シリウス。「裂け目」の近くになると、2隻の戦艦はスピードを落とした。
2隻の戦艦から、戦闘機が発進した。大艦隊であるため、「宇宙の裂け目」への誘導が必要なのだ。今回はそれを水の星地球側が担うことになっていた。
「あら、ゼロだわ。ゼロが2隻。」
レイアは戦艦シャハラザードの艦橋で声を上げた。
「ということは、あれは……?」
「戦艦アルタイルから出てきたゼロは、太陽系防衛軍最高司令官ハシモトショウタ。戦艦シリウスから出てきたゼロは、太陽系防衛軍第3軍司令官クラモトカズマ。優秀なパイロットでもあり、私の友人でもあるわ。」
レイアは笑った。
「とんだ歓送ぶりね。何をするつもりなのかしら。」
「え?」
艦橋の視線が一斉にレイアに向く。
「だって、司令官同士が戦闘機に乗るなんて、不思議でしょ? まぁいいわ。「藍色の宇宙」に行きましょう。」
レイアはそういって真っすぐ前を見た。ただの宇宙が広がっていたが、人工の観測器に囲まれた場所が、光を吸い込んでわずかに揺らいでみえる。
「全軍!藍色の宇宙へ!」
レイアはそう叫んだ。次の瞬間、戦艦シャハラザードは深い藍色に包まれていた。
ヒルタ宇宙軍とリンネルーア軍が宇宙の裂け目から姿を消していく。その姿を見ていたショウタの元に、個人通信が入って来た。
「カズマか。」
「ショウタ……終わったな、ご苦労さん。」
「カズマも、お疲れさま。」
ショウタは微笑みながら操舵槓をわずかに揺らす。
「そろそろ帰るか。カズマ、お前はそのままプロセルピナシティに?」
「ああ。宇宙移民自治政府の会議だ。」
「そうか、気をつけてな。」
「なぁ、ショウタ。」
カズマのややくぐもった声が、通信機から聞こえてきた。
「どうした?」
「ショウタ、お前いつから『太陽系の民主主義を守る会』の存在に気付いていた?」
ショウタは手を止めた。息を吸い込んで、そっと通信機を見る。あくまでカズマとの個人通信だ。ショウタはもう一度息を吸い込んだ。
「今年の夏くらいに、情報局の情報を流してもらったんだ。」
「リンカにか?」
「ああ、情報局の課長たちの間で話題になっていたそうだ。そこに守る会に繋がる情報があった。」
「で、ショウタはなぜそれを誰にも言わなかったんだ?」
「相談したさ。ユリアン・ゲープハルト第2課長に少し話した。でも、これは大ごとにしないと決めたんだ。泳がせてバックを探ろうと……。」
「なぜ、俺やユウキ、センカに相談しなかったんだ?」
「センカ、ユウキ、そしてカズマ。チームゼロの面々は人類宇宙委員会に接する機会が時折ある。密かに委員会を調べているなんて言ったら、誰からその情報が洩れるかわからない。だからまだ接点の少ないユリアンさんに相談した。もっともそのころはまさか『守る会』があんな行動に出るとは思わなかったんだけど……。『守る会』やそれにつながる組織なんかに、委員会が密かに支援しているとすぐに想像がついた。委員会とは何なのか、俺たちはこの先どうするべきなのか、探るチャンスだと思っていたんだ。」
「敵を欺くにはまず身内から、ってことか。」
カズマはため息をついた。
「すまない。」
「じゃあ、これは伝えておこう。センカとユウキは、『守る会』に少し気付いていた。いずれクーデターでも起きるんじゃないかと、その時はどうしようかと話していたことがあったんだ。案外、リンカから情報を手に入れていたのかもしれない。」
「そうか……すまないな。」
「別に、ショウタ。お前を怨んでいるわけじゃない。お前の判断は正しい。」
カズマは続けた。
「でもな。『委員会』とのこと、一人で背負い込むなよ、リーダー。」
「ありがとな。」
ショウタはそうつぶやいた。ゼロの操舵槓を大きく傾け、戦艦アルタイルを目指す。太陽の光が、こんな宇宙まで静かに照らし、ゼロの白い機体を浮かび上がらせた。
この章はこれでおしまいです。
ここまで読んでくださり、ありがとうございます。
今後は少し日常な話を挟んでから、一気に大学生編を進めるつもりです。ノトメイア夫妻の救出とメカとの最終決着はいかに!?ヒルタの機械文明の未来とは!?というような話を予定しています。不定期で更新していくので、またぼちぼち読んでくださるとうれしいです。




