オリンポスの人間
ユリアン・ゲープハルトは、薄暗い部屋から出ようと踏み出した足を止めて、その場で気をつけをした。しかし、足は小刻みに震え続けた。
ユリアンは、大学で政治学や国際関係学を学んだ。宇宙という広大な世界を前に、大きく姿を変えようとする「世界」について学び続けたのだった。その学びを終えた後、ユリアンはこうして国連宇宙機構という「世界」を変える最先端の場所で働いている。自然と、いろいろなことが見えた。その一つが、人類宇宙委員会の存在だった。委員会の存在自体は、普通に公開されている。メンバーこそ公開されていなかったが。
今までは、宇宙開発初期に作られた古い歴史の中の組織だと思い込んでいたが、学び続け、働き続ける中で、この「委員会」なるものが人類の黒幕であるのではないかという疑いが大きくなり続けていた。
確かに、いくらなんでもチームゼロという子供たちが、名だたる政治家や企業のトップを相手に立ち回るなんてできるわけがない。何かしら強力な支援者が後ろに控えていることは、容易に想像できた。それが「委員会」であることも。しかし人類宇宙委員会の存在が表に出ることはなかった。そして、チームゼロの面々、特にリーダーであるショウタは、時折「委員会」への報告のために姿を消した。
ユリアンは、姿の見えない声に向かって、そっと、それでも信じられないほど鋭い声で、尋ねた。
「第2課長就任に関して、あなた方の要求をのみましょう。ですが、一つ質問をしてもよろしいですか?」
衝立の向こうから、重い声が返ってくる。
「よかろう。答えを用意する。」
「ありがとうございます。では……あなた方は、チームゼロを、星座の世界に押し上げるおつもりですか?」
「……星座の世界、か。」
「ええ。失礼ですが、申し上げます。あなた方は、オリンポスの神々のように座っておられ、人々がもがき苦しみながら戦う姿を見物し、感心すると死んだ後に星空に上げて、神話にしてたたえている、僕はそう思います。先の戦艦オリオンの犠牲者たちも、あなた方の手によって神話になった。まるで、サソリに刺されて死んだ後に天に登った狩人のオリオンのように。そして、今度はあの子たちを、神話にするつもりですね。」
「それでも、神々は慈悲深い。そして、世界のためにその力を振るう。」
「そうでしょう。」
ユリアンは震える手を握りしめた。
「では、ことばを変えましょう。あなた方は、いつの日か、チームゼロを殺すおつもりですね?」
「……優秀な部下だな。ウエキセンカが君に執心するわけが少しわかったよ。」
しばらく、沈黙が続いた。ユリアンはしびれを切らして、再び問いかける。
「答えを用意する、とおっしゃっていましたが?」
「君に、その質問の答えを教えることはよくない。君自身にとっても、君が心の底から尊敬し、慈しんでくれるあの子たちにとってもだ。そしてこの宇宙のためだ。」
重い声が返ってくる。
「しかし、ユリアン・ゲープハルト。君に報いる必要もある。貸しを作ろう。それでよいな?」
「どのように返していただいてもよろしいのですね?」
「もちろんだ。」
ユリアンはその言葉を、しかと胸に刻みつけた。
「その時は、どのように連絡をすれば?」
「君をこの出張に呼び出した事務所に、また連絡してくれ。」
「ありがとうございます。」
ユリアンは、息を吸い込んだ。帰ろうと足を踏み出しかけた矢先、後ろから声が聞こえてきた。
「我々は、選ばれし人類宇宙委員会だ。母なる地球を離れるということは、人類にとって大きな変化だった。それこそ、身体的にも精神的にも何が起きるかわからなかった。それを覚悟して決断し、責任をもって『人類』に尽くすのが、我々委員会の使命だ。」
「その使命に……子供たちを巻き込むのですか?」
ユリアンは、唐突に出た言葉に、口元を抑えかけた。
「……失礼しました。」
「いや、構わん。そう、我々は人類のために、子供たちを戦場に引っ張り出した。そしてその後の世界を作らせた。」
重い声が続ける。
「利害に凝り固まった大人たちよりも、純粋な子供たちの方が、新しい世界を作るのに向いている。だから訓練生と称して、世界中から子供たちを集めた。それに、泥沼化した辺境戦争を終わらせるためには、子供たちを送り込むのが最善策だった。無関心だった人々も、子供が戦場に行くほどと分かり、自分たちの守りを失った瞬間に、宇宙に関心を向け始める。さらに、K作戦やA作戦を完璧に立案しつつも踏み切れずにいた、戦艦オリオンの若者たちに、決断のきっかけも与えた。結果、戦争は終わり、まっさらな可能性と子供たちだけが残された。」
「それは……。」
「そうだ、すべて我々が紡ぎだした、考えうる最善の未来の形だ。」
「それでは、辺境戦争での犠牲も、あの子たちの人生が狂ったのも全て……?」
「『人類』のためだ。」
ユリアンは、声の主を殴りたくなった。言い分は正しい。まっとうなほど正しかった。しかし、そのために費やした犠牲は測りしれない。
「人類のためだ。人類のために、我々は何でもしよう。星の一つや二つ、爆破しても構わない。テラポルトスに毒ガスを流しても構わない。人類のためならば。」
「それが許されると……。」
「しかし、我々も人間に過ぎない。我が子同然の子供たちを、星空に捧げる覚悟はしていても、どこかで、子供たちのささやかな幸せを願ってしまうんだよ。」
ユリアンはこぶしを握り締めた。
「失礼します。」
そう言い放って、部屋を出た。いつまでも体の震えが止まらなかった。
「そんなことが……?」
センカが驚いた顔でユリアンを見つめた。ユリアンはいたたまれなくなって、席を立つと、キッチンの冷蔵庫を開けて、食べ物を探しながら話を続ける。
「要するに、僕は貸しを持っていた。だからそれを返してもらったに過ぎない。」
「ええ、でも……。」
「そんなことで、とでも言いたいんだろう?」
ユリアンはチーズを取り出しながら、センカとユウキの方を見た。
「そうですよ、ユリアンさん。」
ユウキも返す。
「しかし、考えてみろ。あのスーマー・ヤオに、全ての機密情報へのアクセス権を与えるんだ。しかも「守る会」の目をくぐり抜けて。ジョン・ウェブ名義で申請をすることにしたとはいえ、通常ルートで申請したら、無視されて当然。」
「それで、その「貸し」を?」
ユウキがチーズを受け取りながら尋ねた。
「ああ、そうだ。例の事務所に連絡して、申請をした。すぐに、まるで通常の業務のように、平然と重要書類が贈られてきたよ。これが、スーマー・ヤオに全ての情報を与えた方法のすべてさ。」




