第8話 シュークリームの材料を探そう
「帰ったら作ってみようよ、エナ。とびっきり美味しいシュークリーム!」
「はい。私もぜひ、お手伝いさせてくださいませ」
そう答えてくれたエナの前で、メルはもう一度店内を見回した。
昼を過ぎても棚にはパンが残っている。この店だけに客が戻ったところで、周囲が閉まったままなら人通りそのものは増えない。
(だったら、わざわざここまで来たくなるものにしたいな)
普通のシュークリームでも、この世界では十分珍しいかもしれない。
けれどせっかくなら、ここでしか食べられないものがいい。
「……やっぱり、今見てみよう」
メルが《しあわせレシピ》を呼び出すと、両手の間に淡い光が集まり、見慣れたレシピブックが姿を現した。
「お、お嬢ちゃん。それは……?」
店主が目を丸くする。
「私のスキルなの。シュークリーム、シュークリーム……できれば、この世界でしか作れない美味しいやつがいいなぁ」
思い浮かべながらページをめくっていく。
やがて指先が止まり、開かれたページには期待していた通り、丸く膨らんだ生地にたっぷりのクリームを詰めたお菓子が描かれていた。
**《ミルクホーンラビットの濃厚シュークリーム》**
**材料(8個分)**
* 小麦粉……80g
* バター……40g
* 卵……3個
* 牛乳……200ml
* ミルクホーンラビットの乳蜜……100ml
* バニラビーンズ……少量
「……乳蜜?」
聞いたことのない材料だった。
シュガースライムに続いて、今回も魔物の名前が入っている。
「ヴァル、ミルクホーンラビットって知ってる?」
「知っている。白い毛と角を持つ、小さな魔物だ。角に甘い液体を溜め込む性質がある。人間は乳蜜と呼んでいたはずだ」
足元で伏せていたヴァルが、面倒そうに顔だけを上げる。
「美味しいの?」
「俺は食ったことがある。濃く甘いが、後には残らん。人間も好んで採っていたな」
「絶対クリームに合うやつだ……!」
生クリームや練乳に近いものだろうか。
普通の牛乳だけで作るカスタードよりも濃厚になりそうだし、後味が軽いならたっぷり詰めても食べやすそうだ。
「じゃあヴァル、取ってきてもらえる?」
「構わん。ただ、近場なら東の草原にいる群れが一番近いが、あそこは人間どもが管理していたはずだぞ」
店主もその言葉に頷いた。
「ああ、東の草原なら冒険者ギルドの管理区域だ。乳蜜も採れる時期が決まってるから、勝手に入って採取することは禁止されてるはずだよ」
「そっかぁ。じゃあ勝手に取ったらダメだね」
「俺なら誰にも止められんが」
「止められるかどうかじゃないの」
ヴァルなら本当に誰にも止められないのが困るところだ。
どれだけ強くても、他人が管理している場所から勝手に材料を持ってきていいことにはならない。
「それなら、冒険者ギルドで相談してみたらどうだい? 金はかかるだろうが、採取を依頼することもできる」
「冒険者ギルド……!」
いかにも異世界らしい場所である。
前世の記憶が戻ってからというもの、こういう単語を聞くだけで少しわくわくしてしまう。
「エナ、今から行ってみようよ。まだお昼だし、依頼だけならできるよね?」
「もちろん構いませんよ。本日は私のお休みだったはずなのですが、いつの間にかお嬢様のお菓子作りのお手伝いになってしまいましたね」
「でも、エナの好きなパン屋さんのためだよ?」
「ふふっ。それを言われてしまいますと、断れませんね」
店主にも「試作品ができたら持ってくるね」と約束し、メルたちはパン屋をあとにした。
◇
フィーネの冒険者ギルドは、大通りから少し離れた場所にある大きな石造りの建物だった。
中へ入ると、武器を携えた冒険者たちが行き交い、壁には依頼の書かれた紙がびっしりと貼られている。
(おお……本当に冒険者ギルドだ)
ついあちこち見てしまう。
そんなメルの様子に気づいたエナが、隣で小さく笑った。
「お嬢様、楽しそうでございますね」
「初めて来たから。剣持ってる人もいっぱいいるし、なんかすごいね」
もちろん前世では見る機会などなかった光景だ。
受付へ向かい、メルはカウンターの向こうにいた女性へ声をかけた。
「ミルクホーンラビットの乳蜜が欲しいんだけど、ここでお願いできる?」
「乳蜜の採取依頼ですね。もちろん可能ですよ。必要な量はお決まりでしょうか?」
「100mlあれば作れるけど、何回か試したいから……もうちょっと欲しいな」
レシピ通りに一度で完成する保証はない。
前世で作ったことのあるシュークリームでも、乳蜜を使うのは初めてなのだから、味やクリームの固さを調整する余裕も欲しい。
「でしたら、500mlほどで依頼を出しておくのがよろしいかと思います。ただ、乳蜜だけを目的に東の草原へ向かう冒険者はそれほど多くありませんので、受注されるまで数日かかる可能性がございます」
「数日かぁ……」
今すぐ必要というわけではない。
それでもパン屋の棚に大量の商品が残っていた光景を思い出すと、できれば早く試してみたかった。
「ミルクホーンラビットなら、今日行く場所の近くだな」
不意に、横から若い男の声が聞こえた。
振り向くと、そこには20代前半ほどの青年が立っていた。
短く整えた赤茶色の髪に、日に焼けた健康的な肌。整った顔立ちをしているが、貴族の青年のような華やかさより、よく笑いそうな親しみやすさが先に来る。
動きやすそうな革製の軽装を身につけ、腰には使い込まれた長剣が下がっていた。
「ルークさん。今日は東の草原へ?」
「ああ。このあと出る予定だ。別件だけどな」
受付嬢の反応を見る限り、よくここを利用している冒険者らしい。
青年――ルークはメルの前まで来ると、その小さな身体に合わせるように少し腰を落とした。
「俺はルーク・ハーウェル。23歳のBランク冒険者だ。ミルクホーンラビットの乳蜜が欲しいんだって?」
「うん。私はメル・アルフォード。シュークリームを作るのに使いたいの」
「シュークリーム?」
聞き慣れない名前だったのか、ルークが首を傾げる。
「どんな食い物なんだ?」
「丸く膨らませた生地の中に、甘いクリームをいっぱい詰めるお菓子だよ。乳蜜を使ったら、すっごく美味しくなると思うの」
「へえ……そりゃちょっと食ってみたいな」
ルークは興味を引かれたように笑うと、受付嬢に東の草原までの距離を確認した。
「俺の仕事場所から少し足を伸ばすだけだし、ついでに採ってきてもいいぞ。とはいえ仕事だから、完全にタダってわけにはいかないけどな」
「うん。ちゃんと払うよ」
「話が早くて助かる。なら通常の採取依頼より安くていい。その代わり、そのシュークリームってやつが完成したら俺にも食わせてくれ。それでどうだ?」
「いいよ! いっぱい美味しいの作るね」
条件としてはありがたい。
メルが頷くと、エナも問題ないと判断したらしく、受付嬢を交えて正式な依頼の手続きを進めてくれた。
その間にルークが、メルの足元へ視線を落とす。
「それにしても、ずいぶん立派な犬を連れてるな。お嬢ちゃんの飼ってるやつか?」
「犬ではない。それと、俺は飼われてもいない」
低い声が返った瞬間、ルークの表情が止まった。
「……喋った?」
「失礼な男だな」
ヴァルが黄金色の瞳で見上げる。
するとカウンター越しに見ていた受付嬢の顔から、みるみる血の気が引いていった。
「銀白色の毛に、金の瞳……ま、まさか、天月狼ヴァルグレイヴ様……?」
「うん。ヴァルだよ」
「いや、ちょっと待て」
ルークがメルとヴァルを交互に見る。
「天月狼って、あの災害級魔獣だよな? なんでそんなのが5歳の子供と一緒に乳蜜を探しに来てるんだ?」
「ヴァルとは契約してるの。お菓子の材料を取ってきてもらったり、危ない時に守ってもらったりするんだよ」
「……最近、アルフォード家の令嬢がとんでもない魔獣と契約したって噂は聞いたけど、お前だったのか」
ルークは額に手を当てたものの、ヴァルから逃げる様子はない。
驚いてはいるが、それ以上に状況を理解しようとしているようだった。
「それなら、そもそも俺に採取を頼む必要あるのか? ヴァルグレイヴ様ならミルクホーンラビットくらい簡単に見つけられるだろ」
「見つけられるよ。でも勝手に採ったらダメなんでしょ?」
「まあ、そりゃそうだけど……」
ルークは何か言いかけ、しばらく黙ってから苦笑した。
「災害級魔獣にちゃんと人間の決まりを守らせてる5歳児、初めて見たぞ」
「俺は納得していないがな」
「納得してなくてもダメだよ、ヴァル」
メルが念を押すと、ヴァルは面倒そうに鼻を鳴らした。
そんな2人を見ていたルークが、何かを思いついたように手を打つ。
「だったら、お嬢ちゃんたちも一緒に来るか?」
「いいの?」
「ああ。俺がギルドの手続きをして同行すれば、管理区域に入ること自体は問題ない。採取のやり方も覚えられるし、ヴァルグレイヴ様が一緒なら護衛について俺が心配する必要もないだろ」
むしろ自分より遥かに強い護衛である。
メルとしても、実際にミルクホーンラビットを見て、どんなところから材料を採るのか知っておきたい。
「行きたい! エナも一緒に行こうよ」
「お嬢様。本日は私のお休みに、一緒にフィーネでお買い物をする予定だったはずなのですが……」
エナは困ったように言いながらも、本気で嫌がっている様子ではない。
「ごめんね。でも、ちょっとだけ材料を取りに行くだけだから」
「昨日の今日でございますので、お嬢様の『ちょっとだけ』を私はあまり信用できません」
「うっ……」
森へ1人で出かけた件は知られていないはずなのに、なぜか刺さる。
そのやり取りを聞いていたルークが笑った。
「東の草原ならここから遠くない。俺もこれから出るところだから、今から向かえば夕方までには戻れるさ」
「それなら……仕方ありませんね。ヴァル様もいらっしゃいますし、私もご一緒いたします。ただし、お嬢様。危険なことはなさらないと約束してくださいませ」
「約束する! 今日は乳蜜を取りに行くだけ!」
エナが念を押すようにこちらを見ているので、今度こそ本当である。
朝はエナの休日にフィーネへ遊びに来ただけだった。
それがお昼にはパン屋を助けるためにシュークリームを作ることになり、午後には知り合ったばかりの冒険者と魔物の素材を採りに行くことになっている。
(……思ってたお出かけとは全然違うけど、これはこれで楽しそう)
「それじゃ、行こう! ルーク、案内して!」
「ああ。任せとけ。ただし、勝手に走ってどっか行くなよ。いくら最強の護衛がいても、お前は5歳なんだからな」
「分かってるよ!」
こうしてメルたちは、とびっきり美味しいシュークリームの材料を求めて、その日のうちにフィーネの街を出ることになった。




