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第4話 もふもふの狼とお菓子

「……もふもふだ」


 巨大な狼の耳が、ぴくりと動いた。


「……俺を見て、最初に言うことがそれか」

「喋った!」


 今度こそメルは驚いた。

 目の前にいるのは、どう見ても巨大な狼だ。それなのに低く響いた声は、落ち着いた大人の男そのものだった。


「そんなに驚くことか。俺からすれば、逃げもせずに立っているお前のほうが理解できん」

「だって、まだ何もされてないもん。すっごく大きいけど」

「……妙な小娘だな」


 狼は呆れたように息を吐く。

 その吐息だけで銀白の毛が揺れ、メルはますます触ってみたくなった。


 そこで、もっと重要なことに気づく。


「あれ? でも、どうして逃げないの?」

「何からだ」

「魔物よけのお菓子。これを食べたら、ほかの魔物はみんな逃げていったよ」


 メルが自分を指差すと、狼は鼻先をわずかに動かした。


「ああ。先ほどから不快な気配を漂わせているのは、それか」

「不快なんだ……」

「雑魚には耐えられんだろうな。だが、この程度の魔物除けが俺に効くと思うな」

「効かない魔物もいるんだね」


(危なかった……。これさえ食べれば絶対に安全だと思ってた)


 自分の考えが甘かったことに、今さらながら気づく。

 もし目の前の狼が問答無用で襲ってくるような魔物だったら、今頃どうなっていたか分からない。


「ところで小娘。その袋に入っているものはなんだ?」

「これ?」


 メルは鞄から小さな袋を取り出した。

 中には、あの恐ろしくまずい魔物よけクッキーが残っている。


「魔物よけのお菓子だよ。さっき言ってたのはこれ」

「菓子とはなんだ?」

「食べるものだよ。本当は甘くて美味しいんだけど、これはすっごくまずいの」

「……よこせ」

「聞いてた? すっごくまずいよ?」

「聞いている。いいから1つよこせ」


 そこまで言うなら止める理由もない。

 メルはクッキーを1枚取り出し、差し出した。


「はい。でも、本当にまずいからね」


 巨大な狼が顔を近づけ、そのままクッキーを口へ放り込む。

 メルなら何度か噛まなければならない大きさなのに、狼にとっては豆粒のようなものだ。


「どう?」

「…………」


 狼はしばらく黙っていた。

 やっぱりまずかったのだろうかと思った直後、その黄金色の目がわずかに見開かれる。


「……美味い」

「えっ?」

「もう1枚よこせ」

「美味しいの!? これが!?」


 信じられない。

 メルにとっては、前世と今世を合わせても上位に入るくらいのまずさだった。


「青臭くない? 苦くない?」

「それがいい。後から残る渋みも悪くないな」

「そこが一番まずいところなのに……」


 味覚が違うのだろうか。

 狼は完全に気に入ったらしく、メルが持っている袋から視線を外そうとしない。


「残りもよこせ」

「ダメだよ。帰りの分だから」

「帰り?」

「これがないと、帰る途中で魔物が来ちゃうもん。それに、シュガースライムも見つけられなかったし」


 狼の耳がわずかに動いた。


「シュガースライムを探していたのか?」

「うん。お菓子の材料にいるの」

「これと同じ菓子か?」

「違うよ。プリンっていう、甘くてぷるぷるしたお菓子。シュガースライムを使えば作れるんだって」

「……それは美味いのか?」

「まだ作ってないから分からないけど、普通のプリンなら美味しいよ」


 狼は少しだけ考えるようにメルを見つめた。


「ここで待っていろ」

「え?」


 返事をするより早く、巨大な身体が地面を蹴った。

 銀白の姿は一瞬で木々の向こうへ消え、後には揺れる枝葉だけが残される。


「……速っ」


 何をしに行ったのかも分からない。

 けれど言われた通りに待っていると、それほど時間も経たないうちに茂みが大きく揺れた。


 戻ってきた狼の口には、半透明の黄色い塊が何匹も咥えられている。


「もしかして……シュガースライム?」

「そうだ」


 狼が地面へ置いた途端、黄色い身体がぷるぷると揺れた。すでに倒されているようで、逃げる様子はない。


「こんなに早く見つけたの?」

「この森にいるものを探す程度、俺には造作もない。それで足りるか?」

「うん! これならプリン作れる!」


 思ってもいなかった形で目的を達成できた。

 メルが喜んでいると、狼は満足そうに頷き、すぐに袋へ視線を戻す。


「なら、残りをよこせ」

「だから、帰れなくなっちゃうよ」

「俺が送る」

「でも、途中でほかの魔物が来たら――」

「俺がいるのに、お前を襲う魔物がいると思うか?」


 言われて、メルは周囲を見回した。

 巨大な狼が現れてからというもの、さっきまで以上に森が静かになっている。鳴き声どころか、魔物らしい気配すら感じない。


(この子がいれば、魔物よけより安全なのかも)


「じゃあ、本当に家まで送ってくれる?」

「ああ」

「約束だよ?」

「くどいぞ」

「じゃあ、はい。残り全部あげる」


 袋ごと渡すと、狼は満足そうにクッキーを食べ始めた。

 あれほどの味を美味しそうに食べている姿は不思議だったが、自分の作ったお菓子を喜んでもらえるのは悪い気がしない。


「そういえば、名前はなんていうの?」

「ヴァルグレイヴだ」

「ヴァルグレイヴ……長いね。じゃあ、ヴァル」

「なぜ勝手に縮める」

「そのほうが呼びやすいもん。ダメ?」

「……好きにしろ」

「じゃあヴァルね。私はメル!」

「知っている」

「私、名前言ったっけ?」

「お前の持ち物に書いてある」

「あっ」


 鞄にはアルフォード家の紋章と一緒に、メルの名前が刺繍されている。

 転生したからといって、何でも特別な理由があるわけではないらしい。


 シュガースライムを袋に入れ、メルはヴァルと一緒に森を戻り始めた。


 さっきまで少し怖かった夜の森も、今は驚くほど静かだ。

 メルが歩けば、巨大なヴァルも当然のように隣を歩く。


「ヴァルって、ずっとこの森にいるの?」

「いや。気の向くままに移動している。今日は偶然ここにいただけだ」

「じゃあ、会えたのってすごい偶然なんだね」

「……偶然、か」


 ヴァルの返事が少しだけ変わった。

 黄金色の瞳が、隣を歩くメルへ向けられる。


「先ほどから気になっていた。お前は妙だ」

「また?」

「5歳の人間にしては妙に落ち着いている、という話ではない。魂そのものだ」


 メルの足が止まった。


「魂?」

「ああ。肉体に刻まれた時間と、魂に刻まれた時間がまるで合っていない。最初は何か別のものが入り込んでいるのかとも思ったが、それとも違う」


 ヴァルは少し考えてから、確かめるように続けた。


「メル。お前――転生者か?」

「……分かるの?」


 思わず聞き返すと、それだけで答えになったらしい。


「やはりな」

「ヴァル、転生者を知ってるの?」

「知識としてはな。長く生きていれば、その程度の話を耳にすることもある。実際に見たのはお前が初めてだ」

「そうなんだ……」


 まさか自分から話すより先に見抜かれるとは思わなかった。

 けれど、不思議と嫌な感じはしなかった。


「前は別の世界で大人だったよ。でも、今はちゃんとメルだからね」

「なるほど。それなら森へ1人で来る程度の知恵は――いや、待て。大人だったなら、なぜ5歳の身体で夜の森へ来た?」

「魔物よけのお菓子があったから、大丈夫かなって」

「…………」

「そんな顔しなくてもいいでしょ」

「顔は変えていない」

「なんとなく分かるもん」


 呆れられている気がする。

 メル自身、魔物よけが通用しない相手と出会った後なので、あまり強くは言い返せなかった。


 やがて森を抜け、遠くにフィーネの街明かりが見えてくる。

 ここまで来れば屋敷まではもう少しだ。


「ヴァル、送ってくれてありがとう」

「まだ街まで距離があるだろう」

「でも、そのまま行ったら大騒ぎにならない? ヴァル、すっごく大きいし」


 言われたヴァルは一度だけメルを見た。

 次の瞬間、銀白の巨体を淡い光が包む。


「わっ……!」


 光が消えたとき、そこにいたのはメルの腰ほどの高さしかない銀白の狼だった。

 黄金色の瞳や立派な毛並みはそのままだが、先ほどまでの迫力はすっかりなくなっている。


「ちっちゃくなった! かわいい!」

「騒ぐな。この程度の変化はできる」

「こっちのほうがもっともふもふできそう」

「できそう、ではない。触るな」

「まだ触ってないよ?」


 そんなやり取りをしながら、ヴァルは本当に屋敷の近くまで送ってくれた。


「ここなら大丈夫。ありがとう、ヴァル」

「メル」

「なに?」

「シュガースライムで作る菓子。忘れるなよ」

「プリンね。今度会ったら食べさせてあげる」

「……ああ」


 ヴァルと別れ、メルは来たときと同じようにこっそり屋敷へ戻った。

 幸い誰かに見つかることもなく、シュガースライムをしまってからベッドへ潜り込む。


(今日はすごかったなぁ。シュガースライムも手に入ったし、ヴァルにも会えたし)


 少し遠くまで材料を取りに行くだけのつもりが、思っていたよりずっと大変な夜になってしまった。

 それでも目的の材料は手に入ったし、新しい友達までできた。


(明日はプリン作ろう)


 そう決めたところで一気に眠気が押し寄せ、メルはすぐに眠りについた。


 だから、その数時間後。


 別れたはずの銀白の狼が、再びアルフォード家を訪れたことにも――。


 その来訪によって、フィーネの街が朝から大騒ぎになることにも。


 メルだけは、まだ気づいていなかった。


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