第3話 はじめての材料探し
「乾燥シュガースライム、ですか?」
聞き慣れない材料だったのか、バルドは太い腕を組んで考え込んだ。
「申し訳ありません。少なくとも、当家の厨房で扱ったことはございませんな」
「そっかぁ。どこかで買えないかな?」
「フィーネの市場には魔物の素材を扱う店もございます。そちらであれば、何か分かるかもしれません」
「じゃあ、行ってみたい! お父さま、いい?」
「構わないが、エナと護衛を連れていきなさい。今日はメルの誕生日だからな。好きなものを見てくるといい」
「ありがとう、お父さま!」
こうして昼食を終えたメルは、エナと護衛の騎士を連れてフィーネの市場へ向かうことになった。
屋敷から馬車でしばらく進むと、窓の外が少しずつ賑やかになっていく。石畳の大通りには店が軒を連ね、野菜や果物だけでなく、見たことのない色をした薬草や大きな角まで並んでいた。
(前世の記憶が戻ってから見ると、本当に異世界なんだなぁ。八百屋さんみたいなお店の隣で魔物の牙を売ってるし)
「お嬢様、あまり窓から身を乗り出してはいけませんよ」
「はーい。でもエナ、あの大きな角はなに?」
「あちらはホーンディアの角ですね。薬の材料として使われるそうです」
「魔物って、いろんなものに使えるんだね」
これなら、お菓子に使える素材が他にもあるかもしれない。
そう思うと、さっきまでとは市場の見え方まで変わってくる。
目的の魔物素材店に着くと、棚には牙や爪、色とりどりの石のようなものが所狭しと並んでいた。
「いらっしゃい。おや、アルフォード家のお嬢様かい?」
「こんにちは。乾燥シュガースライムってありますか?」
「乾燥シュガースライム?」
店主の男性は目を瞬かせ、それから困ったように頭を掻いた。
「シュガースライムなら北東の森にいるが、乾燥させたものは置いてないねぇ。そもそも、あいつを素材として欲しがる人なんて初めてだ」
「いないの?」
「ああ。弱い魔物だから倒すのは簡単なんだが、金になる素材も取れない。わざわざ冒険者が持って帰ってこないんだよ」
「甘くないの?」
「食べたことがないから分からないねぇ」
(砂糖の代わりになるって、知られてないんだ)
《しあわせレシピ》がなければ、メルだってスライムをプリンに入れようとは思わなかっただろう。
「じゃあ、冒険者さんにお願いしたら取ってきてくれる?」
「依頼を出せばやってくれるだろうけど、今日明日は難しいね。依頼を受ける奴が現れて、それから森へ行って戻ってくるんだから、何日かは見ておいたほうがいい」
「何日かぁ……」
せっかくレシピを見つけたのだから、できれば今日にでも試してみたかった。
とはいえ、自分で森へ行くわけにもいかない。そう考えながら店内を眺めていると、棚の一角に積まれた細長い葉が目に留まった。
「これ、なに?」
「月避草だよ。独特な匂いがするだろう? 魔物が嫌う草でね。旅人が魔物除けに持っていくんだ」
「いっぱいあるね」
「珍しいものじゃないからね。薬草を扱う店なら大抵置いてあるよ」
メルは葉の匂いを嗅ぎ、すぐに顔を離した。
「ちょっと変な匂い」
「お嬢様、口には入れないでくださいね?」
「入れないよぉ」
エナに笑われながら店を出て、その後も市場を少し見て回る。
珍しい果物や香辛料を見つけるたびに足を止めているうちに、気づけば帰る時間になっていた。
屋敷へ戻ってからも、メルの頭にはシュガースライムのことが残っていた。
(冒険者さんにお願いするのが一番なんだけど、何日も待つのかぁ)
ベッドに腰掛けながら、何となく手を伸ばす。
淡い光が集まり、《しあわせレシピ》が手の中に現れた。
(私が森に入っても危なくない方法があれば、すぐ取ってこられるのに)
そう考えた瞬間、レシピブックのページが勝手にめくられ始めた。
「えっ?」
やがて動きが止まり、新しいレシピが現れる。
**《月避草の魔物よけクッキー》**
**材料(約8枚分)**
* 小麦粉……100g
* バター……50g
* 蜂蜜……大さじ2
* 月避草……10g
その下には、短い説明も添えられていた。
食べると一定時間、通常の魔物が近寄らなくなる。
(これ、さっき見たやつだ)
他の材料は屋敷の厨房にある。
月避草だって、市場で簡単に買えると聞いたばかりだ。
メルはレシピを見つめながら考える。
(これを食べてれば、森に入っても魔物のほうから逃げてくれるんだよね?)
もちろん、普通に森へ行きたいと言えば止められるだろう。ましてや5歳の娘が1人で行くなど、父が許すはずもない。
けれど魔物が近づいてこないなら、話は少し違う。
(シュガースライムを見つけて、捕まえて、すぐ帰ってくるだけなら……大丈夫じゃない?)
そう思ってしまえば、あとは早かった。
月避草だけはエナに頼んで市場で買ってきてもらい、夕方には厨房を借りてクッキーを作る。バルドには「新しいレシピを試したい」とだけ伝えた。
工程そのものは簡単だった。
細かくした月避草を生地へ混ぜて焼くだけなのだが、窯から漂ってくる匂いは、さっき作った木の実と蜂蜜のクッキーとは明らかに違う。
「……変な匂いですね」
「うん。私もちょっと心配になってきた」
焼き上がったクッキーは、見た目だけなら普通だった。
メルは恐る恐る1枚を割って口に運ぶ。
「…………」
噛んだ瞬間、青臭さが広がった。
続いて強烈な苦味が舌を襲い、蜂蜜の甘さなど簡単に吹き飛ばしていく。最後には妙な渋みまで残った。
(くそまずい……!)
どうにか飲み込んだものの、もう一口食べたいとはまったく思わない。
(これ、本当に《しあわせレシピ》に載せていいお菓子なの?)
疑問しかなかったが、必要なのは味ではなく効果だ。
残りのクッキーは小さな袋に入れ、その日の夜を待つことにした。
屋敷が静まり返った頃、メルはそっとベッドを抜け出した。
小さな鞄に魔物よけクッキーとシュガースライムを入れるための袋、それから必要なものを詰める。
眠っているエナを起こさないよう部屋を抜け、屋敷の外へ出た。
(シュガースライムを取って帰ってくるだけ。そんなに時間もかからないよね)
北東の森まで辿り着くと、念のため魔物よけクッキーをもう半分だけ食べた。
(何度食べてもまずい……)
けれど、その効果はすぐに分かった。
森へ入って間もなく、茂みから角の生えた兎が顔を出したものの、メルを見るなり跳ねるように逃げていく。少し先では別の魔物が近づいてくる気配がしたが、こちらに気づいた途端、遠ざかっていった。
(すごい。味を犠牲にしただけはある……!)
これなら大丈夫そうだ。
安心したメルは、月明かりを頼りにシュガースライムを探して森を進んだ。
ところが、いくら探しても見つからない。
しばらく歩いたところで、ようやく木の根元に青いスライムを見つけた。
「あっ、スライム!」
メルが近づこうとした瞬間、スライムは身体を震わせ、ものすごい勢いで茂みの奥へ逃げていった。
「……あれ?」
その背中を見送りながら、ようやく気づく。
(待って。シュガースライムも魔物だよね?)
魔物が近づかなくなるクッキーを食べて、魔物を探しに来た。
(……意味ないじゃん!)
安全に森へ入ることしか考えていなかった。
これではシュガースライムを見つけても、向こうから逃げられてしまう。
(今日は帰ろう。冒険者さんにお願いしよう……)
素直に諦めて踵を返した、そのときだった。
森の空気が変わった。
さっきまで遠くから聞こえていた魔物の鳴き声が消え、木々のざわめきだけが残る。
「……?」
暗い森の奥から、低い唸り声が響いた。
茂みを押し分けて現れたのは、銀白の毛に覆われた巨大な狼だった。
メルの身体など簡単に飲み込めそうなほど大きく、黄金色の瞳が暗闇の中で鋭く輝いている。
「グルルルルル……!」
腹の底まで震わせるような唸り声に、メルは立ち尽くした。
(……あれ?)
魔物よけクッキーを食べている。
さっきまでの魔物は、こちらに気づいただけで逃げていった。
なのに、この狼は逃げない。
むしろメルを見つめながら、ゆっくりと近づいてくる。
普通なら、恐怖で動けなくなるところなのかもしれない。
けれど月明かりに照らされた銀白の毛は、どう見ても柔らかそうで、巨大な尻尾までふさふさだった。
「……もふもふだ」
巨大な狼の耳が、ぴくりと動いた。




