第32話 王女様のひみつ
「メルちゃん、本当にこのままお持ちしても大丈夫でしょうか……?」
アリシアちゃんは、両手で抱えた小さな箱を心配そうに見つめていた。
箱の中には、さっき一緒に作った苺のジャムクッキーが入っている。綺麗に焼けたものもあれば、ちょっと形が曲がったものもあるけれど、どれも私たちが頑張って作ったお菓子だ。
「大丈夫だよ! 私も食べたけど、すっごくおいしかったもん!」
「ですが、お父様とお母様のお口に合うかどうか……」
「きっと喜んでくれるよ! それに、アリシアちゃんが作ったって聞いたら、びっくりするんじゃないかな!」
アリシアちゃんは少し考えてから、こくりと頷いた。
「……そうですね。せっかく作ったのですから、食べていただきたいです」
私たちは王宮の廊下を歩き、国王様と王妃様が待っているお部屋へ向かった。
エナとヴァルも一緒だ。ヴァルはさっきクッキーを食べたばかりなのに、まだ少し物足りなさそうな顔をしている。
「ヴァル、さっきいっぱい食べたでしょ?」
「いっぱいというほどではない。俺なら、あと10枚は食えるぞ」
「もう! あれはアリシアちゃんのお父さんとお母さんの分なんだからね!」
「分かっている。別に取ろうとはしていないだろう」
ヴァルが尻尾を揺らすと、アリシアちゃんが小さく笑った。
「ヴァル様は、本当にお菓子がお好きなのですね」
「まあな。メルの作るものは、だいたい美味い」
「えへへ! ありがとう!」
そんな話をしているうちに、お部屋へ到着した。
◇
「お父様、お母様。少し、お時間をいただいてもよろしいでしょうか?」
アリシアちゃんが丁寧にお辞儀をすると、国王様と王妃様がこちらを向いた。
「もちろんだ。どうした、アリシア?」
「あの……本日、メルちゃんと一緒にお菓子を作りました。もしよろしければ、召し上がっていただきたいのです」
アリシアちゃんが箱を差し出すと、国王様は目を丸くした。
「アリシアが、お菓子を?」
「はい。アルベールにも教えていただきました」
「まあ……! あなたが自分で作ったの?」
王妃様も驚いた様子で立ち上がり、アリシアちゃんのそばへ歩み寄った。
「はい。苺のジャムクッキーです。少し形が揃っていないものもありますが……」
「そんなこと、気にしなくていいのよ。ぜひ食べさせてちょうだい」
王妃様が優しく微笑むと、アリシアちゃんはほっとしたように箱を開けた。
中には、真ん中の苺ジャムがきらきら輝くクッキーが並んでいる。
「わあ、かわいらしいわね。お花みたい」
「アリシアちゃんが選んだんだよ! 真ん中が赤くて、かわいいでしょ!」
「ええ、とっても素敵だわ」
王妃様は1枚手に取り、小さくかじった。
「……おいしい! バターの香りもよくて、苺の甘酸っぱさがぴったりね」
「本当ですか……?」
「もちろんよ。アリシアがこんなにおいしいお菓子を作れるなんて、お母様は嬉しいわ」
アリシアちゃんの頬が、ほんのり赤くなった。
続いて、国王様もクッキーを手に取る。
でも、その手が伸びたのは、少しジャムが溢れているクッキーだった。
「あっ、お父様! そちらは……!」
アリシアちゃんが慌てて声を上げた。
「どうした?」
「そのクッキーは、私がジャムを入れすぎてしまったもので……。ほかのものをお選びください」
国王様はクッキーを見つめ、それからにっこり笑った。
「いや、私はこれがいい。ジャムがたっぷり入っていて、実においしそうではないか」
「ですが、形が……」
「形など気にせんよ。私は甘いものが好きだからな」
そう言って、国王様はクッキーを口に運んだ。
「うむ! これはおいしい! ジャムの甘さがしっかり感じられる。私は、このクッキーが一番好きだな」
アリシアちゃんは、ぽかんと口を開けていた。
「……本当に、ですか?」
「ああ。もう1枚食べたいくらいだ。アリシア、また作ってくれるか?」
「……はい!」
その返事は、さっきよりもずっと明るかった。
(よかったぁ! アリシアちゃん、嬉しそう!)
王妃様も目元を和らげている。
きっと、娘がこんなふうに笑う姿を見られて嬉しいんだろうな。
「ねえ、アリシア。せっかくですもの。明日はみんなでお茶会を開きませんか?」
「お茶会、ですか?」
「ええ。あなたが作ったお菓子を囲んで、家族でゆっくり過ごすの。メル様にもご一緒していただけたら嬉しいわ」
国王様も頷いた。
「それはいいな。最近は私も忙しく、家族でゆっくり過ごす時間が少なかったからな」
でも、アリシアちゃんは少し困った顔になった。
「私が、お茶会のお菓子を作るのですか……? もし失敗してしまったら……」
「私も一緒に作るよ!」
私がそう言うと、アリシアちゃんがこちらを見た。
「メルちゃんも?」
「うん! アルベールさんもいるし、きっと大丈夫! 今度は違うお菓子を作ろうよ!」
「……そうですね。メルちゃんと一緒なら、できるかもしれません」
王妃様は嬉しそうに手を合わせた。
「では、明日のお茶会を楽しみにしていますね」
こうして、私たちは明日も一緒にお菓子を作ることになった。
◇
お部屋を出たあと、私とアリシアちゃんは庭園へ向かった。
明日のお茶会で何を作るか、ゆっくり考えるためだ。
「アリシアちゃん、明日はどんなお菓子にしようか?」
「そうですね……。皆様に喜んでいただけるものがよいと思うのですが……」
アリシアちゃんは少し考え込んでしまった。
私は隣を歩きながら、昨日のことを思い出す。
「そういえば、アリシアちゃん。昨日も今日も、お菓子を作るの楽しそうだったね!」
「……はい。とても楽しかったです」
「じゃあ、これからもいっぱい作ろうよ!」
「それは……」
アリシアちゃんは足を止めた。
少し迷ったあと、私の方を向く。
「メルちゃん。昨日、私が言いかけたことを覚えていますか?」
「うん! 何か言おうとしてたよね」
「……少し、お話ししてもよろしいでしょうか?」
私は大きく頷いた。
「もちろん!」
私たちは庭園のベンチに腰を下ろした。
近くでは色とりどりのお花が風に揺れていて、甘い香りが漂っている。
「私、小さい頃からお菓子が大好きだったんです」
アリシアちゃんは、ぽつりと話し始めた。
「アルベールが作るお菓子は、どれも素晴らしくて……。特に、厨房から漂ってくる焼きたての香りが好きでした。以前はよく、作っているところを見せてもらっていたんです」
「そうなんだ! じゃあ、アリシアちゃんもお菓子作りが好きなんだね!」
「……そう、なのかもしれません」
アリシアちゃんは膝の上で手を重ねた。
「でも、王女としてのお勉強が始まってから、少しずつ変わってしまいました」
アリシアちゃんによると、王女教育の先生はとても真面目な人らしい。
勉強も礼儀作法も丁寧に教えてくれるし、頑張ればちゃんと褒めてくれる。
「ある日、先生から言われたんです。王女殿下は、常に人々のお手本でなければなりません、と」
「お手本……」
「はい。だから、私も立派な王女になろうと思いました。好きなことばかりしてはいけない、失敗してはいけない、いつも正しい選択をしなければならない……そう考えるようになったんです」
アリシアちゃんは少し寂しそうに笑った。
「そうしているうちに、何が好きなのかを聞かれることさえ、怖くなってしまいました。もし間違ったものを選んでしまったら、皆様をがっかりさせてしまうかもしれませんから」
私は、その話を聞いて胸がきゅっとなった。
(そっかぁ。誰かに怒られたわけじゃなくて、アリシアちゃん自身が頑張りすぎちゃったんだね)
前世の私も、仕事で失敗しないように頑張っていた。
もちろん、アリシアちゃんとは事情が違うけれど、好きなことを後回しにしてしまう気持ちは、少しだけ分かる気がする。
「アリシアちゃん、すっごく頑張ってたんだね!」
私がそう言うと、アリシアちゃんは驚いた顔をした。
「……え?」
「だって、みんなのお手本になろうとして、いっぱいお勉強したんでしょ? すごいよ!」
「……ありがとうございます」
アリシアちゃんは少し照れたように笑った。
「でもね、お菓子が好きなのは悪いことじゃないと思うな!」
「……そうでしょうか?」
「うん! 今日だって、アリシアちゃんがお菓子を作ってくれて、王様も王妃様もすっごく嬉しそうだったよ!」
アリシアちゃんは、さっきの国王様たちの顔を思い出したのか、少し目を細めた。
「……お父様、私の失敗したクッキーを一番好きだと言ってくださいました」
「うん! ジャムがいっぱいで、おいしかったんだね!」
「ふふっ……。私、あのクッキーを失敗だと思っていたのに……」
アリシアちゃんは小さく笑った。
「……少しだけ、考え方が変わった気がします」
私は嬉しくなって、アリシアちゃんの手を握った。
「じゃあ、明日のお茶会も、アリシアちゃんが作りたいお菓子にしようよ!」
「私が、作りたいものを……?」
アリシアちゃんは庭園を見渡した。
赤や黄色、白や薄紫のお花が、風に揺れている。
しばらく考えてから、アリシアちゃんが口を開いた。
「……お花の形のお菓子を作ってみたいです」
「お花?」
「はい。私、この庭園が好きなんです。お花を見ていると、心が落ち着くので……。だから、お花みたいなお菓子があったら素敵だなって」
私は思わず笑顔になった。
「いいね! 絶対かわいいよ! ちょっと待ってね!」
さっそく《しあわせレシピ》を呼び出し、ページをめくっていく。
すると、お花をモチーフにしたお菓子がいくつか見つかった。
「これなんてどうかな?」
私が見せたのは、ふんわりしたカップケーキの上に、花びらみたいなクリームが飾られたお菓子だった。
《花咲く蜂蜜カップケーキ》
アリシアちゃんは目を輝かせた。
「まあ……! とてもかわいらしいです!」
「でしょ! 蜂蜜のカップケーキに、クリームでお花を作るんだって!」
「こんなに綺麗なお花を、私にも作れるでしょうか……?」
「アルベールさんに教えてもらおうよ! 私も一緒に練習するから!」
アリシアちゃんは少し考えてから、こくりと頷いた。
「……はい。私、自分で飾り付けをしてみたいです」
「うん! 一緒に作ろう!」
明日のお茶会が、ますます楽しみになってきた。
すると、アリシアちゃんが少し照れたように私を見た。
「メルちゃん。もう1つ、お願いしてもよろしいですか?」
「なあに?」
「明日のお茶会が終わっても……また、一緒にお菓子を作っていただけますか?」
私は迷わず頷いた。
「もちろん! 何回でも作ろう! 今度はリリアちゃんも一緒にできたら楽しいね!」
「リリア様も……?」
「うん! 私の大切なお友達なんだ! アリシアちゃんとも仲良くなれると思うよ!」
アリシアちゃんは嬉しそうに微笑んだ。
「……楽しみです。私、お友達と一緒にお菓子を作るのが、こんなに嬉しいことだとは知りませんでした」
私はアリシアちゃんの手をぎゅっと握り返した。
昨日は少し緊張していたアリシアちゃんが、今日は自分から好きなことを話してくれた。
それが、何よりも嬉しかった。
明日は、王宮のお茶会。
アリシアちゃんが自分で選んだ、花咲く蜂蜜カップケーキを作る日だ。
きっと、素敵なお茶会になるはず!
私は今から、明日が待ち遠しくて仕方がなかった。




