第31話 王女様とお菓子
翌朝、私はエナとヴァルと一緒に、王宮の厨房へ向かっていた。
「エナ、アリシアちゃん、もう来てるかな?」
「お約束のお時間にはまだ少しございますが、アリシア殿下は時間を大切になさる方と伺っております。すでにお越しかもしれませんね」
「そっか! 楽しみだなぁ!」
昨日、アリシアちゃんと約束したのだ。一緒にお菓子を作ろうって。
どんなお菓子にするかは、まだ決めていない。せっかくだから、アリシアちゃんが作りたいものを選んでもらおうと思っている。
「メル、お前の方が張り切ってどうする」
「だって、お友達とお菓子作るの、楽しいんだもん! リリアちゃんと作ったときも、すっごく楽しかったよ!」
「なら、今日は俺の分も忘れるなよ」
「もちろん! ヴァルの分も作るよ!」
そんな話をしているうちに、厨房へ到着した。
「おはようございます、メル様」
迎えてくれたのは、宮廷菓子職人のアルベールさんだった。
その隣には、水色のエプロンをつけたアリシアちゃんが立っている。
「メルちゃん、おはようございます。本日はよろしくお願いいたします」
「アリシアちゃん、おはよう! エプロン、かわいいね!」
「ありがとうございます。お母様が用意してくださいました」
アリシアちゃんは少し照れたように、自分のエプロンへ視線を落とした。
「お菓子作りは初めてですので、ご迷惑をおかけしないようにいたします」
「アリシア殿下、本日はお勉強ではございません。お菓子作りを楽しんでいただければ、それで十分でございますよ」
アルベールさんが優しく微笑む。
「そうだよ! 私も昨日、アルベールさんにいっぱい教えてもらったんだ! 今日は一緒に頑張ろうね!」
「……はい。よろしくお願いします」
アリシアちゃんは小さく頷いた。
まだ少し緊張しているみたいだけれど、昨日よりも表情が柔らかい気がする。
「じゃあ、まずは何を作るか決めよう! アリシアちゃん、何がいい?」
「私は……メルちゃんの作りたいもので構いません」
「うーん。じゃあ、一緒に決めよう!」
私は《しあわせレシピ》を呼び出した。
目の前に現れた魔法の本を見て、アリシアちゃんが目を丸くする。
「これが、メルちゃんのスキルなのですね。本当に本が現れるなんて……」
「うん! いろんなお菓子の作り方を教えてくれるんだよ!」
ページをめくると、今日は作りやすそうな焼き菓子がいくつか並んでいた。
蜂蜜のふんわりマドレーヌ、バター香る小さなサブレ、それから苺のジャムクッキー。
「どれもおいしそうだね! アリシアちゃんは、どれが気になる?」
アリシアちゃんは本を覗き込み、しばらく考えていた。
そして、苺のジャムクッキーが描かれたページで視線を止める。
「……こちらは、真ん中に苺が入っているのですか?」
「うん! 苺のジャムだよ。赤くて、お花みたいでかわいいよね!」
「……はい。とても、かわいらしいです」
アリシアちゃんは、もう一度その絵を見つめた。
「じゃあ、これにする?」
「よろしいのですか? ほかにも素敵なお菓子がありますのに……」
「もちろん! 私もこれ、作ってみたいな!」
すると、アリシアちゃんは少しだけ嬉しそうに笑った。
「……私、これを作ってみたいです」
「決まり! 今日はジャムクッキーにしよう!」
私はさっそくレシピのページを開いた。
《苺のジャムクッキー》
【材料(約20枚分)】
・小麦粉……150g
・バター……80g
・砂糖……50g
・卵黄……1個
・苺ジャム……適量
「アルベールさん、材料はあるかな?」
「ええ。どれも厨房にございます。苺のジャムも、今朝仕上げたものがございますよ」
「わあ! じゃあ、すぐに作れるね!」
アルベールさんが材料を用意してくれて、私たちは手を洗い、作業台の前に並んだ。
◇
「まずは、柔らかくしたバターと砂糖を混ぜていきましょう。お二人で交代しながら、ゆっくりと混ぜてください」
アルベールさんの説明を聞いて、私が先にお手本を見せる。
木べらでバターを練り、砂糖を加えて混ぜていくと、少しずつ白っぽくなってきた。
「こんな感じだよ! アリシアちゃんもやってみる?」
「はい。……あの、力加減はこれくらいでしょうか?」
「うん! 上手だよ!」
アリシアちゃんは真剣な顔で木べらを動かしている。
最初は慎重だったけれど、だんだん慣れてきたみたい。
「お上手でございますよ、殿下。では、次に卵黄を加えましょう」
アルベールさんに教えてもらいながら、卵黄と小麦粉も混ぜていく。
生地がまとまったところで少し休ませ、今度は小さく丸める作業になった。
「これを丸めて、真ん中を指でちょっと押すんだよ。そこにジャムを入れるの!」
私が作ったクッキーは、少し横に広がった丸になった。
でも、アリシアちゃんの方を見ると、綺麗な丸い生地が並んでいる。
「わあ! アリシアちゃん、すごく上手!」
「刺繍の練習で、細かい作業には慣れておりますので……。ですが、まだ形が揃っていません」
アリシアちゃんは、せっかく丸めた生地をもう一度直そうとした。
「そんなに気にしなくても大丈夫だよ! ほら、私のなんて、ちょっと変な形!」
「ですが、綺麗に作らなければ……」
「形が違っても、おいしく焼けるよ! それに、1つずつ違うのもかわいいと思うな!」
アルベールさんも頷いた。
「メル様のおっしゃる通りでございます。焼き菓子は、少し形が違っても味が損なわれるわけではございません。まずは楽しんで作ることが大切ですよ」
アリシアちゃんは自分の手元を見つめてから、小さく息を吐いた。
「……そうなのですね。では、このままにしてみます」
そのあとも、2人で生地を丸めていった。
全部並べ終わる頃には、アリシアちゃんも楽しそうに作業していた。
「次はジャムだね! 真ん中のくぼみに、少しずつ入れていくよ!」
小さなスプーンを使って、苺ジャムをのせていく。
赤いジャムが入ると、ただの丸い生地が一気にかわいくなった。
「わあ……本当に、お花のようですね」
「でしょ! 焼いたらもっとおいしそうになるよ!」
アリシアちゃんも嬉しそうにジャムを入れ始めた。
ところが、1つのクッキーに少し多く入れすぎてしまったらしい。
「あっ……」
くぼみからジャムが少し溢れている。
「申し訳ありません。失敗してしまいました……」
アリシアちゃんは慌ててスプーンを置いた。
「えっ? ジャムいっぱいだ! 私、これ食べたい!」
「……え?」
「だって、ジャムがたくさん入ってるんだよ? おいしそう!」
私がそう言うと、アリシアちゃんはきょとんとした。
アルベールさんもクッキーを覗き込む。
「少し焼き上がりの形が変わるかもしれませんが、味には問題ございませんよ。むしろ、ジャムがお好きな方には喜ばれそうですね」
「……怒られないのですか?」
「怒る? どうして?」
「失敗してしまったので……」
アリシアちゃんは困ったように眉を下げた。
「失敗したら、次に気をつければいいんだよ! 私もいっぱい失敗するもん!」
「メルちゃんも、ですか?」
「うん! この前もアルベールさんに、生地の混ぜ方を教えてもらったんだ。まだまだ知らないことがいっぱいあるよ!」
アリシアちゃんは少し驚いた顔をしたあと、ふっと笑った。
「……そうなのですね。なんだか、安心しました」
それからは、ジャムを入れる手つきも少し軽くなった気がする。
◇
クッキーをオーブンに入れてしばらくすると、厨房いっぱいにバターのいい香りが広がった。
「わあ、いい匂い!」
「本当ですね。こんなに香りがするなんて……」
アリシアちゃんはオーブンの前で、焼き上がりを待ち遠しそうにしている。
「もう少しでございますよ。焼きたては熱いので、少し冷ましてから召し上がってくださいね」
アルベールさんが焼き上がったクッキーを取り出すと、私たちは思わず顔を近づけた。
こんがり焼けた生地の真ん中で、苺ジャムがきらきら輝いている。
「かわいい! アリシアちゃん、すっごく上手にできたね!」
「……はい。とても、綺麗です」
アリシアちゃんは、自分で作ったクッキーを嬉しそうに見つめていた。
少し冷めたところで、さっそく試食することになった。
「いただきます!」
クッキーを口に入れると、サクッと軽い食感が広がった。
バターの香りと優しい甘さに、苺ジャムの甘酸っぱさがぴったり合っている。
「んー! おいしい!」
隣を見ると、アリシアちゃんも小さくかじっていた。
「……おいしい」
その声は、昨日まで聞いたどの言葉よりも自然だった。
「自分で作ったお菓子、おいしいでしょ!」
「はい。こんなに楽しいとは思いませんでした。自分で作ったものを食べると、こんなに嬉しいのですね」
アリシアちゃんはもう一口食べて、幸せそうに目を細めた。
その様子を見て、アルベールさんも嬉しそうに微笑んでいる。
「殿下にそのように喜んでいただけて、私も嬉しゅうございます」
「アルベール、ありがとうございました。とても楽しかったです」
「こちらこそ、お二人とご一緒できて光栄でございました」
すると、足元から声がした。
「メル。俺の分はどうした」
あっ、ヴァル!
「ちゃんとあるよ! ほら、こっち!」
私はヴァル用に取っておいたクッキーを差し出した。
「ふむ。悪くないな。だが、俺はもう少し甘い方が好みだ」
「じゃあ、次はジャムをいっぱい入れようね!」
そんなやり取りを聞いて、アリシアちゃんがくすくす笑った。
「ヴァル様は、本当に甘いものがお好きなのですね」
「悪いか?」
「いいえ。とても素敵だと思います」
ヴァルは少しだけ尻尾を揺らして、またクッキーを食べ始めた。
そのあと、アルベールさんが残ったクッキーを見ながら尋ねた。
「こちらのお菓子は、いかがいたしましょうか。お部屋へお持ちいたしますか?」
アリシアちゃんは、いつものように答えかけた。
「お任せ……」
けれど、途中で言葉を止めた。
そして、少し考えてから顔を上げる。
「……あの、お父様とお母様にも、食べていただきたいです」
私は嬉しくなって、思わず手を叩いた。
「いいね! きっと喜んでくれるよ!」
「……そうでしょうか」
「うん! だって、アリシアちゃんが頑張って作ったんだもん!」
アリシアちゃんは照れたように笑った。
「では、少し包んでいただけますか?」
「かしこまりました。綺麗な箱をご用意いたしましょう」
アルベールさんが箱を取りに行くと、アリシアちゃんが私の方を向いた。
「メルちゃん。1つ、聞いてもよろしいですか?」
「なあに?」
「メルちゃんは、どうしてそんなに自由に好きなことができるのですか?」
私は少し考えた。
「うーん……だって、好きなことをしてると楽しいもん! それに、お菓子を食べた人が笑ってくれると、私も嬉しいんだ!」
アリシアちゃんは、じっと私を見つめていた。
「……私も、本当は……」
そこで、言葉が止まった。
アリシアちゃんは何かを言おうとして、迷っているみたいだった。
私は急かさず、にっこり笑う。
「言いたくなったら、教えてね!」
「……はい」
アリシアちゃんは小さく頷いた。
その顔は、昨日初めて会ったときよりも、ずっと柔らかく見えた。
アルベールさんが持ってきてくれた箱に、2人でクッキーを詰めていく。
アリシアちゃんは、少しジャムが溢れたクッキーを最後まで大切そうに眺めていた。
「これも、お父様に食べていただこうかしら……」
小さく呟いたその声を聞いて、私は嬉しくなった。
アリシアちゃんが自分で選んで、自分で作ったお菓子。
きっと、国王様も王妃様も喜んでくれるはずだ。
私は、アリシアちゃんが次にどんなお菓子を作りたいと言ってくれるのか、今から楽しみで仕方がなかった。




